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11話


 次々に焼きあがっていくパンを手際よく店頭に並べていく。

 店の中に焼きたてのパンの良い香りが広がっていくと、どこか安心するようなほっとするような、そんな不思議な気持ちになるのはどうしてだろう。


 いつも開店と同時に沢山のお客がやってくると店頭に並べたパンはすぐになくなる。

 次々に新しいパンが焼きあがると再び手際よく店頭に並べていく。そんなふうに慌しく午後は過ぎていく。


 顔なじみの常連さんとの世間話も毎日の日課になっていた。

 店が落ち着いた頃、常連さんの一人のアニスおばさんがやってきた。

 今日もたわいもない会話をする。


「こんにちは、レイ」


「こんにちは、アニスおばさん。今日はいい天気ですね」


「そうね、過ごしやすくて快適だわ。こんな日はデートにうってつけじゃない?ところでレイは恋人、いないの?」


 唐突な話の内容に、ついキョトンとしてしまった。

 恋人?今まで考えた事も無かった。私の中で男性とは、父や、私や母を捕らえようとしたり襲い掛かろうとした男達が思い浮かぶ。いわばクズの極みのような人間が男として私の中に認識されているのだ。もちろん孤児院にいた子達の中にも男の子はいたし、旅仲間にも男性はいたが、彼らは私の中で兄弟や親類のような存在なのだ。だから恋人というくくりの異性が理解できないし、そもそも異性を好きになるという感覚が私には分からなかった。

 愛し、愛される異性の存在なんてきっとずっと理解できないのだろう。


「あら?その様子だといないのね。あなた綺麗な顔をしているのに以外ね。じゃあ今度良い女の子を紹介してあげるわ。あなたの事をとても気に入っている子がいるのよ。とっても美人で気立てが良い子なのよ」


 本気で話を進められるまえに断ろうと思った矢先、ちょうどアンが学校から戻ってきて、アニスおばさんとの会話に加わってきた。


「アニスおばさん。こんにちは!レイ、今帰ったよ」


「おかえりなさい、アン」


「アイスおばさん、レイに女の子の紹介は不要です。ね!レイ?」


「う、うん。そうなんです。最近ちょっと忙しくて…」


「そうなの?…あの子、残念がるわねぇ。でも落ち着いたら教えてちょうだいね。絶対よ?」


 アニスおばさんはとても残念そうな表情をして帰っていった。

 そんなやり取りをしていると厨房から奥さんが出てきた。


「あら、アンお帰り。もうそんな時間なのね。レイ、そろそろ上がって大丈夫よ」




「あっ。はい。アンの勉強を見てから上がります」


「そういえば今朝、そんな話をしていたわね。ごめんなさいね。お願いできるかしら。帰りにそこに置いてあるパン、持っていってね」


「いつもありがとうございます。助かります」


「いいのよ。いつもよく働いてくれるし、アンの勉強も見てくれてありがとう」


「いえ、好きでしているので」


「レイ、お母さんとのお話終わった?」


「うん、終わったよ」


「天気が良いしあの木の下に行こうよ。今敷物をもってくるね」


 そう言ってアンは上機嫌で走っていった。





「ここはどうやって解くの?」


「うん、ここはね、こう考えてこうするんだよ」


「あー!なるほど!レイは教え方が上手ね。前にいた学校はどんなところだったの?」


「実は学校に通った事がないんだ」


「えっ!そうなの!?それでどうしてそんなに勉強ができるの?」


「うん、母さんが教えてくれてだんだ」


 アンはひどく驚いている。


「そうなんだ。じゃあ学校の事知らないの?今度は私が教えてあげる!」


 アンは学校がどんな所なのか丁寧に教えてくれた。未知の世界の話を聞くようでとても興味深く面白かった。

 同じ年頃のたくさんの男女が同じ部屋で机を並べて勉強をするという。どんな感じなのかいまいち、よく分からない。

 それでも、話を聞く限りなんだかとても楽しそうだ。


 生まれ育ったあの街にだってもちろん学校はあった。しかし父は何故か学校に行く事を許してはくれず、いつも家庭教師と母が先生になって教えてくれていたのだ。


 アンとの勉強会も終わり帰り支度を始めた。


「レイ、ありがとう。気を付けて帰るのよ」


「はい、いつもパンを持たせてくれてありがとうございます」


「いいのよ~また明日ね」


 そうやっていつもと同じように店を出て行く。


 帰り道、ひと気のない道端に入っていくと、その先には廃材や壊れた生活用具が捨て置かれている場所があった。その中から錆びたバケツを見つけて地面に置くと、ポケットからあの本を取り出す。


 浅葱色の表紙のその本をしばらく見つめると、適当なページで開いてから真っ二つに引き裂いていく。何かに取り憑かれたようにビリビリと本を破り続けて、破いた紙切れをバケツの中に積み上げていく。

 最後に破ったページには幸せそうな笑顔の父がいた。ポケットからマッチを取り出して火をつけると、バケツの中に放る。

 赤い炎が父の笑顔を燃やしていくのをただ黙って見ていた。それからあっという間にバケツの中は炎に包まれていく。

 こんなもののために不幸にはならない。私達は幸せになるんだ。燃えていく本を睨みつけながら全てが灰になっていくのをじっと見ていた。

 全てが燃えて真っ黒なカスになるとなんだか気持ちがスッキリとしていた。ここからまた始めよう。

 いくらだってやり直せるんだから。


 そう思った時、何だか急に母の顔が見たくなった。速足で帰り道を急いだ。


 家につくと勢いよくドアを開ける。


「母さん、だたいま!今帰ったよ」


 返事はない。しんと静まり返ったリビングに母の姿を見つける事は出来なかった。

 まだ寝ているのだろうか。急いで母の寝室に行く。


「母さん、入るよ」


 ノックをして部屋に入るが母の姿はない。部屋の中は閉まったままのカーテンのせいで薄暗い状態だった。


ふと、床に何かが落ちている事に気が付いた。


「?なんだろう。何か落ちてる…」


 落ちている物を確認したとき全身から嫌な汗が噴き出してきた。


「なんで…これがここに…?」


 浅葱色の表紙のあの本が落ちていた。





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