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第67話 老兵とお姫さま

前回までのあらすじ!


老兵は口喧嘩にめっぽう弱い!

 セアラ・ライギスフィールドはうっすらと輝く金色の髪を振って、涙ぐむ魔王へと手を差し伸べた。


「ん!」

「……?」


 反射的にその手をつかもうとしたユランの小さなお手々を、セアラは容赦なく叩く。

 ぱぁん、と平手の音が響いた。

 幼女の表情に、さらなる悲哀が走る。


「ちーがーう! なんでわたしが魔族と握手しなきゃならないんだ! ルフの肉をちょうだいって言ってんの! くれるんでしょ!? 二言はないよね!?」

「お、おお……」


 ユランが裸エプロンに視線を向けると、裸エプロンは焼けたルフの肉ののった大皿をセアラへと差し出した。

 セアラは豪快に手でつかんで、迷わず口にねじ込む。塊肉が一口だ。

 リスのように頬を膨らませ、ワニのように咀嚼し、蛇のように喉を膨らませて嚥下する。途中で喉に詰めたらしく、セアラはどんどんと拳で胸を叩いた。

 ネハシムからカップを強奪し、紅茶で流し込む。


 だいぶイメージがちがう……。

 そう思ったが、ユランは口に出さなかった。


 嚥下し終えると、セアラは座している魔軍を上から睨めつける。


「で?」


 魔軍が一斉に視線を交えてから首を傾げた。

 涙ぐむ魔王に代わって、蛇の女王が尋ねる。


「で、とは?」

「カナイ砦を越える方法に決まってるでしょ。あんたたち、これからどうするの?」

「それを今話し合っているのですが……」


 セアラが半笑いで両手を広げ、大げさにため息をつきながら首を左右に振った。


「やれやれね。期待はずれもいいところだわ」

「……なぜ貴様にそんなことを言われねばならんのだ」

「はあ?」


 ユランが立ち上がり、セアラを睨み上げる。


「勘違いするなよ、セアラ。貴様はあくまでも敵国の王女という立場を忘れるな」


 セアラがぽかんと呆けた後、突然ぱちぱちと手を叩いた。


「そう、それでいいの。よくできました。わかった?」

「……何がだ?」


 察しの悪いユランの背後から、ラミュが呟く。


「人質ですか」

「そ。わたしはカナンの第一王位継承者セアラ・ライギスフィールドよ。これ以上ない人質でしょう」


 セアラが挑発的に髪を掻き上げ、不敵に笑った。

 だが、その笑みは一瞬にして消滅する。


「……てゆーかあんたたち、なんのためにわたしを助けたの? 人質にするためじゃなかったの?」


 魔王以下、魔軍が一斉に顔を見合わせた。

 ラミュ以外は全員が、ぽかんとした表情だ。


「あの、イルクレア様? どうなんです?」

「……か、考えてもなかった……」


 セアラとラミュが同時に仰け反った。


「レギド……あんたバカなの? じゃあほんとに、なんのためにわたしを助けたのよ? デーモンよ、デーモン! レッサーデーモンを一〇〇体も率いていたのよ? あんなの、いくら魔王って言ったって危険だろ!?」


 ルビー・レッドの頭髪に手を入れて、ユランが頭痛を堪えるような表情でセアラをもう一度見上げた。


「なんだ、貴様は(おれ)の心配をしているのか? そもそも先ほどからの貴様の言動、オレスティスの莫迦を裏切り者扱いしておきながら、まるでおれを王都に導こうとしているようにしか聞こえんぞ」

「そうだと言ったら?」


 両手を腰にあてて上から睨めつけるセアラと、左手だけを腰にあてて下から睨みつけるユランの視線が衝突する。


「理由を聞かせろ」

「嫌だね」


 ユランが大地に突き立てておいたドライグの柄を、右手でつかむ。


「……ねじ伏せて聞き出してもいいのだぞ」

「やってごらん? 死ぬまで話してあげないから」


 舌打ちをしたユランが、しかし真顔になって呟いた。


「ならばおれが勝手に話そう。それならかまわんか?」

「お好きに」

「ゼラ・ライギスフィールドをおぼえているな。現王、貴様の父を担ぐ強硬派に斬首刑にされた前王だ」


 セアラの表情が変わった。

 目の前にいる魔王に対する嘲りが消え、ユランと同じく表情が抜け落ちる。


「もちろん。伯父様からは、多くのことを教わったから。政治に経済、王の心得、戦術に戦争協定。民、臣下、王族、貴族、数え上げればきりがない」


 何かを隠すために表情を消したのだ。


「でもね、ゼラ・ライギスフィールドは愚かな弱王だったわ」

「……」


 ユランが柄を強く握る。

 ドライグの刀身から、ちらちらと炎が立ち上った。


 小さな魔王の肉体から、濃厚な殺気が漏れ出す。

 たとえそれが女であっても躊躇いはない。老兵は躊躇わない。必要と断じたならば即座に斬る。そうでなければ生き残れない。


「現王の名はなんという?」


 低く変化した幼女の声に、セアラの片足が微かに下がった。

 気圧されたのだ。だが、それでもセアラは踏みとどまる。


「ハッ、あんた敵のことさえ知らないの? ほんとにあきれ――」

「余計な問答をするつもりはない。すぐにこたえろ」


 だが、セアラもまた、一瞬の後には持ち直していた。

 セアラの周囲の熱量が上昇した瞬間、六翼のヴァルキリーが暴風とともにセアラの背後に回り込み、グウィベルの巨大な刃をその頸部に押しあてた。

 翼に煽られた樹林の枯れ葉が、一斉に舞う。


「魔法は使わないで。質問にこたえなさい」


 セアラが不快そうに息を吐くと、空間の熱量が下がった。


「父の名はガレン。現王はガレン・ライギスフィールドだ」

「貴様にとってのゼラが愚かな弱王であったならば、ガレンはどうだ?」


 ぎり、とセアラが奥歯を噛みしめる音がした。


「……語る価値もないッ」

「いいや、語れ。もう待たない」


 幼女が大地に突き立てた特大剣を、徐々に引き抜いてゆく。

 だが、その背後。ミスリルのロングソードを抜いたオレスティスが、ユランの首筋へとその白き刃をあてた。

 ラミュが叫ぶ。


「オレスティス!」


 魔軍が一斉に膝を立てるも、すでに動くことはできない。

 しかし、ほんの一瞬だけオレスティスに視線を向けたユランだったが、意にも介さずすぐにセアラを睨み返した。

 一触即発の張り詰めた夜の樹林で、オレスティスが苦笑いで声を絞り出す。


「……あ~……えっと、やめてもらえませんかね……ネハシムさん……。あれでも一応、うちの国の姫様なんで……。おれだってほんとはこんなことしたかねえんですが……セアラ王女はあんたらにとってのイルクレアちゃんみたいなもんなんすよぉ……」


 ネハシムが呆気に取られたように目を見開く。

 ただの腰抜けだと思い込んでいた男が、ほんの一瞬で主の背後を取ったのだ。


「……ってことで一つ、同時に下ろすってのはどうでしょ。こんなこと言っちゃいけないんですが、おれ、あんたらのことも嫌いじゃないんスよね」

「仕方がないわね。いいわ」


 ネハシムとオレスティスが、同時に刃を下ろした。

 途端にネハシムを除く魔軍全員が、大きく息を吐いた。

 セアラがぽつりと呟く。


「腰抜けだ」

「ええ、そりゃねッスよ~……。結構命がけで助けましたのにぃ~……」

「おまえのことじゃないよ、オレスティス将軍」


 ユランが眉の高さを変えて問い返した。


「ガレンか?」

「そうだよ。ガレン・ライギスフィールドは力を持った腰抜けだ」


 腰抜け……。

 わからない。魔族を果敢に攻め立て、戦争協定を破って魔の民を蹂躙し、今も人類王に君臨しているガレンが、腰抜け?


「わたしはあいつから――父から王位を奪わなければならない」


 先日、オレスティスは言った。

 セアラ・ライギスフィールドは地方の有力貴族と、将軍位であるオレスティスですら知らされない内容の、話し合いの場を設けている、と。


 反乱……? 実の父に弓を引こうとしているのか……?


 セアラは声を落として呟く。


「ゼラ伯父様も父王ガレンも、人類王には相応しくなかった。ゼラ伯父様は勇敢だったけれど優しすぎた。父ガレンはその臆病者さゆえに強かった」


 セアラは一度言葉を呑むと、苛立ったように吐き捨てた。


「でも、それでは守れない! 守れないんだ、誰も! わたしは違う! あんなやつらとは絶対に違う! セアラ・ライギスフィールドは、誰の意志も継がない!」


 そして、気が触れたかのように、ふいに笑い出す。

 片手で額を押さえて月に向かって。端正に整った顔を険しく歪めた笑みで。


「ふふ、あははっ、こんなこと言ったって、どうせおまえにはわからないよな! だって記憶がないんだから! あのときのユランと同じように、消されてるんだろっ!」


 言葉の雷が脳天から足先までを貫くような衝撃だった。


「……みんなそうだ。人類王の一族以外は、みんな記憶を失った。そうしてあいつらの傀儡として死んでゆく」

「セアラ?」


 こいつはなんの話をしている?

 いや、わからないふりはすまい。こいつは記憶を消されていないのだ。あれの。


「すべてを託した勇者ユランがあれに敗北し、記憶を失って戻ってきたときに、優しいゼラ伯父様は絶望したんだ。牙が折れてしまった。――あいつのせいだ! すべてユランが弱かったから、ユランが負けたからカナンはだめになった!」


 心臓が凄まじい勢いで鼓動を刻んでいる。全身を伝う汗はひっきりなしで、呼吸をいくら速めても息苦しい。

 セアラ・ライギスフィールドは続ける。


「……だったらもう、わたしが強くなるしかないだろ……」


 うなだれ、岩に腰を下ろし。


「これがすべてだよ。他に話すことはない。どうせおまえらには意味なんてわからないだろうけどな」

「……セアラ。決めたぞ」


 ユランが額の汗をドレスの袖で拭って視線を上げた。


「おれは貴様をカナン王にする」

「傀儡にはならない。魔族も、やつらも、知ったことじゃない」

「魔軍はそのようなものは望んでいない。ただ、戦争を終わらせるためにここまでやってきただけだ」


 セアラの視線が――。

 先ほどまでとはまるで別種の弱々しい視線が、ユランを見つめる。


「貴様をカナン王にしたら、すぐに停戦協定を結ぶ。その次は人魔同盟だ」

「…………同盟? ハッ! おまえ、わかってるのか? 人類と魔族以外は戦争なんてしていないだろ。同盟を結んで何と戦うんだよ。デーモンなんて言うなよ? あんなの、ただの野良だ」

「口には出さん。その理由は貴様も知っているはずだ。だが、貴様が今脳裏に思い浮かべた存在に相違ないことだけは言っておいてやる」


 すなわち、神軍。

 澱みの森の遙か北に鎮座する、暴虐の神々。

 竜をも滅ぼした、この世界に現存する史上最凶の怪物ども。


 セアラがゆっくりと目を見開く。


「おまえ、わたしの言っていることがわかるのか!?」

「ああ。いくらかは記憶がある。…………おれも、それと戦ったことがある。残念ながら、今のおれの仲間は何も知らんだろうがな」


 セアラはイルクレアを知らない。それは、イルクレアと旅をしたユランが敗北して戻ってきたとき、旅の記憶ごと彼女の存在まで脳裏から消されていたからだ。

 話せなかったのだ、ユラン・シャンディラは。魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグは、敵対する必要のない存在だったと。記憶を奪われてしまったために。

 旅の記憶が残ってさえいれば、人魔同盟はゼラ王の時代に結ばれていてもおかしくはなかった。人類の勇者と、魔族の魔王が、ともに手を取り合って旅をした記録なのだから。


 誰も、言葉を失っていた。

 聡明なる蛇の女王や、カナン騎士団の将軍でさえもだ。みな、首を傾げてきょとんとした顔をしている。


「……」


 だが、その中に一人だけ、耳をそばだてる者がいた。

 聖剣グウィベルを担ぐ金色のヴァルキリーは、月光の中、静かに瞳を細める。



バカばっかりやってるわけではなく、ちゃんと物語も動いてますよ。

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