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■第十二夜やん:Sunny Side Up(半熟くらいでゆるしてくれ)

 

 まず、ピッグカツはあらかじめ軽く炙っておく。

 このとき、遠火でするのと頻繁にひっくり返すのがコツだ。

 

 ああ、ピッグカツというのはいくつか現存するカード型食品のなかで、おそらくその食べごたえと満足度において最上位に位置する——まあ、いうなれば酒のアテ系駄菓子の最高峰、その一翼を担う人気商品だ。

「カバヤキマンタロウ」「チンタラしてんじゃねーよ」に代表されるカード型食品の多くがそうであるように、ピッグ・・・カツと商品名に「ピッグ」が入っているにも関わらず、豚に由来する成分はひとつまみも使われていない。


 さて、炙り終えたカツは短冊に刻んで、しばし、出番をまってもらう。


 七輪にを雪平(鍋)を据え、そこに水を適量。

 ぐらぐらにしてから、顆粒のインスタント出汁を加える。

 ホントは酒を入れれば味に厚みも増すんだが、オーサカにあって、酒を調理に使うのはかなり豪勢な話だ。

 砂糖、醤油を流し込み、ちょっと濃いめのベースを作ったら、ネギのヤツをたっぷりいれて、さっと煮る。

 ベース地を濃いめの少なめにしてんのは、あんまり水っぽいと煮詰めるのに時間が掛かりすぎるからだ。

 いい感じに煮えてきたところで先ほどのピッグカツを投入。

 溶き卵を丁寧に菜箸さいばし伝わせて落としてやれば——麗しのピッグカツ丼の完成だ。

 

「うぉーい、あがったぞ」


 七輪の吸気口を閉め、土間から座敷へと戻ったオレの眼前には——いったいいつ以来だろうか——まっとうな食卓らしきものが広がっていた。

 といっても、ジャガイモとほうれん草のおみおつけに、お新香、そこにピッグカツ丼というだけの、いわば一汁一菜なんだが、それでもオレにとってはかなり上等な食事風景だとは言っておく。

 

「おめえ、トビスケ……なんだか、着流しが似あうなあ。昭和の男ってかんじ」

「うるせえよ」


 ゲンのヤツが余計な茶々を入れてくる。

 

「つまらねえこと言ってないで食えよ。ハードボイルドになっちまうぞ」

「うーす、ほんじゃま、いただきまーす」

「お新香とおみおつけは、おかわりたくさんありますから、言ってください」


 ゲンのヤツがエリスにピッグカツ丼をよそってやっているのを横目に、オレはムロキが差し出してくれた味噌汁を手に取った。

 とたんに、ぶるっ、と細かい震えが走って椀を取り落としそうになる。


「兄さん?」

「だいじょうぶだ。長いこと寝てたらしいな。まだ勘が戻ってねえ」


 ムロキの話によれば、オレは五日ばかり向こうとこっちの境界線上をうろうろしていたらしい。

 裏稼業に生きる寝言師の最期としては、そんな話を聞かなかったかといえばそうでもないが、実際に自分が片足突っ込んでみると、なんともぞっとしねえ話だ。

 ゲンのヤツが倒れておかしくなったオレを担いで駆け込んだのがコイツのところでなかったら、たぶん、オレは完全に向こう側の住人になっちまっていただろう。

 

 そう——ムロキはオレたちの業界では密かに名の知れた校正者だった。

 

 ああ、もちろん、かつてまだ異世界が衝突してくる以前の世界で成立していた校正者さんという職業とは、違う。

 オレたちが校正者、という単語を使うとき、それは正確には寝言校正者を意味していて、つまりそれは、寝言や誤字に侵食された対象からそれを取り除いて治療する能力者を意味している。

 簡易なものであったり、こないだエリスにオレが言弾ことだまを撃ちこんで正気に戻したように、いささか強引な方法での治療という意味でなら、オレたち寝言師もやる。

 だが、ものには限度がある。

 つまるところオレたちに出来ることは、寝言や誤字といった物語テクストに侵食された対象を「上書き」することにほかならないのだ。

 時間経過とともに寝言は効力を減衰させていくが、効果時間が切れたとき、対象が元の人格でいられるかどうかはわからない。

 寝言の引き起こした影響が、たとえば社会的立場に直結していたりすれば、その環境の変化が引き起こす事態が、対象の人格を変えてしまうことはよくあることだ。

 貧すれば鈍す、ということわざが示すように、人格はその人間本人だけによって担保されているものではない。

 彼・彼女を取り巻く環境もあって、はじめてその人格は保たれているのだ。

 逆に、一夜にして権力を手中にした人間が豹変することもよくある。


 それらの変化すべてが寝言によるものかどうかは、断言できないが——元の人格をそのまま取り戻す、というのは、オレたちが行う言論闘争にあってはかなり難しい。


 だが、校正者たちのそれは、違う。

 彼ら彼女らは、撃ち込まれたり流し込まれた寝言や誤字——つまり、まちがいを見つけ、慎重にひとつずつ患者の肉体から取り除いていく。

 原理としては、オレたちも使うあのプルフリッヒの眼鏡のような理屈でまちがいを見つけ出しては、除去するという作業だ。


 そして、その校正者の職能において、ムロキはオレの知る限り、当代最高の《ちから》を持っていた。

 あの日、ノーミソに突き立ち言語野を侵食した誤字の破片は、彼女にこの世にあるすべての誤字と寝言に侵食された存在を一瞬で見分ける才能ギフトを与えたのだ。

 

 現代最強の校正者。

 それがムロキだった。

 

 そして、その女はいま、オレの真横でかいがいしく味噌汁なんか注いだりしてしまっている。

 なぜか、ヴィクトリア朝時代のメイド服などを着込んで。

 

「なあ……ムロキ……なんで、メイド服なんだ?」

「えっ、いや、だって——兄さん、メイド服、お好きでしたよ……ね」


 がぶっ、とオレは味噌汁を吹きそうになった。

 そんな話を、オレはオマエにしたことはない!

 ない……はずだ。

 

「なんで知ってんだッ?!」

「えっ、いやっ、だってっ」


 しどろもどろになるムロキの態度に、オレは可能性を洗い出し、それから青ざめた。

 たしかに、コイツが誤字まみれになって向こうとこっちを彷徨ってたとき、それから、体調が回復するまでの数ヶ月——オレは、コイツを自宅に泊めた。

 泊めたが——。

 

「あー、アレじゃね? オマエ秘蔵のコレクション……」


 正解に思い当たったからといって、口走っていいことじゃねえぞ、ゲンッ!!

 オレは叫ぶわけにもいかず、血走った目でゲンを睨みつけた。

 ゲンのヤツは、わざとゆっくりピッグカツ丼を咀嚼そしゃくして見せた。

 その横で、エリスが意味がわからないという顔をしている。


「読んだのッ?! 見たのッ?!」

「アッ、ハイ!」


 おわああああああああ、と現世への帰還早々のたうち回るオレを横目に、ムロキは恐縮し、ゲンは笑い転げ、エリスはますます困惑の度を深めるという絵面が展開した。

 

「あぶねーだろがッ!! あ、あ、あんなの、読んで、影響されたら! どうするんだ、ムロキッ!!」

「……いえ、たいへん興味深く、ガッツリ楽しませてもらいましたですハイ」

「そーでわない、そーでわなくてだな! ……だいたいオマエ、あんときまだ、未成年だったよね?!」

「実戦的教本——ほんとうの戦いについて学びました。ハイ」


 オレはめまいがして、ぱたり、と横になった。

 

「ガッハッハッ、まーいーんじゃねえのか。もうイロイロ時効だろ、トビスケ。しっかし、あれだなあ、妹分に秘本的書物を読まれちまうとは」

「じつに、じつに、有意義な学習時間でありました。ハイ」

「アイツん家、いろんなとこに書籍が隠れてるからなあ。探すの面白かったろ?」

「かなりガッツリ読んでしまいました。かなり」

「ゲン、わたしに教えてくれ。その秘本というのはアレか、なんだか秘術的な意味での奥義書の類いか」

「あーまー、そーだなあー」

「ある意味で、非常に奥義書でした。ハイ。あの領域に達したとき、きっと兄さんは——」

「あー、そんで着てんのか、メイド服——」


「ゔわ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああー、もうオマエら、やめろーッ!!!」


 雄叫びとともに放たれたオレのちゃぶ台返しは、しかし、三人の息のぴったりと合ったコンビネーションプレイにより、完全に空を切った。


「……ほんで、さ。どーしてオマエら、そんなに仲いいんだヨ」


 オレは完全に人間不信になった。

 

 だってそうだろ。

 あの雪の日、エルフを拾ったことにはじまり、寒さに震えながら女体を担いで逃走し、ゲンに襲いかかる雌豹化したエルフ娘をマッパで鎮圧し、秘蔵の姫騎士陥落モノのコレクションについてあばかれ、ゲンの二次元嫁衣装に関する片棒を担がされ、雪降りしきる自宅で同人のプロたちによる襲撃を受け、寝言の破片を大量に浴びて、生死の境目を彷徨った揚げ句に、妹分に性癖を研究されていたことが明らかになった。

 

 ……もしかして、ムロキ、オマエ、姫騎士陥落モノまで読んでねえーよな?

 

「ハイッ? いえ、ですからそれは……」


 オレの心の声など、どこ吹く風。

 ムロキはどうして、ゲンとこれほど気軽に話せるのか、について答えた。

 

 ちなみにだが、ゲンのやつは簡単にヒトに心を開くタイプではない。

 元寝言師として、当然のようにネゴシエーションは苦手ではないが、表立ってそのスキルを披露したがりはしないほうだ。

 いっぽうで、ムロキはといえば……極端なひとみしりでよほどでない限り、こんな風に相手を受け入れたりしない。

 まあ、それはオレたちみたいな裏稼業には必須の条件なんだが……。

 

 だいいち、オレはこのふたりを対面させたことがない。

 ムロキが、あるいはゲンが、個人で繋がりを持つことまでに言及するほど公私混同しているつもりはないが、オレとしては、コイツの人生にはもうできるかぎり関わらないでいるつもりだったからだ。

 

「それなのに……なんで、オマエらが結託してんだ?」

「だって……あの日、兄さんがここに担ぎ込まれた日——」

「ヲイヲイ、それをいうのか?! ちょっと、」


 味噌汁を飲んでたゲンが、ハシでムロキを指しながら食い下がった。

 コイツがこういう不作法をするのは、珍しい。

 

「——このヒト、すごく泣いてました。助けてくれッ、トビスケのヤツを、助けてくれッ! って——」


 だから。

 とムロキは言った。

 

 まったく女って生きものは、これだから困る。

 

 オレになにが言えたろう。

 せいぜいできたのは、あらぬ方向を睨んで、茶を啜ることぐらいだった。

 




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