表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

絶望の国の夢

作者: 駒沢

1分で読めるショートショートです。

男はひどく疲れていた。とにかく、睡眠が足りなかった。朝7時に自宅を出て深夜0時に帰宅。この生活では5時間の睡眠をとるのが精一杯だ。


目覚まし時計に叩き起こされ、のろのろと布団から這い出す。疲れがたまった体は鉛のように重い。ほんの少し気が緩んだだけで、たちまち意識を失いそうになる。なんとか身支度を整えて職場に向かい、上司に怒鳴られながら深夜まで残業。まるで奴隷のような毎日だった。


男は平凡な人生を送ってきた。中流家庭に生まれ、裕福ではないが貧しくもない少年時代を過ごした。両親と妹の4人家族。ごく普通に勉強し、ごく普通に受験をして、ごく普通の大学に進んだ。

卒業後も普通に就職して、サラリーマンとなった。一昔前であれば普通に結婚し、普通に子供を育て、普通に老後を迎えたに違いない。


しかし、この国の状況は大きく変化した。政治の無策によって経済全体が失速を続ける中、男が勤務する会社も徐々に業績が悪化していった。

そして5年前、ついにリストラされた。別室に呼び出された男は「あなたはもう不要なのだ」と一方的に解雇通知を受け、サインするよう求められた。嫌も応もなかった。


中年期を過ぎた男にとって再就職は困難を極めた。目についた中途採用に片っ端から応募したが、大半は書類落ち。ようやく面接にたどり着いても、結局は落とされてしまう。この国の雇用は冷え切っており、とりわけ中高年の再就職は絶望的な状況だった。


貯金を食いつぶしながら1年の失業生活を続けた後ようやく契約社員として働くことになったが、給料は半分に減った。しかも残業続きで、なかなか帰れない。体力の衰えを感じる年齢となった男にとって、毎日が地獄だった。


「帰りたい」


ある日男は、こうつぶやく自分に気がついた。最初は「仕事が嫌で早く帰宅したい」という意味だと思っていたが、驚いたことに自宅にいるときも……たとえば布団で横になっているときや風呂に入っているときも、ふと気がつくと「帰りたい」とつぶやくことがある。


肌がざわつくような違和感。

自宅にいるにもかかわらず、こうつぶやいてしまうのはなぜなのだろう? 自宅ではないとしたら、自分はいったい「どこ」に帰りたいのか?


そしてある日、疲れ切っていた男は駅のホームから転落し、電車に轢かれてあっけなく死んだ。55年の生涯だった。


-------


「ここ……は?」

「お帰りなさいませ。ご気分は?」

「オレは死んだのか?」

「左様です。仮想だったとしても、死は死。一人の男が、長く苦しい生活の果てに命を失いました」

「仮想?」

「はい。すべては夢。別の人生を体験するために、ライフシミュレータでご覧になった夢でございます」

「そんなバカな。55年だ。55年も眠り続けたというのか?」

「この機械の中に入られていたのは4時間程度でしょうか。まさに『邯鄲の枕』でございますな」

「……」


「“庶民”の生活は、いかがでございましたか?」

「最悪だ。あれが……あれですら、中流の生活だというのか?」

「はい。我が国は病んでおります。経済、そして政治の荒廃によって庶民が“普通”に生きることすら難しい状況になってしまいました」

「そうか。そうだったな。その苦境を体験するために、私自身が選んだことだった」

「ようやく思い出されたようですね、閣下」

「ああ。嫌な夢だったが、むしろ、あれこそが現実なのかもしれない」


男は思い出した。自分が何者であるかを。そして、ここがどこであるかを。


「さて、そろそろ参りましょう。まもなく第1回の閣議が始まります」

「そうしよう。我が国の問題を身をもって知ったのだ。政治家たるもの、後世に笑われぬ、よい時代にしていかなければな」


赤い絨毯の上に立ち、男はゆっくりと歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

-------------------------------------
読んでいただいてありがとうございました。よろしければ、他の作品もどうぞ。
駒沢的怪異譚
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ