■第六夜やん:オレの嫁は
くっ、殺せッ!──その言葉を聞いたとき、オレたちの背筋を駆け抜けた衝撃について、言葉にすることはたぶん、難しい。
ただ、あえて、ひとこと。
軽蔑を覚悟で、言わせてもらうのだとすれば──あまりのアレに失われそうな語彙をかき集めれば、こうなる。
「くッ。やっぱ、本場のくっころは、ちがうゼ」と。
ともかくオレは衝撃に貫かれ、思わず身体を弓なりに反らしてしまったし、ゲンもまた、口に両手を当て、乙女のようなポーズになってしまった。
「……なにを、している……」
オレたちふたりのリアクションに、エリスが不審げな視線を送ってくる。
オレは電流に撃たれたかのように震える身体を強靭な意志のちからでもって、押さえ込み、彼女と相対した。
自分でも立派だと思う。
意志の弱い者なら、とんでもない惨事に発展しているところだ。
そうなっていたら、もはや、掲載は不可能であっただろう。
「なんて……こった」
うめいたのはゲンだった。
「許せねえ」
声に怒りがあった。
本物の、まじりっ気なしの怒りだ。
オレも同様だった。
こんなセリフを、毎晩、彼女に強要していたのか。
どれだけ、権力を手中にし、成人指定同人誌の売り上げで莫大な利潤を得ていたとしても、こんな非道が許されるはずがない。
本物のエルフの乙女に、こんなことを言わせるなんて。
ズルイッ!
ズルすぎる!
あきらかに、非人道的な独占だ!
オレはゲンと目を合わす。
ヤツも同じ思いらしい。
決意に固められた熱い視線が返ってきた。
そうだ。
このとき、オレたちは彼女を護ろうと決めたのだ。
それが、どれほど困難で、オレたちの運命を変えてしまうことになるとしても。
目先の利益や保身のためではない。
この感動体験のために、戦おうと。
シノギはあとからついてくる、と。
こりゃあ、もうかりまっせ。
エリスを見て、ふたりで頷く。
「おまえたち……」
オレたちの漢らしい決意が伝わったのだろう。
エリスが涙ぐんで微笑んでくれた。
「戦おう。自由のために」
「うん」
「話は、まとまったな」
「そうと決まれば、もうちょい詳しい話を訊きたいんだが……河岸を変えたほうがいいかもな」
意思統一を確認するオレに、ゲンが現実的な忠告をしてくれた。
「奴らがどんなにのんびりしてても、今夜中にはここを嗅ぎつけるに決まってる。闇市の連中には闇市の連中の仁義があるが、相手は広域成人指定のサークルだ。手は長い」
そうだな、とオレも思う。
戦争をおっぱじめるなら、自宅に帰り、ありったけの言語兵器を積み込みたかった。
「しかし、外を出歩くなら、そのナリはいけねえな」
エリスの格好を見て、ゲンがもっともなことを言う。
たしかに。
下着もなにもない、裸にワイシャツと来ればそれは愚かな男たちが夢に見るセクシャルファンタジーナンバーワンと言っても過言ではないスタイルであったが、これからの行動にはあまりに不適切だ。
うっかり雨にでも濡れたら、描写が非常に困難になる。
「でも……着替えなんて……ない」
「エリスが着てた服は、まだ洗ってもないぞ」
「あ……あれ、下着、なんだ」
「しつれいしました」
どーしよっかなー、と視線を彷徨わせるオレに反して、ゲンの態度は落ち着いていた。
「わかった。オレがなんとかしよう」
そう言って、クローゼットを兼ねる階段下の押し入れからヤツが取り出したのは……なんと、ひとつそろいの女物、それも明らかに手の込んだこしらえの……ドレスだった。
「おまっ、これっ、えっ?」
「すごい」
「とにかく、時間がねえ。着てくれ。オレたちは準備をする」
と、エリスに背を向け、なにやらすごくキリッとした顔でゲンは寝言銃関連の点検を始めた。
「でもっ、おい、アレッ?!」
「いいんだ、トビスケ。こういうときに使ってやったほうが、品物のためだ」
「いやっ、でもっ、オレが言いたいのは」
「いいから。じゃ、エリス、着替えが終わったら呼んでくれ。なるべく早くな。……手伝いがいるときは言ってくれ」
とかなんとかかんとか、すごいカッコいい感じで、ゲンは居間をあとにした。
「あ、じゃあ、オレも、しつれいしまーす」
こうなってしまってはオレだって、居座れない。
しかたがない。
とりあえず、いま、この店にある言弾とゲンのサイドアームを借りよう。
気休めにはなるはずだ。
「あ、あの、もういいぞ、というか、腰ひもを結ぶの、手伝って、ほ、ほしい」
その声で居間にオレたちが帰還したのは、十五分後だった。
そして、オレたちはまた、言葉を失うことになる。
「イイ」
「え?」
「スゴクイイ」
無理もなかった。
透き通るような肌と銀細工を思わせる頭髪を持つエリスは、どこからどうみても、いや、ほんとうに本物の妖精だった。
長い耳とアーモンド型の瞳にこぶりな顔の造型が調和して、工芸品のような、職人の手が作り上げたビスクドールの逸品めいたオーラを放っている。
その美を、だ。
濡れたような光沢を放つシルクのブラウスに、ヴィクトリア朝時代を意識したのであろうデザインの菫色のスカートが彩る。
同色のスカーフと、ブラウスのカフスにはドラゴンブレスを用いたピンがあしらわれている。
ちなみにだが、ここで言うドラゴンブレスとはオパールを模してつくられたアンティークグラスの一種だ。
なかを覗き込むと、光の加減で様々な色彩を生み出す遊色が美しい。
ただのガラス玉だが、現代では、このレベルの品はなかなか入手が難しい。
正しい意味での製法が伝わっていないからだ。
アンティークな装飾のなかで存在感を主張する三点のドラゴンブレスは、エリスの魅力を最大限に引き出していた。
「か、可憐だ」
「にゃ、にゃう? そ、そうか、こ、これは高価なものでは、な、ないのか」
男に褒められるということに馴れてないのだろう。
頬を赤らめてエリスが言う。
「サイズは、どうだ」
「あつらえたようにピッタリだ。ウエストが……すこし、ゆるいかな?」
「わかった……締めよう」
なんだろう。
ものすごくいい顔をして、ゲンのヤツがエリスを手伝い始めた。
オレはうーむ、と彼女を見ながら唸った。
お嬢さん。
どうしてひとりやもめの男の部屋から、あなたのサイズぴったりの服が、それもこれほど手の込んだブツが出てくるのかは、考えたほうがいいぞ、と。
「どうして……こんなものを、もっているんだ?」
うむ、正しい感性と質問だ。
それでいいんだ、それがふつうなんだ。
オレは無意識にもなんども首を縦に振っている。
喉が渇いたので、飲みさしの茶を飲みながら。
まさか、ゲンの口から、そんなセリフが出てくるとは思わずに。
「……オレの嫁……妻のものだ」
ぶふーッ、と盛大な番茶ブレスが口と両鼻腔から迸ったからと言って、だれにオレを責められよう。
だめだ、完全に気管に入った。
苦しくてオレはのたうつ。
「だいじょうぶか、トビスケ」
「お、おまっ、ちょっ」
確認しておくが、ゲンは独身だ。
結婚歴もない。
嫁、ないし妻に該当する人物はいない。
二次元以外には、だ。
余談だがオレの嫁、というのは正しい意味合いでは誤用だとは指摘しておく。
なぜ、そんな指摘をするのかと言えば、端的に言って、オレが動揺しているからだ。
「しっかしりろ。慌てて飲むからだ」
「い゛や、お゛め゛え゛ごぞ」
なにを言っているんだこのトンチキは。
「奥様の……?」
そして、ゲンの言葉の意味を正しく誤解して、エリスが両手を口に当てた。
さっきゲンがしたポーズとそれは酷似していたが、まったく違うものだ。
まず、尊さが違う。
「じゃあ、いま、奥様は?」
「いない」
渋い感じで言い切ったゲンのヤツに、オレはまた盛大にむせた。
そうだが。
いないが。
そのとおりだが。
いたことはない、が正解だ!
「そんな、じゃあこれは……そんな大切なものを」
「いいんだ。アンタが使ってくれたほうが、アイツも喜んでくれるはずだ」
「ゲン……ありがとう」
いや、まて、なんだこの空気は!
だまされるな、エリス!
アイツっていうのはな!
だが、あまりのなりゆきに、畳上でのたうちまわるオレの姿を、いいように解釈してゲンは続けた。
「いいんだ、トビスケ、なにもいうな。そういうことに、しといてくれ」
オマエ、この悪党!
思わず苦しい息の下、ゲンにヘッドロックをキメそうになったオレだが、うれしげにくるり、と回ってスカートをはためかすエリスを見た瞬間、なんだかどうでもよくなった。
ただな、あのな、言葉は正しく使おうな、みんな。