■第二夜やん:エルフに向かって撃て!
「それで、コレ、どうするんだ」
とりあえず、濡れた衣服をひっぺがし、おなじく滴るほど水を吸い込んだ頭髪をタオルで拭きとり、オレたちは女体をセンベイ布団へと運び込んだ。
ここは阿倍野バザールにあるゲンの店「駄菓子のニコゲン」だ。
その奥にある申しわけ程度の座敷で、オレは妖精のように美しい女の顔を見ていた。
阿倍野バザールはフユカスバビロンのお膝元、ウエマチ台地の稜線に添うようにして発展した闇市の集合体だ。
いまでは名残ばかりだが、かつては総ガラス張りだったフユカスバビロンと、その真下に、まるでカビの温床のごとく勢力を拡大し続けるバラック建築の群れは、なんというかめまいを起こすようなランドスケープを成している。
いまの若いコたちには耳慣れない単語:バラック建築、あるいはバラック様式について軽く説明だけしておこう。
様式、などといえば聞こえはいいが、ようするに木板やトタンに建築現場の足場なんかを組み合わせた急ごしらえの、誤魔化しみたいな建築様式のことだ。
行政も福祉もほとんどまともに機能していないこの世界にあって、バザールの住人たちはそんな政府への揶揄と、自分たちへのいくぶんかの誇りをこめて、そんな言葉を生み出した。
まあ、成り立ちはともかく、豪雨が降れば確実に雨漏りを起こすあばら屋の一角で、オレとゲンは予期せぬ拾い物に困惑していたわけだ。
「おう、トビスケ、まだ湯あったけえから、あびてこいよ。見ててもしょうがねえぞ」
「しゃーねえな。ほんじゃま、風呂を借りるわ。あ、オイ、オレが入ってる間に手ェだすなよ」
「見損なうんじゃねえ。オレは正々堂々抱く主義なんだ。前後不覚の女に手なんかだせるかよ」
「そーだった。そーだったよ」
オレはとにかく、冷えきったカラダを温めるために浴槽へと向かうことにした。
ゲンの性格はよくわかっているオレだが、警告めいて言ったのには、女の貞操とは別の意味もあった。
なにしろ、相手は異世界のものだ。
現実と異世界がぶつかって以来、世界法則がねじ曲がったりさまざまな怪異現象が頻発するようになった我が国だが、以前から「よそに比べりゃ異世界同然」などと言われてきたオーサカとそこを故郷として生きてきたオレたちだ。
ちょっとやそっとのことではたじろかないが、今回ばかりはワケがちがった。
相手は世界観同士がぶつかりあって引き起こされる怪異現象ではなく、正真正銘、むこうがわの住人──エルフだ。
ネタ的な話をすれば、生モノ、ということになる。
ファンタジーがウォーキング、である。
公式記録でも、そんなことが起きたのはあの世界線上のエイプリルフール──世界観衝突のときだけだ。
異世界側の住人の襲来。
すくなくとも、そんな事象をオレは他に知らない。
なにが起きるか、予想がつかなかった。
運び込む場所をゲンの店にしたのもそれが理由だ。
オレの部屋のほうが商品が詰まってない分、面積的にはいくぶんかマシなんだが、どうにもこの女を運び込むには抵抗があった。
それはオレの部屋に溢れる寝言と、それを書き連ねられた札やら折り紙やらに原因がある。
異世界のものと、大量の寝言が触れ合ったときどんな異変が起こるか、予想がつかなかった。
ただ、プロの寝言師としての勘が「ヤバい」と告げていたのだ。
もちろんゲンの店にだってオレの商品がすこしは、ある。
だがそれは言弾化されたもので、安定性においては段違いだ。
製作途中の長い寝言ほど不安定で危険なものはないからだ。
ともかくオレはそんなことを考えながら、風呂……というにはいささか気後れする設備に身を浸した。
ステンレス張りの業務用シンク。
たぶん廃業した洋食屋かどこかから引っぺがしてきたそれが、この家の浴槽兼食器洗い場だった。
たしかに、栓をして沸かした湯を注ぎ、水で割れば、浴槽と言い張れないこともない。
オレはむかしむかしの記憶にあるゴールドなライターに変形するロボよろしく、手足を折り畳んで湯船に浸かった。
何度かこの家で風呂は浴びているが、毎回思うことがある。
これ、かなり無理があるぞ。
べこん、ぼこん、と音を立てる湯船に浸かり、オレは今後の方針と方策に考えを巡らせた。
と、そのときだ。
座敷から、あられもない悲鳴が聞こえてきたのは。
「ダメッ、イヤッ、おねがいッ!! ゆるしてッ!」
「そんなこと言っても、オマエのカラダはもうこんなじゃないか……なまえはなんていうの? ほらほらほらほら」
「あ、ああああああ〜〜」
「あんのバカッ!! だから、手ェだすなって! なにが正々堂々だッ!!」
狭すぎる湯船からカラダを引っこ抜くようにして脱出し、オレはバスタオル一丁、なんとかレーティング的基準を遵守しながら掲載の危機に発展しそうな現場へと躍り込んだ。
甘かった。
ゲンのエルフ好きは半端ではない。
それをオレは過小評価していたのだ。
だが、現場へと踏み込んだオレをまっていたものは、さらなる、そして、まったく予期せぬ事態であった。
押し倒されていた。
ゲンが。
エルフの美少女に。
「らめえ、トビスケぇ、たすけてえ」
「あら、お友達もいたのね? ふふふ、見ててもいいけど、ご一緒する?」
人間はほんとうに理解不可能な場面に遭遇したとき、思考停止する。
寝言師たちの基礎修養に「パニックに打ち勝つにはさらなるパニックをぶつければ良い」というのがあるのだが、つまりこれは「乱をもって乱を制す」という類いの言葉であろう。
つまり、現状のパニックとは「全裸のエルフ美少女に組み伏せられ、乙女のような声をあげるゲン」の姿であり、さらなるパニックとは、ここにオレが加わることか?
それって、乱交?
などということが走馬灯のように脳裏を走れば、もはや充分な思考停止である。
どっとはらい。
「どうなってんだ、コレッ! おい、おいいい、ゲン!」
「オ、オレがしるかッ。ちょっとタバコをつけようとしたら、目を醒ましたみたいで! 声をかけたとたんにこのザマだッ!! ア、ああああああ〜〜、そこらめえ! つまんじゃらめえ!」
「ちょっおまっ、きこえちゃう、ご近所さんにきこえちゃううう!! 深夜だから! 壁うすいんだから!」
なにが摘まれて、どうだめなのか、よくわからんがとにかくイロイロまずい状況だ。
いいかげんにしとかないと、運営さんも黙ってはいないであろう。
「こんな、こんな種族なのか、異世界のエルフって?!」
「んなわけあるかッ!! みとめねえぞ! オレはッ!! お父さんは許しませんよッ!!」
「んふ♡ 口先ばっかりで、抵抗できないくせに」
おかしい、とたしかにオレも思った。
異世界のエルフがみんなしてこういうメンタリティなのかどうかはさすがにわからないが、こんな女をだれが深夜に高架上で追い掛け回すだろうか?
男たちが数人がかりで、しかも「撃つヤツがいるか!」とのお叱りつき。
どちらかといえばこんな精神性の持ち主ならば、喜んで男たちに身をまかせていたはずだ。
それに「撃つ」とはたぶんまっとうな意味での銃器のことではない。
いくら、無法化が進んでいるとはいえ母体であった法治国家:日本は、銃社会ではない。
トカレフの粗悪コピーだろうと手に入れる苦労は、生半可ではない。
弾一発手に入れるのだって、そうとうな無理筋なのだ。
だからこそ、オレたち寝言師に仕事がある。
そこまで考えて、ピン、ときた。
化粧っ気など皆無の、どこからどうみても純真そうなエルフ娘がいきなり超ビッチに目覚める理由。
「これ──言弾だ」
「なん……だと」
「寝言銃だ!」
いったん理解に辿り着けば、あとは早かった。
寝言銃とは、ゲンも得意とする武器で実弾のかわりに言弾を射出することで相手を変質させる。
言弾は言葉を理解できる相手にしか通じないが、その効果は強力で、弾に込められた物語の通りに相手を操作する。
たったいまゲンの貞操を奪うべく跨がって妖艶に微笑むエルフ娘は、その弾を喰らったのだ。
ふつう、このような状態にするためには「命令系」や「教唆系」の弾種を用いなければならない。
純真なエルフの乙女を雌豹に変貌させるほど複雑な寝言であれば、大口径・大容量の強力な寝言銃を運用する必要がある。
だが、あの状況──あきらかに三下としか思えない男たちが、扱いに熟練を要する重寝言銃ガンを携帯しているとは考えにくい。
重たい寝言を撃ち出すには相応の寝言銃が必要だし、扱いを誤ると寝言は暴発するからだ。
だとすればこれは「名称変更系」の可能性が高かった。
これはたとえば、「あ」とか「え」といった言弾を撃ち出し、対象の名称を変更することで、キャラ性を操作する弾丸だ。
小型軽量で、扱いやすく、寝言以前のただの文字でしかないから暴発の心配もすくなく、生産も容易で市場にもっとも多く出回っている。
駆け出しの寝言師が副業としてこしらえるもので、この店でも駄菓子に混じって売られているはずだ。
効果時間も短く、昔かたぎの寝言師になかには子供騙し、とバカにする者もいる。
だが、これはこれで、扱いに気をつかう弾種であった。
なにしろ、元の名前に撃ち込んだ弾丸が反応して効果を発揮するのである。
撃ち込む相手の名前を把握したあとで、的確な場所に撃ち込まなければ、混乱が起こるばかりなのは想像に難くないだろう。
きわめつけの話がある。
むかし、老人ホームで起こったいざこざを、なぜかオレとゲンで仲裁しなけりゃならん、という仕事が舞い込んできたことがある。
ホームのマドンナ(死語過ぎるがまさにそんなかんじだった)を巡って、オジーちゃんたちが決闘を始めたというのだ。
それもどこから持ち込んだのかモデルガンを改造した寝言銃と、件の名称変更系弾頭を使って。
オレたちが仲裁する間もなく始まった決闘が周囲を巻き込み、流れ弾が飛び交う大混乱が巻き起こった。
そのとき、マドンナをかばったゲンの尻に、運悪く流れ弾が命中したのだ。
柔毛ダイスキ。
なにが起こったか、もうわかるだろ?
愛されてしまった。
ゲンが。
マドンナに。
たまさか、オレがいてすぐに事態は収束したんだが、とにかく、なにが起きたかを把握するまでが大変だった。
あとね、人間って何歳になろうが恋愛はするんだな、と思い知った。
それと嫉妬のすごさも。
あれ? ……なんのはなしだったか。
ああ、そうだ。
この超ビッチエルフとそれに襲われるゲンの話だ。
「トビスケッ! トビスケッ!! 中和してくれッ! 前んときみたいに、一発、このビッチエルフにぶち込め!」
「だー、わかってんだよ! だが、なんだ?! コイツの名前のなにがそうさせてんだ?!」
「しるかッ! なんでもいいから、とにかく変更しろ! ああああああ〜〜、らめ、らめええ!!」
「エルフの名前って、どんなナンだよッ?!」
「エメローラとか、イリスとか、クレアとか、ディードリッヒとか!」
「おめえ、くわしいな。いや、どこのなにが、どう反応してるのか読みとかねえと、とんでもない事態が起こるんだぞ!」
「とめてっ、このエロいエルフをとめてッ!!」
エロい、エルフ?
人間というものは土壇場で追いつめられたとき、真価が問われるのだという。
その意味でいうなら、今夜のオレは恐らくまさに天才級に冴えていただろう。
「それだッ!! ゲン、寝言銃貸せッ!」
「ちゃぶだい! ちゃぶだいのうえにあるからはやくううう!!」
「くそっ、オマエの銃、めちゃくちゃごっついんだよ!」
大容量の寝言を撃ち込むことができるゲンの寝言銃はカスタムだ。
コルトパイソンによく似た形状のそれは六発の重寝言を装填できる。
正直言うが、寝言の反動もバカでかい銃を片手で扱い切るゲンの腕前は、超A級だ。
だが、いま必要なのはもっとずっと軽い弾だった。
「ゲン、弾だ! いちばん安いやつ! カタカナだ!」
「店、店のなかに! ざるでぶら下げてるから! おもちゃのとこだ! 銀弾鉄砲のならび!」
オレは指示通り、マッハスピードで、ほとんどマッパのまま店内へ躍り込む。
暗い店内だが、勝手知ったるなんとかで、弾の場所はすぐにわかった。
じゃらら、と弾が手に触れる。
いったいどれがなんという文字なのか、ふつうの人間なら途方に暮れたはずだ。
だが、寝言に関することであればオレに死角はなかった。
指先でなぞるだけで、暗闇でも込められた「文字」がわかる。
「あった、あったぞ、ゲン。まってろ! いまぶち込んでやるッ!」
「は、はやくして、はやくうう! 喪失する! 喪失しちゃうううう!」
ズシリと重い寝言銃に震える指で弾を込める。
寝言銃の扱いに関しては、オレだって決して素人ではないが、コイツの銃には強烈なクセがある。
「うごくんじゃねえぞ、ゲンッ! お前に当たると──えーと、どうなるんだ? 二コリン・ダイスケ?」
「はやくして、トビスケッ!! はやくううう!! らめえ、かんじちゃらめなのお。そこは、そこだけは、嫁専用だかららめえ!!」
「狙えねえどころか、掲載できなくなるから、おめえはもう黙っていろッ!!」
そして、オレは引鉄を引き絞った。
ゲンに跨がり、輝かんばかりの肢体で不埒を働くエルフのド中を狙って。
「エロス」に支配された娘の中心を「リ」に差し替えるために。
両手で構えた瞬間、はらり、とバスタオルも落ちた。