■第十夜やん:室姫は来る(まちがいの側から)
人間は死ぬ間際に、走馬灯を見るという。
オレは走馬灯という字面を目の前にすると、どっちかというとSM関係のなにかを想像してしまうんだが……これは余談だ。
ともかく、人間のアタマというのはふしぎなもので、死に至るつかのまの間に、さまざまな過去の記憶がフラッシュバックするのだそうだ。
それはもしかしたら死を察知した肉体が、もっとも強い想い出——原風景を思い起こさせているのかもしれない。
そこに生への執着を見出すか、死出へのたむけを見出すかは、ヒトしだいだろうが。
だとしたらオレがいま見ているそれも、たぶん、同じ種類のものなのだろう。
柴ムロキ、という女の話をしよう。
ムロキ、というのはオレたちの間の略称というか略字で「室姫」というのが、正確だ。
いかにも箱入り娘って感じの名前だろ?
ヨガリのジジイが、数年ぶりに弟子をとるってんで、オレを呼びつけたのは、もうかれこれ十年以上前のことだ。
当時のオレは京都をねぐらに、寝言師稼業にいそしんでた。
たしかに、ずいぶん、悪いこともした。
ああ、ヨガリ、ってのはオレの師匠だったジジイのことだ。
夜狩、これでヨガリって読む。
ウソかホントか知らねえが、平安京の夜の治安、それも怪物相手のスペシャリスト集団:夜狩省ってーのの血筋だそうで。
オレを見出し、寝言師に仕立てたのも、コイツだ。
たぶん、まだ生きてるとは思うが、とにかくオレは破門された身なんで、そのへんはしらねえ。
そして、まだオレがギリギリ、ジジイの弟子として認められてた時代にムロキは弟子入りしてきた。
たしか、十歳にもなってなかったはずだ。
戸籍上はジジイの養女ってことだが、あのヒヒジジイのことだから、どんな悪どい手を使ったのかは、わかったもんじゃない。
色白で人見知り、どこか陰のあるムロキの表情が、そのへんの事情を物語っていた。
当時の寝言師たちは主に政府関係や財政界と繋がりの深い、それも裏方の仕事を請け負っていた。
特にヨガリの一派はその傾向が顕著だった。
まあようするに、表ざたにできない後ろ暗い仕事が、オレたちのシノギだったってことだ。
世論操作のためのシンクタンクなんて可愛いほうで、証拠やスキャンダルのもみ消しから、ダイレクトに対象の洗脳操作、みたいなことまでやる。
自分だけは「寝言」なんぞに操られたりしない、という連中があふれ返る世界のなかで、ほんとうに抵抗不可能な「寝言」を扱う集団が、どれほど恐ろしいか……アンタらわかるか?
でまあ、数年後にオレはジジイに破門を喰らい、ヨガリを抜けたわけだが……どこでどうオレの消息を突き止めたのか——義務教育を卒業したムロキは、オレを訪ねてくるようになった。
兄さん、というのはオレたちの稼業では兄弟子、という意味を持つ。
ムロキのヤツは、京都時代からオレをそう呼んでは、やたら懐いてきた。
ジジイのやつが「この娘のなかには、オマエとおなじもんが、おる。めんどうをみてやれ」と、オレに教育係を押しつけやがったせいもある。
オレのこしらえる鳥土手……鳥のもも肉を白みそでとろとろになるまで煮込んだヤツがお気に入りで、土鍋イッパイのそれを頬張る姿を、たしかにオレも忘れてねえ。
人見知りのくせに食欲にまけて、おかわりを催促しようともじもじするムロキは、妹弟子というよりは、オレにとっては小動物を見ているようだった。
いいから食えよ、と許せば、土鍋の底に穴を開ける勢いで食べはじめるのだけは、猛獣めいていたが。
いや、それこそが、本当のアイツだったのかもしれない。
寝言のイロハを仕込むようになって、たしかにジジイの見立ては間違ってねえ、とわかった。
闇だ。
どーしよーもなく、暗い、救いがたい闇が、コイツのなかには、いる。
巣くっている。
そして、それこそが寝言師と普通の物書きさんを分けるボーダーラインだった。
ダークなシナリオを得意とする、とか、そういう表面的な薄っぺらい特徴のことじゃあねえぞ。
技術的なことでも、むろん、ない。
そいつを心の奥底に住まわせているかどうか、はきっと生い立ちや生き方の問題だ。
とんでもねーのを拾ってきたな、というのが数年間だが、相手を務めたオレの感想だった。
でまあ、そのうちオレはジジイと揉めて破門に。
それで、ムロキやつも、よせばいいのにオレの住まいを突き止めて訪ねてくるようになった、って話は、したよな?
思えば、あのとき、最初のとき、もっときつく拒絶していれば——アイツはあんなふうにならずに済んだんだ。
そう、九年前の、異世界がオレたちの現実に追突したあの日、ムロキは爆心地のすぐ近くで、破片を浴びた。
そして、寝言師としての才能を——失った。
以前に「寝言とはまちがいの一種なんだ」と話したことがあったと思う。
今日はもうちょっとだけ詳しい話をしよう。
それは、まちがい、についてだ。
まちがい、には大別するとふたつの種類がある。
ひとつは、コントロールされたまちがい。
たとえば、オレたちの使う「寝言」はその最たるものだ。
断片だろうとなんだろうと、統御・統制されたまちがいである寝言は、その効果対象をキチンと結末に導く。
もうひとつは、コントロール不可能なまちがい。
たとえば、文字列がバラバラになったり、一部が意味消失を起こして、断裂してしまった物語の破片とかはその範疇に入る。
いや、ちょいまち。
もっと分かりやすい例があった。
それは「誤字」だ。
オレたち寝言師が扱う教本のひとつ「誤字禄」の編纂者:不埒名エクビ、はその著書のなかでこう述べている。
「物語化という作業を、意識による無意識への侵略と定義づけるのであれば、誤字とは、その意識に対する無意識からの逆襲である」と。
なるほど深い、とオレは思う。
物語化というものは、オレたちの周囲を取り巻く無秩序でランダムな現実を理解可能、さらには伝達可能なものにしようとする行為だ。
であるならば、そこに差し挟まる「誤字」とは安易な物語化に対する、現実からの逆襲なのではないか、とエクビは言うのだ。
まあ、要するに「誤字」というのはそれくらい制御不可能で、突発的に現れ、オレたちの理解や歩み寄りを根底から破壊するものだ、ということだ。
そして、世界線上のエイプリルフール、ムロキに降り注ぎ突き立った異世界の破片は——アイツを「誤字」にした。
強引に食事に呼び出されたオレがその場に居合わせなかったのは、たまさか、季節外れにも降った大雪で、電車のダイヤが大幅に遅れていたせいだ。
そして、三十分遅れを取り戻すべく全速力で駆けつけたオレの目の前には——誤字に侵食され、どす黒い中身をぶちまけて倒れている、アイツの姿があった。
もちろん、オレは駆け寄ると、声を限りに呼んだ。
妹弟子だった。
オレとおなじものを腹に呑んでいる娘だった。
たすけたかった。
なぜなら、アイツは自分がイチバンキツイとき、だれにも助けてもらえなかった——オレ自身、そのものだったからだ。
気がつけばオレは、アイツのカラダからひとつひとつ、誤字を取り除きはじめていた。
それが功を奏したことだけは間違いない。
ムロキは一命をとりとめた。
人間は物語の織物だ、と言ったのがだれだったか、もうオレには思い出せない。
だが、とにかく、ムロキという物語が誤字に侵されて意味消失するのだけは、なんとかオレは防ぐことができた。
けれど……あまりに深すぎて、最後のひとつだけは取り出せなかった。
アタマの奥の奥、深奥に突き立った、ソレだけは。
そして、アイツは寝言師として、イチバン大事な《ちから》を失った。
誤字が——アイツの言語野を侵食していたんだ。
こんな話で伝わるかどうか、わからないんだが、過去にあった事件の話をしよう。
例の大事件から一年後の、ハロウィンの晩のことだ。
ムロキは回復し、職を見つけ、オーサカに暮らしはじめた。
オレはというと、ムロキの回復を待ち、職と寝床の手配をしてから、居を移した。
つまり、いまの阿倍野バザールに、だ。
その晩、特に仕事を抱えていなかったオレは、こないだ相棒になったゲンを誘って、ハロウィンに賑わう阿倍野アベニューにでもくり出そうかと考えていた。
街では水あめに水をぶち込んでこしらえた怪しげなアルコールに、これまた合成着色料と香料で味付けした密造酒が、ペットボトルに詰められて売られている。
男やもめ二人組でも、そいつをあおり、これまた駄菓子の傑作「オッちゃんイカ」でも噛れば、それなりに憂さも晴らせるだろう。
もしかすると、お祭りでハイになっている素敵な女性陣とお知り合いになれるかもだ。
そう思い、安普請のドアを開いて、夕闇迫る街へとくり出そうとした——そのときだった。
トントン、とドアがノックされた。
いまごろだれだ、とオレは思いドアノブに伸ばしかけた手を、一瞬、引き戻した。
すると、こんどはドンドン、と先ほどよりも激しい感じでドアが叩かれた。
ちなみにだが、オレの家のドアにのぞき窓、というような結構なモノは、ない。
すわ借金取りか? とオレが息を潜め、向こうの出方をうかがおうとした瞬間だった。
「おかしてくれなきゃ、いたずらするぞ!」
可愛らしいJKボイスで、トンでもない内容が、オレのご町内に響き渡ったのだ。
「?!?!?!?!?!」
「おかしてくれなきゃ、いたずらするぞ!!」
動転するオレの心中になどいっさいの斟酌なく、現実は無慈悲に進行する。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」とは、ハロウィンにおけるもっとも一般的な合言葉のひとつである。
原文で言えば「トリック・オア・トリート」。
直訳するなら「いたずらか、さもなければ、交換か」ってなもんだろう。
だが、オレの家の前であきらかに十代女子のヴォイスが謳うのは、
「トリック・オア・ファック」、である。
「ヤルか? ヤラれるか?」が、たぶん直訳としてはセンスがあると思われる。
そして、こんなことをご近所さまの目をはばかることなく叫ぶ十代の娘さんの知り合いを、オレはアイツしか持たない。
「ムロキ!」
「兄さん! おかしてくれなきゃ、いたずらするぞ!」
ジャックオーランタンのマスクをはねのけ、満面の笑顔でムロキが言う。
バタン、とオレは扉を閉めた。
もちろん、対応を間違えていた。
だが、そのときのオレに何ができた?!
「兄さん! おかしてくれなきゃ、いたずらするぞ! おかしてくれなきゃ、いたずらするぞ!!」
オレに締め出され、だんだんとムロキの声は、叫びに近づいてくる。
ヤツにはオレの反応の意味が、わからないのだ。
さらには文頭に「兄さん」が加わり、状況は加速度的にヤバさを増してきた!
「あわあわ」
さすがのオレにも一応とはいえ世間体というものがあるのだ。
だから、皆さんにはわかって欲しい。
ほとんど泣き声で「おかしてくれなきゃ、おかしてくれなきゃ、」と叫び続ける未成年を、ひとまずにしても自室に連れ込むオレの姿と、そこに突き立つご町内の人々の視線の痛さについて。
……たぶん、これで誤字の恐ろしさはわかってもらえただろう。
たった一文字の過ちが、その人間の人生をどう変えてしまうのか、を。
だが……ムロキが得た職——それも天職と呼ぶにふさわしい仕事も、この誤字のおかげだったんだ。
今回、作中に登場する「誤字禄」につきましては「えくぼさん」の「室木誤字録」を参考にさせていただきました。
また、参考資料としての使用を「えくぼさん」にも、また誤字を提供された「室木柴さん」にも、事前に快諾いただいております。
文筆業に携わる者として、こちらの経緯を明記させていただきました。




