■第四夜やん:耳の穴
一説によればマフィアの成立の背景には、侵略者的統治者による政治的な圧迫と、それを強要する政府への不信感から、農民や漁師たちが結んだ互助会的同盟関係があるという。
そう、かの有名なゴッドなファーザーの源流を紐解けば、そういった情勢不安下での住民たちの抵抗運動が絡んでいるというのだ。
だとしたら、異世界に片足を突込んだオーサカにおける「同人サークル」の定義も、きっと近しいものとして理解していただけるだろう。
ただ、彼らの牛耳るものは武器でも、麻薬でも、酒でもない。
娯楽、それも主に紙の本を最大の資金源とする犯罪結社。
それが、このオーサカにおいて「同人サークル」なる単語が定義する概念の実情だった。
「広域成人指定同人サークル:クッコローネ……」
怒りと恐怖に震えながらエルフ娘:エリスが告げた名前に、オレとゲンは硬直した。
「なん……だと……」
茶に伸ばした手を引っ込めながらうめいたオレに対し、ゲンのリアクションはもうすこし明確だった。
すなわち、ふー、という深いため息。
「そいつは……なんというか、とんでもない相手が出てきたな」
異世界には「薮をつついたらヒドラ出た」という言葉があるそうだが、と前置きして、ゲンがエリスに告げた。
「今回のは火焔・ヒドラ、ってかんじだ」と。
同感だ、とオレも思う。
ちなみにだが火焔・ヒドラというのは、本家ギリシャ神話のヒドラが吐く毒の瘴気代わりに炎を吐く怪物で、むかしむかし「柳の木の下のういろう」とかいう名前の実写映画でみたことがある。
つまり、最悪クラスの化け物の尻尾を、オレたちは踏んだのだ。
敵対者としてこれほど厄介な組織を見つけるのは、なかなか難しい。
すこし歴史の話をしよう。
同人サークルという言葉の定義が激変したのは、あの4月1日、世界線上のエイプリルフール以降のことだ。
それ以前にも同人サークルという名の組織は存在したが、それはいまからオレが語るモノとはハッキリと一線を画する、とだけは断言しておく。
つまり、かつて現実と呼ばれた側の定義は、すでにフィクションであり、現時空における実在の人物・団体とはいっさい関係ありません、ということだ。
当初「同好の志」とでも訳すべき存在だった彼らのありようが大きく変わったのは、世界線上のエイプリルフール以降だとしても、その背景は説明しておく必要がある。
この國における同人活動という言葉が、「趣味を同じくする者同士の活動」から「二次創作を行う仲間たちとのそれ」として認識されたのがいつか、という話になると、すまん、オレにもわからない。
とにかく、雑誌の紙面にSFファンダム、などという単語が踊るようになった時代からこっち、二次創作的な同人活動というものはこの國にあって、つねに迫害の対象であった。
人間というものは、とかく、己が理解できないものを迫害の対象とする。
当初、ファンボーイ、ファンガールなどど揶揄された彼らが、いったいいつから、なぜ「オタク」と呼ばれるようになったかは、これも諸説あるので割愛する。
ただ、二発の核兵器による攻撃を含むあの歴史的・決定的敗戦から不死鳥のごとき奇跡的復活を果たした我が國が、いまや凋落したとはいっても驚くべき経済的繁栄と、七〇年に渡る平和を享受した裏側で、オタクたちはつねに精神的生け贄として迫害されてきた。
八十年代末に起きたある事件を発端として権力機構からも敵害視され、それは次の世紀になっても変わらない。
周辺諸国との緊張感が高まりつつあった時代。
表現への規制が、「自主的に」強まるさなかで、世界線上のエイプリルフールは起きたのだ。
インターネットどころかテレビ放送そのものが、ほとんど送受信不可能になった世界にあって、娯楽の中心媒体は「紙」へと逆戻りした。
そして、大規模・広範囲な一次創作=作品の提供がなくなった以上、これまで二次創作と言われ、世間に貶められてきた存在が娯楽のスターダムへとのし上がるのは、これもまた必然であったのだ。
それまで無料が当然だと思われてきた娯楽の供給が滞ったことで、市場原理は買手市場から売り手市場へと劇的なシフトを遂げた。
なにしろ、もはやスマホもPCもただの計算機や漬物石程度の役にしか立たなくなったのだ。
スタンドアロンで運用できない兵器などナンセンスだ、と言ったのがだれだったか忘れてしまったが、当時のスマホもPCも、その意味ではまさにナンセンスな代物だったのである。
こうして、同人サークルは娯楽を「アガリ」「シノギ」と定義する強力な犯罪結社として生まれ変わった。
特に「カベ」と呼ばれる大手サークルは勢力拡大を狙い、同人誌生産ラインである「シマ」を巡って対立抗争を繰り返し、ときとしてそれは、寝言銃を始めとする言語兵器を用いる惨事へと発展、ついには市街戦の様相を呈することも、しばしばであった。
「そんなに……強力な組織なのか?」
難しい顔をしていたのだろう。
オレたちふたりの顔をかわるがわるに見て、不安げにエリスが問うた。
「まあ、いまのオーサカで敵にまわしちゃならねえ組織ランキングの上位なのは確実だ」
「上から数えた方がはやいくらいのな」
「実用性の高い成人指定本を資金源に、ここ数年で急速に勢力を拡大した連中だ。一代目の萌杉一代は、異種族間恋愛、特にエルフと人間(H)・ファイター(F)・男(O)との正統派イチャラブカップリングで財をなしたんだが、二代目を襲名した息子の萌杉十三のほうは、一転、姫騎士、それも特に気位の高いエルフ陥落モノの第一人者と言っていい。次々とシマを傘下に収めたって話さ」
「……トビスケ、おめえ、なんかめちゃくちゃ詳しいな、しかも具体的、まさか」
「い、いやっ、バッカちげえよ、それはだから、資料だって、そのなあのな、オレみたいな家業は、読者さんのニーズとか流行り廃りに、敏感でなくちゃならないから? そのね、あくまで、ほら、業務的な?」
あせあせ、と釈明を始めたオレの姿には、もちろん理由が、ある。
ごめんなさい。
けっこうな冊数持ってます。
いわゆる成人指定薄い本。エルフ姫騎士陥落モノ。
「いや、だからあ、オレはべつにエルフの姫騎士がどうとかっていうんじゃなくてえ、その人間心理のですね? 機微? あり方? 堕とし方? つまり、寝言師としての、ですね?」
真心からの釈明を重ねれば重ねるほど、なぜか立場がまずくなっているような気がするのだが。
それまでの経緯からどちらかといえばゲンのほうに心理的障壁を感じていたはずのエリスが、ずざざ、とオレから距離を取った。
「いや、ですからね?」
「買ったのか?」
「いや、ううん、それは必要経費というか」
「使ったのか? 実用性は?」
「いやそれは、その研究対象としては非常に興味深いというか。なかなか深いとだけ」
「妖精騎士の堕ちる夜:おねがい、耳穴だけはゆるしてッ!」
「あ、それ持ってる。名著だよね!」
なぜか、ふたりからの質問はすでにブルッちまうほどの詰問であり、巧妙な誘導尋問であり、オレは秘蔵のコレクションの題名を言い当てられたショックから、ついに泥を吐いてしまった。
ちなみに「妖精騎士の堕ちる夜:おねがい、耳穴だけはゆるしてッ!」なるタイトルを発したのはほかにだれあろう、エルフ娘:エリス、である。
特に後半は録音し、資料的に残しておくべき名調子であった。
あまりの衝撃に、数秒、全員が無言となった。
ごくり、と唾を飲む音だけが聞こえるほどのしじま。
沈黙の痛さに耐え切れず思わずうめいたのは、オレだ。
「エリス嬢……なんで……タイトル知ってんの」と。
ごめんなさい今回特にウソがひどいです。
本気にしちゃダメ