■第七夜やん:ダイレクトエントリー
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「じゃ、ここで待っててくれ。あんまり家に寄せすぎると、なにがあるかわかんねえからな」
オレは闇市の外れにある自宅から、すこし離れた路上に車を止めた。
愛車のくろがね四起は、どっかの古民家に眠ってたものを、ゲンのやつがあっちこっちから適当なパーツをもぎってきて、レストアした逸品だ。
生産型で表すとタイプB、ってことになるらしいが、もはや中身は別モノと言ったほうがよい。
ただ、血筋として元車が中国や東南アジアで発揮した高い走破性と低燃費、整備のしやすさなどは受け継がれており、またそのコンパクトボディは、正直、道路事情の激しく悪い現在のオーサカにあって、非常に頼りになるマシンだった。
精密部品とコンピュータ制御によって駆動していた当時の最新鋭車両は、残念ながらオーサカでは、いまや、ただの鉄くずか、高価なオブジェ同然になってしまった。
整備どころか、部品調達もままならないのでは、必然、そうなる。
おおざっぱでも頑丈な機材の方が、おおざっぱでハードな世界にはマッチする、ということだろうか。
「なんかあったときは、ゲン、頼むぞ」
「トビスケ、オレもいこうか?」
「バッカ。はじめてのお使いじゃねえんだぞ。それに……もしかしたら、奴らの手が及んでいるかもしれない。んなとこにノコノコ揃って顔出せるかよ」
「気をつけろよ」
「ウチのセキュリティ、知ってんだろ? 寝言師なめんなって」
軽い応酬をして、後部座席のエリスにウィンクひとつ、オレは自宅への通い慣れた道をてくてくと歩いていった。
背後でエンジンを止めた愛車が、ライトを消す。
ジジジ、と裸電球に傘をくっつけただけの街灯が、頭上で鳴る。
雪は本降りになり、積もり始めていた。
「やーれやれ。こりゃあ、備蓄のカップメンやら乾燥米やらも、持ち出さねえといけねえな」
曲がりくねった路地を適当に折れて、一応、尾行を警戒する。
暗がりに潜んで息を殺し、尾行者がいないか様子を見るが、だいじょうぶ、尾行られている気配は、ない。
「うー、さぶさぶっ」
オレはしんしんと降る雪に外套の襟を立てて、ボロアパートの階段を目指した。
ぎしりぎしり、と軋む階段を上り、突き当たりの角部屋が目的地だ。
トンビと呼称される古風な外套に身を包み、どう見たって木造モルタルのオンボロアパートの廊下を歩くオレの姿は、昭和の風景にしかみえないが、これが近未来なんだなサイバーパンク、と適当な軽口を叩いて、オレは自室の手前数メートルで立ち止まった。
丸眼鏡を懐から取り出し、かける。
そうしておいてから、廊下の両サイドをチェックする。
すると燐光を放つ数枚の呪符が浮かび上がるのが見えた。
この丸眼鏡は伊達ではない。
左右のレンズでものの見え方が違うように調整されていて、これを通してみると、媒体に刻まれ、起動しているか待機状態にある寝言を見出すことができる。
原理的にいうと、プルフニッヒ効果の延長にあるもので、要するに錯視を利用して寝言を見抜く道具だ。
あ?
プルフニッヒ効果?
それはなんだって?
しょーがねーな。
脳に送られる視覚情報のズレを利用して、ものを立体に見せる効果につけられた名称だ。
ドイツ、物理学者、カール・プルフリッヒあたりで調べると、じつは本が一冊かけそうなネタが上って来る。
ほとんど目が見えなかった、とか、生きた時代と消息の謎、とかな。
ま、やってみてよ。
オレ? オレはむかしむかし、中学生くらいのときに調べたことがある。
ともあれ、説明を始めると長くなりそうなんで端折るが、ようするに寝言というのは「まちがい」の側に属しているシロモノなんで、こういう道具で見ると、正体がより視認しやすくなるって理屈だ。
わかったか?
なんだそりゃ?
だから、面倒くさいって言っただろ、説明が。
訊くんじゃねえ。
忙しいんだ、こっちわ。
ともかく、今朝、オレが出がけに張り替えた呪符に変化はなにも認められなかった。
もし、なにも知らずにここを通過したヤツがいたなら、呪符は輝きを失って、ただの紙くずになっていたはずだ。
郵便・宅配便なんてものが機能しなくなってからはや九年、他人の家の前までやって来るのは知人友人に商売関連、借金取りくらいのもんだ。
と、いうことで、今日は来客の類い、いっさいなし。
そのあとも、扉やノブに仕掛けておいたセキュリティをチェック、外して、オレは自宅に潜り込んだ。
お世辞にも上等とはいえない自室だが、そこは住み慣れた居住空間だ。
オレは暗がりで靴を脱ぎ、窓から漏れ差してくる街灯の頼りない明かりを頼りにして、室内灯を灯した。
裸電球のソケット差し込み部の横にハンドルついてて、それを捻って灯すタイプ。
若い子はしらねーだろ。
安心しろ、オレもじーちゃんの家でしかみたことねえよ。
だいたい、どうしてこんなもんが廃虚となったオーサカを掘り起こすと都合よくわんさかでてくるのか、オレにだってわからねえ。
町工場があったから、とか、空襲で焼かれなかった古い町並みが、とかそういうのじゃ絶対説明のつかないなにかが、この世界では起きている。
だいたい、政府から境界線を超えて届けられる救援物資が駄菓子やラムネとか、どう思うよ。
まあいいや、世界の在り方について難しいことを考えると、オーサカの住人は、みんなそろって頭が痛くなるんだ。
アンタもそうだろ?
ともかく、オレはまたまた裸電球剥き出しの照明の下、専用のトランクに、ありったけの言語兵器と寝言を記すための道具一式を詰め込み始めた。
とにかく積み込めるだけの武装を用意し、防寒のためのマフラーと帽子を被ったオレは、靴を履いて、ゲンたちのもとへ急ごうとした
だが、とたんに腹のやつが空腹を主張したのだ。
「あー、なんかなかったか、魚肉ソーセージを束で買ったよなあ」
言いながら食料庫を漁るべく、行儀悪くも靴を履いたまましゃがみ込んでいなければ、きっとオレはいまごろ蜂の巣になっていたはずだ。
ぎしりっ、とオンボロアパートが不自然に軋んだ。
オレは魚肉ソーセージを引っつかむと帽子を押さえて、這いつくばった。
それが功を奏した。
とつぜん、安普請でガタピシいう窓ガラスが木枠ごとブチ破られ、黒装束の男が室内に乱入するや、フルオートタイプの寝言銃を乱射しはじめたのだ。
窓を突き破る際に、オレが窓に仕掛けておいたセキュリティが爆発的な光量をともなって消滅、相手の視覚を奪っていなければ、たぶんオレは一瞬で言弾の嵐を浴び、キャラ性を失っていただろう。
「うわっち、うわっち!」
前にも言ったが、寝言銃から放たれる言弾は、言葉の通じない相手、物体に対しては、威力を発揮しない。
込められた寝言の強制力を減衰させながらにしても、貫通、透過してゆく。
だが、ひとつだけ例外がある。
物語とそれが記された書物、つまり、寝言の類いには知的生命体に及ぼすのと同じ影響を与える。
オレがエリスをここに招きたくなかった理由と、理屈は同じだ。
部屋中に残されていた書物や、寝言に流れ弾と跳弾が命中し、次々と鮮やかな色とりどりの炎をあげて、変質していく。
オレは仕事道具を詰め込んだトランクを盾になんとか凌いだ。
トランクにべたべた張り付いているステッカーは飾りではない。
そのすべてが寝言。
対言語兵器用の防御。
ばらまかれる言弾が接近すると、吸着結合し、意味を変え、矛先を逸らしたり、無害化する。
通称:バカの壁。
こういうときのための用心だ。
ゲンの使うような重い弾は防げないが、さいわいにも、コイツが使ってる言弾には、それほど重さがない。
安い弾を大量にばらまく、マシンガントーカー。
同人サークルたちが抗争によく使う、サブマシンガンタイプの寝言銃ガンだ。
だが、いくら軽い弾とはいえ、いつまでもつか。
なにしろ、コイツの得物、いっちょまえにマガジン容量だけは増装されてやがる。
「くそっ、焚書坑儒かよッ!! 手当たり次第ばらまきやがってッ!!」
ドンッドンッ、と致命的な被弾を受け、書物が爆ぜる。
文字列がかき乱され、意味消失が起きて、物語が破断する──本たちの断末魔だ。
衝撃に室内が揺らぎ、紙片が舞う。
部屋が破壊されていく。
寝言崩壊時に起きる、物理現象をともなう現実への干渉。
「ゆるせねえ」
末席を汚しているとはいえ、これでも寝言師、物書きの端くれだ。
大切な本たちがそうやって失われていくのをオレは見過ごせなかった。
「くらえ、このやろう!」
ゲンから借り受けたオートマチックタイプの寝言銃を、オレはホルスターから抜き、トランクを盾にして放った。
コックアンドロック状態になっていたそれは、セイフティを外してトリガーを引き絞れば弾が出る。
オレは背中を戸棚に預けるようにして、ダブルタップを決めた。
サイドアームといっても、さすがはゲンの得物と弾だ。
強烈な反動に、ジィンと腕が痺れる。
オレの反撃は確実に敵の頭部へ吸い込まれた……はずだった。
ギャヒィッ、と火花にも似た閃光が二発分、その頭部に散り、衝撃に黒ずくめはよろけ──それだけだった。
頭部を覆っていたフードが言弾とそれを弾いたときに装甲が起こした衝撃に破れ、正体が露になった。
オレはそこに描き込まれた無数の図解──いや、漫画を見た。
「言語化装甲……だと? ゲンの弾……凌いだってのか」
そのとき、一瞬呆然となったオレの横で、安普請のドアが開いた。
二体目の黒ずくめが、現われたのだ。