■第十誤夜やん:メキメキ☆トゥナイト
「オメエ……残っててもよかったんだぜ?」
どれくらい雪の悪路を走っただろう。
どんどん深さを増してくる積雪は、まちがいなく歴史的降雪量ってやつだろう。
こんな妙な天気が、あの世界観衝突以来あちこちで起きてる。
むかしニシナカジマミナミカタと呼ばれた西なのか南なのか島なのかなんなのかよくわからんエリアを過ぎ、新幹線が垂直に数本突き立ったニューオーサカを過ぎ、エーサカを越したあたりで、ゲンが思い出したように言った。
「はあ? バカか、おまえは。オレの取り分、どうするんだよ」
オレのやりかえしに、んなものはたぶんない、と言うのはゲンは止めた。
やめたんだと思う。
なにしろ、だ。
今回の相手は広域成人指定同人サークル:クッコローネだけではない。
やつらに雇われた地下同人組織:ヤロジマンがそこには加わっている。
いくらゲンのヤツが凄腕の寝言銃使いで、オレのほうもキョート時代の装備を回収したとはいえ、だ。
ドンパチやらかす、というレベルでは、これはもう済まない戦力差だ。
んなところに、女連れでいけるか。
いくら、病み上がりだといったって、オレにだってゲンのアタマの中身くらいはわかる。
だから、切り札である彼女を「先に異世界に帰しちまおう」というのが、いまオレたちが採択した作戦の本旨なんだ。
もちろん、エリス本人は気がついてねえだろうが。
そんでもって、残されたオレたちがどうすんのかって?
そりゃあ——絶望的なカチコミ、ってことかねえ。
オレにだってわかんねえさ。
ただ、オレが寝言の断片と誤字にやられてブッ飛んでた数日間、ふたりが現世をどんなふうに這いずり回って、よしみを深めたのかはしらねえが、ゲンのヤツがそう言うんだ。
相棒たるオレが降りれるわけもねえ。
それだのに、このバカときたらいまさら訊きやがる。
「残っていてもよかったんだぜ?」と。
アホかオマエは。
そしたら、アレか。
オマエだけドン・キホーテめいて、太陽の歩く塔に突撃かまし、エルフの姫さまを送り帰そうってか?
ほんでもって、オレには年の差義理妹との隠居生活プレゼントか?
「ふざけんじゃねえぞ」
腹の中身が、声になって出ちまった。
エリスがぎょっとした顔になるのがバックミラー越しに見えた。
ゲンの対応は、しかし、だいぶ違っていた。
「だがな、トビスケ——あのお嬢ちゃんとこで髪結いの亭主するのも、そう悪かねえ選択肢だぞ」
「オメエはあれか! オレの婚活コーディネーターかッ!」
いつものノリツッコミの要領で速攻怒鳴り返したオレに、ゲンは言ったんだ。
「あのな、トビスケ。オマエが破片浴びておかしくなったあと、オレたちはオマエ抱えてあの診療所に転がり込んだ」
「アイツの住所——なんで知ってた」
「……蛇の道は蛇、ってな。裏ぐらい取るのがオレたちの稼業じゃ常識だろ」
ぬう、と唸るオレに、どこか申し訳なさそうなゲンは、それでも続けた。
「オメエの容体をひと目見るや——あのお嬢ちゃん、白じゅばんに着替えて、出てきてさ。こう言ったんだぜ?」
それではお引き取りを。五日して、わたしがこの敷居から現れていなければ、この家に火をかけてください——て。
「ぴしゃり、とふすま閉じてさあ。ありゃあ、もしかしたら、オメエと心中するくらいの決意だったかも、だ」
「……そりゃあ、ぞっとしねえはなしだな」
オレはタバコに火をつけながらぞんざいに答えた。
「戻ってやってもいいんじゃねえか」
「やなこった」
「あのな、トビスケ。いまだからいうが、あのとき、オマエ、だいぶおかしくなってたんだぞ? そのう……なんというか……猛獣的に。んで、ソイツをあのお嬢ちゃんはぜんぶ引き受けたわけで」
「だから?」
「……オマエ、自分の名前、一文字付け足すだけで、どうなるか知ってんのか?」
「あ?」
「抱枕トビスケベ」
「はあ?!」
「いやあ、オレだったらあの状態のオマエに、ぜったい敷居は跨がせねえ」
ぶっは、げっは、とさすがのオレもむせ返った。
「いや、ちょいまち。オマエこそだ、ゲンッ!! そんなオレをどうして、アイツのとこ放り込んだんだよ!」
「だって……しょーがねーだろ。ほかにもうあてなんざ、なかったしよ」
「あのなあ」
「まあ、よかったんじゃねえか? ぜんぜん嫌がってなかったじゃねーか」
「それとこれとは」
「だから、よかった。オマエ、得な属性だよ。一文字変わっても、トビスケベで済むんだから。豹変じゃなくて……ありゃ、こりゃまずかったか?」
オレたちの口論に巻き込まれたエリスが赤面したが、頭に血が昇っていたオレにはわからなかった。
「オマエ、このやろ、ゲン! 自分を棚にあげてなにいってんだ! フかしやがってッ!!」
「おい、やめろ、トビスケ! だから、あのな、ハンドルッ、ハンドルがッ、あぶねえ!」
「なーにがトビスケベだ! オメー、ひとのこと言う前に、自分の名前をもっかい読み直してみろッ!! 柔毛ダイスケ! 一文字付け足しゃ、柔毛ダイスケベだ! このケダモノフレンズめッ!! あったまきたぞ! だいたい、オメーらふたり、オレが正体なくしてる間の五日間、どこでなにしてたんだよ! あーもー、訊いてやるううう!!!」
オレは激怒した。
その分岐ルートはぜったいに聞きたださねばならぬと決意した。
だから、そうだ、ゲン。
こんどは、オマエが語れ。
※
そんなわけで、オレはいま、回想している。
ああ、すまねえ、オレだ、ゲンだ。
柔毛ダイスケ。
えー、まー、そのうだなあ。
じつのところ、オレはあの五日間でトビスケがどういう容体だったのか、ホントのとこは知らねえんだ。
ただまあ、なんというかあのムロキの嬢ちゃんの雰囲気を察しただけで。
んー? フかしたのかって?
まあそういうなって。
すこしはな?
ああでも言わなきゃトビスケのやつはそっちの選択肢を考えようともしやがらねえからな。
長いつきあいだ。
オレだって帰るところのあるヤツを戦場に引っ張ってくのは胸が痛むんだよ。
うるせーな。
でまあ、なんだったか。
そう、トビスケの言う空白の五日間だ。
正直なところ逃げ隠れするのはなかなか骨が折れたぜ。
いろんなところに奴ら、クッコローネの息はかかってやがるからな。
そんなわけで、オレは一計を案じたわけだ。
つまり、奴らが無意識にも見落としがちなエリアを五日間渡り歩いていた。
阿倍野バザールの西斜面側には南北を貫いて巨大な花街が存在してる。
こりゃあもう歴史的にみても由緒あるもんで、江戸時代の岡場所、といえばピンとくるヤツもいるんじゃねえかな。
ありていに言えば、ラブホ街だ。
……どーしてそこがクッコローネの連中の死角か、だと?
それを詳しく論ずるとマジにやばいんで勘弁して欲しいんだが、まあ、そのう、なんだ。
連中が抱いている女のコへの幻想を利用するというかなんというか。
だから、こう、その、な?
二次元に侵攻中の連中には、三次元は世界として認識しづらいという意識のエアポケットを逆手に取って、だな。
あーもー、カンベンしてくれッ!
これ以上はマズイッ!! いろいろマズイッ!!
とにかくオレとエリスはクッコローネの手を逃れるべくラブホの一室に……いた。
「すごいぞ、ゲンッ、これ、廻るぞッ!!」
「アー、エート、ソウデスネ」
「そして、なにか枕元にいろいろあるぞ! これはなんだ、お菓子か? フーセン?」
「ヤメテ」
「あ、なんだろう、このオモチャ箱というのは」
「オネガイダカラヤメテクダサイ」
……白状する。
実はオレもあんまり得意じゃないんだ、こういう店。
つまり、いわゆるラブホが、だ。
キャラが合わねえというかなんというか。
しかも、なんにも知らねえエルフ娘とだとか、キンチョーするんだよ。
ヘタレ?
じゃっかあしいわ! 押し倒すぞ!
「どうしたんだ、ゲン。固まったまま。スゴイ汗だぞ」
「ナンデモアリマセン」
「それにしてもオマエはすごいんだな。こんなお城みたいな場所に顔が利くだなんて。あれか? 騎士位とか持っているのか?」
無邪気に訊いてくるエリスにオレは答えられず、ハチ公の銅像みたく固まったまま廻り続ける回転ベッドの端に正座していた。
「んなもん……もってねーよ」
目をそらし、ようやくそれだけ言葉にできたオレにエリスが食い下がってきた。
「それなのにあんなに勇敢に戦った。オマエはすごい」
カンベンしてくれ。
トビスケ——どうもオマエを助けたあの夜から、エリスの距離感がおかしいんだ。
「なあ、あんた、エリス……ありゃあ、不可抗力ってやつでさ」
「戦場というのはヒトを試す。あの晩、オマエはわたしにひとり残れ、と言った。一緒に行くといったのに。いざとなったらひとりで逃げるんだぞ、と車のキーもサイフも全部渡してだ」
「いや、だからあのな、それはふつう」
「ふつうでは、ない」
オレの言い訳をエリスは完全にぶった切って続けた。
「敵の奇襲に窮地に立たされたトビスケを救いに、オマエは危険を顧みず飛び込んでいった。だれにでもできることではない」
「いや、だから、それはトビスケがオレの……相棒だからで」
「自分の命を賭けてもかまわないほどの相棒——と、そういう英雄めいたセリフは男ならだれでも言う。戦場を知らなければ簡単なものだ。だが、実際に、賭けるヤツは一〇〇〇人にひとりもいない」
「だいたい、あんた、見てねえだろうが、オレの戦いは——」
「見た。千里眼の魔法で。あの夜……おまえのおでこにしただろう……そのう、こう、チュ、っと」
そのとき、オレは両手で顔面を覆ってしまった。
思い出して赤面したのをエリスに見られるのがイヤで。
チキショウ、耳まで紅潮してきやがった!
たしかに、車から降りがけにされた。
ちょっとだ、ちょっとだけだぞ?!
「ま、魔法って、そんな便利なもんがあんなら!」
「こちらでのそれはひどく不安定なんだ。相手や条件をかなり選ぶらしい。わたしがオマエたちと逢った日のことを憶えているか? あれも召喚獣を呼び出そうとして——なぜかラリリリックマが」
「ラリリリックマ?」
「こっちの世界のぬいぐるみだろう……そのう、あの、なんというか印象的な感じが、だな」
ラリリリックマなら知っている。
間の抜けたというか、ちょっとダメな感じのクマのキャラクターとそのグッズ群だ。
たしかにそうだった。
あの夜、エリスは大小数百はあったろうかというそのぬいぐるみの群れの上に落下してきたのだ。
それが彼女を救った。
「呼び出しに失敗した揚げ句、魔力消費が激しすぎて……気を失ったんだ」
「そうだったのか」
あの日のエリスの姿が、忌まわしき股間の痛みとともに甦り、ヒュっとした。
「きっと……拾ってくれたのがオマエとトビスケでなければ……わたしはこうして笑っていられなかっただろうな」
「トビスケはああみえて、おひとよしだからな」
「オマエもだ、ゲン。その……ありがとう」
「やめろ。あのな、オレはアイツとはちがう。アイツは夢想家の理想家で、だからいまでも寝言師なんて虚業を続けてられる。だが、オレにはムリだ。ムリだった。だから——」
——だから、オレを良いヤツみたいに言うのはよせ。
なんにも知らねえくせに。
そう言いかけたオレの手をしなやかで小さな指がとらえたのは、そのときだった。
「寝言に被弾したトビスケを抱えて夜の雪道を走りながら、オマエはずっと名を呼び続けていた。泣きながら、だ。ウソを言ったもわかる。オマエの心は、騎士のものだ」
ずいっ、と身を乗り出したエリスを躱そうとして、オレはころん、とベッドに転がってしまう。
アレッ、ちょっとまって、これって、いやんあかんおかん!
ちょっと、まって、おおお、おかーんあかーん!!!
「そして、わたしを護ってくれたんだ。ゲン——」
ウッソマッジ?!
回転するベッドの上で思考が回転し、オレは現実をにわかには把握できなくなる。
だが、ドアが激しくノックされたのはそのときだった。
あー、そのう「おかーん」というのはオーサカでは「お母ちゃーん!」くらいの意味です。
一応注釈。