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明日死ねばいいだけの話  作者: 詩山 漣
一幕
6/7

VI 異端

 言うまでもないのだけれど、安藤真海さんはクラスの嫌われ者である。右を向けば敵意を向けられ、左を向けば目を反らされる。彼女の学校での日常はそんなものだった。左翼にいた私は何もすることは出来なかった。

 否、何もしなかった。彼女が敵視される理由は両手に収まらないくらいある。紛れもない異端である。けれどそれは個性と言うだけで、罪ではないのだし、責められる理由もないのだ。

 安藤さんの人格を形成しているのは、生まれる前から用意されていた彼女自信の性質や周囲の環境であり、それに恵まれなかったと言う、単に“運が悪かった”だけなのだ。少なくとも私はそう思っている。そう思いたい。だってそうじゃなかったら、まるでその人が生まれること自体が悪い事だと言っているようなものじゃないか。


 かと言って、彼女を忌み嫌う人達を責める義理もない。そう、誰のせいでもないのだ。安藤さんが理不尽な罪によって罰を受けたと言うだけで、それを着せた人、言うなれば神様はこの世に存在していない。


 だから私は、見ていた。

 安藤さんを遠目ながら見ていた。

 私に出来ることは、何もないと思った。


 その時点で既に私は矛盾しているのだ。クラスメイト一人さえ助けることは出来ないと言い張るやつの、どこに変われる節目があると言うのだろう。結局、自分のことしか考えていない。




 玄関でスクールバックをおろし、出迎えたサツキを連れてまた外に出た。

 いつもの河川敷が見えるところまでサツキを抱きかかえ、アスファルトに足をついた彼女はふてくされながらも諦めて左手に伸びた私の影を追いかけるように歩き出した。

 ちらちらと何か物言いたげに何度か顔を上げてこちらの顔を覗き込むサツキの顔には、「早く帰りたい」と言う文字が貼り付けられている。


「もうちょっと付き合ってよ」


 サツキは不機嫌そうに威勢のいい鼻息をたてて歩く速度を落とした。

 幅二メートルはある道を区切りに二つの景色が展開される。右手には川、左手には田圃と畑。共通して控えめな草花たちが添えられている。無駄に背を伸ばしていた雑草は夏におおよそほとんどの体力を浪費してしまったのか、どれも先端を落ち込ませて心許なく立ち尽くしており、健康なくらいに青ざめていた緑色は精力を失ってその色を少しずつ洗い落としているようだった。川の水面をうごめく波紋や色はいつ見ても変わらない。綺麗だった。

 いつもの堤防に着くと、階段に足を踏み入れようとしたところで、サツキがうんざりするように帰路に引き返そうとしている姿を横目に見た。仕方なく私は散歩を中断し、サービスとしてサツキを持ち上げ、彼女の上半身を自分の肩に預けるようにして元ある道を辿っていった。

 正直不満だったが、それはサツキとて同じこと。毎度のように私のワガママを聞いてくれているのだから、たまには彼女のワガママも聞こう。


 玄関でサツキの足を濡れたティッシュで拭き終わると、瞬く間に彼女は廊下を蹴って寝室に戻ってしまった。そのまま彼女の後を追って一緒に眠ってしまおうかとも考えたけれど、キッチンから肉の焼ける音が耳に伝わってきたので、私は居間に入ることにした。待っていればすぐに夕食ができるだろう。

 スライド式のドアを開けると、入って右手に設置されていたテレビが私の目を引いた。



『市内の中学校に通う一四歳の男子生徒が自殺していたことがわかりました。男子生徒は校舎三階のベランダから飛び降りて自殺した模様です。これにより教育委員会はクラスでいじめなどのトラブルがなかったか調べる方針です』


 淡々と聞き心地のよい声で無感情に発せられたニュース内容は、重苦しくも他人事のようにわずか十数秒で流れていった。心を傷めることではなかったし、私も「可哀想だな」と眉を潜めるくらいのことだった。その感情を微かながらに促進させたのは、恐らく自殺した中学生が同じ県内に住んでいたからだろう。

 死が近ければ近いほど現実性が自分の中で増す。身近に死が存在していることを、改めて実感するのである。


「伊代ご飯よ~」

「んー」


 母の言葉で我に帰った私は食卓に向かう。何故だかそれが地獄に伸ばされた蜘蛛の糸のように感じた。

 するとそこに夕食の準備を嗅ぎ付けたのか、いつの間にかサツキが私の道を遮るように目の前に立っていた。辺りの空間が真っ白になっている気がした。






『目を反らすな』


 一言、恨めしそうに彼女はそう言った。制止した身体と硬直した心が視線を重ねて一点を見つめている。それが誰に対する言葉なのか自覚するまでに数秒を要した。

 サツキは尻尾を左右に振りながらこちらを見つめている。つぶらな丸目とぴくぴくと前後に微動する耳はいつも通りの愛らしさを漂わせていた。



「伊代!」


 今度は叩き起こされるような声で名前を呼ばれた。声の持ち主である母さんは、入り口に佇んでいた私に顎で夕食を示してから視線をフライパンに落とす。私は小さく「いただきます」と言ってからおぼんに三つの器を移すと、逃げ帰るように居間に引っ込んだ。虚ろなまま無意識に口に運んだご飯の味は、全く覚えていない。

 早々に器を洗面台に運び、貯めておいた水に浸すと、勢いよく私は階段を駆け上がり、二階の自室へと向かった。机に座り、ゆっくりとノートパソコンを開く。








 検索キーボードで打ったワードは「自殺 動機」だった。

 先日自分の命を擲った。…いや、先日自分の命を投げ出した男子生徒のような人は、どれくらいいるのか、気になってしまったのだ。

 彼の自殺動機が学校問題だと勝手に決めつけるのは不謹慎だとは分かっている。私の知らない、ひょっとすると誰も知らない彼の心の中を、分かったつもりで共感するのは思い上がりと言うものだ。ましてや、彼にとって何者でもない私に、それが許されるわけがない。


 故人を悼む資格は、その当人を見てきた人達にこそあるべきだ。人の死を赤の他人が嘆くことほど、お門違いなことはないのだから。




 自殺者の割合を原因・動機別に分けたグラフが画面上に浮かび上がる。

 家庭問題、経済問題、職場問題。他人には理解し難い、自分の中だけに閉じ込められている、それぞれの思い思いで自らの命を絶っていった人達。その全てが少数に分類・分別され、統計としてネットに晒されていることを思うと、人の死とは、案外軽んじられているものなのだなと、少し落胆した気持ちになった。そう言っても仕方のないことだけれども。


 しかし少し驚いたのは隠せない。よくニュースで見かけていた自殺案件の死者の大半が学生だったからか、見当違いをしていた。いや、原因はそこじゃない。


 さっきも言ったように、自殺をした人達にはそれぞれ自分だけでは抱えきれない、自分の体だけでは持ち堪えれない重荷、それぞれの思いがあったんだ。それはどうやったって肩から下ろすことは出来ないし、他の誰かが一緒に背負って歩けるものじゃない。

 幸であれ不幸であれ、今歩いている道もこれから迎えるであろう道のりも、崖っぷちの人生だ。いつ落ちるか分からない。確率的に言えば背負っているものの重量差で生存率には違いが生じる。自殺とは、背負いきれなかった人達が暗闇の中で見出した、唯一の逃げ道のことを差している。

 だけどその荷物も、形や色合いはそれぞれ十人十色だ。偉そうに言っておきながら、滑稽な話だ。私は未だに固定観念を捨てきれずにいた。


 私が見ているものだけで世の中は構成されているんじゃない。周りを見ずに勝手に自己完結してしまっていた。自殺志願者はなにも、一つの問題で産まれるのではないのだから。

 歪な形をした複数の折れ線グラフの中でただ一つ、変化の乏しいまま低空飛行をしている、「学校問題」と明記された凸凹の線があった。

 それぞれ線が高みを目指すように競い合う中で、それはとても心許なく感じる。学校問題は割合的に言えば最も少ない原因だった。

 何故だかそれに既視感のようなものを感じた。同じようなグラフを見ただとか、そんなものじゃない。けれど、とても初めましてとは言えない感情だ。










 








 なんだろう、これは。これじゃまるで_________









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