■第十九夜やん:エルフを撃つならオレを撃て!
異世界のものと、オレたちの寝言が触れ合ったとき、いったいなにが起るのか。
オレは、そのとき相棒:トビスケの言葉の正しさを思い知ることになった。
ああ、オレだ、ゲンだ。
いまオレがこうして話しているってことは、つまり、オレたちはあのとき巻き起こった超常現象を生き残ったわけだが……。
ことの顛末を説明させてくれ。
あのとき、あのマスケットXXの会場、古書販売スペースのワゴンセールのなかからエリスが見つけ出した本が引き起こした、とんでもない現象のことを。
ごうおう、と大気が渦を巻き光の粒子が本を抱いたエリスの胸から吹き出した。
オレはむかし、異世界が衝突してきたときのことを、いまでも鮮明に思い出せる。
本来は決して交わってはならないはずの現実と異世界がどういう理屈かわからないが互いの境界線を失い、破片を双方の世界にまき散らしながら干渉した日のことを。
オレたちの日常が非日常に侵食された日のことを。
あのとき、オレは見た。
巨大な、天翔る翼を。
闇夜にあってなお青く光り輝く巨大な。
天をつんざく咆哮と、迸り出る雷光を。
ちょうどトビスケのやつが、フユカスの足元で必死にムロキに突き立った誤字を引っこ抜いてたころだ。
「──やっと来てくれたのかよ」
自分の口から漏れた言葉にオレはオレ自身で呆然とした。
そこそこ、社会には順応してきたつもりだった。
もちろん、寝言を垂れてはひとさまを煙に巻くような仕事をしてきたオレだ。
そのことに忸怩たるものがひとっかけらもなかったか、と問われたら、すまねえ、降参するしかない。
そんなこと思いもしないヤツが、本なんかこしらえるかよ。
それでも、なんとかだましだまし、やってきたつもりだったんだ。
だが、あの日、4月1日、世界線上のエイプリルフールと名づけられた世界観崩壊の夜、オレの口から転げ出たセリフは、あんまりにも情けなかった。
なんのこたあねえ。
異世界を望んでいたのは、だれかじゃねえ。
オレ自身じゃねえか。
だから、そのことを知ったからオレは寝言屋を廃業した。
ところが、いまエリスが胸に抱いて涙ぐんで、あこがれたと言ってくれた本は。
そのことを自覚しないまま、オレが書き綴ったものだったんだ。
異世界を望む心と。
異世界から来た者と。
異世界について語られた寝言。
それが一点に交わったとき、果たしてなにが起るのか。
オレはこの目でまざまざと見ることになった。
ごぉおおおおおおん、と音がした。
ああ、こいつはアレだ、除夜の鐘だ。
そうオレは思った。
108回打たれるそれは、人間の煩悩の数を表しているといわれる。
ごぉおおおおおおん、とそれは鳴った。
そうして、光り輝く《門》が現われた。
なぜ日本の神社にはあのカタチの鳥居が存在するのか。
オレはその答えをこのとき、イヤと言うほど思い知った。
吹き出す光とは裏腹に、強烈な勢いでそれは周囲の現実を飲み込み始めた。
まるで地上に降りたブラックホールのように。
周囲に「オレが思い描き本に叩きつけた理想」を花びらのように展開させて。
もし。
もし、オレがトビスケと出逢わずに。
もし、もしオレがオーサカで、あの世界線上のエイプリルフールを体験せずに。
もし、もしも、もしもだ。
エリスと実在の存在として関わっていなかったのなら。
オレはオレの寝言──虚構が発揮する強大な吸引力に抗おうなんて、考えもしなかっただろう。
それほどに、異世界は。
異世界を望む心は。
オレたちの心の奥底に、性根に、棲み着いて、根を張って。
誘惑し続けていたんだ。
こんなクソみたいな現実など、なくなってしまえばいい、と。
「くそったれ」
そうオレは悪態をついた。
関わってしまったことに。
この事件にじゃねえ。
トビスケに。
エリスに。
オーサカに生きるバカみたいだが、必死こいて生きてるドアホウどもに。
そうでなけりゃあ、いまエリスを核に開いた《門》の向こうに、なんの疑問もなく身を任せられたろうに。
「まったくよおおおおお、めんどくせえな、現実ってヤツはよ!」
夢見るように微笑んで泣きながらどんどん虚ろになっていくエリス。
オレが描いた寝言の集積──書籍のカタチに結晶したそれが、彼女のパーソナリティを喰らいながら周囲の現実をどんどんと吸収して成長していくのがわかる。
リアリティを獲得して、本物の異世界に成長するつもりなんだ。
どういう理屈かわからない。
だが、そのときのオレには、ハッキリと眼前で進行中の事態の意味がわかった。
作者として、オレはどんな顔をすりゃよかったんだ?
たぶん、それは本だけでも、作者だけでも、決して起こせなかった奇跡なんだとオレは知っていた。
作品が本当に完成するためには、作者がそれを書き上げただけでは足りないのだ。
では、その不足を埋めるものはなにか。
それは読者の存在だ。
作品を読み、咀嚼し、味わって、耽溺してくれるヒトの存在だ。
そして、作者・作品・読者の三位一体が起ったとき、はじめてそれは世界となる。
うさんくせえ人間の善性を説くばかりの御託と思っていた教本の言葉の正しさに、オレは圧倒されてしまう。
「おいっ、おいっ、ちょっとまて……おいっ、トビスケッ。これは、コイツはどうしたら良いんだッ?!」
オレは眼前で展開する奇跡に、恐れおののいて思わず相棒の名を呼んでしまった。
アイツは自分の妹分と思った娘の未来を、異世界に奪われた。
オレはいま、心の底でオレ自身が望み続けてきた異世界に飲まれつつある。
トビスケの体験したものが異世界の悪だとするならば。
オレが体験しつつあるものは、まさか、異世界の善、なのか?
「ゲン……これだ……わたしが……行きたかった世界は」
だからもし、夢現の表情となったエリスがうわごとのように言わなかったら、オレもまた《門》が見せる幻に身を任せていただろう。
「ふざっ、けんな。ちげーぞ、エリス。それはただの夢だ。現実じゃねえ。オレは、オレたちは、現実にいるからこそ異世界を夢見られる。夢になりたいわけじゃねえんだ!」
オレはうまく動かない右手に喝を入れ、銃口を差し上げた。
どこに?
決まってんだろ。
そうじゃなきゃ、撃ち抜けやしない。
過去のオレ自身を。
オレはこめかみに銃口を当てた。
そして、引く。
喪失に震えながら。
銃爪を。
オレ自身を失うために。
オレが描き、オレが記した、オレ自身の物語を撃ち抜くために。