VII 道中
世が更けてからずいぶんと時間が経過し、パソコンを閉じた途端に脱力感が身体の底から這い上がってきたので、私は覚束ない足取りで階段を下りて、そのままベッドへと飛び込み、泥のような眠りについた。布団を被る前、歯磨きをしていなかったことに気付いたけれど、たまっていた活力の空気がぷすんと抜けた音がして、どうにも布団から起き上がる気になれなかった。
翌朝。いつものように数分の葛藤に襲われながらも重い身体を起こし、卓上に配膳された朝食をいつもの仕事をこなすようにして口の中に放り込む。
食事をする傍らで母が何かを言っていた気がするが、何も覚えていない。
私はそのまま自室へ行き、スクールバックに入っている文庫本を取り出してから、側の椅子に腰かけた。
思えば、『遅刻しないぎりぎりの時間で学校に行く』と言う習慣が始まったのは、いつからだったろう。ここまでの動作はほとんど無意識で行われていて、身体も私の意思など聞き入れる気もないのかスムーズに事を進めていった。根付いてしまったようだ。心だけでなく身体も。
しばらく文面に焦点を当てた後、ふと部屋の壁を見ると、視界がぼやけていることに気付いた。時計の針がかろうじて見えていて、かちっ、かちっ、と可愛らしい音をたてながら回っていくそれは、日々の生活になくてはならないものだ。時間が分かることで、今日と言う一日を効率的に過ごすことができる。
なくては困るもので、それはつまりみんなから必要とされていると言うことである。
ふと、時計になりたいと思った。馬鹿みたい。
本に栞を挟んで閉じてから、重い腰を上げる。スクールバックに教科書やノートを詰め、窮屈そうに口から飛び出そうとする彼らを無理矢理押し込んでから、チャックを閉めた。そろそろ学校側は、スクールバックを大きくするか、教材を減らすか、何かしら改革をしてほしいものである。
冬の体操着を上半身だけ着用し、その上から黒のセーラー服を纏う。スカートの下に夏服のズボンは欠かせない。最後に、鏡で身だしなみを確認する。
ところどころ跳ねた髪の毛を寝癖直し用のクリームでおさえつけて、櫛で流していけば終わり。
おかっぱ風ボブの出来の悪さは相変わらず否めないけど、言っても仕方ないことだ。
母はもう仕事に行ってるようで、妹もずいぶん前に元気に家を飛び出していった。学校が楽しくて仕方ないのだろう。
経済的に余裕のない我が家は盗まれても特に困る物がないからなのか、戸締まりをしない。最後尾の私の役割は部屋の消灯だけでいいのだ。
消し忘れがないか、一つ一つ部屋を回っていく。途中、サツキが私のベッドで寝そべっているのを確認し、少し頭を撫でてやってから残りを回っていった。時計は既に定刻を過ぎていて、私は急いでスクールバックを背負い、玄関で靴を乱暴に履いてから外に出た。その勢いで頭の中をうろついていた微かな不安も消しとんでくれればいいと思った。
境界を越える。「家」から「外」へ。子供は学校に。大人は会社に。
その瞬間、世界が変わる音がする。自分に被さる“何か”を啓発する合図。
と言うより、自分の本心とお別れする最後の挨拶、悪足掻き。それをきっと、「いってきます」と言うのだろう。
朝のひんやりした空気を漂わせる通学路を見守るように、太陽が弱々しく光っている。まだ地面には陰が落ちたままで、身体がかろうじて冷えきっていないのはきっと走っているからだろう。
鈍足の私は早くも息が切れそうで、小学校の時に陸上部に入っていたと言うのは自分の記憶違いなのではないかと疑ってしまうくらいだ。以前できていたことができないと言うのは、自分の退化を痛感されるようで、情けない。
汗ばんだ服装で教室に入るのはよくないので、ほどよく速度を落とし、セーラー服をつまんで風をあおぐ。
服が服なので、送られてくる風はどこか頼りない。袖をまくって涼しさを補う。身勝手にたなびく不恰好な髪が邪魔になってきたので、ヘアゴムでくくって大人しくさせる。
今までこうやって状況に適応できるよう、その場しのぎに変化を加えていった。そんなことをしたところで、また別の問題に出くわすものだから、時折私と言うものがわからなくなる。
いや、もともとそんなもの、ないのかもしれない。「自分らしさ」なんて、そもそも行動や選択をパターン化すること自体、“外”では命取りになる。
社会が私に合わせるんじゃない、私が社会に合わせるのだ。私が暑いと言ったところで、世界が涼しくなるわけじゃないんだから。
さあ。そう言ってるうちに、私にとっての戦場が住宅街の凸凹から顔を出し始めている。
校門前には、教頭先生が無表情のまま「急げー」と気のない呼びかけを左右に飛ばしている。
私はそんな彼に乱雑に頭を下げてその背を過ぎた。
すると今度は、ちょうど車で到着したところなのか、うちのクラスの副担任が駐車場を歩いて職員玄関に向かおうとしていた。
まっちゃ先生の愛称で知られる彼女は私を一瞥すると、顔にシワを作って快活に「おはよう」を投げかけてきた。まっちゃ先生の場合、勢いが強いので、ぶん投げると言った方が正しいのかも。
私も元気に「おはようございまあす」と返した。心が晴れ晴れするようだった。
そしてふと、私は心の隅っこで、彼らと同じような陰が自分の足元から伸びていることに気づくのだった。自分のことになると許せるなんて、思いたくなかった。
5ヶ月も放置してすみませんでした。