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第64話 老兵の休日②

前回までのあらすじ!


魔軍は基本ブラックだけど休日もたまにはあるぞ!

 バカな……。


 廃村マルスより北東へしばらく。林の奥にそれはあった。

 マルスの孤児らが松明で照らし出すその水源は、ざわめく樹林の葉の隙間から射し込む月光へと向けて、白い湯気を立ち上らせている。

 温泉だ。


 幼女魔王、うめく。


「き、貴様ら……」

「どうしたの?」


 孤児らの年長者であるティンが、松明を岩の隙間に差し込んで固定しながら振り返った。


「けしからん! なんという破廉恥な!」


 男女混合で温泉だなどと! 混浴だなどと!

 変態ヨハンはいないとはいえ、オレスティスや裸エプロン、それにラミュやレミフィリアがいるのだぞ!

 なんたる無神経! これだから餓鬼は嫌いだというのだ!


 ティンが苦笑いで言った。


「ちゃんと女性用の場所もあるよ。心配しないで、イルクレア」

「む?」


 ティンが温泉を指さす。


「あそこの大岩を境目にして、こっち側は男性用、向こう側は女性用ってことにしてあるよ。脱衣のためのスペースも一応は別。といっても、ぼくらは子供だから誰も気にしてないけどね。どうせ温泉に浸かっちゃえば繋がってるし」


 子供らはぼろ布のような服をそこら中に脱ぎ捨て、楽しそうに温泉へと飛び込んでゆく。

 ティンの説明ではここは男性用の脱衣スペースで、男性用の湯船のはずだが、性別問わず誰も気にした様子はない。


「そ、そうか」

「裸エプロンのおいたんとオレスティスさんは、ここで脱いで入って」


 ティンの言葉に、裸エプロンとオレスティスがうなずく。


「うむ。そうさせてもらおう」

「しゃっす! あざまぁ~~~っす!」


 オレスティス……。

 もはや貴族らしさは欠片もなく、誰にでも尻尾を振る犬のようだ。


「ラミュさんとレミフィリアさんはあっちでお願い。気にしないなら、温泉に浸かってさえいればこっちに来てくれてもいいから。大岩を回り込んでね」


 平たい胸を撫で下ろす。

 案外きちんと分けられている。子供だからといって侮っていたのは己か。やれやれ、少々反省せねばならんようだな。


「イルクレアは好きなところでどうぞ」


 ティンが邪気のない笑顔でそう言った。

 たしかに、己はティンよりも年下の肉体だ。どちらに入っても問題はない。

 だが――。


「クク、阿呆が。好きなところも何も、このおれが女湯などに入るわけがなかろう」

「…………えっ!?」


 ティンが素っ頓狂な声をあげた。

 ざわ、ざわ、風が通りすぎるたびに樹林が揺れて、子供らの歓声に混じって葉擦れの音が響く。


 ………………。

 …………。

 ……あ。


 ユランはようやく事の重大さに気がついた。




 ――え? 己はどっちだッ!?




 ふと気づけばラミュが眉根を寄せ、じっとりとした粘着質な視線をこちらに向けていた。

 じわり、と嫌な汗が背中に浮かぶ。

 幼女魔王、大あわてで首を左右に振りながら後退る。


「待て待て待て待て! ……………………え?」


 裸エプロンが大胸筋の前で豪腕を組み、豪快に笑った。


「はっはっはっはっ!! 何を言っている、イルクレア。子供の姿を取っているとはいえ、女性主君たるもの、配下にそう易々とすべてを見せるものではない。女湯へ行け」

「いや、そういうアレではなくてだな……そもそもがおれは……」


 己が男だと言い張ったところで、誰も信じはすまい。仮に信じられたとするなら、その時点でもうかなりまずいことになっているのだが。

 正体バレは、すなわち反乱待ったなしだ。


 んん!?


 それにこれは、あの愛しき魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグの肉体だ。餓鬼が相手ならばいざ知らず、裸エプロンやオレスティスのような成人の輩に見られてしまうのは正直気が引ける。いや、これはただの嫉妬だが。


 おぉん!?


 ならばと振り返れば、ラミュがジト目で己を見ている。

 糞が! ふだんから半裸の分際で、何を今さら気にすることがあるのだ!


「お先ぃ~っす! ――いやっほ~~~ぃ!」


 オレスティスはさっさと身につけたものを脱ぎ捨てると、餓鬼のような歓声を上げながら水面へと飛び込んだ。

 水飛沫が上がって、子供らが笑顔で叫ぶ。


「きゃー! チビリ、へんなかたちの、ぶらさげてるよー!」

「はっはっはー、これが大人というものですよー! ご子息だけど大人ってね! はーっはっはっは!」


 粗末なモノを振り回しながら何を言ってるのだ、あいつは……。

 魔族の魔将軍不足も取り返しのつかないレベルだが、あれが将軍なのだからカナン騎士団の将軍不足も相当よろしくない領域にありそうだな。


 すかさずレントが躍り出る。両手にはすでに石をチャージしている。


「にげて、チルム! ここはぼくにまかせろー!」

「あ、レント、石はやめよ!? 痛い!? ちょっと、一回ストップ! まじで!」


 ……やはり馴染んでいる。

 やつめ、餓鬼と仲良くなる早さだけは異常だな。


 身体によじ登られ、石をぶつけられ、温泉に沈められ、オレスティスはわりと必死な形相になっているが、子供たちは楽しそうだ。

 特にレントはオレスティスの大げさなリアクションが楽しくて仕方ないらしく、執拗に彼につきまとっている。今も鳩尾に跳び蹴りを決めたところだ。一応、懐いているといっても差し支えはないだろう。


 ふと気づけば裸エプロンがエプロンを外し、ただの裸となっていた。

 むろん、ご子息様を見せぬように尻をキュっとすぼめて足を閉じ、こちらに異常発達した広背筋だけを見せつけている。

 紳士だ……。


「フ、では私も温泉をいただこう」


 足からゆっくり入り、腹から胸、胸から首、そして首から頭頂部までを浸ける。

 潜った……。ぷくぷくと泡が上がって弾ける。

 やがてハゲ頭がぷかりと浮いて、首から上を水面から出した。


「何をしている」

「温泉には万病に効くというものがあると聞く。……生えるかと思ってな」


 パシっと、己の頭を叩きながら。


「貴様、ハゲを気にしていたのか?」

「フ、私に限ってそのようなわけがあるまい。……ただ、たまには髪型を変えてみたくはあった。それだけのこと」


 変えるも何も、貴様のは髪型ではなく、ただの丸出し頭皮だ。そう言おうと思ったが、言葉は呑み込んだ。

 それどころではないからだ。


「イルクレアはどうするの? ぼくらと入る? ラミュさんやレミフィリアさんと一緒にいく?」


 ティンの問いかけに、ユランが当然のように先ほどと同じ言葉を返した。


「ハッ、笑わせるな! このおれが、女風呂になど入れるか!」

「いえ、入るんですよ」


 ラミュの片手が伸びてきて、深紅のドレスの襟首をつかむ。


「待――んぐっ」

「うふふン。では行きましょうね~」

「首……っ、絞ま……っ」


 幼女の肉体では抗う術はなく、ユランは無様に引きずられ、女性用の脱衣スペースにまで連行された。当然ドライグは肌身離さず持っていたが、さすがにヨハンのようにぶん殴るのは気が引ける。

 ゆえに幼女、じたばたと暴れる。


「ば、莫迦者! 放せ、放さんか貴様! 事の重大さを認識しているのか、ラミュ!?」


 ラミュはユランの呼びかけを無視して、レミフィリアに命じた。


「レミフィリア、先に入っていなさい」

「あ……、はい……。あの……魔王さま、どうかされたのですか……?」

「うふふン。なんでもありませんよ。魔王様は恥ずかしがり屋なのです、昔から。穢れを知らない貞淑な乙女ですからね、イルクレア様は」


 気色の悪いことを言うな! 己は男だ!


「……え、でも男性用なら入るって……さっき……」

「あ~。この人、ちょっとバカなので、たまに暴走しておかしなことを言い出すんです」


 おいこらっ、糞蛇っ!!


「なる……ほど……」


 納得するな、糞殺人鬼!


 レミフィリアがエプロンドレスのエプロンをしゅるりと解き、黒のドレスの、編み上げ紐を引いた。するっとドレスが下がったところで、ユランはサッと視線を背ける。

 粗野でありながらも、紳士である。

 衣擦れの音が響き、それが収まった頃。


「あ、あの、では、お先に……いただきますね……?」

「おう」

「ええ。わたくしたちもすぐに行きますから」


 レミフィリアの気配がその場から消えてから、ユランは視線を戻してラミュを睨み上げた。


「貴様、なんのつもりだ!」

「なんのつもりはあなたの方ですよ、ユラン! 男湯に入るなど言語道断です! 今のあなたの肉体は、イルクレア様のものなのですよ!? 裸エプロンの申し上げた通りです! 主君が軽々に異性に肌を晒すような真似はおやめなさい!」

「あのハゲ筋肉は同性だ莫迦!」

「今は異性でしょうがバカ!」


 むぐう、とうなる。

 己にどうしろというのだ。


「ならばおれは入らん。それでいいな?」

「ティンやチルムたちの好意を無碍にして? あと、わたくしも含めて、みな見かけ以上に疲弊しています。あなたもそれは例外ではないでしょう。温泉は怪我の回復や疲労を取るには最適です。主君が入ってもいないのに、配下だけがゆるりと休めますか?」

「む、う……」


 ちらりとラミュを見て、小さな声で呟く。


「貴様、おれはこんな形でも男だぞ。餓鬼でもない。気にならんのか?」

「……ユランが過剰に意識しすぎなのでは? ヨハンさえいなければ、あなた程度の存在は誰も気にしませんよ。見た目はただの小さな女の子なのですから」


 身も蓋もない。

 たしかに騒いでいるのは己だけだ。

 だが――。


「おれとて、この肉体でなければ己自身は悩むことなど一つもないのだがな。どちらに入ろうとも、だ」

「まあ、それについては同情しますよ。ですが、その肉体でしたら万が一わたくしやレミフィリアに興奮しても、反応する部分はありませんからね。気にするのもバカバカしいです」


 哀しくなる事実だ。だが一つだけ訂正しておきたい。

 顎を上げ、高圧的に吐き捨てる。


「ハッ! 笑わせるな! このおれが、貴様らごときに反応などするものか、阿呆が!」

「なぜ? わたくしが魔族だからですか?」


 ラミュが少し不本意そうな表情で呟いた。


「き、貴様はすでに、そういう括りではない」


 ラミュが黒い包帯のような服を解き出す。

 なにげなくそれを眺めながら、ユランは続けた。


「レミフィリアは餓鬼だ。少なくとも中身はな。それを知っていればなんとも思わん。それに貴様は見慣れた。常時半裸のやつが全裸になったところで、今さら何ほどのこともない。あまりうぬぼれるなよ、ラミュ・ナーガラージャ」


 ちなみに前半は本当で、後半は嘘だ。

 それを見抜いたわけではないだろうが、ラミュが牙を剥いて意地の悪い笑みを浮かべた。


「イルクレア様に惚れてるからでしょ? うふふン、いい歳したおじさんが、あんな可憐な少女魔王に何を期待していたのやら」

「……う、うるさいぞ!」


 図星を突かれてどもった。

 もっとも、もう己の肉体は存在しない。

 ゆえに、肉体の返還は愛した魔王に捧げる最後の無償奉仕だ。


「否定しないところは立派な男性ですね。すみません、少々意地悪を言いました。……ちょっと妬けてしまったもので」

「ハッ! 貴様はどちらに対してに妬いているのだ?」


 軽口の質問に、蛇の女王が困ったような笑顔で尋ね返してきた。


「……それ、本気で知りたいんですか?」

「……やめておく」

「賢明です」


 包帯のような服を解いて堂々と全裸になったラミュが、肩までできっちりと切り揃えられた髪をひと掻きして背中を向け、水面に足を浸けた。


 はぁぁぁ~……。


 深いため息をついてうなだれながら、ユランは深紅のドレスの編み上げ紐を引いた。



不思議と生きた心地がしなかったそうです。

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