表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小鉄がいうので

作者: ダルシン

 本当に大丈夫かな。

 ぼくは体を震わせながら草木に隠れていた。

 深夜。風が雲を動かし、三日月を隠す。

 作戦が始まる前不安がるぼくに父の弟子である兄弟がいった。


「案ずるな。ナリタよ。お前は実の父親が信用できぬのか」


 心頭滅却すれば火もまた涼しが信条の兄カセがいう。他人に厳しく自分にはもっと厳しい。


「そうだよ。ナリタ。先生はこの辺りじゃ一番の退魔師」


 弟のカチがいう。兄よりもやさしい。ぼくは彼の方が好きだった。

 二人は父の弟子であり助手だった。

 父と三人でいったい幾多の魔物を倒して来たのだろう。とても頼もしい存在だ。

でも今日は二人の言葉さえ不安だ。

 だってぼくははじめてなんだから。

 ぼくは今年で十二歳になった。退魔師の子は退魔師になる。幼いころより修行をして、十二歳を迎えると退魔に参加することが許される。

 今夜がその日なんだ。




 依頼が来たのは今朝だった。

 家の扉を激しく叩く音にぼくは起された。

 起こしたのは村の豪商秋元家の主人とその奥さんだった。

 二人は父に何度も何度も頭を下げていった。

 お助け下さい。十九歳になる倅が邪狐狸にやられていると。

邪狐狸とは人の心を盗む魔物で人の姿に化ける。その姿は美しく、心を盗まれた者は邪狐狸に夢中になり何もかもが手に着かなくなる。毎夜毎晩邪狐狸が家に来てくれることだけを切望し、それ以外の時間は側にいないことを嘆き苦しみ伏せるのだ。

 恐ろしいのはそれだけではない。身内が異変に気づいて護衛をつかせ、邪孤狸を近づけないようにしても無駄なこと。その美しい姿を見た者は言葉を失い、呆然と立ち尽くすだけなのである。

 そして逢瀬を繰り返したのち喰らう。


「何と情けなきこと。我が倅が邪狐狸などに。そのような物に惑わされることがないよう育て上げたはずなのに」


 父を前に秋元家の主人は豪商らしい恰幅のいい体を折って悔しがる。その横で奥さんは涙をぬぐう。


「されど倅。助けてやりたいと思うのが親。知り合いの紹介である男に退治を頼んだのですが。朝我が家の中庭にて腹を刀で刺された男を見つけた次第です」


 奥さんから押し殺した声が漏れる。


「先生の腕を聞きつけ駆けつけたのでございます。どうかお助け下さい。このままでは倅が邪狐狸に食われてしまいます」

 

 父は依頼を聞き入れ,準備をはじめた。

 ぼくは兄弟子の兄弟といっしょにその準備を手伝った。でもモタモタしてしまう。だって父たちといっしょに話を聞いていたから。

 同業者が失敗してしまったなんて、邪孤狸とは何て恐ろしい奴なんだろうと、それと父が戦うだなんて。心配で心配で。

 なのに父ときたらぼくに今夜から参加しろという。

 確かにぼくは十二歳になったけど初陣がそんなにも恐ろしい相手だなんて。




「ここで見ていろ。見ているだけでいい」


 現場に着くと父はそれだけいい残して去って行った。

 ぼくは妖刀燕を胸に抱える。父から授かりし伝統の刀。父は祖父から、祖父は祖父の父から代々受け継がれた刀。幼少のころよりこれで修行をつんできた。

 戦いに加わることはない。事の次第をじっと見ていろ。無理に加勢をすればむしろ足手まといになる。それよりも、決してここから動くな。そしてもしも邪孤狸が襲って来たらそのときは迷わず妖刀燕で突き刺せ。

 ぼくは草木に隠れながら父にいわれたことを心の中で何度も唱える。来るなら来い。ぼくだって退魔師の血筋に生まれた子だ。やってやる。でもできたら・・・。絶対そっちの方がいいんだけど・・・。ぼくの方には来ないで。




 ついにそのときが来た。

 不安とか恐怖とかそんなものがまぜまぜになってカタカタ震えていたけれど、そのときが来るとぼくの体は固まった。

 行燈を片手に、下駄をカランコロンと鳴らしてある人影。

風が雲を動かし、三日月が出てあたりを照らした。

 そこに一人の女。

 なんて綺麗なんだろう。白い肌は透き通るようで腰までのびた黒髪とともに光って見えた。

 その姿を見ていられるのならばこれから先少しも動けなくても構わないとさえ思えた。

 ぼくは女を見送った。 

女は秋元家の屋敷へと入って行った。

 ただし今夜寝室には父がいる。倅はすでに別の家に移してあるのだ。

 邪孤狸は鼻が利く。いつもと違う匂いがすればたちどころにわかる。だが我が家に伝わる秘薬を使えばそれは消える。ぼくたち四人はその秘薬で焚き染めた着物を着ているのだ。

さらに、それを利用し邪孤狸が好む匂いで誘い出すのだ。それも我が家の秘薬。父はその匂いをつけ、いつもは倅がいる寝室で待っているのだ。邪孤狸は気づかずにやって来る。これが我が家に伝わる邪孤狸退治の秘法。これで倒せなかった邪孤狸はいない。

 ほどなくして、夜をつんざく声が聞こえた。

 ドタドタと音をさせ屋敷から飛び出してくる影。

 それは狐のような、狼のような。しかし、その姿は大きい。大人の男の背を優に超える。

これが邪孤狸だ。父から秘伝の書で見せてもらったことがある。

刀が一本その体を貫いていた。

邪孤狸の出現に外で待機していた二人の兄弟子が駆け出した。これを待っていたのだ。屋敷から父も出て来る。自分たちより大きな邪孤狸を三方から攻めるのだ。

ところが。

邪孤狸は跳躍した。

出迎えた二人の頭の上を跳び超えたのだ。


「何て奴だ」


 弟のカチが唖然としていう。


「片足は切った。そう遠くへは行けまい」


 兄のカセが追う。

 二人も追う。

 やがて姿は見えなくなった。

 ぼくはいいつけ通りその場を動かなかった。

 動けなかったが正解だけど。

 やがて夜空をつんざく声と、父たちの勝鬨。

 邪孤狸は退治されたのだ。




 でもことはそれで終わらなかった。

 あの邪孤狸は雌だった。その場合子供を連れていることが多いらしい。その子供を見つけて退治しなければならないらしい。

 そのことを三人はぼくの所にいいに来た。


「子犬のような姿を見つけたら知らせろ」


 そういって父たちは邪孤狸の子供を探しに行き、ぼくの待機は続いた。

 クウウウン。という声を聞いてぼくは振り返った。

 そこに子犬のような姿があった。

 その小さな体。つぶらな瞳。でも哀しげな鳴き声。

 邪孤狸の子供だ。父たちに見つかれば殺されてしまう。

 ぼくはその子を抱き上げ草むらに隠した。

 しばらくして父たちが戻って来た。


「いたか」

「いないよ」


 ぼくは答えた。

 それを聞いて父がいった。


「よし。終わろう。ご苦労だった」


 ぼくたちは帰宅の途についた。

 邪孤狸の子供は小鉄といった。

 



 母さんたちに会って来る。というと父はそうかというだけで送り出してくれる。

 墓参りだ。

 お供えの御菓子を持ってぼくは家を出る。

 ぼくに母さんはいない。兄弟も。母さんはぼくが五歳の時に流行病で死んだ。兄と姉もまだ幼いころに死んでしまったらしい。

 そういうこともあってか父は母が死んで一年後にカチとカセの兄弟を弟子にとった。二人はぼくの兄弟子になった。細かい話をすると本当は後に入ったのだから弟弟子になるらしいのだけど。だってどうしたって二人はぼくよりもお兄さんだ。年だって兄のカセが十三歳で、弟のカチが十二歳だった。二人とももう父といっしょに退魔に参加できる年齢だった。父の助手として十分な働きのようで、息子の良き手本といって二人をいつも誉めていた。

 ぼくも十二歳になって父たちといっしょに退魔に参加できるようになったけど。それから一年経ってもまだ怖くてしょうがない。あのころの二人のように父から誉められるような働きとはいえないよ。

 墓に着いた。

 月一回ぼくは歩いて三十分のこの場所に来る。お供えをして、掃除をして、線香をあげて。

 でもそれは口実だった。

 ぼくは早々に切り上げ、お供えの御菓子を取ると山に入った。

 少し歩くと廃屋がある。いつもの場所だ。


「小鉄。ぼくだよ。ナリタだよ」


 廃屋の陰から小鉄が姿を現す。

 一年前にはじめて会った時と比べると随分と体が大きくなった。でもまだ子供だ。

 クウウウンと甘えた声を出す。

 ぼくはお菓子の箱を開ける。蓮の花を模った饅頭だ。一個上げると勢いよく食いつきあっという間に食べてしまった。

 すぐにもう一個やる。

 あの日から、ぼくたちはこの廃屋で月に一回こうやって会って来た。お供え物を上げるのが決まりだ。それはぼくの父たちが小鉄の母親を殺したことの罪滅ぼし。


「いつもありがとう。このお饅頭は本当においしいね」


 小鉄がいう。小鉄は邪孤狸の子供だ。邪孤狸は人間に化けることができる。しかし、小鉄はそれが上手くできない。親から教えてもらう前に死んでしまったから。

 言葉だけはできて、おかげでこうやって話ができる。


「狩りはどう」


 邪孤狸は人の心を盗んでそのうち喰らうが、そればかりをしているわけではないという。

ねずみやうさぎを狩ることの方が多いとも。

人間はご馳走だが退魔師という強敵がいる。


「うまくいかないよ」


 それは母親から狩りの仕方を十分に教えられていないから。


「ごめんな」

「いいよ。お母さんは殺された。でもナリタはぼくを助けてくれた。お饅頭くれるしね。それよりそっちはどう」


 ぼくの退魔師としての仕事のでき具合を聞いているのだ。


「うまくいかないよ。怖いんだ」

「お互い様だねえ」


 ぼくと小鉄は同じ悩みを抱える友人同士だった。




 ぼくは退魔師としての階段を上がっていくのに苦労していた。

 幼いころは代々続く退魔師の血筋に誇りを持っていたのに。父のようになりたいと必死で父から学び、先祖から授かった妖刀燕を肌身離さず抱いて眠ったことすらあったのに。兄弟子たちのようになりたいとその所作ひとつひとつを頭に焼きつけるべく追い続けていたというのに。

 ぼくが退魔に加わるようになってこの二年。

 仕事の量が減っていたのだ。

 父よりも腕のある退魔師が現れ、仕事をそちらに取られてしまったわけではない。そもそも魔物が出ることが少なくなっていた。

怨霊、生屍、邪蛇。かつては毎週のように現れ災いをまき散らし恐れられていた物たちが、月に一度程度しか出ていない。

ぼくは場数を踏めずにいたのだ。


「あれだけ出ていた魔物どもがそう易々といなくなるはずがない。気を抜くことなく精進せよ」


 カセはそういってぼくを鼓舞し稽古をつけてくれていた。

 父はといえば稽古に出てこない日もあった。

 退魔師は尊敬される。村人から頼りにされる存在だ。だから、魔物退治だけでなく、あらゆる相談事を村人からされる立場にあった。

それが近頃はまったくなくなっていた。

 父は力なくぼんやりとしていることが多くなった。父自身が最もことの変化を敏感に感じていたのだ。




 ぼくは相変わらず小鉄と会っていた。

 会う時はお菓子だけでなく、鶏肉などを買って持っていくようになっていた。

 小鉄はもはや子犬ではなく立派な大人の狐の大きさだった。しなやかな動きで野山を駆ける。相変わらず狩りは苦手なようだが、人里に入っては家畜の鶏や、店先に並べられた肉や魚をかっさらうのは随分と上手くなったようだ。

 小鉄の足なら隣村までも速い。

 ぼくは小鉄から変化について聞いていた。


「お前の村だけじゃないよ。あちこちで魔物が出なくなっている」

「どうして。あれだけいたのに」

「魔力が少なくなっているらしい。魔物は魔力があってこそ魔物としていられる。変身できない邪孤狸が増えているらしい。この辺りの長がいってたよ」

「どうして魔力が」

「鉄道だよ」

「てつ・・・」

「よそじゃ今鉄道とかいう鉄の道をつくっている。それが大地の経路を塞いでいる。水路が詰まって田んぼに水がいかないのといっしょだよ。水がなければ田は枯れる」


 よその村の退魔師がいっていたらしい。そして、そこでは退魔師が失業しているらしい。

 世の中が変化しているのだ。

 小鉄は随分と物知りになっていた。




 ぼくは十七歳になり、退魔師の修行よりも学校の勉強が忙しくなっていた。ぼくは成績がよかったので、先生に通学を続けるように勧められたのだ。授業料は奨学金がいくらか出て、足りない分は兄弟子の兄弟が農作業を手伝うなどして支払ってくれていた。

 というのも退魔師の仕事は以前よりもより少なくなり、ここ一年は全くなくなっていたからだ。小鉄がいっていたことがぼくの村でも起きていた。

 変化はもうひとつ起きていた。村の若い者が眩しい光のような噂話に突き動かされて都会へ出て行ってしまうのだ。田畑を耕すものがいなくなり、そのおかげで兄弟子に農作業の仕事があるという皮肉な話になっていた。

 兄弟子二人のおかげで自分は学校に行けている。その気持ちがよりいっそう勉強に集中させ、ぼくはいつも試験で一番をとった。


「お前は本当に勉強ができるのだな。幼いころより思えば剣術よりも座学の方が得意だった。しかし、これも父上から教えていただいたことが基盤になっているのだ。それを胆に銘じろ」


 ぼくが試験の結果をカセに見せた。

 それを弟のカチも覗き見る。


「おおすごいね。先生も見てくださいよ。ナリタがまた一番を取りました」


 カチが父にいう。

 だが反応はない。

 ここのところ父はずっと座敷に座ったままだ。話しかけても反応はない。体を鍛えることもなく、手入れを怠らなかった刀にも触れることがない。

 かつてその座敷には、魔物で困った人が来て父に何度も頭を下げて退治を頼み込んだ。

魔物退治に関係のないことまで村人は相談に来た。それを父は懇切丁寧に聞き、手助けをしていた。村人誰からも頼りにされていた人であったというのに。

 すっかり力をなくし情けない姿になってしまった父をぼくは直視できずに目を伏せる。

 だが、カセもカチも決して不平をもらさない。

 反応はなくとも声をかけ、農作業に出かける前に刀を振る。

 父に教えてもらったことを忘れぬようにと。




ぼくと小鉄の仲は相変わらず続いていた。 

小鉄はもっと物知りになっていた。

小鉄がよそで聞いて来る都会の話に胸を躍らせた。

鉄道。自動車。夜でも明るい町。

そしてずっとずっとたくさんの人。

祭りみたいに活気があるところ。


「こんな田舎にいるのはもったいない。お前の賢さなら高給取りになれる。技師とか、医者とか、学者にだってなれるかもよ」


 小鉄が都会へ出ようといった。




十八歳になるとぼくは都会の学校へ行くことを決めた。ぼくは成績優秀なので先生にも紹介状を書いてもらえることになった。

 兄弟子たちは承諾し応援してくれた。

 問題は学費だったが、そこは小鉄がなんとかしてくれることになった。

 その旨を父に報告したが父は無反応だった。

 そしてある朝、近くの川で水死体となって発見された。自ら飛び込んだようだった。



 

 ぼくは都会へ出て、兄弟子は田舎へ行くことになった。

 父が死んでしまい、ぼくもいない以上ここにいる理由がなくなった。というのがカセたちの意見だった。


「ここよりもっと田舎はまだある。そこに行けばまだ魔物が出ると聞いている。俺たちはそこへ行く。退魔師として生きる」

「ナリタは勉強ができるしまだ若い。新しいことを身に着けたいならそうすればいいよ」

「ただし、先生のご遺志を忘れるな。お前の基盤をつくってくださったのはお前の父だ」


 もちろんです。とぼくはいう。

 先祖より受け継いだ妖刀燕。これだけは持っていきますと胸に抱えて兄弟子たちに見せた。




 こうしてぼくは小鉄といっしょに都会へ出た。

 でも学校へは行かなかった。

 退魔師としての仕事が忙しくなったから。

 兄弟子であるカセ、カチ。お元気でしょうか。

 すっかりいなくなったと思っていた魔物たちは都会にいたのです。

 魔物という姿を憑き物という姿に変えて。

 憑き物は人の中に入って人を狂わせるのです。


「あいつ憑き物だぜ。ナリタ」


 邪孤狸という魔物である小鉄にはそれがわかるのです。


「あいつもだ。退治しようぜ」


 小鉄がいうので、ぼくは妖刀燕を抜きます。

 都会には人がいっぱいいて憑き物で溢れています。

 ぼくはこの都会で父の遺志を継ぐのです。


「みんなみんな殺しちまえ」


 小鉄がいうので。


読んでいただきましてありがとうございます。

好きな短編小説があって、それをもとにしました。

気に入ってもらえると嬉しいです。



連載小説「ステキチク」やってます。そちらもよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ