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■第十四夜やん:さよならは、すこし死にますか?

       ※

       

「オマエ……まだ、こんなもん持ってたのか」

 

 オレたちがバンパク公園に辿りつく数時間前のことだ。

 メイド服姿のムロキが差し出したトランクの中身を見て、オレは絶句した。

 

「すげえな、オイ、トビスケ。この墨、色がちがうぞ……」


 事情を知らないゲンが横で素直に賛嘆の声を上げる。

 ムリもない。

 コイツはいまオレたちが使っている間に合わせの練り炭とはワケが違う。

 当時の価格でも一本数万円から数十万。

 表に出回るまでうっかり十年は寝かせたシロモノだ。

 塗り重ねても下品な光沢を発しない。

 伸びがよく、だから掠れも美しい。

 そして、オレがこれを使ってたのはもうかれこれ十年以上むかし、キョートでのことだ。

 同梱されていた万年筆や毛筆も含め、いまはもう、オーサカではまずお目に掛かれない、最高の道具たち。

 

「コイツは……オレの昔の仕事道具じゃねえか」

「おさがりを、わたしが頂いたんです」

「……バッカ、おめえ、あのヨガリのヒヒ爺がそんなことを許すわけねえだろ」

「はい、じつは。こっそり、捨てるふりをして……」

「道理でな。この着流しも、むかしのオレのだろ」


 どうしてだ、とはオレは訊かなかった。

 

 寝言師としての才能に取り返しのつかない傷を負い、校正者となったムロキにとってコイツは無用の長物——いいや、むしろ過去の栄光の残滓として忌まわしい記憶を思い起こさせるモノに違いなかったはずだ。

 ふつうなら、焼き捨ててしまうくらいするだろう。

 そんなモノを後生大事に抱えてる理由。

 それを、オレは知っちまっていた。

 

「いつか、こうして、兄さんに手渡せる日が来ると思って……だから」


 訊きもしねえのに、ムロキやつが理由を述べた。

 オレは目だけを動かして、その瞳を見る。

 バンビみてーな目ェしやがって、オコサマが。

 

「ムロキ……道具の保管、あんがとな。コイツがあれば、ヤロジマンなんざ楽勝で蹴散らせる。だから……やっぱり、オメエはここに……」

「兄さん! ——兄さんはずるいですッ!」


 妹みてえなもんだと思っていた。

 だから、オレは正直、コイツが寝言師の資格を失うかわりに一命をとりとめたあの日、ホッとしたんだ。

 だって、そうだろ。

 だれが自分の妹や兄弟を、こんな裏稼業に染めたいと思う?

 ムロキを襲った事故は不幸だった。

 だが、それによって起こった変化はむしろ、しあわせだったんじゃねえか、とオレは思っていた。

 なにより、オレが安堵したのは……寝言師稼業についてまわる後ろ暗い世界を、アイツが見ないで済む……いや、正直に言う。

 そうやって世界に毒を流し込まれて変わっていくアイツを見たくなかったオレにとって、しあわせだったのだ、と。

 

 だからいま、どういう巡り合わせか廻ってきたヤバいヤマに、どうしてもコイツを引っ張り込みたくなかったんだ。

 それを、ズルイ、とムロキは喝破した。

 

「また、わたしだけおいてけぼりですかッ!? 言ったじゃないですか! わたしだってヒトの肉で焼き肉食べたいですッ!!」


 シーンに挿入された誤字の破壊力に、ちょびっとだけ鼻水が出たが、今日のオレはその程度ではキャラを崩されないくらいには、シリアスだった。


「あぶねーんだ、ムロキ……わかるだろ?」

「わかってますよ! だって、だって、兄さん、死にかけたじゃないですか!」

「だからだ。オレでも意味消失しかけたような戦場にオマエを連れてはいけない。だいたい、オマエ、寝言どころか寝言銃ネミー・ガンも使えねえだろ? 戦力外の女を連れ回せるような場所じゃねーんだよ」

「だって、だって——五時と誤字は呉汁でしょッ?! ズルイです!!」

「スマネエ、マジ、なにいってんだかわからねえ……」


 そんなオレに、だからッ、とムロキが切れた。

 

「兄さんは、知ってるはずです! 見たんだから! わたしの中身を全部! ココロを全部ッ!! だってそうでしょ? あの日、世界線上のエイプリルフールの日、わたしに突き立った寝言や誤字を危険を承知で必死に取り除いてくれたの——兄さんじゃないですかッ!」

「んなむかしのことは、もう忘れた」


 オレはハンフリーボガートに援軍を頼むべく、卓上の両切りタバコ:ショートショートの青箱を掴もうとした。

 だが、それをかっさらったヤツがいる。

 ゲンだった。

 

「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない——レイモンド・チャンドラー」


 馴れた手つきで一本くわえると、火をつけ、ふー、と紫煙を吹いて見せた。

 

「ゲン、オレにも一本」

「灰皿がねえから、取ってくるわ」


 オレの要求を完全に無視して、ゲンは立ち上がると、すたすたと土間のほうへ歩いていった。

 どういう風の吹き回しか、エリスまであとをついてくじゃねえか。

 さらにそのうしろを、ムロキの同居人(?)にして寝言を喰うヒツジ:マホソ=サンがついていく。

 ちなみに、オレから摘出された寝言は全部、マホソ=サンが食べてくれたらしい。

 詳しくは省略する。

 

「オイ、タバコ、置いてけ」

「トビスケ——さよならをいうのは、すこし死ぬことだ、ぜ?」


 長いお別れからの引用文で、オレを煙に巻いたゲンとエリスが立ち去ると、居間にはオレとムロキと居心地の悪い空気だけが残った。

 

 その空気を持て余したオレの口から、生理反応的な声が出た。

 つまり、ウソが。

 

「すまねえ……ホントに忘れちまったんだよ」

「兄さんが忘れても、わたしは忘れません。ついこないだですから——兄さんの中身を、わたしも見ましたから」


 どういうふうに思われてるのか。

 いいえ、どんなふうに想ってもらってるのか、わたし、ぜんぶ知りましたから。

 うつむいて言うムロキに、オレが言えたのはこれだけだった。

 

「なら、なおさらだ——ここにいてくれ」


 オレの本音がどんなものだったのか、じつのところオレには興味がない。

 ただ、なんでもいい。

 コイツを戦場に連れてかずに済むのなら。

 ズルイと言うなら言え。

 それが寝言師の戦い方であり、矜持だ。

 

「ヤです」


 予想通り、食い下がってきた。

 説得は、ムリか。

 オレは思案するふりをした。

 それから、折れて見せた。

 口先だけ。

 ふー、と気の利いた前座をつとめる役者のように、ため息が出た。

 それからオレは言った。

 降参だ、と。

 

「しょーがねー。わかったよ、ムロキ、オマエの勝ちだ——準備を手伝え」


 そうして、オレはムロキを助手にヤロジマンどもを蹴散らすための言弾ことだまとその他の装備一式を急造したのだ。

 目的地も、バンパク公園、太陽の塔と定めた。

 

「デカイトランクだな——ムロキ」


 またちらつきはじめた雪のなか、メイド服のままムロキが自分の装備を引きずって表に現れた。

 オレたちの方はすでに荷物を積み込み、ゲンは運転席に、エリスは後部座席で毛布をかぶって待機中だ。

 アイドリング中のマフラーから蒸気めいて排気煙が上がる。

 スタッドレスなんて結構な装備はないから、チェーンがタイヤに巻かれている。

 しってっか、若いの?

 雪道走るのに、チェーン巻いてたんだぞ、昔は。

 

「……って、ムロキのお譲ちゃんよ。メイド服では戦えねえぞ。それはドンパチやるための装備じゃねえ。山登るつもりで着替えてこいよ。まっててやっから! トビスケ、荷物だけ上に載せちまえ!」


 ゲンがムロキのなりを見て言った。

 たぶん、そのときオレと交わした一瞬のアイコンタクトの意味は、エリスにも、もちろん、ムロキにもわからなかった。

 オレは手早くムロキのトランクを車体上部に増設したラックに固定して布で保護した。

 その様子に安心したのだろう、ムロキは邸内に取って返す。

 

 ——オレは助手席に乗り込む。

 

「いいのか」

 ゲンが訊いてきた。 

「ああ。出してくれ」


 そして、オレの答えと同時に、車をスタートさせた。

 慌てふためいた様子でムロキが表に跳び出してきた姿が、バックミラー越しに遠く見えた。

 着替えの途中だったのだろう。

 なんというか、かなりキワドイ格好で飛び跳ねる。

 

「コラーッ!! 兄さん——この、トビスケーッ! もどってこーい! ひどんいッ!! 拘束土下座しろーッ!!」


 なにやら激しい罵倒というか、誤字で叫んでいたが、オレはもう聞いていなかった。

 

「置いて……いくのか?」

「ドンパチやらかす現場に、妹つれてく兄貴はいない」

 訊いてきたエリスに、オレは冷たく返す。

「だが、ありゃ地の果てまで追っかけてくるタイプだぞ……足さえ手配したら、追いついて来そうな……」


 ゲンの心配はもうちょい現実的だ。

 

「だいじょうぶだ、ゲン」

「どーしてそう言いきれる。オマエの妹分だぞ……」

「それはあれか、オレが蛇みたいに執念深いってはなしか?」

「いや、そうはいわねえが……思い込むと一直線に障害を爆破してススムタイプだぞ、ありゃ」

「だから、大丈夫だ。今回は、絶対にな」

「なんで言い切れるんだよ」

「だってアイツ……太陽の塔、北九州にあるって思ってるもん」


 ぐらっ、と車体が一瞬蛇行した。

 ゲンがあまりのことにハンドルを誤りかけたのだ。

 

「オマエ……それ、ウッソだろ?」


 真顔で訊くゲンに、オレは無言で返した。

 ムロキの世界は、不思議で出来ている。



 

 そして、オレたちは知らない。

 半裸で雪の路上に跳び出し、悪態を吐きながら飛び跳ねるムロキの背後に、骨董品だがたしかに軍用の車両が二台、止まったのを。

 

 たぶん、数十秒の時間差。

 

 それがオレたちの運命を分けたんだ。








今回のカッコいいセリフ、もちろん、レイモンド・チャンドラー作品からの引用です。


えと、その、当然の礼儀として明記させていただきました。

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