第92話 老兵とドラゴンさん
前回までのあらすじ!
フルボッコにされる老兵幼女!
竜に力を借りようとしているのか……?
どうやって? 借りればどうなる? そもそも聖剣魔剣の時点ですでに相当な力を借りているようなものなのだが。
魔法に才覚のない己ですら、炎や雷を放てるのだから。
……それ以上が存在するということか?
だが、あの熾天使の話では、天使の肉体である限り、魂が魔であっても竜の力を借りることはできないらしい。
ならば己はどうか。魔族女王の肉体に、ひねくれた人間の魂。それに、魔と呼称されし赤竜ドライグ。相性は悪くないように思える。
「……っ」
ほとんど感覚のなくなった手で、ドライグの柄を強くつかむ。
……どうすればいい?
イルクレアに尋ねようにも声すら満足に出せない上に、彼女自身、もはやそれどころではなくなっている。
グウィベルで熾天使の斬撃を防ぐたびに傷口から血液を散らし、後方へとよろめき、なおもグウィベルを空に掲げて叫ぶばかりだ。
「グウィベル!」
「させぬ」
炎の剣がイルクレアの右肩に振るわれ、彼女が身体を倒して躱した直後、赤く染まった白の片翼が三枚、どさりと足もとに落ちた。
イルクレアの顔が激痛に歪む。
「ああぁぁぁ……っ」
飛べない、もう。
イルクレアが熾天使の前で片膝をつく。彼女の顔から滴り落ちる凄まじい量の汗が、王座の間の地面を黒く染めた。
「グウィ……ベル……ッ」
それでも聖剣グウィベル――白竜グウィベルがイルクレアの呼びかけに応えることはない。
炎の剣がすぅっと持ち上げられる。
「哀れな盗賊よ。魔の肉体であらば竜装などせずとも、我らとも互角以上にやり合えたというのに」
竜装……?
「それほどまでに、その男……ユランとか言ったか――」
熾天使は、跪いたイルクレアを悠然と睨めつける。
「――おまえを殺そうとしたその男が、大切だったか」
……なんだと……?
魂の入れ替わりには、おれが関係しているのか?
「神が記憶を奪わなければ、あんなことにはならなかったわ。……ユランがわたしを殺しにくることもなかったっ! 神を討つ旅を無事に終えることができたなら、わたしたちは一緒に故郷を去ろうとしていたのだからっ!」
熾天使が微かに笑った。
「事実を認めよ、浅ましき盗賊よ。神が存在しなければ、そもそもおまえたちは魂の交わりすらなく、ただの敵対種族のままで終わっていた。神軍領域への旅もなかったのだからな。おまえたちの関係は、何も始まりはしなかった。違うか? イルクレア・レギド・ニーズヘッグよ」
「……ッ」
イルクレアが歯がみして、悔しげにうつむいた。
紺碧の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。イルクレアだった頃にも、ネハシムだった頃にも、そのような表情は決して見せなかった。
子供のように泣きじゃくる姿など、決して見せはしなかった。
泣かすな、その女を……!
だから――。
だから己は最後の力で肘を地面に突っ張って、首を持ち上げた。持ち上げて、叫んだ。
「ち……がう……っ」
声、思ったよりも出なかったけれど。
ごぼり、また大量の血液が腹の底から溢れ出し、気管に流れ込んで激しく咳き込む。血霧が鼻や口から飛び出し、それでも視線を上げる。
「ほう? 語れ、無様に這いずる男よ」
「……お……れは……、……そ……の女……の……、……魂……に……、……惹かれ……た……っ。……過去……ではない……っ、……だから……ネハシ……っ……がはっ!」
視界が歪み、再び地を舐める。それでも声を絞り出す。
だからネハシムの姿となっていても、イルクレアに惹かれた。
決して、ともに旅をした過去があったからではない。そのような記憶がなくとも惹かれたのだから。それはつまり、己とイルクレア・レギド・ニーズヘッグが出逢った瞬間から始まることが決定していた恋だったのだろう。
己の魂が求めるのだ。あの女の魂を。最も原始的な本能が。
「そこに……神の介入する余地など……ない……っ! だからッ、そんなふうに目を伏せるなッ! イルクレア・レギド・ニーズヘッグッ!!」
魂が求めた。求め、求め、求めた。
老兵ユラン・シャンディラの愛剣グウィベルは、白竜の魂と肉体の変異体だ。
そして、魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグの愛剣ドライグは、赤竜の魂と肉体の変異体だ。
ユランがイルクレアの心臓を、イルクレアがユランの心臓を愛剣で貫いたとき、四つの魂が触れ合った。
旅の記憶を保持していたイルクレアはユランを死なせたくなかった。
旅の記憶を失っていたユランは、イルクレアに死という救いを求めて縋った。
それは、ユラン・シャンディラという人間が、人生で初めて他人に救いを求めた瞬間だった。縋るユランの魂を、イルクレアは受け容れた。
愛していたのだから。その記憶は鮮明に残っていたのだから。
結果的に魔剣ドライグと聖剣グウィベルを伝って、魔王と老兵の魂は入れ替わった。ドラゴンウェポンは竜に限らず、魂を移動させる剣なのだから何も不思議ではない。
そうして過去の旅で討ち取った熾天使ネハシムの肉体に自らの魂を移すことで、長い眠りに入った自身の肉体と老兵の魂を護ったのだ。魔王は。
老兵の眠っていた十年は、魔王にとって、とてつもないほどに長く感じられた期間だった。
すべてが結びついた。
ああ、そうだ。そうだとも。人間と魔族の魂が、竜の肉体を通じて入れ替わるものならば。そういうこともできたはずだ。
そうだろう、赤竜ドライグ?
大量に吐血し、血の涙を流しながら、ユランは両手に持ったドライグを杖代わりにして、がくがくと震える膝で立ち上がる。
命が血液とともに流れ落ちてゆくのを感じながら、掠れた声で呟く。
「……お……れに……力を……貸せ……、……ドライグ……」
竜の魂を己に宿すこととて、貴様にはできるはずだ――!
直後、ドライグの炎が急速に広がり、幼女の全身を呑み込んだ。
「ぐっ……ああああぁぁぁっ!!」
深紅のドレスが焼け落ち、皮膚は爛れ、血液さえも凝固させ、炎はなおも魔王の肉体を侵蝕してゆく。ルビー・レッドの頭髪も灰となり、涙も蒸発させ、肉体を震わせながら超高熱に身を、魂を焦がす。
苦痛は……ない。
炭化し、焦げついてゆく肉体の奥底で、何かが変異した。細胞というものをユランが知っていたかはともかくとして、その一粒の変異を皮切りに、ユランの肉体が爆発的に炎に耐性のあるものへと作り替えられてゆく。
「……」
熾天使の表情が変わった。
そこからは悠然とした笑みは消え失せ、眉根を寄せている。
「があああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!!」
傷つき、破れた内臓も、灰と化して空に散ったはずのルビー・レッドの頭髪も、あまつさえ、肉体とは一切の関係性のなかった深紅のドレスまでもが、戻ってゆく。
完全に壊れてしまっていた肉体が、完全に灰と化したドレスが、髪が。
それとは別に、ぴきぴきと音を立てながら、幼女の腕を炎から形成された赤い竜鱗の手甲が覆い始めた。いや、幼女の腕ではない。己の知る少女イルクレアの姿まで成長している。
「……」
竜鱗の手甲は深紅のドレスの上から腕を覆って守り、さらにその範囲を増やして胸鎧や足甲までをも生み出してゆく。
一通り老兵の肉体を竜鱗が覆った直後、背中の皮膚が血肉ごと爆散した。
「~~っ!?」
まるで蝙蝠のもののような形状をした大きな赤い翼が一対二枚、深紅のドレスの背面を突き破って生えたのだ。
すべての変異を終えたユランは、左手で己の顔に触れる。
やはり成長している。幼女の姿ではなく、己が惚れた少女魔王の姿まで。
怪我はない。炎が肉の一欠片まで灼いて分解し、すべて再生し直したから。
半竜――。
「これが……竜装か……」
ドライグは変わらぬ佇まいで右手にある。ただもう、生命の息吹のようなものは感じられない。ただの魔法剣だ。
代わりに、己のまとった竜装にドライグの圧倒的な生命力を感じていた。竜の魂が己の身に降りたのだと、実感を以て理解できた。肉体の急速な成長は、竜の魔力を得たからだろう。
ユランは自らの腕を覆った赤い鱗の手甲を見下ろし、静かに呟く。
「……ドライグ……貴様なのか……?」
風が流れた。
瞬間、眼前に熾天使が出現する。右手で持った炎の剣を、身体をねじりながら左肩上方まで引き――。
「忌々しい竜め……!」
炎の暴風を伴いながらユランの頸部へと薙ぎ払う。
とっさにドライグでそれを防いだユランの肉体は、しかし足を滑らせることはなかった。
轟音と、火花と呼ぶにはあまりに大きな炎が散る中――。
受け止めた。完全に。能天使の力と、座天使の速さを併せ持つ熾天使一撃を。
それでも余裕があるわけではない。筋繊維が悲鳴を上げている。けれども、どうしようもなかった先ほどまでとは違う。
「おおおぉぉぉ――!」
鍔迫り合いのまま踏み込み、ドライグを強引に叩き下ろすと、六翼の天使が中空でふわりと後退した。
熾天使は言うまでもなく、ユランまでもが戸惑う。
イルクレアの肉体が少女体となったせいか、それとも赤竜ドライグの魂が己に力を貸してくれたためかはわからない。
だが、確信する。
やれる――ッ!
熾天使はあいかわらずの脅威ではあるが、絶望感にかられていた先ほどまでと比べれば、ずいぶんと――ああ、そう、軽い。軽いのだ。
熾天使ネハシムの姿となったイルクレアが力を失い、壁に赤い線を引きながら膝を折る中、ユランは凶暴凶悪な魔王の笑みで、ドライグの切っ先を熾天使へと照準した。
「……殺す」
とりあえず成長できたし揉むなら今だなー。




