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■第一夜やん:ちくわぶの謎


挿絵(By みてみん)

 



 異世界が現実と衝突したあの日から、九年。

 オレたちは、たぶん、物語のなかを生きている。


「なあ、トビスケ……けっきょくのところ、ちくわぶってえのは、なんなんだ? 麩か? 麺か? チクワなのか?」


 クダを巻きながらゲンが言うのを、オレは同じく安酒:ムラマサムネに浸かったノーミソで聞いた。


「さあなあ。ナリはチクワみたいだけど、名前にが入ってるしなあ」

「チクワも入ってるな、名前に。ちくわ・・・ぶ」

「でもすり身じゃねえし」

「原材料は……小麦粉だよなあ」

「純粋なグルテンじゃねえから、やっぱ麺……なのかなあ」

「麺じゃねえだろ」

「じゃあ、なんだよ」

「いいか、トビスケ……これは哲学の問題だ」


 長いつきあいだが、ゲンの物言いはときどき、むずかしい。

 というか、酔っぱらうと、加速度的にめんどうくさくなる。


「こいつは、ちくわなのか、麩なのか、麺なのか、けっきょくのところ本人にもわかっちゃいない」

本人・・

「おまけに、ど真ん中にドデカイ穴が開いちまってる……まるで、いまのオレたちみたいじゃないか」


 話題のちくわぶをハシで摘みあげ、ゲンが断言する。

 ヨッパライの話っていうのはだいたいそうなんだが、わけのわからない飛躍をする。

 たとえば、今日のゲンはその典型だ。


「いったい、じぶんたちがなにものなのか見失っちまったオレたちの世界──がねえ。そのものさ」


 とうとう、今夜のちくわぶ理論は、世界にまで及んだ。

 たぶん、自分では「キマッタ!」というかんじなのだろう。

 どうしようもなく酔っぱらったゲンは、ちくわぶの穴から雪に煙るフユカスバビロンを眺める。

 フユカス──バカみたいにドデカイ摩天楼は、むかしまだ物流とか流行なんて言葉が辞書に載っていたころの遺物。

 日本一でっかい百貨店の成れの果て。

 つまり化石だ。


「まあ……そうかもしれないな」 


 そして、その寝言にすこうしばかり同意しちまうくらいには、オレも酔っていたのだ。

 このあと、あんな事件が待っているとは、露ほども知らずに。

 

 おっと自己紹介がまだだった。

 オレはトビスケ。抱枕だきまくらトビスケ。

 巨大な闇市の集合体:阿倍野バザールで寝言屋を営んでる。

 寝言屋ってーのは、物語を書いたり、そいつを吹き込んだりして、ヒトの心を操作するイケナイお仕事だ。

 あ? ああ、もちろん非合法さ。

 というか、いまんとこ厳密な意味で寝言屋を取り締まれる法律が、このくににはない。

 というわけで、非課税・非合法のオレなんかが、なんとかシノギを得ては生き長らえてるって寸法さ。

 ご先祖さまはなんだか、平安時代にまで遡る職能で、夢のなかにはいりこんであれこれできたらしいが、末裔たるオレにはどだい無理なお話ってことで、勘弁してもらいたい。

 

「だいたい、オーサカのおでんに、ほんとうはちくわぶは入ってねえんだよ」

 ちくわぶをカジったゲンが言う。

「入ってたぞ、いま。たべたろ?」

「だから、ホントはすでに、それがありえねえんだっ! 正体もよくわからない。勝手に他の文化圏に混じってくる……おまえはいったいなんなんだ?」


 ゲンのやつは、半分にかじったちくわぶを見下ろして吼えた。


 ちなみに、深いような、そうでもないような問いかけを発しているこのヨッパライのことも話しておこう。

 柔毛にこげんダイスケ。オレは「ゲン」とヤツを呼ぶ。

 なぜダイスケじゃないのか、ってのにはちょっと理由がある。

 オレはトビスケ、ヤツはダイスケ。ここまではOKか?

 たとえばトビスケとダイスケで、を踏んでるうえに、ふたりあわせると「スケスケ」になっちまうだろう? 

 ラッパーじゃねえんだから、そんなもん踏んでどうするんだって話だ。

 お話的にも区別がつきにくいから、寝言屋的には、こういうネーミングの被りは避けなきゃならねえ。

 それなのに、こうしてコンビになっちまったのは、たぶん、類友みたいな話なんだろうな。

 仏教用語的には腐れ縁となるのか。

 ようするにろくなつきあいじゃない。

 

 かつてはオレすら舌を巻く凄腕の寝言屋だったらしいが、いまでは廃業して駄菓子屋に転向した。

 まあ、駄菓子屋といっても裏では寝言や言弾ことだまを扱う──非合法領域の住人であることには変わりない。

 おまけに、ゲン本人も言弾ことだまを撃ち出す寝言銃ネミー・ガンを握らせれば、業界最高の使い手だ。

 むかしは、トーキョーでそっちの仕事をやっていたらしい。

「ずいぶんと、言葉でヒトを撃った」

 あまり語りたがらないゲンの過去について、オレが知るところを要約するとそうなる。

 そうして、あの四月一日、あっちへ帰れなくなってしまった男のひとりだった。

 

 世界線上のエイプリルフール──だれがつけたかわからねえが、世界が変わっちまったあの夜のことだ。

 

「それにしても、冷えるな」

「雪だしな」

「おやじ、熱燗頼む」


 言い置いて、ゲンのやつが立ち上がる。ふらふらとあぶなっかしい足取りだ。


「どこいくんだよ」

「ちょっと、ションベン」


 なるほど、熱燗は先行入力的なオーダーらしい。


「オレは牛スジもらおかな」


 便所もなにもない。ふきっさらしの高架下。

 そこに据えられた屋台で飲んでたゲンがションベンと言ったなら、それはすなわちスタンディングオベーション的なスタイルだろう。

 世界の果ての屋台というのがふさわしいこのロケーションに立ちこめるかぐわしきスメルのいくぶんかは、そういうスタイルが産み出したものだ。


 あんまり深く考えると酒がまずくなりそうなので、オレは梅チューの名残である潰しかけの梅を口中に放り込み、もうすこし本格的に酔っぱらうことにした。

 たぶん、そのへんの駄菓子屋で取り扱ってる調味料漬けの梅干しと大差ないそれは、とんでもない誤魔化しの味がしたが、人生を誤魔化すために呑んでるオレたちにはかぎりなく似合いの代物な気がする。


 異世界と直結しちまった現実なんてモノは、もしかしたら、もうすでにでっけえ寝言以外のなにものでもねえのかもしらねえな──。 


 ドサリッ、という物音と「うおっ」というゲンの声が聞こえたのは、そんなどうでもいいことを考えながら、オレがアツアツの牛スジを頬張った瞬間だった。

 

「おほっほっ、」

 オレは口のなかで、アツアツの肉塊をお手玉しながら席を立った。

 普通じゃないことはすぐにわかった。

 けっこうな重量物が落下したか、派手に転んだか。アレはそういう音だ。

「お客さん、お勘定! お勘定!」

 無理からぬことだが、食い逃げを疑ったのだろう。追いかけてくるおやじの声に、ポケットのなかでくしゃくしゃになってた紙幣を叩きつけ、オレはゲンを探すべく、千鳥足で走った。

 ちゃりり、と落ちた小銭が濡れた路面に、やたら澄んだ音を立てる。


「ゲン! おい、どこだ、ゲン!」

「く、そ……や、やられた」


 ゲンが前かがみにうずくまっていた。

 高架下の陰。なぜか山と積まれたぬいぐるみの横で。

 ひどいヨッパライだが、ゲンは簡単に奇襲など喰らう男ではない。

 だとしたら。

 オレの脳内でアラートが最大音量で鳴り響いた。

 

「ち、きしょ、」

「だいじょぶか! どうした!」

 慌てるオレに、ゲンは悶絶しながら指さした。崩れたぬいぐるみの山の中心を。

 そこに彼女がいた。

 

 ヒトではない──すぐにわかった。

 

 銀糸を思わせる長い髪が雪に濡れて、衣服とともにはりついていた。小柄だが、すらりと伸びた手足が、ノンスリーブで丈の短い衣装から覗いていた。

 震えのくるような美貌。まるで、理想を叶えるために造型された人形のような、硬質の。

 そして、人類ではありえない器官が──ウサギのように長い耳が、彼女には備わっていた。

 

「なん……だと」

 心底、驚いた。

 オレは彼女を知っていた。いや、正確には、彼女の種族を知っていた。

 それは、物語の側にだけ、息づくはずの生き物だった。

 現実にいるはずがない。

 そのはずだった。

 

 ただひとこと──エルフ、と呼び習わされる向こう側の生物。

 それがいま、オレの眼前にあった。

 いまでもヨッパライが極まるとゲンのやつが泣きながら名をよぶ二次元嫁と同じ種族だ。

 

 だが、オレには驚愕しているヒマも、彼女の美しさに見入っているヒマもなかった。

 頭上からふたたび、こんどは怒声混じりの緊迫した空気が降ってきたからだ。


「バカヤロウ! 撃つヤツがいるか! アレは大事な切り札なんだぞ!」

「さがせ! どこにいった!」

「落ちたぞ! この辺だ!」


 あわてて、仰ぎ見れば、補修工事でもはじまったのかというような光量が頭上の線路を満たしているじゃないか。

 ヤバイ予感がした。

 

 どうする、どうする、と脳内で反復横飛びをはじめる理性を押しとどめ、オレはとにかく負傷したゲンの容態を見ることにした。


「だいじょうぶか、ゲンッ!! どこだ、どこに喰らったッ?!」

「は」

「ん? は、腹か?! ちっきしょう、まってろ、いま止血するからな!」

「ちげえ、トビスケ、ちがうんだ」

「しっかりしろ! 遺言なんざ聞かねえぞ、オレはッ!」

「そうじゃ、ねえんだ、は、」

「しっかりしろ! こんなとこにオマエを置いていかねえぞ!」

「はさん、だ。か、皮が」

「ん? んんん?」

「いきなり、女が降ってきたから、こう、ジャッとあげたら……たまたま、たまたまが」


 ほっとすればいいのか、あきれればいいのか。

 しかし、同じ男としてはじつに同情の余地のあるダメージで、うずくまるゲンを眼前に、オレは一瞬立ちすくんだ。

 薄皮一枚とはいえ、それは場所による、という話だ。

 

「さがせっ! 下だっ! この高さなら、ケガはしてるかもだが、命はわからん! いくらかかったと思ってやがるッ!!」

 そんな現実逃避からオレの精神を現実に引き戻したのは、頭上から降ってきた怒声だった。

 

「逃げるぞ、ゲン。ちょっと足のほうを持て!」

「いや、あのな、トビスケちょっとな、これはポジションが」

「いいからはやくしろ! ジャケット貸せッ!!」

「いや、おい、この絵づら、どう見たってまずいぞ」


 うめきながらも、美少女エルフの足を持つゲン。

 このあたりはさすがの裏家業。タフネスだ。

 だが、よたよたとこけつまろびつ、雪のちらつく高架下を意識不明の美女をふたりがかりで抱えて走るオレたちの姿は、控え目にいってもこう呼ばれるものだった。

 

 そう。

 犯罪者、と。

 

 

 

 

 

 


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