第94話 老兵の覚悟(第七章完)
前回までのあらすじ!
老兵少女、ラストバトル開始!
戯れ。熾天使はそう言った。神が人魔を滅ぼす理由をだ。
餓鬼が無邪気に虫を殺すに等しく、戯れに人魔を滅ぼすというのか。
「……言葉もない」
言い終える頃には、高速で飛翔するユランはすでに熾天使の頸部を殺意で捉えていた。
轟と炎を巻き込み、暴風を発生させながら、斜め上空から渾身の力を込めてドライグを振り下ろす。
「――ッ」
それを炎の剣で受け止めた熾天使は、勢いに圧されて凄まじい速度で落下し、しかし天蓋を失ったカナン城の壁に着地すると同時に膝を曲げ、跳躍上昇しながら上空のユランへと剣を叩きつけた。
「――ハッ!」
「おおッ!」
炎が渦巻き、甲高い金属音が鳴り響く。互いに弾け、けれどもすぐに剣をかまえ直す。
ユランが怒りを吐き出すように、少女の口からゆっくりと熱い息を吐いた。
「神とは、しょせん属性の異なるだけの悪魔に過ぎなかったか。ならば交わすべき言葉はない」
「違う。そうではない」
怒りにまかせた一撃では決着はつかない。空では足を踏ん張れず、互いに弾けてしまうからだ。
竜翼と六翼が同時に距離を詰め、至近距離で軽く速い連撃を繰り出す。
互いの間でいくつもの閃光と炎が弾ける――!
「何が違う!」
「始めに、神がすべてを創り賜うた。人も魔も天使もだ」
ドライグの刃が熾天使の皮を削ぎ、炎の剣の切っ先がユランの頬を斬り裂く。それでも互いに一歩たりとも引かない。
高速で空を移動しながら次々と斬撃や刺突を繰り出し、炎と暴風と衝撃波を散らす。両者の赤い雫が血塗られた王国へと雨のように降り注いでゆく。
「ハッ! 説法は相手を見てしろッ!」
少女の肉体を限界までねじってひねり込み、空を踏むと同時にドライグを薙ぎ払う。それを音すら響かせずに綺麗に受け流した熾天使が、ふいに顔を近づけてきた。
「真実だ」
「だとしたらどうだと?」
興味ない。そのようなことには。
人間が、魔族が、何者に創られようが、己らは今を生きている。造物主が無為にそれを終わらせようとするならば、命を懸けて逆らうだけの話だ。
こたえはいつだってシンプルだ。
「どうもしない。ただ、誤りであったと神は考えた」
「いちいちもったいつけるな。貴様の話はわからん」
熾天使の腹を蹴って強引に身を離し、ドライグを振るう。熾天使はそれを剣で受け止め、なおも澄まし顔で呟く。
「創ったことが誤りであったと考えられたのだ。戯れに生命体を創られたことを悔いておられる。戯れにおまえたちを滅ぼそうとされたわけではない。不用意に愚かなる生命体を創られたことを、今日に至って悔いておられるのだ」
「……ッ」
戯れに創った人間や魔族が失敗作だったから、片付けようとしている。
なるほど、そういうことか。
「ゆえに、神の成功作たる天使が失敗作たる人魔を滅しに来た。哀れなるその生を終わらせに来たのだ。これは破壊でも殺戮でもない。救済だ」
「ふん、それはまたずいぶんと大きな世話だッ」
炎の剣の斬撃が掠め、ルビー・レッドの頭髪が数本、宙を舞った。
「偉大なる父の意だ。甘んじて受け容れよ」
「偉大なる? クク、はは! 笑わせてくれる! ――貴様が人魔と悪魔どもをぶつけて滅ぼしたこのカナン王国にもいた、礼拝堂に通う狂信的に神を信じるやつらは皆、口を揃えて言う。神とは偉大で万能なる存在であるとな」
「その通りだ」
少女魔王は中空で深紅のドレスをなびかせ、ドライグを振るって嘲笑する。
「ハッ! おかしなことを言う! 神が真に万能なる存在であるならば、なぜ失敗作など創った! 貴様らのような、よ~くできた天使どもだけで十分だったのではないのか? あぁ?」
ルビー・レッドの瞳を大きく見開き、口もとに邪悪な笑みを浮かべたまま、少女魔王はその言葉を呟く。
「ただの出来損ないだよ、貴様らの神もなァ?」
瞬間、炎の剣の切っ先が喉もとへと突かれる。しかしユランは下卑た笑みを浮かべたまま顔を倒し、すんででそれを躱していた。
「どうした、お嬢? 綺麗な澄まし顔が、まるでデーモンのように醜く歪んだぞ?」
「出来損ない風情が、偉大なる我らが父を愚弄するか!」
炎の剣の軌道が変わり、突かれた状態のまま側方へと薙ぎ払われる。
しかし一瞬早くドライグを刃と頸の隙間に差し込み、ユランはそれを受け止めて空で回転し、深紅のドレスをはためかせながら逃れた。
「ククク! どこまで冷静さを保てるかと思いきや、早々に本性を見せたな!」
竜翼で後退し続けるユランへと、熾天使は次々と斬撃を繰り出す。それを防ぎ、躱し、ユランは口を閉じない。
「何が共通意識で繋がった群体だ! おれから見れば、貴様らはおれたち失敗作となんら変わらん愚物よ!」
両者の間で炎と轟音が何度も何度も弾ける。
「そもそも神の言う人魔の失敗とはなんだ? 戦に明け暮れることか? 同族間でも平気な顔で殺し合うことか? 果てのない欲を望むことか? 神に近づくことか? それとも人間の短い寿命か? 魔族魔物の悪魔にも似た醜悪な姿か?」
先ほどまでとは熾天使の剣筋が違っている。
怒りにまかせて剣を振るっているため、あきらかに苛立ちが現れているのだ。だがゆえに、素直で読みやすい。
ユランは何度も掠める剣閃のうち、己に致命傷を与えてくるもののみを選んで防ぎ、弾き、流す。
「悪魔は天使族の失敗作だ! ゆえに、天使は悪魔を切り離した!」
「親に気に入られるためだけに、同族弟妹どころか半身まで切り捨てたのか? ハッ、こいつはお笑いだ! 汚いものを生み出しておきながらそこに蓋をして、自分たちは完全生物ですときたもんだ! 神は慈悲深いと聞いたが、ずいぶんと非道なのだな!」
斬り上げを斬り下げで弾き、続く斬撃をかいくぐって、さらなる追撃の回し蹴りを、後ろ回し蹴りで足を絡めるようにして止める。
幼女体ではできなかったことだ。
ユランは可憐な少女の顔で、舌を出して禍々しく笑った。
「やっていることは、同族間で殺し合う人間や魔族と何も変わらんぞ」
「黙れ」
頸部に放たれた斬撃をドライグで防ぎ、熾天使の胸鎧を蹴って距離を離す。
「悪魔がカナン王国へ攻め入ったのは、貴様ら天使がカナンを支配したと判断したからだろう! 貴様らなどより悪魔の行動理由の方が、おれにはよほど理解できるぞ!」
復讐だ。天使によって追放され、煉獄に堕ちた悪魔は、同族である天使や神を憎んだ。ゆえに、天使に支配されたカナン王国へと攻め入ったのだ。
カナンの民はその煽りを喰らったに過ぎない。
「ならば出来損ない同士でいつまでも馴れ合っていればいい。私たちに滅ぼされるまで」
もっとも、人間にとっては天使に殺されるか悪魔に殺されるかの違いに過ぎなかったけれど。ともすれば、さらにそこには七人の魔軍も混ざっていたかもしれない。殺すと殺される、どちらの側であってもだ。
だがもう、そのどちらでもなくなった。セアラが王位に就き次第、人魔は同盟を結ぶのだから。
「クク、くだらんな。貴様らは実にくだらん。万能を謳う割りには失敗続きではないか」
まるで己の人生だ。
なまじ力があったものだから、何度も何度も失敗してきた。
だからこそわかる。神は万能ではない。
「その潔癖を作り出すために、どれだけの生命体が実験体となればいい? いや、そもそもが万能ではなかったのか? これではたかが知れるぞ。貴様ら天使も、神を名乗る胡散臭い輩もな」
「黙れ!」
剣筋にさらに感情が混ざる。
素直になった熾天使の攻撃を、ユランは的確に捌いてゆく。
挑発の甲斐があったというものだ。
「それは共通意識が腹を立てているのか? それとも貴様自身の感情か?」
荒々しい斬撃をことごとく叩き落とし、ユランは竜翼を閉ざして急降下する。すぐさま六翼を羽ばたかせ、熾天使が追ってきた。
だが次の瞬間には竜翼を開き、一気に上昇する。
「~~っ!?」
交叉の瞬間にドライグを斬り上げ、炎の剣とぶつけ合う。瞬間、熾天使は目を見開いた。あまりの手応えの無さにだろう。
ユランはドライグで炎の剣を微かに撫でただけだ。するりと炎の剣を撫でて滑らせ、ぶつかり合う直前に身をわずかにずらして六翼の一枚を片手でつかむ。
「ハハ!」
「な――っ!? この――ッ!」
熾天使が炎の剣で己の背を斬り上げる。けれどもユランは下半身を振り上げてそれを躱して肩に跨がり、熾天使の首筋へとドライグの刃をあてていた。
「……ッ」
だが、すぐには頸を断たない。
熾天使が観念したのか、身を固くして瞳を閉ざす。
「……貴様、脅えたな。なぜだ? 共通意識に沈み、新たな純白の熾天使として生まれ変わることができるのだろう? そう言ったではないか!」
純白。真っ新という意味だ。そこに前世の記憶などない。
そのようなものはユランからしてみれば死以外の何者でもない。だが、肉体が滅びても記憶を持つ魂が他に宿るならば生だ。今、己が魔王の肉体で生きているように。
けれど、たとえ寸分違わぬ肉体を得たとしても、記憶を失ったら、それはやはり死に違いない。保持すべき肝心な部分は、過去を生き抜いてきた記憶なのだから。
「貴様らはそのようなことさえわからなかったのか、この出来損ないの失敗作が。そもそも貴様らの言うところの共通意識とやらは本当に存在しているのか?」
「ある……っ」
「ハッ、どうだか! おれには死を覚悟した貴様が、それに縋っているだけに見えるぞ」
「私は死など恐れたりはしない! 死の終わりは始まりでもある!」
ユランが、ふん、と鼻を鳴らした。
「……記憶のない純白は人間や魔族の子も同じ。ただの生と死の営みの始まりに過ぎない。共通意識など通さずとも、そうやって新たな個体は産まれてくるものだ。ただし、それは前世で生きた存在とは別物だ。死は終わりであり、消滅に過ぎん。わかっているはずだ。だから貴様は脅えた」
ドライグの刃が熾天使の喉へと微かにめり込む。
熾天使が怒気を孕んだ口調で叫んだ。
「何が言いたいッ! さっさと殺せばいい!」
「わからんか? 先ほども言ったはずだ。すべての存在が帰るという共通意識など本当に存在しているのか? それこそ神の口車ではないのか? もしも神が真に万能であるならば、なぜ純白となって生まれ変わるのだ? 記憶を保持したまま生まれ変わればいい話だろう」
炎の剣を持つ右腕は、右足の膝で挟み込んで絞め上げ、拘束している。
幼女体では不可能だが、ただでさえ人智を超えた怪力魔王イルクレアの少女体な上に竜装状態ならば、いかな能天使に等しき力を持つ熾天使であっても逃れることはできない。
「……ッ」
「それに、なぜ貴様は今おれに殺されかけている? 神は万能でありながら、貴様を救うこともしてくれないのか? 見棄てられたのか?」
熾天使はただ歯がみし、静かにうつむく。その全身から力がすっと抜けてゆくのを感じた。
神の言葉に疑いを持ったのだろう。
「もうわかったはずだ。たとえ人魔や天使の創造主といえど、神もしょせんはなんらかの高位の生命体に過ぎん。おそらくは竜と並ぶ何かだろう。万能などとはほど遠い。滅亡した竜どもがそうだったようにな」
約一匹、巨大な駄犬が澱みの森に残ってはいるけれど。
「……ッ」
ユランは足の力を抜いて、熾天使を空で蹴り放した。
熾天使が戸惑ったように振り返る。
「……なぜ……」
「死は意識の終わりだ。それまで積み重ねた記憶を失い、ただの肉塊になる。だからこそ精一杯生きる。天使の姿をした魔王が先ほどそう言っただろう。そうすれば、少なくとも誰かの心には刻まれる」
己がそうだったように。
あのトロールがそうであるように。
「そんなものは、私を解放する理由にならない!」
ドライグを振って炎と血を払い、ユランは大きな刃を肩にのせた。
「もしも貴様が共通意識なるものと繋がっているのなら叩き斬っていた。だが、そうではないと判断した。貴様ら天使は群体ではない」
「それも理由にはならない!」
「……面倒なやつだ。そんなに死にたいのか」
ユランが眉根を寄せたあと、長いため息をついた。
顔に垂れる血液を竜鱗の手甲で拭い取り、静かに吐き捨てる。
「……そうだな。ならば生きる役割をくれてやる。戻って貴様らの神に伝えろ。首を洗って待っていろとな」
「……」
もっとも、それを行うのは己ではない。己の生は終わったのだ。愛しき魔王イルクレアと再び逢えたのだから。
旅の終わりとは、かくも寂しきものか。
魔軍の面々と離れるのが寂しいと、今では心からそう思える。
「……」
「……」
無言で睨み合う。
ふいにカナン城から高速で飛翔してきた智天使が、熾天使の腕の下に潜り込み、その肉体を空へとかっ攫った。
遠ざかってゆく熾天使が叫ぶ。
「私の名はガブリエルだ! おぼえておけ!」
「……個体名へのこだわりは共通意識とはほど遠いぞ、ガブリエル」
もう一度長い息を吐いて、ユランは竜翼をたたみ、降下してゆく。
天蓋なきカナン城、王座の間から手を振る、何も知らない仲間たちのもとへ。
いよいよ、己の最期のときだ。
古ぼけ、薄汚れたこの魂も、少しは貴女の役に役立てただろうか。
老兵、前世から思い出しても口喧嘩は初勝利!




