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■第十一夜やん:ものやおもふと


         ※


 しのびだぞ、いろいろでてるんだな、めちゃこいわ。

 

 はあ? とオレは思った。

 なんかあれか、忍者が出て殺す関係のキャッチコピーか?

 唐突にこんな言葉を聞かされたら、だれだってそう思うだろう?

 耳のなかで、なんだかへんな音がしやがる。

 なにが起こっているのか、さっぱりわからねえ。

 そう思ってたそばから、またさっきのヤツがリフレインした。

 

 ぶれびれぞ、ちがでちゃった、はがーこいや。


 似ているようで、違っていた。

 いったい、オマエはなにを言ってんだ?

 オレはオレの耳のなかでささやくソイツにツッこんだ。

 

 起き上がり問い正したくてたまらねえが、なぜだかカラダがうごかねえ。

 はがー、つったら、どっかの市長しか思い浮かばねえぞ、暴力都市の。

 ちりり、かりり、と耳のなかでその声が鳴るたびに、ガラスの破片同士がこすれるような音がする。

 

 ないしょだぞ、ちちがでちゃった、すぐこいや。


 あー、なんだか具体的さは増してきたけれど。

 確実に間違ってんな、コレ。

 真っ暗闇のなか、言葉がカタチを成すたびにちりちりと燐光が視界を舞う。

 なるほど、どーもコイツは、言語野をやられてんだな、寝言に。

 すぐにもそう結論できたのは、きっとオレがそれに深く携わる職業=寝言師だったせいだ。

 それとも、肉体の大半を誤字に侵食されちまったムロキを、長いこと治療していたせいなのか。

 外部からの情報が内面に届くとき、突き立ったデタラメに異化した寝言が、解釈をねじ曲げちまってるんだ。

 

 同じような試みを、オレも試したからよくわかる。

 

 頭に空いちまったドデカイ穴に、言葉を放り込んでそれに対する反応で、相手の状態を計ったり、自律的回復を促すってヤツだ。

 なにしろ、ノーミソってやつは外部刺激から極端に遮断されると、あっというまにパラノイアになっちまうんだ。

 これはそれを防ぐと同時に、対象に言葉の意味をキチンと収束させるという手技だ。

 そして、こんな治療法を試されてるやつってのは——たいがい重症——つまり、もう後がない状態だってことだ。

 

 よく知ってるな、って?

 ハハハッ、オレだって一回しか試したことねえよ。

 あぶねーンだ、この技法はさ。

 いや、呼びかける側がな。

 

 寝言と話しちゃいけない、ってこのくにの伝わる古い戒めのことを、アンタら知ってるか?

 寝言とはむこう側の言葉だから、それと会話をするとむこうへと連れていかれてしまうよ、というそれは意味だ。

 むこう、というのは……ああ、ええと、あの世、とか幽世かくりょと昔は呼ばれてた。

 そして、異世界あっちが実在のものだとムリヤリ証明してきた現代にあっても、それは変わらねえ。


 あんまり声を大にして言いたくはねえんだが、頭のおかしさは、伝染する。


 おかしいヤツと話をし続けていると、いつのまにか話し相手になってたソイツも、おかしくなる。

 わかってる、人権団体の皆さん、あるいは良識派の皆さん、アンタ方が言いてえことはよくわかってんだ。

 ただな、現実の職業として「寝言」を生業にしてきたニンゲンとしては、その「現実」を認めるところからしかはじまらねえんだ、ってことだ。

 何度もムロキに呼びかけて——危ない橋を渡ったオレが言うんだ。

 まちがいない。


 寝言の破片、重度の誤字に侵された相手からの返答は、同じように聴くものをおかしくする。

 

 だから、オレはこの無謀な試みを続けているヤツに、言ってやりたかった。

 あぶねーぞ、と。

 もう、やめとけ、と。

 ソイツはもうたすからねーぞ、と。

 

 だが、呼びかけてるヤツときたら、やめねーんだ。

 

 しるまみれ、いろがえっちだ、わなこれわ。

 

 ぶはは、とさすがの誤変換にオレも笑った。

 命知らずなヤツもいたもんだ。

 どーしてそれほど助けたいんだか。

 

 だが、さすがに四度も繰り返されたらバカでもわかる。

 こりゃあ、和歌だ。

 だれでも知ってる有名なヤツじゃねーか。

 

 だから、オレは返してやった。

 

 もうなオーノーと、ヒトのトーフまで。

 

 口走ってから、爆笑した。

 まちがえてるまちがえてる、オレも間違えてんじゃねーかよ。

 そーじゃねーだろ!

 

 もういもうとだろ、ひとのうそまで。

 

 だが、正しく言い直したつもりの言葉が間違っていたのを聞いたとき、オレはようやく悟ったんだ。

 

 ちがう。

 だれか、がおかしくなってんじゃねえ。

 こりゃオレだ、オレがおかしくなってんだ。

 

 ぽたぽたぽたっ、と熱くて大粒の雨が、真っ暗闇のなか、オレの頬に落ちかかって来やがった。

 それらは集まり、滴となってオレの口に入り込んだ。


 なんだったか、ドイツの水の精霊で、自分を裏切った男に泣きながら口づけして殺しちまうヤツの話があったよな?

 その男は、目に入った彼女の涙を「甘い」と感じながら死ぬんだ。

 だが、いま、オレが飲んだそれは、塩辛かった。

 それでわかった。

 こりゃ、涙だ。

 ニンゲンの。

 

 それでかどうだか、わからない。

 もうちょっと生きてみようか、と思ったんだ。

 

 あー、そんなもんじゃねえか、ニンゲンが生き死にを決めるときって。

 

 だれが泣いてくれてんのか、確かめたいと思ったのさ。

 ちりり、かりり、とまたあの音がした。

 

 これはだれかが、オレのなかから、寝言を取り除いてくれてる音だ。

 慎重に、丁寧に、やさしく。

 

 それからまた声がした。

 

 しぬほどに、いろがでにけり、わがこーひーは。

 

 わかった、わかったよ。

 つまり、オレに、オマエがだれなのか当ててみろってんだろ?

 ニンゲンが考えるあしだってーんなら——考えることを、意志を放棄するなってーんだろ?

 戻ってこいよ、てんだろ?


 だからオレは答えてやったんだ。

 これが返歌だ、って。

 

「ものやおもふと、ひとのとふまで」


         ※


 そのつぶやきが、最初だれのものなのか、オレにはわからなかった。

「ものやおもふと、ひとのとふまで……兄さん、お帰りなさい」

 そう言ってだれかが、オレを抱きすくめるまで。

 

 ゴーゴーゴーの豚まんを食べたこと、あるか?

 ふかっとして、もちっとして、弾力のある、それでいてしつこく口中に残ったりはしない独特の生地に、玉ネギの甘みと、わざわざダイス状にカットされた豚肉の旨味が凝縮された、ま、一種の傑作だ。

 たっぷりついてくるカラシはそんだけ塗ったくっても、旨味と甘みがスゲーから問題ねーよ、という自負だとオレは捉えている。

 裏側に貼り付けられた薄い松材の経木をはがし(お店では「ざぶとん」と呼んでいた)、醤油を一、二滴垂らしてからかぶりつくのがオレのフェイバリットだった。

 

 あー、ちなみにだがなぜ「肉まん」ではなく「豚まん」なのか、という説明をカンサイ文化圏以外の方々に注釈垂れとくと、だな。

 こっちじゃあ「肉」とはすなわち「牛」のことなんだ。

 だから、わざわざ間違いのないように「豚まん」と呼んでいる。

 ちなみにだが、二種類あるシューマイも傑作だから、まあ、食べてみてくれ。

 っと、いや、それはムリな話か。

 

 ゴーゴーゴーは、もう、ない。

 九年前のあの日失われた、なんというか、オレたちの記憶のなかにだけ存在する、幻の味だ。

 それによく似た物体がふたつ。

 オレの頭部と顔面を押し包んだ。

 

 オーケー、状況を整理しよう。

 

 オレはどうやら寝言の破片を大量に浴び、昏倒。

 それをだれかが、非常な危険を覚悟で治療。

 その献身的な努力が身を結び、オレは現世こっちに帰還。

 その直後、感動に我を忘れた豚まん所持者が、禁断のハグを敢行。←イマココ。

 

 もちろん、それがだれか、などとはオレだってもうわかってんだ。

 

「マテ、マテ、ムロキ! 死ぬ、これ以上は、し、死ぬる。オマエ、これはマズイぞ」

「兄さん! 兄さん! 兄さん!」


 オレは豚まんに溺れながらなんとか現状を把握しようと努力した。

 だが、激情に翻弄されるムロキの即死属性付きハグはとどまるところをしらない!

 

「マテッ、ちょっ、おまっ、マジでマテッ! 死ぬる死ぬる、これは、死ぬるッ!!」


 正直なことを言うと、オレはコイツを避けてきた。

 だってそうだろ。

 あの日、コイツがオーサカにいたのはオレのせいで。

 寝言師としての才能と未来を、めちゃくちゃにされたのも、やっぱりオレのせいで。

 

 なんというか……オレにだって負い目を感じる心くらいは、まだ残っていて。

 それが前後不覚からの覚醒からのこれは、いかにも、マズイ。

 

「あのな、ムロキッ! まちがえてる、まちがえてんぞ! いいか。ものやおもふと、ってーのは“なにか考えてますか?”って意味じゃねえ。たしかに字面だけ追えばそうだが、意味をちゃんと追うと“恋煩いですか?”って意味だッ!!」


 パキンッ、と音を立ててムロキが動きを止めた。

 よしよし、そうだそれでいい。

 昔からコイツはそうだった。

 トンでもねー才能の持ち主のクセしやがって、どこか抜けてやがる。

 

 おおよそ、さっきの問答に、平兼盛たいらのかねもりの歌を使ったのだって下の句の「ものやおもふと、ひとのとふまで」ってところを「おいオマエ、考えてんのか?」とかいうふうに、かってに解釈したからに違いない。

 そうだろ?

 

 さーて、とオレは豚まん山嶺になかば埋もれた限られた視界のなかで、考える。

 この状況を脱するための、次なる手を、だ。

 

「あのな、ムロキよ……あと、オマエ、この診療所……こういうサービスをだれにでもしてんのか?」


 この効果は劇的だった。

 ばっ、と抱擁が解かれ、即座にオレはタタミに落とされた。

 ドンッ、と音がするほど勢いよく。

 ムロキが立ち上がり、くるり、とオレに背を向けたからだ。

 

 オレは、のびたまま、動かない。

 ただ、深く息をつく。

 

 生きのびた。

 まだ、こっちにしがみつくくらいの未練は残ってたらしい。

 還ってこれた。

 そこは、ムロキに一杯おごりだ。

 

「こんちわーっす。あー、トビスケのヤツは……どうなったんだろか?」


 玄関から間の抜けたゲンの、しかし、どこか遠慮がちな声が聞こえてきた。

 




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