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明日死ねばいいだけの話  作者: 詩山 漣
序幕
1/7

I 女の子


 今日も今日とて、無邪気な笑い声とうるさい足音が室内に飛び交い、賑やかな雰囲気が充満している。そんな中、教室の中心に、音漏れ心配無用とばかりに周りを壁で覆って机に突っ伏している女の子が一人。その壁を壊したのは、とある男の子の第一声だった。



「わぁ、いよちゃん絵ぇうまっ!」



 びくりと肩を震わせ、いよちゃんは勢いよく顔を上げる。男の子は覗き込むようにして、机に置かれた画用紙と女の子の顔を交互に見詰め、「これ見らんで描いたの!?」と目を輝かせた。うん、と言う返答を待つことなく、男の子はさっきまで一緒に鬼ごっこをしていた仲間に「こっち来てこっち来て!」と大手を振った。

 同時に、クラスメイトほとんどの視線が女の子に当てられた。それが眩しかったのか、彼女は咄嗟に画用紙を裏返して下を向く。



「なになに! いよちゃん見ーせーて!」



 いよちゃんは必死に画用紙を押さえたものの、普段体育をサボっている彼女の腕は呆気なくほどかれ、天高くかざされた“ラクガキ”は歓声を浴びた。

 うまーい、すげー、やばっ。恐らく自分に向けられているであろう、要領を得ない短い感想に、この単純な女の子はひどく顔を赤らめた。どんな形であれ、自分の一部を肯定してくれたと言うのは、それだけで自分に価値が見出だせたみたいに思えて、何よりも嬉しいものなのだ。認めてもらえた、自分はここにいても良いんだって思わせてくれる。

 ほぼ一瞬に近いが、間違いなく、このクラスの中心に彼女はいた。



「でも、あやとくんの方が上手くない?」



 そしてもう一人の女の子の言葉で、壁は再生された。目先の景色は確かに無数の光を放っていたはずなのに、急にその全てが遮断され、伊代の足取りはまた鈍くなってしまった。手探りに言葉を拾おうとしても、どれも頼りないものばかりで、彼女の力にはなれそうもなかった。

 だから彼女はうつ向いたまま、些細な議論を交わすクラスメイト達のことを聞きまいと耳をふさいだ。



「まあ、あやとには勝てないよ」



 指と指の隙間を軽々とすりぬけて、ほくそえむように節々に言葉は耳に流れ込んでくる。誰かが様子に気付いたのか「やめなよ」と言ってくれたのが、せめてもの救いだった。


 こうして見ると、いよちゃんこと“いよ”はそんなにも負けず嫌いなのかと思われてしまうけれど、彼女はそんなに気の強い女の子ではない。彼女は、誰かと競うために絵を描いているのではないからだ。

 ある時、自分が好きだった男の子に、図工の時間に自分の描いた風景画を褒められたことがキッカケで、紙に鉛筆を走らせることが習慣になっていた。いよは内気な子ではあるが、かと言って良い子なのかと言われるとそうでもない。面倒くさいことはすぐに後回しにするし、よく学校で忘れ物をするし、お腹が痛いと嘘を言って保健室のベットに逃げ込んだりもする。故に、あまり自分のことについて評価される機会が少ない。

 クラスメイトの女の子が独自の手法で解いた計算問題を先生から誉められているのを見ても、クラスメイトの男の子が作文コンクールに入賞したことを知らされても、彼女が懐に抱いていたのは、欠落と劣等感だった。だから、そうして自分の“何か”が賞賛を浴びた時、彼女はそれだけで、安心感を得た。自分の価値を見失った者は、その空間にいるだけでも居心地の悪さを感じるのだ。脚光を浴びるスター達の中に場違いなやつがいては見映えが悪い。


 しかし、自分の一部を肯定されると大袈裟に喜んでしまう伊代の性質は、矛先の方向次第では、自分の心に大ケガをさせてしまう。また、彼女は誰かと比喩されて劣っていることが分かると、反対に自分の全てを否定されてるような気持ちになってしまうのだ。単純で面倒なこの性格を、彼女はひどく嫌っていた。


 下まぶたに刺激が走り、頭部から脳みそが溶けて溢れだしそうな感じがした。前髪がもっと長ければ、上手く隠せたと思うんだけどな。



「あ~、泣いちゃった~」

「は? そんくらいでかよ」

「なとりさん大丈夫?」



 頬に伝う涙を拭いながら、嗚咽を呑み込むのが精一杯だった。

 背後で女の子は声を荒げて「わたしはそんなつもりで言ったんじゃないもん!」と必死に自分の正当性を主張する。どう形容したら良いのか分からない悲しみに罪悪感が上乗せされ、溢れる涙の濁流は激しくなった。違う、あの子は悪くない。悪いのは、泣き虫な私だ。そう言いたくて、いよは口を少し開いたが、我慢していた嗚咽が漏れそうな気がして、中途半端に「ぃ……が、う」と鼻声のような音が出ただけだった。しかしそれも、クラスメイト達のざわめきでかき消されてしまう。




 どうすれば良かったのだろう。どうやればこの状況を上手くかわすことが出来たのだろう。私がいけない。の、だろうか。

 もし私が、泣き虫じゃなかったら。もし私が、傷付きやすい女の子じゃなかったら。もし私が、私じゃなかったら。

 でも、いないのかな。変わりたいって思う自分を、自分自身さえも嫌いな自分を、ありのままに受け入れてくれる人は、いないのかな。たとえ絵を何枚描こうとも、どんな風に解釈しようと、結局、“私自身”を認めてくれる人はいなかった。

 ただ、「ここにいてもいいよ」と言われるだけで、良かったのだ。



 誰でもいい。

 好きな人でもいい。

 嫌いな人でも、いい。


 きっとその言葉さえもらえれば、私は今日を生きていける。刃物で手首を切るより、真綿で首をつるすより、生きてた方が何十倍もマシだって、思える。

 





* * *

 



 稲の先端が風に心地よくふかれ、滑らかな曲線を描いている。西の空に消えようとしている太陽は、最後の一仕事とばかりに眩しい光を放ち、雲も手伝って、配置のよい綺麗な夕焼けができていた。雑草の中にポツンと立っていて、一際目立つすすきの穂が揺れ、同時に、仕立てたばかりのショートボブが空気に流れた。

 前髪、切りすぎたかな。慣れないおかっぱみたいな前髪をつまんで、誰もいない散歩道で一人照れた。足元には、一人じゃなく一匹の彼女が大人しげに座っている。足が重いから早く帰りたいと言いたそうにこちらを見上げ、帰路の方角に体を向けていた。

 まったくこの子は。チワワと言う小型な犬種でありながら、やたら食いしん坊なせいで、ぶくぶく太ってるんだから。ダイエットがてら、毎日散歩に連れてってやってると言うのに、ありがたみのない子だ。女の子なら、スタイルくらい気にするものだろうに。



「サツキ、歩こ」



 そう言って私が一歩踏み出すと、サツキは諦めてやれやれとばかりに重い腰を上げ、とてとてと後に続くように歩きだした。開き直ったように彼女はすぐに私を追い越し、早く行くぞとばかりにこちらを見ながらハイペースで短い足を走らせる。生意気なくせに愛らしい顔をしているものだから、かなわない。たぬきみたいなお腹をしていながら、近所の犬にもモテている。その魅力を少しでも私にくれないものだろうか。


 しばらく足を進めると、右手に堤防が見えてきた。コンクリートの階段をサツキと並んで降りて(何故かこの時は彼女は私に歩幅を合わせてくれた)、焦げ茶色の手すり越しに流れる川を眺めた。

 季節が季節、時間が時間なので、少し暗めでハイライトが少ないものの、それでもわずかに揺れうごめく水独特の色彩は、いつ見ても飽きなかった。



「死ぬには良い場所だよね」



 掴んでいたリードを放し、大袈裟に背伸びをしてそう呟いた。いつの間にか手すりの下、あと少しで堤防から川へ落ちそうと言う距離に立っていたサツキは、耳をぴくりと折り曲げてまた延ばすと、目を見開いて、向かい合いに立っている私の瞳を覗いた。

 『死ぬの?』と、サツキは口も開けずに聞いてくる。



「それもいいかもね」

『後悔はないの?』

「あるよ、いっぱいあるもん。人って案外、死ぬときも未練たらたらなんじゃないかな」



 悔いなく死ねるなんて、思えば都合の良い話だ。自殺がこの場合良い例だろう。やりたかったことなんて、死ぬには勿体ないほどある。けれど、その全てを諦められないなら、最初から自殺なんて考えないはずだ。要するに、諦めざるを得なかったのだ。どうしても今の状況から抜け出したかったのだろう。手っ取り早い方法として自分を殺せばいいのだから、それに越したことはない。


 こんな風に思うようになってから気付いたけれど、自殺と言うのはけっこう短絡的な考え方なのだ。どうしても打破したい状況にあったとして、自分の側に縄でもカッターでもあったらそれに手をのばすしかないのだ。あるいは、今このように、近くに川があるならそこに飛び込んで溺れてしまえばいい。



「でも、まだ大丈夫かな」



 私が立っている道は、まだ行き止まりまでは来ていない。側に“凶器のようなもの”はあるが、まだそれは、拾わなくてもよさそうだ。

 私はまだ大丈夫。まだ、この最低最悪の選択に一線を引けている。



『これからどうするの?』



 サツキは首をかしげ、また耳をぴくりと動かす。彼女のちょっとした動作さえも、すぐに愛着がついてしまう。おまけにあんな目で見詰められたら、踏み留まる足も強くなると言うものだ。



「とりあえず卒業まで半年切っちゃったし、それまでに出来ること、精一杯頑張ってみるよ。それで認めてもらえなかったら、それまでかな」

『認めてもらうって?』

「それは……」



 言いかけたところで、サツキは私の背後を通過して、それを目で追いかけていくと、帰るぞと言うように首で合図を送る。私の有無を問わず、彼女はコンクリートの階段をいきいきとかけ上がっていった。溜め息を漏らし、仕方なく後を追うことにした。

 良い場所に連れてってやる、みたいな彼女らしくない対応でも見せるのかと思いきや、まあ予想通り、まっすぐ家の方へと向かっていた。ここまで来るときよりも帰りの方が足取りが速かったのは多目にみてやろう。

 役目を終えた太陽は間抜けに頭のてっぺんだけを覗かせて、力尽きたように光はどんどん弱々しくなっていく。空を見上げれば、黒にも濃い青にも見える色が一面の大半を占めていて、自己主張の強い一番星が、ちらほら浮かび始めた星々に比べていっそう光り輝いていた。


 例えばあのクラスがこの広い宇宙だったとして、私はどの星に当てはまるのだろうと思い、すぐにそんな風に考えた自分が恥ずかしくなって、下を向いた。




 目の前に明日は無数にある。

 あるはずの道が、きっと何十年も続いている。

 けれど、ビデオロールは過去であって未来ではない。どうやっても巻き取れない状況がそこにはある。

 その窮地に立たされた時、あなたは笑っていられるだろうか。

 自分が生きていることの意味を見つめ直した時、あなたはそれ以上、歩くことが出来るだろうか。きっと私には、無理だ。

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