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童その日に暮らして

夏のホラー2018参加作品

日暮(ひぐ)らすわっぱ)、鬼と()()

水無月の終わりともなると、(みやこ)の暑さは狂いそうなほどだ。


日陰であれば多少は涼しくても良さそうなものだが、忍び込んだ人家の床下は熱がこもってうだるように暑い。竹筒に汲んできた水でちびちびと口を湿らせながら、じっと待つ。時々虫が肌を這うが、何ほどの事もない。ねぐらにしている荒屋(あばらや)だって似たようなものだ。


今日は運が良いらしい。忍び込んで早々に家人の立てる物音がしなくなった。働きに出たのだろう。怠け者が昼寝を決め込んだ、という事もたまにあるのでもうしばらく様子を見たが、その心配も無さそうだ。のそのそと這って、突き当たりの立板を手探りする。確かこの当たりだったはずだが。


具合よく指が引っかかる場所を見つけた。軽く持ち上げて、手前に引いて板を外す。そのまま二枚、三枚、と。何度かお世話になっている家なので、仕込みは十分だ。ひょこっと顔を出せば土間だ。涼しさにうっとりとしてしまうが、仕事をしなくてはならない。


(ひえ)(あわ)を貯め込んでいる櫃の場所は先刻承知しているので、ちょいちょいと失敬する。欲をかいて一度にたっぷり頂くと仕込みが台無しになってしまうので、ほんのちょっぴりだ。


今日の獲物を懐に収めて、床下に戻る。仕込みも元通りにして、と。これで気付かれなければ、またそのうち楽に仕事が出来る。この家の者は鈍いのか、わかっていて放置しているのか、仕込みがばれる様子が無いので楽でいい。


貰うべきものは貰ったので、退散することにする。(みち)に出る時が一番見られやすいので、ここでも暑さを我慢してじっと待つ。


人通りは、無さそうだ。


そそくさと路に出て、何食わぬ顔で路を歩く。泥やら朽葉やらで汚れた孤児が歩いていた所で、気にかけるのは綺麗好きのお役人ぐらいなものだ。


まだ、日は高い。日没までにまだいくらか回れるだろう。


今日の所は、糊口がしのげそうだ。


都に日暮らす孤児であるトグラの、これが日常だった。


◆◆◆


調子良く何軒かで同じように盗みを働き、黄昏時の路を足早に急ぐ。少しばかり熱心に働きすぎたようで、ねぐらにたどり着く前に暗くなってしまいそうだ。


スミレに心配をかけるのは心苦しい。トサカの馬鹿はどうでも良いが。


今日はそこそこ稼げたし、どこぞのお偉い武士(もののふ)が鬼を退治したなんて珍しい話も聞けた。どうせホラ話だろうが、土産話にはちょうど良い。スミレは怖い怖いと喜ぶだろう。


トグラにとっても、スミレにとっても、ついぞ見たことのない鬼なんぞより、そこらにいる人の方がよっぽど怖いし、笑えない。


つらつらと考えながら歩き続け、川に行き当たる。川にかかった橋を渡って、少しばかり南に下れば今のねぐらだ。


その橋のたもとに、けったいな奴がいた。


膝をつき、何かを探すように地を這っている。それだけでも狂人の類かと思うには十分だが、格好がまたふるっている。狩衣の上に女物らしい染めの単を羽織っているのだ。傍らにはやたらと立派な槍を置いている。髪は乱れに乱れた蓬髪なのに、髭は無い。


公家とも武士ともつかないし、貴人とも下人ともつかない。男に見えるが女かもしれない。どうにも判別のつかない奴だった。


確かなのは、関わらん方が良いという事だな。


そうっと距離を取りながら、なるべくそいつから離れて橋を渡る事に決めた。そろそろと音を立てないように歩き、橋に差し掛かったところで声をかけられた。


「おい、そこの(わっぱ)


声まで男とも女ともつかない高さだった。


もう一つ南の橋を、遠回りでもいいから、そっちを渡れば良かった。後悔しながら、一縷の望みにすがって聞こえない振りをする。


「おい、こら。聞こえとろうが」


駄目だ。あいつは槍を持っていた。変に刺激してぶすりとやられては敵わない。振り向けば、そいつは膝を払って立ち上がる所だった。正面から顔を見れば、随分と整った顔立ちのようだ。他の全てが台無しにしていなければ、目の保養になったろうに。


「なんだ。なんか用か」


そいつが呆れ顔になった。


お主(おんし)は礼儀という物を知らんのか」


短いながらもそこそこ人生経験豊富なトグラだが、これほど腹立たしい言も、そうは無い。こんなナリの奴に礼儀を説かれるとは。お前が言うのか、と言ってやりたいが口に出しては別のことを言う。


「こんな小汚い孤児が、そんなもん知ってるわけないだろ」

「それもそうじゃな」


納得した、と言わんばかりに深く頷かれれば、それはそれで腹が立つ。どうみても二十(はたち)かそこらなのに、じじむさい喋り方なのも気に障る。なんなんだこいつは。


「で、なんか用か」

「おう。お主、こんぐらいの」


そう言って、そいつは指でつまむような仕草をした。一寸あるか、というぐらいの物をつまむような仕草だった。


「白い、尖った角を見んかったか」

「見てねえ」


用は済んだろうから背を向けて立ち去る事にした。


「おい、こら」

「なんだ。まだなんか用か」


面倒な奴だ。仕方ないから付き合う事にする。


「腹の立つ童じゃな。話が終わっとらん」

「見てねえもんは見てねえ」

「そいつは聞いた。お主、見つけたら儂に知らせい」

「ああ?」


初対面の孤児に、どこの何者ともわからない、いや、ほんとにわからない奴が、何を言っているのか。


どこへ。どうやって。そもそも、お前は誰だよ。


色々と言いたい事はあるが、ぐっとこらえる。


「わかった。見つけたら知らせる」

「おう。儂はヌヱノと言う。見知りおけ」

「ヌヱノな」

「さんと呼べい」

「ヌヱノさんな。んじゃ、これで」

「おう」


やれやれ、とんだ道草を食ったものだ。これでもう関わる事もあるまい。


ああ、一つだけ。


「なぁ、ヌヱノさん」

「なんじゃ、童」

「その角とやら、何の角なんだ?」


牛やら鹿やらならば、わざわざこんな孤児に声をかけてまで探すまい。土産話になりそうだ。


今にも日が沈むという薄闇の中、ヌヱノは口を歪めて、くひっ、という品の無い笑いを漏らした。とっておきの冗談でも言うような顔だった。


「鬼の角じゃよ」


付き合ってらんねえな。


◆◆◆


しょうもない道草で時間を食ったばかりに、ねぐらに着く頃にはとっぷりと日が暮れていた。月の終わりで、闇は深い。スミレには相当な心配をかけてしまったようだ。


せめても、とご機嫌とりに、今日の出来事を面白可笑しく話す。鬼の話はそれなりに受けたが、ヌヱノの話は馬鹿受けだった。スミレが喜んでくれたのはいいが、トサカの笑い声がうるさい。


「おい、トサカ。笑いすぎだ」


腹を抱えて転げていたトサカがひょいっと身を起こした。


孤児に名前なんて無いので好き勝手に名乗る奴が多いが、トサカはトグラが名付けた。頭の天辺だけ髪が伸びやすくて逆立っているのだ。鶏みたいなんでそう名付けてやった。意趣返しに、いつも泥土まみれだからお前はモグラだ、なんぞと言われて殴り合いになったが。モグラはあんまりだ、というスミレがトグラと名付けて話は仕舞いになった。鳥の巣みたいって事なら大差ないが、スミレを殴るわけにもいかない。


「いやぁ、こいつは笑うだろ。言うに事欠いて、鬼の角とは、いやいや、俺も会ってみたいね」

「冗談じゃねえ。どっからどう見ても狂人の類だぞ。しかも槍なんぞ持ちやがって。生きた心地がしねえってもんだ」

「ふふ。でも、お話ができたんなら、悪い人じゃないのかも。孤児ってだけで追い立てる人の方が多いんだもの」


スミレは優しいが、優しすぎる。なんでこんな暮らしでそんな善良でいられるのか不思議なものだが、トグラにとっては救いでもある。


二親を殺されて、放り出されて、後先考えずに仇をぶち殺して死のうと思っていた時に拾ったのがスミレだった。拾ったと言っても年はさして変わらない。河原で行き倒れているのを見つけて、なんの気まぐれか助けてしまったのだ。菫の花が咲いていたから、スミレだ。ちょっと頭の悪い、手のかかる妹分といった所だ。


最近背丈が急に伸びたし、乳もでかくなったのでもしかしたら年上なのかもしれないが、大事な妹分だ。


まともに食ってないのに、なんで乳ってでかくなるんだろうな。


「む。トグラったら、また胸を変な目で見てる」


スミレがさっと腕で胸を隠した。トサカの鼻の下が伸びた。


「いや、そんなでかけりゃ、つい見ちまうってもんだ」

「ぶっ殺すぞ」

「……おう、わかったから待て。その尖った石から手を離せ」

「もう。だめだよ、トグラ」


ちっ。


こいつ、たまに水浴び覗いてるから殺して埋めた方がスミレの為だと思うんだが。


「おちおち冗談も言えやしねえ」

「ふんっ」


拾った頃の、スミレの男に対する怯えようを思えばこれぐらいは当たり前だ。トグラも随分と手を焼かされた。トサカも一応身内みたいなものだから、これぐらいで許してやっているのだ。とは言え、最近トサカも急に背丈が伸びて、おまけに色気づいたようなので油断はしない。


人なんぞ信じた所で、裏切られるだけだ。父のように。


「でも、鬼の角だっけ、見つかったら面白いね」

「スミレまで、よしてくれ。ほんとに見つけて、ほんとにまたあれに会う羽目になったらたまったもんじゃない」

「大体よぉ、鬼の角ったら、こう」


トサカがぴん、と顔の横で人差し指を立てた。鬼の角のつもりらしい。


「でっけえもんじゃねえのか。それがそんな、豆粒みたいな大きさってんだろ。変な話だよなぁ」

「ばーか。そもそも、鬼なんぞいるもんか。見たことねえだろ」

「トグラは度胸があるよねぇ」

「スミレよぉ、こういうのはな、つまんねえ奴って言うんだ」

「ふんっ。くだらねぇ。もう寝る。火の始末はしとけよ」


寝転がって(むしろ)にくるまる。


何かと言えば、やれ霊だ鬼だ、吉だの、凶だの。くだらない。


そんなくだらないものに振り回されて、父と母は死んだのだ。


本当に、くだらない。


◆◆◆


夢見は最悪だった。


やたらと角の大きい、体もまた大きい、肌の赤い鬼に食い殺される夢を見た。トサカの馬鹿のせいに違いない。腹いせにぐうすか寝ているトサカの頭を爪先で小突いてやる。起きやしないので、足の指で鼻をつまんでやった。


息苦しさにうなされて、起きたら顔を踏んづけられていると気づいたトサカの顔は見物だった。


単純な殴り合いではもう敵わないので、顔を真っ赤にして怒るトサカをしり目に荒屋を飛び出して働きに行くとする。日の出前の都は薄暗いが涼しくていい。昨日は火事があったそうなので、そちらを見に行くとしよう。


目ぼしいものはとっくに持ち去られているだろうが、古釘ぐらいは拾えるだろう。




川沿いに北に上って、真新しい焼け跡を見つけた。廃屋となったものを真新しい、と呼ぶのも変な話だが。聞いた通り、まわりに延焼するような事は無かったようだ。塀で囲うような屋敷だったのが幸いしたのだろう。門前には、役人らしいのが立っていた。


裏手に回って、きょろきょろと辺りを見回して。人がいない事を確かめてから、先客の仕込みを探す。こつこつと爪先で板塀を叩きながら歩けば、音の通りが妙な具合になっている所がある。指を這わせてみれば、継ぎ目のように見せかけた切り口があった。どこのどいつか知らないが、器用なことをするものだ。楽をさせてもらうとしよう。


その場でごろりと横たわれば、洛中では珍しくもない小汚い孤児の死体の出来上がりだ。しばらく待っても、人は通らない。横になったまま、そうっと切られた板をずらして中を伺う。それなりに建物が焼け残っているし、庭には茂みもある。身を隠すのに不自由は無さそうだ。


地面に耳を当てて、しばらく待つ。足音はしない。塀の内にも外にも、人通りは無さそうだ。するりと潜り込んで仕込みを元通りにした。


建物が焼け残った公家のお屋敷なんてものは、宝の山だ。先客が戻って来ないとも限らないので、ささっと働いて、ぱぱっと帰るとしよう。


古釘どころか、古布ぐらいはいただけそうだ。


うまい具合に、公家の妻が寝暮らす北側と、女房が用事をこなす東側が残っているようなので、茂み伝いにこそこそと近づく。どうも当主が起居する寝殿が火元だったらしく、目当ての建屋はわりと形が残っていた。


普通、炊事場のある東から火が出そうなものだが。


人気が無いかを遠目に見ながら訝しくも思うが、何であれトグラには関係ない。大方香でも炊いて、それが火元になったのだろう。


よし、布を頂いて帰るとしよう。あんまり綺麗なものよりは、どこにでもあるような品が良い。東だな。


そう決めて、ひょいっと飛び出そうとした所に足音がした。舌打ちをこらえて息を潜める。門前にいた役人か、そのお仲間らしい。二人連れだ。


たらたらと無駄話を垂れ流しながら歩いてくる。


「まったく、何だってこんな夏場に火事なんぞ起こすんだ」

「おいおい、お偉いお公家様だぞ。阿保呼ばわりはよせよ」

「そんな事は一言も言ってないぞ。俺はな」

「俺も言ってねえ」

「おお、そうだったな」


木陰で立ち止まって、げたげたと笑う。涼みに来たらしい。真面目に働いていれば良いものを。


「まぁ、冬じゃなくて良かったよ」

「ああ、お前の家、川のこっち側だったか」

「おおよ。 大火にでもなってたら、難儀したろうよ」

「ぞっとせん話だ」

「まったくだ。ぞっとせんと言えば、聞いたかよ」

「あん?」

「この火事なぁ、当主の気が触れて屋敷に火を放ったんだと」

「そいつは、また。鬼にでも障られたか」

「そうよ。その、鬼よ」

「鬼か」

「おお。某とかいう武士が鬼を討ち取ったって噂は聞いたろう」

「おお。夏越(なごし)(はらえ)を前に縁起の良いこったよな」

「それがなぁ。なんでも、その鬼の首が消えちまったとかでよぉ」

「消えたぁ?」

「おお。ふつりと。帝に献上した、その首が。宮中は大騒ぎよ」

「おいおい、首が一人でに消えるわけないだろう。盗みだ、盗み」

「わからんぞぉ。なんせ、鬼の首だ。ふわりと浮いて、飛んでいったやもしれん」

「ははは。生首がか」

「おおよ。鬼の生首よ。障るし、祟るだろうよ」

「……」

「ここの当主な、献上されたその首を検分したらしいぞ」

「……」

「どこに消えちまったんだろうなぁ、鬼の首。案外、ほれ、そこの」


調子良く語る役人の指が相方の背後、トグラの潜む茂みを指差して、黙りこくっていた相方の役人が勢いよく振り向いた。勘弁してくれ。


「くく。茂みから恨めしげに見てるかもしれんなぁ、と」

「くそっ。からかいやがったな」

「ほれ、涼しくなったろうが。とっとと戻るぞ」

「日中に怪談なんぞ語りやがって」

「おいおい、日が沈んでから鬼の話なんぞできるかよ」


違いない、と笑いながら怠慢な役人共は立ち去っていった。


無駄な時間を食わされた。人気が無くなったので遠慮なく舌打ちして、立ち上がる。立ち上がろうとして。


地に着いた掌に硬いものが触れた。


「なんだこりゃ」


つまみ上げて見れば、それは一寸ほどの大きさで、色は白く、先端は錐のように尖っていた。骨のようにも見えるが、磨いたような艶がある。どう考えても食えないが、なんとなく美味そうにも見える。いやいや、何を考えている。首を振って、ふと、昨日の事を思い出した。


鬼の角。


まさか、だ。(ひる)にはここでの獲物を売りにガジンの所に行くし、ついでに売っ払うとしよう。粉にして服すれば妙薬になるとでも言えば、うまいこと売れるだろう。


布の方が高く売れるだろうが、ついでの事だ。


◆◆◆


掘っ立て小屋の軒先に簾をかけて、筵を敷いただけの粗末な店の主人がガジンだ。ろくでもない男だが、銭になるものはなんでも引き取ってくれるのでありがたい。


商人というよりは、ならず者だが。


「おう、トリガラか」

「トグラだ」


何遍言やあ覚えるんだ、この鳥頭。悪いのは口と人相だけなので、わざとやってるんだろうが。


「相変わらず目つきの悪いガキだ。今日は何だ。くそ暑いし腹の調子は悪いしで、俺ぁ虫の居所が悪いんだ。しょうもない用事だったらぶち殺すぞ」

「売りだ」

「また、古釘かよ」

「いや、今日はもうちょっとある」


ちらりと周囲に目を走らせる。ガジンならそれだけで察するだろう。


ガジンが掘っ立て小屋の戸を親指で示した。特に何も言わず、中に入ってしばらく待つ。間を置いてガジンが入ってきた。


小屋の中にはガラクタにしか見えない物が多い。ガジンに言わせれば銭になるらしいが。


小屋の真ん中に敷いた筵の上だけが整理されている。そこに、今日の獲物を懐から出して並べる。


「おお、上等な布じゃねえか。染めもありふれてて良いな。相変わらず、この辺りの品選びは大したもんだ」

「世辞はいらねえ」

「本気なんだがな。わかってねえ奴が多くてよ」


盗みの目利きを褒められたところで、なんの喜びもない。


「どうだ」

「こんなとこだな」


ざらざらとガジンが櫃から稗をすくって、(はか)った。いつもの事だが、どう考えても少ない。


「倍はあるだろ。(しわ)い事すんなよ」

「けっ。可愛げのねえガキめ」


ガジンがざくざくとすくって、こちらに手を差し出したので、スミレが古布でこしらえた袋を渡す。なんでこの男は毎度同じやり取りをするのか。


「おらよ」

「おう」


受け取った袋を懐にしまって、硬いものが指に触れた。


「ああ、今日はこんなのもあるんだった」

「なんだそりゃ」


鬼の角もどきを筵に置くと、しゃがみこんだガジンが訝しげな顔でそれをつまみあげた。見計らって声をかける。


「鬼の角だと」

「おおおっ!?」


鬼の角もどきを取り落として、大袈裟に腰を引いて仰け反るガジンを見てゲラゲラと笑った。人相と体つきに似合わず、案外と小心な奴なのだ。


「くそっ。ぶち殺すぞ、このガキっ」

「ああ、悪い悪い。よくわからんが、子鹿かなんかの角だろうよ」

「ああ、ああ、そうだろうよ。くそったれめ。しかし、角か」

「おう。鹿の角は粉にして服すれば妙薬になるって聞くからな。銭になるだろ」

「お前、たまに妙な事知ってんなぁ」


うるせえ。


「ほんとに鹿かもわからんし、何の薬かも知らん」

「ああ、まあ、そこは売り方でどうにでもなるが、どうすっかな」

「とりあえず手付けって事でもいいぞ」

「いちいち覚えてられるか。そうだな、こんなもんでどうだ」


今日持ってきた古布の端切れ一枚ぐらいか。十分だ。頷いて、袋を再び渡す。


「えらく素直だな」

「買い取ってくれるってんならなんでもいい。次の春までしのげりゃ、それでいいんだ」

「……都を離れるって話、本気だったんか」

「スミレも、トサカも背が伸びた。俺だってすぐだろう。そしたら、田畑を耕すぐらいは、何とかなる」


それに、盗みで養うのも限界だ。食い扶持は増えたし、仕込みが潰される事も多くなった。何より、体が大きくなれば今のようなやり方は難しくなる。


「流民を受け入れる農村なんぞ、あるかわからんぞ」

「そんでも、このまま野垂れ死ぬよりは望みもあるさ」

「ふん」


ガジンが一すくい足して、袋を返して寄越した。


「先の話だ」

「ああ、そうだろうよ」


追い払うように手を振るガジンに軽く頭を下げて、背を向けた。


「おい、ところでよ」

「なんだ」


いい感じに別れればいいのに、こういう所がどうにも締まらない奴だ。


「鹿の角って、腹にも効くんかよ」


知らねえって言ったろう。


◆◆◆


トグラが仕入れた稗の粥と、トサカが獲ってきた兎が今日の飯だ。そろそろ塩が無くなりそうだとスミレが言っていたから、明日は塩を狙うとしよう。


役人共が語っていた怪談が、今日の土産話だ。小心者の役人の話を面白可笑しく語って聞かせれば、スミレはころころと笑った。その瞬間はともかく、思い返せばトグラにとっても笑い話だ。


「それにしても、鬼の首ねぇ」


粥を腹にかきこんでいたトグラが首を傾げた。可愛くはない。今日は兎を獲ってきたし、花を摘んできてスミレを喜ばせたので、一々からかったりはしないでやるが。


「昨日は、鬼の角だったよね」


鬼の角もどきを拾った話はしていない。ヌヱノの話を蒸し返されてはたまらない、と思っての事だったが、無駄になりそうだ。


「こりゃあ、あれか、例の、ヌヱノとかいう変な奴が鬼を討ち取った武士って事だな」

「すごい人だったんだね」

「はっ」


鬼なんぞいないし、いたとしてもあれは無いだろう。槍は確かに立派な物だったが、あんなのに退治されては鬼が哀れだ。


「鼻で笑いやがった」

「トグラ、ほんとにそのヌヱノって人、嫌いだよね」


公家だか武士だか知らないが、トグラにとっては等しくクソだ。口には出さないが。


「見りゃわかる。スミレは、見たら逃げろよ。トサカは好きにしろ」

「おい」

「もう」


豪勢な飯でいい気分だったのが台無しだ。火の始末をまかせて、筵にくるまって目を閉じる。


今日は夏越の祓だ。半年のケガレを祓う、ご大層な儀式の日なのだから、夢に鬼が出る事もないだろう。


信じちゃいないが。


◆◆◆


夢見は昨日より悪かった。鬼は出なかったが、トグラに角が生えて、人の(はらわた)を喰らっていた。まだ口の中に血の味が残っているかのようだ。


穢れだ祓いだと言った所で、こんなもんだ。


川で口をすすいで、立ち上がる。暦の上で秋になったからといって急に暑さがやわらぐものでもない。今日も暑くなりそうだ。


塩か。またぞろ古布でも手に入れば、ガジンの所で売ってもらえるが。


さすがに、そう都合のいい事もあるまい。




どうにも空振りが多い日だった。仕込みが潰されていたり、家人が一向に出て行かなかったりと、運が悪い。鬼の角もどきを拾ったのがどうやらケチのつき始めか。


一日の分ぐらいは賄えたから、巡りが悪かったと思って諦めよう。




そんな日がしばらく続いて、落ち込んだ所をスミレに慰めてもらったりしている内に、七夕を迎えた。今日も空振りが多かったが、くさくさとしていてもしょうがない。折角の七夕なのだから、願掛けぐらいの遊びは許されるだろう。


幸いにして雲は無く、上弦の月と天の川が綺麗に見えた。


「トグラ、あれが織女(おりひめ)星だよね?」

「おう」

「トグラ、あっちが彦星か?」

「全然ちげえ」


あっちだ、どれだ、とわちゃわちゃとやりながら星を眺める。


天文を読む、という程のものを父が教えてくれる事はなかったが、織女と彦星ぐらいは教えてくれた。


こうして眺める満天の星空は昔と変わらない。これからも変わらないのだろう。羨ましい、とも限らないか。


スミレが、そっと手を繋いでくれた。


優しい気分になれたので、兎捕りがうまくなりますように、と三回繰り返した馬鹿に一応言っておいてやる。


「トサカ、それはな、流れ星の時だ。あと、願掛けの願いは人に知られたら駄目だ」

「……もっと早く言えよ」

「トグラもちゃんと願掛けした?」

「おう。スミレも忘れるなよ。あと、うっかり漏らしたり」

「しないよぉ」


あやしいもんだ。


怒らせるような事をわざわざ口に出したりはしないが、察したらしいスミレに手の甲をつねられた。


しばらく三人で河原に並んで、星を眺めた。




明くる日、ガジンが死んだと知った。


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