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第76話 老兵の慰め(第六章完)

前回までのあらすじ!


「やめて! わたしのために争わないで!」の逆バージョンが炸裂したぞ。

老兵は精神に深刻なダメージを負った。

 キャンプ地にしていた樹林地帯を抜けて、人通りのある街道を避けながら南下してゆく。

 むろん、いくら街道を避けたところでカナン騎士団との衝突までは避けられない。現に樹林地帯を抜けてから二日目で、師団規模をすでに二度潰している。


 だが、それ以上に――。


「何これ……」


 オレスティスの引く荷車に座るセアラが、荷台から身を乗り出して呟いた。

 その視界には、無数の騎士らの死体がある。数は不明。師団なのか軍団なのかさえわからない。なぜならば、ばらばらに喰い散らかされているからだ。


 前頭部を失った首から上、腕や足、肉片はもちろんのこと、千切れた臓腑の破片に、臓物だけを抜かれた死体。

 そこら中に屍肉を漁る鳥や、小型の魔物が湧いている。

 魔物らは腹を満たすことに夢中なのか、魔軍には見向きもしなかった。


 だが、違う。

 この惨劇は、肉食獣や魔物の仕業ではない。それらの群れでは、師団規模のミスリル騎士をここまで潰すことはできない。


 考えたくはない。考えたくはないが――。


 その他の可能性は低いどころか、ない。

 ユランが顎に幼い手をあてて、呻いた。


「……デーモンか」

「たぶんそうだろうね」


 荷車のセアラがこたえる。


「カナンではデーモンが頻繁に出現していたのか?」

「いや、ここ一月ほどの話だよ。ちょうどわたしが地方の有力貴族らを丸め込みにかかったあたりから、カナン領でデーモン被害が続出し始めたんだ」


 ユランが眉をひそめた。


「……無関係ではないのか?」

「わかんないよ、そんなこと。でも、関係づけようと思えば紐づけるのは簡単だ」

「言ってみろ」

「言えない」


 ユランの額に血管が浮かぶ。


「おい。面倒な問答をおれにさせる気か?」

「言えないことだ。察しろ、このぼんくら魔王」


 ユランの態度に変化がないと見るや、セアラは大仰にため息をついた。


「おまえ、また記憶を消し飛ばされたいの?」

「…………なるほど、そういうことか」


 神軍だ。

 これまでにわかっていることは、神軍は竜とも人とも魔とも相容れぬ存在であるということだ。だが、神軍が人間軍を敵視しているとするなら、なぜデーモンが今、人を襲うというのか。


 神軍とデーモンは繋がっている……?

 天界の住民と呼ばれる神と、煉獄の住民と呼ばれるデーモンが?


 ふと気づく。

 セアラは前王ゼラとも現王ガレンとも違う道をいくと言った。ゼラは神軍と対立し、記憶を保持しながらもその強大さに心が折れた。


 ならばガレンは……?


「……」


 セアラの瞳が、ユランを正面から見据えている。何かを訴えかけているように。

 たとえばそう、話せないことを察して欲しがっているかのように。


「ガレンが繋がっているのか?」

「うん」


 なるほど。ならば納得できる。

 ガレン・ライギスフィールドは神軍と繋がっている。おそらく現王ガレンは、神の傀儡か尖兵となって、魔軍を追い込んだ。突如として一方的に破棄された戦争協定も、もしかしたら神軍からの圧力があってのことだったのかもしれない。


 その傀儡政権を終わらせるため、セアラは王の座につこうとしているのだ。

 神軍と対立しているデーモンは、だからこそ群れを成して人間を襲い始めた。むろんデーモンはセアラが神軍と対立したがっていることなど知らない。ゆえに、王族であるセアラが山羊頭に狙われた。

 デーモンは知能が高い。それこそ、人間や魔族並にだ。


「そういうことか……」

「たぶん。あんたがよほどのバカじゃない限り、その想像はあってる」


 ユランが顔を歪めて吐き捨てた。


「いちいち一言多いぞ、貴様」

「よく言われる。不思議と」

「いや、不思議でもなんでもない……」


 絶対的な力を持っていた竜族は、神軍に勝てなかった。

 もしもセアラがガレンから政権を奪取できたとして、魔王たる己、もしくはイルクレア・レギド・ニーズヘッグと手を組んだところで、神軍と対立などできるのだろうか。ましてやライギスフィールド家の人間以外は記憶を奪われるのだから、敵という認識を維持することさえ難しいはずだ。

 そんな状態で、どうやって神を相手に戦うというのか。


 そのときに己はまだこの世にいるだろうか。それとももう、魔王はイルクレアになっているだろうか。

 少し寂しく感じられるのは、ここにいる魔軍がそれだけ大切な存在になっているということだ。それはきっと幸せなことなのだろう。己は運がいい。

 少なくとも、ここで転がって屍をさらしているカナン騎士どもよりは。


 オレスティスはともかく、遠慮のないラミュでさえ、セアラとの会話内容については尋ねてこない。神軍の記憶などないはずなのだが。

 ラミュはただ、騎士の死体の前でしゃがみ込んでいる。


「……ずいぶん新しいですね。温度が微かに残ってます」

「近くにデーモンの群れがあるということか」


 もしもそうだとするなら、迂闊には動けない。山羊頭のような怪物と鉢合わせたのでは戦力が削られてしまう。今は一刻も早く王都へと攻め入らねばならないのだから。

 しかしネハシムは首を左右に振った。


「レッサーデーモンは翼持ちだからもう近くにはいないわ。上位デーモンに至っては妖精族のように空間を越えるから、用が済んだのなら煉獄(アビス)に戻っているはずよ」


 用、すなわち食事。

 血を吸った大地を踏みしめる。

 嗅ぎ慣れた臭いだが、平気というわけではない。不快だ。


「弔いますか、イルクレア様?」

「時間がない。放置する。いいな、セアラ?」

「うん。行こう」


 セアラは平然とうなずくが、胸中は複雑だろう。この歳になるまで己を守ってくれた騎士団なのだから。顔見知りがいてもおかしくはない。

 だが、セアラ・ライギスフィールドは決して他者に弱味を見せない。仮に親しい騎士がそこで死んでいたとしても、きっと眉一つ動かさずに歩き去るだろう。

 彼の英雄、ユラン・シャンディラのように。


「ネハシム、念のために空の哨戒を頼む。デーモンの群れを発見したらすぐに報せろ。気をつけろよ」

「わかったわ。あなたもね、イルクレア」

「ああ」


 ネハシムが六翼で風をつかみ、金色の身を空へと舞い上げる。


「オレスティス、セアラの荷車を引け。進むぞ」


 しかしオレスティスは青ざめさせたまま、そこに立っていた。


「どうした、オレスティス?」

「……ここに転がってる騎士は、第八軍団から第十軍団までから選出された第二十二師団です」

「ふむ?」


 唇を震わせ、オレスティスが歪めた悲壮な顔を上げる。


「オレスティス・マーカスン将軍――つまり、全員おれの部下だ」


 ユランは絶句する。

 落ちている首を、欠けた頭を、特徴ある体型を、オレスティスは見回す。


「ライジー……レオニール……エレーノア……。ああ、クソ! 男も女も、まだ十代の若いやつまで……。なんだってこんなことになっちまうんだ……ッ」


 同じ全滅でも、山羊頭のときとは違う。

 あのときは同じ戦場に立ち、同じ危険に身を委ね、知力と武力を絞り尽くしての結末だった。精一杯やって敗北した。


 だが、この二十二師団は違う。

 将軍という司令塔を欠いたまま、デーモンに急襲されてしまったのだ。それも、おそらくは自身を含む魔軍を捜索している最中に、だ。


「おれの……せいだ……」


 臓物臭の漂う中、オレスティスはただただ立ち尽くす。血生臭い風が吹いて、ユランはルビー・レッドの頭髪を片手で押さえた。


 だが、やがて、冷たく吐き捨てる。


「ふん、偉そうにほざくな、小僧。貴様は何様だ、オレスティス」

「え……」

「ハッ、阿呆が。山羊頭のときを思い出せ。相手はデーモンだ。貴様がいたところで結末は変わらん。ここに死体が一人分増えるだけのことだ」


 これにはさすがにセアラが怒った。


「おい、魔王! なんだその言い様は! わたしの騎士をあまり侮辱するな!」

「いえ――」


 しかしセアラの怒号を止めたのは、ユランではなくオレスティスだった。


「その通りッスね……」

「そうだとも。この屍どもを哀れむならば好きなだけ哀れめ。……だが、いてもいなくても結果を変えるだけの力すら持たなかった貴様が、こいつらの死を気に病む必要はない。弱者のなれの果てなど、いつの世もこんなものだ」


 しばらく――。

 オレスティスはしばらくの間、言葉の意味を考えていた。


 やがて、弱々しく、微かに笑う。


「うッス」


 セアラが憮然とした表情で、あからさまにため息をつく。オレスティスが慌てて口を開けた。


「あ~……王女様も、あざっす! ちょっと元気出たっす!」

「へーへー。ついでの礼なんていーよいーよ。どうせ同じ王族でも、魔王の言葉にはかないませんからね。クソガキみたいな姿してる癖に、言うことほんと重いんだから。それに比べて、わたしは男の慰め方も知らない世間知らずだし?」

「や、やや、そそそんなことは決して――」


 オレスティスの言い訳にかぶせるように、ユランが面倒臭そうに吐き捨てた。


「勘違いするなよ、セアラ。おれは慰めたのではない。事実を言っただけに過ぎん。どうにもならんことをうだうだと考えたり、どうでもいい慰めの言葉なんぞをかけている暇があるなら、さっさと足を動かせ。顔を上げろ。心を引き摺ってでも、先へ進め」


 死を願い、死に場所を探した。

 血を吐き続けても、進み、進み、進み続けた。

 そうやって生きて、辿り着いた先が今の己だ。

 悪くはないさ。愛しき魔王に肉体を返していずれ死ぬのだとしても、悪くはない結末であると己は死の間際に考えることができるだろう。

 無駄ではない。その一歩は無駄ではなかった。


 幼女が不敵な笑みで、オレスティスへと命令を下す。


「わかったらさっさと荷車を引け、この愚図が!」

「うぃッス!」


 オレスティスが荷車を持ち上げて引いた。

 セアラは王女とは思えぬ態度で荷台に胡座を掻き、水の入った革袋に口をつける。


 体内に残る毒素の排出を、少しでも促すためだそうだ。度々、用足しに止まらねばならないのは面倒ではあるが、王都に辿り着くまでには確実に体力を戻しておいてもらわねば困る。


 他の魔軍はすでに進んでいる。死体を踏まぬように気を配りながら。


 王都カナンまで、あと二日――。

 決戦の地は、もう目と鼻の先だ。



カナン騎士、魔軍、デーモンの三つ巴になってきたぞ。

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