■第十七夜やん:マスケット20XX
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ホテル:キャッスルディスティニーの隠し通路を抜け、古いアーケードの整備用に使われていたキャットウォークを走り、オレたちはこの時期にあって最大級の同人誌即売会:マスケット20XX会場に潜入することに成功していた。
ちなみに、ここにはクッコローネの息がかかった連中もウヨウヨいる。
だが、それ以上にいまこのオーサカの娯楽的覇権をかけてシノギを削る対抗組織も同時に出店していた。
まず東に人妻系NTRの雄:喜連瓜破源五郎会。
北にはケモミミ系獣人モノの老舗:人狼解放戦線。
南は、BL・GL・アンドロギュロスなどを扱う秘密結社:雌雄統合体。
そして、西側に陣を構える連中こそ、ファンタジー系、そのなかでも姫騎士陥落モノの第一人者、そして、いまオレたちをつけ狙う諸悪の根源=広域指定同人サークル:クッコローネだった。
東西南北、とんなんしゃーぺー、いずれにせよ四方の辺を押さえる大勢力たちのただなかに、いまオレたちはいた。
「ふー、西側のカベ横をすり抜けるときは見つかるんじゃないかとヒヤヒヤしたが」
プラスチック製の容器から本当にクズ野菜とマカロニしか入ってない、たぶんトマトもケチャップを使ったであろう自称ミネストローネを啜りながら、エリスが言った。
「向こうもまさか、追っかけてるはずの当の本人たちが真横をすり抜けて、この同人誌即売会:マスケット20XXのど真ん中で飯食ってるたあ、気がつくまいよ」
急ごしらえのテントの下にいくつも据えられたミカン箱と、公民館から払い下げられたようなガタついたテーブルが並ぶ吹きっさらしの空間は、しかし、ひしめき合う老若男女の体温とあちこちで一斗缶を利用して造られた焚き火、いわいるガンガラのおかげで、意外にも温かかった。
そして、そこは給配所の出張店舗でもあったわけだ。
ほとんど機能停止状態のオーサカ行政にしちゃあ、気の利いたことするじゃねえか、って?
ちゃうちゃう。ちげーよ。
結局のところこれは四方を固めるカベサークルの連中の差し金に過ぎねえんだ。
配給券さえあれば、ひとまずだが食事と呼べる体裁のものが腹いっぱい詰められる給配所を中央に配すりゃ、集まってくる人間は「娯楽」に金を落としやすくなる。
もちろん政府に取り入って、この日時、この場所に出張施設を引っ張ってくるには責任者にそれなりの金を握らせたことは間違いないが、それでも提供される食事の費用や施設設備の使用料のケツもちは行政ということになる。
炊き出し用の機材と食料と人件費の調達にくらべりゃ、安い投資だ。
納税やらなんやらがもうめちゃくちゃになっちまってるオーサカだが、そういうところがまともに機能できていないことには、さすがの行政側にも後ろめたいところがあるんだろう。
互いの懐が温まり、貧民たちに施しと娯楽を提供することで良心の呵責がわずかばかりなりとはいっても軽減できるなら……そんな為政者たちの打算が、オレには透けて見えるようだった。
いや、もしかしたら、行政のお偉いさん、同人サークルのどこかに弱みでも握られてんのかもしれない。
成人指定本というからには、良識ある方々は人前では眉をひそめてけしからんと叫び、できれば、ひとりでこっそり楽しみたい後ろ暗い娯楽であることは否定できない。
そういう趣味が、世間に露呈すると困るような状況に、すでに行政内部の有力者たちはされているのかもしれなかった。
ま、オレには関係ないことだが。
「ゲン、どうした、ゲン。さっきから食が進んでないぞ。それ、一口くれないか」
「あー、構わねえけど……けっこうヘビーだから胸やけしねえようにな」
オレはマーガリンと植物性油脂から合成されたチーズもどきを絡められたマカロニの入った紙コップをエリスに手渡してやろうとした。
だが、あろうことか、エリスは口をあけ、子供みたいにオレがひとくち放り込んでくれるのを待っていやがったんだ。
フードのせいで正面に座るオレにしか見えないはずだが、その美貌と桜色の唇に、オレはドキッとしてしまう。
「バカヤロウ。子供じゃねえんだ、自分で食いやがれ!」
オレはエリスの手にMサイズの紙コップを捩じ込むと、かわりに自称ミネストローネを引ったくって食べた。
「うげえ、また味がおちてっぞ! しかもこっちもマカロニしか入ってねえ。結局同じもん食ってんじゃねえかよ!」
食事というよりエサと言ったほうがよいそれを流し込みながら、オレは相棒:トビスケのこしらえる怪しげな駄菓子料理のほうが遥かにうまいことに、驚愕を覚えていた。
「トビスケの飯のほうが数段上じゃねえか!」
「たしかに。あのカツ丼はうまかった」
室姫の家で食べた駄菓子流用ほとんど衣だけのカツを使った飯を思いだしながら、エリスが言う。
料理とあれを呼んでいいのかどうかは議論を別にするが、トビスケの考えつく食い物は発想は突飛でも、味はまともだった。
つか、駄菓子をベースにコロッケとかカツ丼はともかくフレンチとかイタリアンこしらえる男は、たぶん頭がちょっとおかしい。
「しかし、このあとどうするんだ」
「いきなり核心を突いてきたな」
オレは空になったカップに先割れスプーンを放り込み、ちら、と場の様子をうかがった。
「四方を強大な勢力に囲まれているがゆえの均衡。互いが互いを警戒し監視しあうからこそ生じる権力の空白地帯。そこへためらわず飛び込んだ戦術眼、そして、度胸。まずは見事と褒めておく」
で、そのあとは? とオレを持上げておいてから、エリスが訊いた。
「あー、腹ごしらえ、かな?」
「それは済ませたな、いま」
「あー、うーん、えーと、だな」
エリスの期待に満ちた視線にさらされ、オレはあらぬ方向に目を泳がせた。
「ほらっ、どうした。もったいをつけなくていいのだぞ?」
「えー、いやあ、だから、だな?」
急速にしどろもどろになっていくオレの様子に、エリスの瞳から急速に光が失われていくのがわかった。
「まさか……オマエ……」
「いや、ほら、なんていうかさ。こういうややこしい状況はトビスケの管轄っつーか、なんつーか」
「考え無しに飛び込んだとか、そういうんじゃないよな、まさか?」
オレの襟ぐりをエリスが掴んだ。
「いや、まてまて、今後のことはじっくり考えるということでまず、安全地帯に……目立つから離してくれ」
「あきれた! よくあれだけ自信満々についてこい、とか言えたもんだな! 敵陣にあえて飛び込むのが、オレの戦い方なんだ、とかなんとかんとか、セリフだけはイッチョマエに!」
「いやほら、なんというかさ、オレけっこう正面切って勝負するほうだからさ。トビスケみたいになにがどうなってんのかよくわからねえ技は専門じゃねえっつうか。実際の危機を前にして、初めて真価を発揮するタイプなんだよ」
「つまり、いきあたりばったり、ということだろうが!」
オレの釈明に、エリスは、はー、とため息をつく。
「あー、ナンダカスミマセンネー」
いつもは作戦担当はトビスケだから、調子がわからねえんだよ!
オレは声になりかけた言葉を飲み込んだ。
あいつみたいに浮世離れした突飛もねえことばっかり言って生きてる男じゃ、オレはねえんだ!
たのむから、そんな目で見るなって!
いや、オレだってあの状況で考えられ得る最上の手を打ったんだよ!
そうだろ?
悪かったって。
あまりのノープランぶりに一瞬、もうひと悶着起りそうな雰囲気になったが、それを押しとどめたのは別の危機の接近だった。
「まずいな、連中、ついに痺れを切らしやがったぞ」
鏡を見ながら髪形を整えるふりをして背後を観察していたオレの目に入ったのは、配給所に侵入してくる黒づくめたちの姿だった。
どこかで話をつけたのか、それとも、力関係では自分たちが上だと確信しているのか。
間違いようもなくクッコローネの連中、捜索範囲をついにこの中立地帯にまで広げて来やがったんだ。
言ってるそばからフードを被っていた別の客が、声をかけられた。
エリスもそれを見たのだろう、顔色を変えた。
「どうするっ?」
切迫した調子で問うエリスを、騒ぐな、とオレは目で制し、卓上に落ちてた輪ゴムを掴んだ。
「?」
意図が掴めずオレと輪ゴムを見比べるエリスを放置して、オレは革ジャンのポケットから、よれよれになった呪符を幾枚か取り出した。
いまは寝言にやられてあっちとこっちの境界線を彷徨ってるトビスケが、懐に忍ばせていたシロモノだ。
逃走時の助けになるかと思って、拝借してきたんだが……。
有り金はたいたギャンブルの結果を見るような、祈るような、そんな気持ちで呪符に目を通す。
「あるよ、トビスケ……ドンピシャだ」
オレはこの場を切り抜けられそうな呪符をそのなかに見つけ、相棒に感謝した。
素早くそれを片手で丸める。
小さな球に整形すると、オレはそいつを撃ち出した。
ちょっと離れたところで、あのまずいミネストローネをかき込んでるニーチャンの口中へ。
狙い通りに口の中に着弾し、咀嚼されることもなく、飲み下された。
それを確認してからたっぷり五秒、オレは席を立ち、エリスをうながした。
いまから己の身に起る出来事に、なにひとつ気づかぬまま飯を食い続けるニーチャンの背後を通って、配給所を後に……。
「おいっ、そこのふたりッ!! こっちを向けッ!!」
配給所の喧騒を切り裂いて警告が飛んできたのはその時だった!