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別れのとき


 街を一望できる丘の上に到着すると、そこには既にガルドさんの逞しい背中があった。

 

 「おう。いよいよ今日だな」

 

 「はい……。お世話になりました」

 

 7日間の特訓を終えた俺は、筋肉痛を和らげるための湿布薬に全身を覆われていた。蓄積された疲労は結局当日になっても回復せずに、独特の匂いに顔をしかめる余裕さえ無い。

 

 この7日間は本当に酷いものだった。大会に参加する前に死んでしまうのではないかと何度も思ったし、心なしか所々記憶も飛んでいる気がする。

 しかし、限界までの力の放出と消失を繰り返すことで、以前の俺よりも能力は確かに向上した。特訓のかいがあったというものだ。

 そう1人で頷きながら、何かを思案しているようなガルドさんの隣に、俺はのろのろと座り込んだ。

 

 「ふはっ……すげえ隈。眠れなかったか?」

 

 「はは、興奮しちゃって……」

 

 ばかだなぁと言いながら俺の頭をぐしゃぐしゃと豪快に撫でたガルドさんは、何処と無く穏やかな表情をしていた。

 

 「寂しくなるな。」

 

 その言葉に、目頭が少し熱くなる。

 今から行く場所は、きっとこことは異なる世界だ。帰ってこれる保証などない。

 早く地球に帰りたいとしか思っていなかったはずなのに、いつの間にか、この世界は俺にとって離れがたい場所となっていたようだ。

 

 「……寂しいですよ、ガルドさ、ん……?」

 

 涙は絶対溢すまいと空を仰いだ俺の目に、キラリと一筋の光が映る。

  

 「えっ?」

 

 ひゅるるるるるるという、間抜けな効果音を伴って、俺の元に一直線になにかが落下してくる。

 逆光で何も見えないのだが、確かなスピードで距離を縮めたそれは、止める間もなく俺へと衝突した。

 

 「ぐぇぼぉ!!!」

 

 沸き上がる土煙のなか、仰向けに倒れ込んだ俺の腹の上にちょこんと座った女の子は、こてんと首を傾げて呟いた。

 

 「『俺』かくホー……」

 

 左右に揺れる細い水色の三つ編みを見つめながら、俺はただ呆然とすることしかできなかった。

 

 「見ねえ髪色だな。イセカイの遣いのものか?」

 

 即座に反応したガルドさんは、少女の首に刀を当てつつそう問いかける。

 

 「はい。わたくシ、武闘会主催者クハク様より遣わされましタ、ナビゲーターのミルノです。ヤジマ サマをお迎えに上がりまシた」

 

 所々に淀みのある機械じみた声でそう言った少女は、俺の腹の上で丁寧にお辞儀をした。

 

 「あ……はい。矢島三太郎っす。よろしく」

 

 俺の言葉に無表情にこくりと頷くと、ミルノは右手をすぐ横の地面に押し付け、円を描くようにその手を動かした。

 次の瞬間、彼女の描いた円の中一帯が、一瞬にして抜け落ちた。体を起こして覗いてみるも、相当深い穴なのか、暗いばかりで何も見えない。

 

 「もう、イケル……?」

 

 返事をしようとしたその時、背後からたくさんの足音と、俺を呼ぶ様々な声が聞こえてきた。

 何事かと振り返った先には、ギルドのメンバーや共に旅をした仲間、お姫さまや、国王様までもが勢揃いしていた。

 

 「水くさいぞー!見送りぐらいさせろやあ」

 

 「勇者様!今までありがとー!」

 

 「次会ったらまた勝負しろよな!」

 

 「一回くらい勝ってから行けよ。俺ぁお前にいつも賭けてたんだぞ!!」

 

 「平和を取り戻してくれて、ありがとう!」

 

 「ゆうしゃのおにいちゃん!また遊んでね!」

 

 みんなが思い思いの事を叫ぶ中、国王様とお姫さまが一歩前に。

 

 「サンタロー様……っ」

 

 目にたくさんの涙を浮かべながら、続きを言い出せずにはくはくと口を動かすばかりのお姫さま。

 ああ、あんなにわんぱくだったのに、随分しおらしくなっちゃって。

 そんなお姫さまの肩をそっと抱き寄せると、いつになく真剣な顔をした国王様は、その口を開いた。

 

 「勇者、サンタローよ」

 

 「はい」

 

 「……お前を手放すのは、惜しいばかりだよ」

 

 ふっと笑う国王様。なんて優しい瞳をしてるんだよ。

 だから俺は早く地球に帰りたかった。こんな俺にとっての優しい世界、夢なんじゃないかと思ってた。きっと崩れるのが怖かったんだ。

 それにここは、俺のいるべき場所ではない。イレギュラーな存在がいつか災いを引き起こすってのは、物語のセオリーだろう。

 

 「……おせわに、なりました」

 

 震える声で俯きながらそう言い、頭を下げた俺に、誰かの影がかかる。

 

 「これ、持っていって」

 

 首に掛けられたのは銀色にオレンジの紋様が入ったペンダント。はっと顔を上げた俺の前には、泣きそうに歪んだ顔の受付嬢……リイナが立っていた。

 笑った顔しか見たことなかった。そんな顔、しないでほしい。

 

 「この国に伝わる、守護のペンダント、作ったの。やじさん、のこと……まもって……くれる、はず……っだよ」

 

 嘘みたいに大粒の涙をぼろぼろと溢しながら、リイナはいつもの笑顔で、へへっと笑った。

 

 「あとこれ、お腹すいたら食べてね。ギルドの……みんなでつくったの」

 

 マスターなんて、やらないって言ってたのに、一番に起きて作ってたし。そう言いながら渡された小包を受け取った瞬間、もうだめだった。

 ぽろぽろと、目から暖かいものが溢れては、止まらない。

 

 「やじさん?ちょっと何泣いてんのー」

 

 自分だって泣いてるくせにそう言った彼女は、その細い指で俺の涙を拭ってくれた。

 

 「今まで、ありがとう」

 

 「……うん。元気でね、やじさん。いつでも帰って来て……。待ってるからね」

 

 その声に合わせて、ガルドさんが豪快に笑った。

 

 「そうだぞ。いつでも帰ってこい。サンタロー」

 

 その言葉にさらに高まるみんなの声。ああもう。最高な異世界召喚だったなあ。

 1人1人の顔を見つめ、最後に自分の過ごした街をそっと眺めた俺は、準備ができたことをミルノに告げた。

 

 「かしこまりまシタ。こちらのゲートにどうぞ。」

 

 「う、やっぱりここを落ちるのか……。」

 

 少々尻込みながらも穴の前に進むと、俺はもう振り返らずに、大きく叫んだ。

 

 「行ってきまあああす!!」

 

 みんなからの暖かい行ってらっしゃいの声を背中に聞きながら、覚悟を決めた俺は、勢いよく真っ暗な穴へと飛び込んだ。

 

 

 

 

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