第73話 老兵にばいばい
前回までのあらすじ!
逃げ場なしだぞ!
大鉄扉側、リントヴルムの背後に立つロスティアの困惑した表情から察するに、どうやらカナイ大橋を落としたのはロスティアの策ではなく、リントヴルムとエドヴァルドの独断専行だったようだ。
リントヴルムが仮面の奥からくぐもった声で呟く。
「あなたに責はない、ロスティア将軍。わたしとエドヴァルドはすでに騎士団から離れ、あらゆる自由を王より与えられた身だ。カナイ大橋の破壊は独断で勝手にやらせてもらった。ガレン王にはそう伝えるといい」
「舐めるでないわ、リントヴルム。この老将、腐っても小娘や小僧に責任を押しつけねばならんほどには、地位にも名誉にもしがみついてはおらん」
リントヴルムが優しい声で呟いた。
「そういうところ、嫌いではありません。ロスティア将軍」
「かあ~っ! やめんか、そのまわりくどい言い方はやつを思い出す! 単純に“好き”の一言でよかろうに! まったく!」
リントヴルムが肩を揺らして笑うと、ロスティアもまた豪快に笑った。
「ふふ……」
「グハハ!」
後方、カナイ砦からはロスティア率いる数千のミスリル騎士とリントヴルム、前方、崩れて渡れぬ大橋は行き止まりで、天才エドヴァルド。
せっかく持ち出して並べた巨大な五つの火薬樽も、ミスリル騎士らが三人がかりで倒して転がし始めていた。もちろん、カナイ砦へと戻すためだろう。
抜け目のないことに、魔王の放つ炎の刃やヨハンの火矢から守るためか、大盾持ちの騎士らが護衛についている。
あれに斬り込んだところで、相手は無数のミスリル騎士と勇者リントヴルムだ。己であってもネハシムであっても届くことはないだろう。
ユランはルビー・レッドの前髪を掻き上げて、ため息をついた。
「お手上げだ。もうどうにもならん」
「そうですね」
ラミュが大げさに肩を落として同調した。
これではもはやどう足掻いても生き延びる道はない。
オレスティスなどはすでに顔色を青ざめさせ、唇を震わせている。裸エプロンは自らの陰にレミフィリアとかろうじて意識を保っているセアラを隠し、ヨハンにもいつもの軽口はなかった。
「ネハシム」
「何?」
「隙を見て逃げろ。貴様はただの傭兵だ。最後までおれたちに付き合う義理はない。今ならばまだヨハンに援護射撃をさせられる。だがヨハンが倒れた後では、いかな六翼とてカナイ砦からの矢雨を空で躱して加速するのは不可能だ。色々助けられて、ろくな礼もできんが、……健勝でな」
金色のヴァルキリーはわずかに眉根をひそめる。
「わたしは――」
だがユランは言葉を遮る。
「オレスティス!」
「は、はいッス!」
「貴様はセアラの側を離れず、やつらとは絶対に戦うな。おれたちが全滅したら、セアラを連れて投降しろ。囚われたセアラを守るために魔軍に潜入していたと言えばいい。疑惑で金も地位も名誉も失うかもしれんが、セアラの働きかけがあれば命だけは助かるだろうよ」
「……」
「クク、せいぜいうまくやれ。……ではな」
オレスティスが困惑した表情を浮かべた。
「裸エプロン、レミフィリア」
裸エプロンとレミフィリアが振り返る。
「なんだ?」
「すまんな。貴様らに逃げ道はない。おれが巻き込んだ」
裸エプロンが低い声で呟く。
「何を言っている、魔王よ。私の愛するこの少女は人間社会では死罪にて追われる身。もとより我らに道などない。最後までなり損ないの魔族として付き合わせてもらうさ」
「ご……ごめな……さい……」
ユランがうなずく。
そうしてルビー・レッドの頭髪を振って踵を返し、自らはリントヴルムとロスティア率いる数千のミスリル騎士の前に立った。
巨大な魔剣ドライグの切っ先を、片手で向けて。
「裸エプロン、レミフィリア。貴様らは後方の勇者エドヴァルドを押さえろ。強いぞ」
「心得た」
「は、はい……」
裸エプロンはともかくとして、レミフィリアならばエドヴァルドが相手といえど簡単にはやられたりはしないはずだ。むしろ二人であれば、押し勝てる可能性もある。
欲を言えばネハシムに頼りたいところではあったが、生存の可能性があるものにその役割を押しつけるのは、あまりに酷だ。
ふぅ、と息を吐く。瞳を閉じて思い出す。
ルビー・レッドの頭髪の魔王を。今の己よりも成長した美しき少女の姿を。
イルクレア、すまない……。貴女にこの肉体を返すことはできそうにない……。
「ラミュ」
「ええ。ひっかき傷くらいは残して差し上げましょう」
ラミュが連接剣を一振りして剣の形にする。
「ヨハン」
「お供いたしますぞ。マイスウィートプリンセス」
複合弓には、三本の矢が番えられたままだ。
「トロロン」
「はぁ~い、お断りしまぁ~す」
トロロンは球体状の肉体を左右に揺らしている。
「貴様ら生粋の魔軍には、煉獄まで付き合ってもら……う――? おい、トロロン、今なんと言った?」
全員が言葉を失ったまま、トロロンを振り返る。
「あのねー、魔王さま。ぼくねえ、すっごいことを思いついたんだー」
口を耳近くまで裂いて、トロロンがニィっと笑った。
ユランは視線を回す。
前方のロスティアもリントヴルムも、後方のエドヴァルドも、まだ動いていない。おそらくこちらの出方を見ているか、もしくは騎士道精神特有のお情けで最期の会話をさせてやっているといったところか。
いずれにせよ、そんなものは、いつでもこちらを潰せるという自信があってのことだ。
「言ってみろ」
「うん。ぼくはね、みんなと違って魔物に近いカラダなのに、旅に連れ出してくれてありがとうって思ったんだぁ」
ユランは眉をひそめる。
「貴様、この状況で何を今さら――」
「魔王さまが誰であっても、ぼくはすっごく嬉しかったし、すっごく楽しかった」
トロロンの言い様に、ラミュが顔色を変えた。
その視線を受けても、ユランはラミュに首を左右に振る。
今はこのイルクレア・レギド・ニーズヘッグの肉体の、中身の話に言及している場合ではない。
トロロンの黒く丸い鼻の横に生えている左右三本ずつの髭が、少し下がる。
「ニーズヘッグにいたんじゃ経験できなかったこと、初めて見る景色、古の竜、おいしい食べ物を作ってもらって、崖から落ちたりして時々は大変だったけれど。それでも……さ。魔王さまが来てから……とっても楽しかった」
「貴様、先ほどから何を言っている!」
だが、続く言葉を呑み込む。巫山戯た姿の怪物の、あまりに真剣な瞳に。
「ずぅっと続けられたらよかったんだけど、でもたぶん、ほんの少しでも生き残れる可能性があるのは、ぼくだけなんだよ……」
トロロンが大きな手を、幼女魔王の両肩へとそっとのせた。
「ぼくはあなたのことをまだあんまり知らない。でもたぶん、あなたは魔王さまが一番信頼できる人だったんだって、今ならわかるよ。だから、あなたに託したんだと思うんだ」
「トロロン! あなたッ!」
ラミュの叱責を、ユランが片手で止めた。
「……続けろ」
「おぼえてる? この前言ったこと。子供のお話」
「貴様が死んだら、餓鬼に名をつける話なら断ったはずだ。何を考えている」
トロロンが砦側を振り返る。
「……もう、時間みたい。裸エプロンくん、ヨハンくん、魔王さまを押さえていてね」
「……む?」
「トロロン殿、何を――」
魔軍二大筋肉が目を見合わせた瞬間、トロロンはユランの肩を乱暴に突き飛ばした。小さな身体のユランは為す術もなく、裸エプロンの前垂れへと後頭部をあてる。
ぶにゅり。
「ひぇ……っ」
生温かく気色の悪い感触にユランが身を反らした直後、トロロンがたった一体で砦を目指して走り出した。あまりに唐突だったためか、魔軍も、ミスリル騎士らも反応できない。
走りながら肉体を逆三角形に変形させ、トロロンが雄叫びを上げた。
――ギャアアアァァァオオオオオォォォーーーーーーーッ!!
敵味方問わず、聞く者の身を竦ませるほどの大音量で。
顔を歪め、耳を塞いで目を閉じた最前列のミスリル騎士を爪で薙ぎ払い、五つの火薬樽を転がして砦に収容しようとしている騎士らの集団へと向けて。
ロスティアが顔色を変えて叫んだ。
「いかん! そのトロールを殺せいぃぃぃーーーーっ!!」
すかさずユランも叫ぶ。
「援護だ!」
だが、裸エプロンはユランの肉体を離さなかった。がっしりとした腕を幼女の胸に回し、ぐっと締めつけながら抱きしめる。
「行かせんぞ、イルクレア。ほんの少しでも可能性があるなら、おまえはここで死ぬべきではない」
「貴様――ッ」
魔剣ドライグの腹でハゲ頭を殴りつけようとしたユランの手首に、連接剣が巻き付いた。
「ラミュ! 何をするッ!?」
「彼の言う通りです! まだ可能性があるのなら!」
ヨハンが弓を放ち始めた。バイザーを上げたままトロロンに斬りかかるミスリル騎士らが眼球を射貫かれ、次々と倒れてゆく。
トロロンが大盾持ちの集団に体当たりで殴り込み、一気に突き崩した。
「撃て撃て撃て撃てッ!!」
「殺せ!」
カナイ砦から矢が雨のように降り注ぎ始める。すべてはトロール一体を狙って。
「ギャゴァァアアアアアァァァァッ!」
強靭な毛皮でものともせずに突き進むトロロンの腹部に、大盾持ちのミスリルの槍が突き刺さる。
「や、やった……」
一瞬動きを止めたトロロンへと、槍がさらに二本突き刺さった。
「へへ!」
「おれの手柄だ!」
「バカ、三等分だろ!」
だがトロロンは血走った目を剥いて再び動き出す。熊のような右腕を持ち上げ、大盾ごと一気に三名の騎士を薙ぎ払って吹っ飛ばした。
断末魔の悲鳴もなく、吹っ飛ばされた騎士らは肉塊と化す。
「フーッ……! フーッ……! ぐうぅぅぅぅッ!!」
ミスリルの爪で騎士の首を乱雑に貫き、トロロンは三本の槍を腹に刺したまま突き進み始めた。その脇腹が斬られ、毛皮から血が噴出する。
ぐらり、とトロロンの巨体が揺らいだ。
「ぐ……っ、ま……だ……! ――ガアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
叫び、爪を振るう。
騎士らが子供に投げ捨てられた玩具のように、左右に吹っ飛んでゆく。
ユランの心臓に冷たい鼓動が走った。
「やめろ……やめてくれ……」
すでに全身を赤く染められた怪物は、ついに火薬樽を転がす騎士の背中を捉えた。ちょうど大鉄扉と大橋を繋ぐ境目で。
「放せラミュ! 裸エプロン! 命令だッ!! 魔王の命令だぞ貴様ら!」
「できません!」
「男の覚悟を無駄にするべきではない! 聞き分けろ、イルクレア!」
ヨハンは次々と矢を番えて放つ。
だが、カナイ砦から持ち出した矢の本数は多くない。早々に撃ち尽くしたヨハンが、複合弓を地面に叩きつけた。
「く……!」
援護射撃を失った瞬間、カナイ砦からの矢が雨のように降り注ぎ始めた。
「戻れ! 戻れトロロン!」
血塗れのトロロンの右目に、カナイ砦から放たれた矢が突き刺さった。だが、トロロンは引き返すどころか火薬樽を大急ぎで転がしている騎士の背へとさらに踏み出す。
「……フーッ……フーッ……!」
「ッひ……ぅぅぅわああああ!」
最後の一歩。トロロンが目を剥いて爪を振り下ろした。
火薬樽を転がす騎士が、諦観で瞳を閉じる。
しかし――。
響く金属音。
「バケモノめ!」
ミスリルの爪を、透明の刃――すなわち聖剣レヴィアスで受け止めて、リントヴルムはトロロンの腹に刺さったままの槍を足甲の裏で蹴って突き放した。
背後によろめいたトロロンへと、ミスリルの刃が次々と突き刺さる。
「……か…………ふ……ぅ……」
ごぼり、とその大きな口から大量の血液が流れ出た。
ユランが短い手で頭を抱える。
「やめてくれ! 頼むッ! お、おれからもう……仲間を……奪わないで……」
遊撃隊三〇〇を失い、無様に生き延びてしまったあの頃のように。
犠牲の上に成り立つ生ならば、こんなものはいらない。いらないと知ったのだ、老兵は。
だが、かなわない。この身では、裸エプロンの力には到底。
「……やめろッ、リンッ!! ……そいつを殺すなッ!!」
ユランの叫びごと断ち斬るように、リントヴルムは透明刃をトロールの首へと照準する。
「レギド、その薄汚い嘘つきの口で、わたしをリンと呼ぶなッ!!」
その隙を衝いて、赤い何かがトロールの股下から火薬樽へと抜けた。
ユランが目を見開く。
サラマンダー!
背中のヒレがないところを見ると、ロスティアに斬り飛ばされた個体だ。
だが。
「甘い!」
リントヴルムはとっさに照準を足もとを這う火蜥蜴へと変えると、冷気の斬撃を飛ばした。
火蜥蜴は身をよじって直撃は避けたものの、冷気に煽られて吹っ飛ばされ、火薬樽からは遠く離れたところに腹を見せて転がった。
その手足が、冷気に侵蝕されてぴきぴきと凍りついてゆく。
「……あかぁ~ん……。また、やってもたぁ~……」
すぅっと透明になり、サラマンダーが消滅する。
ヨハンが苛立たしげに拳を大橋へと叩きつけた。
直後、余裕の笑みで視線を戻したリントヴルムは戦慄する。
もはや力を失い、死を待つだけと思っていたトロールが、低く、低く、ミスリルの爪を低空にかまえていたからだ。
そしてそれは、彼女に対してではなく。
かつん……。
小さな音がして、ミスリルの爪が岩石の大橋を削る。そのまま力任せに引きずって、引きずって。
「ぅ、ぅぅぅぎいぃぃぃぃ!」
削り、削り、勢いを増して逆袈裟に斬り上げられた爪は、摩擦熱で火花を散らしながら騎士を吹っ飛ばし、その先にあった火薬樽をも真っ二つにして、たんまりと詰め込まれていた黒の火薬を空間に散らしていた。
トロロンが魔軍を振り返り、残った左目だけを細めて笑う。ニィっと、口を耳まで裂いて。
「……ばいばい、みんな」
火花は急速に橙色の光となって、トロールを、そしてミスリル騎士らを包み込む。
ユランが見た最後の光景は、リントヴルムが死んだ大盾持ちから大盾を剥ぎ取って身を隠したところだった。
光は凄まじい音とともに急激に拡張し、次々と他の火薬樽に誘爆してゆく。
炎の中で微笑むトロールと、詰め寄せていた数十名のミスリル騎士と勇者リントヴルムを呑み込み、そして砦と大橋の接合部を衝撃で粉砕しながら。
「トロ――!」
声は爆発と濁流の音に呑まれて掻き消された。
凄まじい光と音、そして衝撃、無数の悲鳴に、五感が閉ざされる。
カナイ大河の流れが、カナイ砦に陣取るミスリル騎士らと大橋に立つ魔軍との間を切り離し、無数の竜が走るがごとく押し流してゆく。
爆発の黒煙が晴れたとき、そこにはもうトロールの姿はなかった。
ロスティアは呆然と立ち尽くしていた。
大盾ごと大鉄扉まで吹っ飛ばされて背中を打ちつけたリントヴルムは、意識を失ったらしく仰向けに倒れていた。
ミスリル騎士の多くは、腰を抜かしている。
爆心地に近い位置はすでに濁流に呑まれ、何もない。数十名もの騎士らの姿も、優しい怪物とともに消えた。
「こ……んな……」
ユランは――。
ユランは力なく膝をつき、ドレスの左胸を強くつかんで、ただただ表情を歪めていた。
(ノД`)・゜・。




