■第二五夜やん:ヤツの名はアムネジア
フラグが折れる音を聞いたことは、あるか?
ごぎりっ、とか、ぽきりっ、とか、こきこきこきんっ、みたいな。
まあ、詳細は各自に任せる。
ただ、オレは……いや、その場に居合わせた連中のすべてが、音声は違えどその音を確かに聞いた。
聞いたはずだ。
「え?」
おもわず言葉にしたのはオレだった。
「アレッ?! 知り合いじゃ……ねえのかな?」
そして、小首を傾げるオレの言葉に噛みついてきたのは、厄紋タツヒコと名乗った男──どうも雰囲気からヤロジマンのリーダー格らしい男だった。
「そんなわけあるかーッ!! 忘れたとは言わせねえぞ!!」
ものすごい剣幕で怒られてしまった。
のっぴきならない過去の因縁を感じたオレは、相棒の顔を覗き込んで言った。
「えーっと、こちら、こうおっしゃってるけど?」
「……いや、マジで記憶にねえ。スマネエ」
「て、てめえ! 言うに事欠いて、憶えてねえだとッ?!」
ゲンの駄目押しに、タツヒコの顔色がグングンと変わった。
ゆーあーそーれっど。
いわゆる茹でダコ色に。
だが、その様子を眼前にしても、ゲンはしきりに首を捻るばかりだ。
どうも、ほんとうに思い出せないらしい。
長いつきあいのオレだからわかる。
これは、マヂだ。
「あー、タツヒコさん? どーも、今回のやつは本当に人違いなんじゃあ……ないでしょうかねー?」
取りなすオレに、タツヒコの唇がわなっわななっ、と震えた。
ヤバイ。
「人違いだアアアアア? 忘れたとはいわせねーぞ! 梅田ダンジョンでの決闘を! そのあとお前がオレになにをしたのかを! 柔毛ダイスケッ!! お前だ、間違いねえ! その銃も、ツラも、お前だッ!!」
「梅田ダンジョン??? あーたしかにテリトリーにしてたけれどもなあ……それってだいぶ遥か彼方の昔じゃね?」
「ひいふうみいよ……六年だ! 六年前の! あれも雪の降る晩だった!」
「いや……マヂにゴメンなんだが……ホントに記憶がねえんだ。寝言銃関係の決闘でオマエくらい使うヤツなら……絶対憶えてるんだが……ホントに」
ダレ? とゲンは三度、首を傾げて見せた。
そのとき、タツヒコの顔に浮かんだ表情をひとことで言い表すことは、たぶん限りなく難しい。
ただ、ちょっぴりかわいい目元には涙が浮かんでいた、と思う。
そして、まったく予期せぬ行動にタツヒコは出た。
体験したことがあるだろうか。
雪のバンパク公園で。
それまで銃口を突きつけていた眼前の男が。
いきなり脱ぎ始める瞬間を。
すくなくとも、オレには、ない。
なかった。
いままでは。
「おおい!」
「この落書きを忘れたとはいわせねえぞおおおおおおおおッ!!!!」
怒りに赤く染まった肉体を、タツヒコがさらす。
寒いのに。
だが、そこに刻まれた落書きには、たしかにオレたちを沈黙させるだけの《ちから》があった。
──彼女つくれよ。
「ひ、ひでえ」
オレが思わずうめいたくらいだ。
ゲンのヤツなんかは思わず左手を口元にあて、いつものショックのポーズになり……。
「ひでえこと……しやがる」
と、つぶやきやがった。
真顔で。
お、お、お、お、お、お、という地鳴りにも似た響きがタツヒコの口から漏れているのだと気がつくのに、オレには数秒の時間が必要だった。
そして、瞬間は来たのだ。
「おおおおおおお、おまえだーッ!! おまえが書いたんだ、これを! オレに! 水性ペンでッ!」
「いやっ、それはねーだろ。だってこれ──残酷すぎるじゃん?」
「てめえええええええ!!!」
「いやだから、マヂにオマエだれなんだよ?」
眼前で展開する水掛け論にさすがのオレも目を丸くしたまま卓球のラリーを見ているような挙動に陥るしかない。
どゆこと???
状況が殴り合いに発展しそうになるにいたって、オレは双方の間に入った。
ヤロジマンの相方である交奇知ガイは、タツヒコの激昂具合にしきりにまばたきを繰り返している。
わかる、その気持ち。
「あー、ちょいまちちょいまち、どーもでかすぎる行き違いがここにはあるみたいだからさー。うん、ちょっとゴメンね、タツヒコくん。おいっ、ゲン、ちょっとこいっ」
オレは頑なに政治家めいた答弁を繰り返すゲンをひっぱり、事情聴取を行うことにした。
『あんだけハッキリ名前までつきとめてて、オマエじゃないってことなんか、あんのかよ? 柔毛なんて名字、オーサカにはオマエしかいねーだろ?! ごまかしはよくねえぞ?!』
『だからしらねー、っつてんだろがよ。ホントにしらねえんだよ。だいたい、寝言銃で片づけるだけなら、オレは負ける気なんかしねえっつーの。はぐらかしてどうすんだよ! 真っ向勝負してやるっつーの!』
で、スタスタとオレ、タツヒコくんに事情を話す。
話した。
「だーかーらー、アイツにまちがいねーつってんだよ! なんなら、筆跡鑑定するかあああ?! これはアイツが、アイツが書いたんだッ!!」
で、男のもろ肌に描かれた落書きを、オレは鑑定しました。
結果。
「えー、結論的に言うと……デスネー、この落書きは……ゲン、オマエの筆跡だ。間違いねえ」
「えええええええええええ????? いっや、まっじで、しらねえし!」
「みろみろみろみろっ!!! オレが言った通りじゃねえか! そうだ、柔毛ダイスケッ!! 間違いないぞッ!!」
「おまっ、トビスケ、なに裏切ってんだよ?!」
「裏切ってんじゃねーってばよ。だってしょうがねーじゃん、正真正銘、これオメーの筆跡だもん。寝言師としてはその嘘はつけねえよ」
いやっ、マジでオレ、憶えてねえんだけど……こんどは本気で狼狽し始めたのはゲンのほうだった。
相棒として、言う。
コイツも嘘は言ってねえ。
……そこまで考えて、ぴん、と来るものがオレにはあった。
「あのう、そのう……厄紋さん? ちょっとだけ、おうかがいしていいでしょうか?」
「ああ、かまわないぜ」
「そのう、あのう……そのときの決闘というのは……やっぱり、おふたりのことだから……寝言銃で?」
そこまで言った瞬間、ゲンがぴくり、と動きを止めた。
同じように、タツヒコくんも。
「……鋭い質問だ……違う」
「違う?! 寝言銃ではなく、しかし、決闘?! それは?!」
「決まってんだろ……ショットガン! ショットガンの呑み比べだッ!!」
断言し、バンッ、と寝言銃をショットする仕草で言うタツヒコくんに、オレが向けた表情。
それは、ひとことで言えば、すべてを理解したものだけが浮かべることのできる──同情の顕現にほかならなかった。
「わかります」という。




