第77話 老兵の故郷が炎上
前回までのあらすじ!
老兵幼女はツンデレラ。
燃えていた。何もかもが。黒煙に包まれ、陽炎に揺らぎ。
数十年ぶりに故郷である王都カナンを遠くから目にした最初の光景だ。
一体何がどうなっているッ!?
魔軍が攻め入るまでもなく、都市はすでに紅蓮の炎に侵食されていた――。
赤く染まった空には無数のレッサーデーモンが飛び交い、大地は灼けた血で爛れ、生者は悲鳴を上げて逃げ惑う。夥しい数の遺体の山に、レッサーデーモンが遺体を運んでさらに積み上げる。
「バカな……」
あまりの光景に絶句したセアラの横で、オレスティスが声を震わせながら呟いた。
「……お、おれ、悪い夢でも見てんスかね……?」
都市から人々が我先にと逃げ出してゆく。だが、デーモンたちはそれを執拗に追いかけて、容赦なく背中から襲いかかる。
跳ね橋を渡って猛スピードで走る一台の馬車。
その幌を突き破って乗客を引きずり下ろし、首筋に喰らいつこうとしたレッサーデーモンの額から、赤き刀身の切っ先が生えた。
断末魔の悲鳴もなく事切れたレッサーデーモンを乱暴に投げ捨て、ユランはがたがたと震えていた男の胸ぐらをつかんで顔を引き寄せた。
「おい、貴様」
「ひ……っ、……こ、子供……?」
「なんだ、この有様は?」
ユランの姿が幼女であったことが幸いしたか、数秒の後に、男は口を開く。
「お、王都にデーモンの群れが突然、あ、現れて……」
「この腐れ愚図が! そんなものは見ればわかる! いつからだ!? カナン騎士団は何をしている! 魔導師協会は!?」
「さ、最初にデーモンの群れが現れたのは三日前だ。西側の防壁をバリスタと弓兵で固めてバレストラ将軍が迎え撃っていたんだけど、昨日突然、東側からもデーモンの群れが現れて、騎士団では対応しきれずに……」
バレストラ・ネイリス――。
己が老兵と呼ばれていた時代に、猛将と呼ばれていた生真面目で無骨な第四師団騎士長の名だ。どうやら将軍に昇格していたらしい。
ロスティアやオレスティスはともかく、やつならばわからなくもない。
「バレストラは死んだのか?」
「わ、わからない。けれど、カナン城がまだかろうじて持ち堪えているから、ロスティア将軍やリントヴルム様、エドヴァルド様が遠征に出ている今だと、バレストラ将軍が指揮をしている可能性が高い……と思う」
男は魔軍を見回して、早口で告げる。
「わ、悪いことは言わない。あんたたちも王都はあきらめて、早く、早く逃げろ。デーモンに見つかる前に」
パニックになっているのか、王女であるセアラの顔にも、耳の長い褐色肌のヨハンの姿にも視線を止めることはなかった。あるいはトロールがいたならば、違ったかもしれないけれど。
男は絶望と恐怖を孕ませた歪んだ笑みで、静かに告げる。
「……お、王都カナンは、今日滅亡する……」
それだけを言うと、男はユランの手を払い除けて走り去ってしまった。それに続くように馬車からは生き残りの民が数名、転がるように出てきて、北を目指して走り出す。
御者の姿はすでにない。一頭の馬とともに。
ユランが肩越しに振り返り、オレスティスに視線を向けて呟く。
「おい、オレスティス。貴様の名は出なかったぞ」
「えぇ……仕方ないッスよ。……だっておれ、まだ将軍に昇格したばかりですもん……」
「クク。まあいい。――これより魔軍は王都を目指す! せいぜい派手に征け、貴様ら! ああ、そうだ、あの駄肉のように勝手にくたばるんじゃあないぞ? 貴様らの命はおれのものだ! その使い途は、このおれが決める!」
ヨハンが複合弓で矢を放ち始めた。王都から逃げ出す民へと襲いかかるレッサーデーモンが、眼球を貫かれて落下する。
青髭筋肉エルフが、気障に片目を閉じて呟いた。
「仰せのままに。マイスウィートプリンセス」
それをきっかけに次々と魔軍へと飛来してきたレッサーデーモンを、セアラを中心に据えた魔軍が叩き落としながら進軍する。
逃走する人々よりも魔軍を優先的に狙ってくるのは、おそらく山羊頭のようなデーモンが近くにいないためだろう。
だが、この群れは一体――。
連接剣が目玉を抉り、ミスリルのロングソードが翼を斬る。大金槌で爪を防ぎ、包丁で解体する。
「ふん、山羊頭がいなければ、渦を作り出すだけの脳もないようですね」
「ですなあ。手応えがありませんな」
「食えんもんを解体するのはつまらん。腕が鈍る。三枚に卸してみるか」
「でもでもダーリン、臓腑の形状は一つ一つ違ってるみたいですよ~。この子のなんてとっても綺麗でしたもんちょっと大腸からは人間っぽい内臓も出て来ちゃったけどそれがまたおかしくて生命の尊さを感じてしま――」
カナンの外に出ているレッサーデーモンは、今やその大半が魔軍に群がりつつある。
が――。
「ふん、ちょうどいい」
幼女魔王は大きく魔剣ドライグを背中まで引き絞り、握りしめた両手から魔力を注ぐ。
赤き刀身から大炎柱が立ち上った。
「まとめて消え失せろッ! ――ぐるぅああああッ!!」
逆袈裟に振り上げる。
瞬間、陽炎に景色が大きく歪んだ。
大炎柱が形を変えて、火山の大噴火のような大きさの橙色の刃となって無数のレッサーデーモンを呑み込み、空の彼方へと消えてゆく。
炭化したレッサーデーモンが数十体、空から雨のように降り注ぎ、その身を無惨に砕いてゆく。
「ハッ! 盾持ちのミスリル騎士の方が炎を防ぐ分、よほど面倒だったぞ」
セアラが両手を口で塞いで小さな声を漏らした。
「……す……ごい……。……なんなの、魔王……」
魔軍やオレスティスとて、レッサーデーモンに負けるような弱者はいない。だが、違う。違うのだ。この魔王は。
まるで自然災害。防ぐことはできない。
デーモンたちに為す術はなく。
そして、このヴァルキリーもまた。
法則に逆らい大地より空へと昇る、雷光雷撃。
雷撃は次々と空のレッサーデーモンを呑み込み、体内から爆発を促して、やはり無数のレッサーデーモンを叩き落としてゆく。
他の魔軍は、この二人のために。
この二人に攻撃をさせるだけの時間を稼ぐために、彼らを護って連接剣を、大金槌を、包丁を振るっているのだ。
「これが……魔軍……? ……たった七人でカナンを追い込んだ魔族の戦士たち……?」
いや、一体は死んだ。けれど、代わりに入った一人はカナン騎士団の将軍だ。口はともかく、弱者であるはずがないのだ。
現にオレスティスは、すでに魔王の意図を汲むように動き始めている。
ぶるり、セアラが全身を震わせた。
恐怖にではない。戦を知らぬ肉体ですら、猛る気持ちを抑えきれない。
空を見上げていたユランは、刀身を振って炎を収めると、特大剣を己の肩に置いて歩き出す。
「外に出て来ていたやつらはあらかた片付いたな。山羊頭がいなければ存外に楽なものだ」
「行きましょう、イルクレア」
魔王とヴァルキリーを先頭にして、魔軍は人類最大都市、王都カナンへと続く跳ね橋を渡った。そこにいつもの守衛はいない。
王都カナンは、陥落したのだ――。
魔軍ではなく、デーモンの手によって。
鉄さびと焦げの混じった臭気が、悲鳴とともに大都市カナンに流れる。
ユランは用を為さなくなった開けっ放しの大門に立ち、皮肉を口にした。
「これで人間どもも、ニーズヘッグの魔族と同じだ」
死臭。あまりに強く。
「絶滅に脅える一種族となった」
どれだけひどい戦場でも、これほどの非道い有様は見たことがない。騎士も民も、男も女も、老いも若きも関係なく、転がっている。
カナン門に立つ魔軍一行にも、レッサーデーモンが襲いかかる。
ユランは正面からの一体を縦に灼き斬って、赤い靴で歩き出した。
「どうなさるおつもりですか?」
蛇の女王の問いかけに、ユランがこたえる。
「さてな。カナン城にはまだ生き残りがいるらしい。そやつらと話してから決める。当然、そこにはガレン・ライギスフィールドもいるはずだ」
話しながら痛感する。
ああ、世界はもうめちゃくちゃだ。
人間も魔族も、エルフやドワーフと同じく数を減らし、絶滅の危機に瀕している。いや、人間にはまだ地方都市が存在する分、マシではあるけれど。
だが……それでも……。
ユランはセアラに視線を向けた。
魔軍はユランの命令を待っている。人間を嫌っていたラミュですら、待ちきれないといった焦燥に駆られた表情だ。
同じく、オレスティスはセアラの命令を。
悲鳴はあちこちから聞こえていた。男も女も、老人や子供でさえも。
魔軍は向かってくるレッサーデーモンに容赦はしない。だが、どこから悲鳴が聞こえようとも、目指すはカナン城のみだ。魔王の歩みが止まることはなかった。
決めるのは己ではない。己はあくまでも人間の敵だ。今はまだ、そうあるべきだ。
ユランが静かに呟いた。
「セアラ。何が貴様の邪魔をしている。プライドか? それとも無力感か?」
「……ッ! ……条件は?」
「そうだな。未来の同盟とでも行っておこう。それ以上は考えてはいない」
「未来だな?」
「ああ、未来だ」
「わたしが政権を奪い取った後になる!」
「かまわん」
その呟きが終わった瞬間、セアラが出逢って初めて、魔王に頭を垂れた。
歯を食いしばり、諦観と悔しさを両方織り交ぜた表情で。
「できるだけでいい。筋違いであることもわかっている。だが、もうおまえに頼るしかない。魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグ殿。――どうかカナンの、わたしの民を救ってください」
「了解した」
ユランがドライグを空へ掲げる。
「聞こえたか、貴様ら。未来の同盟国女王の頼みだ。これでは動かんわけにはいくまい」
すぅっと息を吸って、平たい胸を大いに張って、ユランが叫んだ。
「各自レッサーデーモンの殲滅にあたれッ!! ――魔軍、散開ッ!!」
瞬間、溜め込んでいた気持ちを爆発させるかのように、蛇の女王が、ダークエルフが、裸エプロンが、仄暗い笑みを浮かべたメイドが走り出す。
一〇〇万都市をたったの四人で救える数など知れている。そんなことはセアラとてわかっているはずだ。だが、それでも。
せめてそれだけでも。
「オレスティス、おまえも行って」
「おれは、でも、セアラ王女の……」
「護衛なら魔王がいる。魔王は現段階ではまだわたしを必要としている。間違っても殺せないはずだ。それに――」
セアラの視線の先、金色のヴァルキリーは飛び立たない。哨戒を兼ねた魔王の尖兵でありながら、飛び立たなかった。
「どうした、ネハシム? 貴様は行かんのか?」
「行かないわ。王都ではあなたの側にいさせて、イルクレア」
ユランが怪訝な表情をした。
だが、幼い唇が動くよりも先に、金色のヴァルキリーは視線を王城へと向ける。
「感じるの」
「……? カナン城に何かいるのか?」
立ち籠めた黒煙と陽炎のおかげで定かではないが、カナン城の周囲には、レッサーデーモンが群がっているように見える。
「上位デーモンか?」
「……ええ。それもいるけれど……それだけではなさそうよ」
確信は持てていないようだ。
その証拠に、ネハシムは片手で口を覆って眉根を寄せている。
そのような不確かなものに従う道理はないと、ユランがもう一度命令を下そうとした瞬間、セアラが割り込んできた。
「いい。今は無意味な問答をしている場合じゃない。ヴァルキリーのネハシムって言ったか。おまえも一緒に城まで来てくれ」
「ええ。そうさせていただくわ」
一拍を置いて、ユランが口を閉ざす。
セアラは言葉を続ける。
「オレスティスは他の魔軍と一緒に民を救って。それと、騎士団や魔導師協会の生き残りがまだいるかもしれない。彼らをまとめて民を護りながらでいい、王城に向かって」
少し戸惑いの表情を浮かべた後、オレスティスはユランとネハシムに視線を向けた。
「……なんだ、貴様。セアラに危害を加えるつもりは毛頭ないぞ。貴様らとは違って、おれは戦争協定を遵守しているからな」
「や、そいつはもうわかってますって。魔王様は口は悪いが、悪人じゃあないみたいッスからね」
幼女が凄味のある笑みで、若き将軍を威嚇する。
「ハッ! 笑わせるな! 貴様、おれが善人だとでも思っているのか? 勘違いするなよ、小僧! おれはあくまでも戦争協定を――」
「善人って、んなわけないっしょ。魔王様が善人だったら、おれなんてもう、めっっったくそ非の打ち所のない聖者じゃないッスか。そうじゃなくて、おれぁ魔軍じゃなくて姫様の騎士なんスよ。そいつを投げ出して自由に動くことが正しいのかねえって考えただけです」
ユランとネハシムと、そしてセアラまでもが目を丸くする。
「……なんだ、貴様。ちゃらんぽらん騎士の分際で、そのようなことを考えていたのか」
「意外だね。父が間違えて将軍位を与えてしまっただけの小物かと思ってた」
「さすがに言い過ぎよ、二人とも。……気持ちはわかるけれど」
オレスティスが下唇を突き出して、泣きそうな顔をした。
「姐さんまで……」
ネハシムが大あわてで謝罪する。
「あ、あ、今のは違うのっ、ごめんなさいっ」
セアラが苦笑いで付け加えた。
「冗談だ、オレスティス。この国の生き残りの戦力をまとめられるのは、敵国の魔王でも戦い方を知らないお飾りの王女でもない。騎士団最上位、将軍のおまえだけだ。もうおまえしかいないんだよ。だから行って。…………頼りにしてるよ、わたしの騎士」
「………………うッス」
鎧も兜もない騎士が、両手にロングソードだけを持ってばたばたと走ってゆく。
早速襲いかかってきたレッサーデーモンの爪を左手の剣で受け止め、右手の剣で地面へと叩き落とし、じたばたと羽根を動かしている背中へと力任せに突き立てる。
背中を踏みつけて剣を抜き、オレスティスは再び走り出した。
「頼りになるのかならんのか。貴様のとこは常に人材不足だな、セアラ」
「頼りにはなってるよ。ヘタレはヘタレなりに頑張ってる。おまえたち魔軍と行動することで、少し変わったみたいだ。これならバレストラやロスティアと肩を並べる日も近いかもしれない。たぶん、リントヴルムやエドヴァルドのようにはなれないけれどね」
ネハシムが苦笑いで呟く。
「敵としては厄介な人材の宝庫ね」
「クク、まったくだ……」
ユランが半笑いで口もとをねじ曲げ、セアラに皮肉を吐く。
「ま、貴様んとこは将軍も勇者も、半分は変態と変人だがな」
「……いや、おまえらがそれを言うなよ。ほぼ全員が変態と変人じゃないか」
セアラの鋭い指摘に、ユランとネハシムは同時にうつむいた。
ブーメランが額を貫通し、背後のヴァルキリーの額にまで突き刺さった瞬間だったという。




