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第54話 老兵と第三の勇者

前回までのあらすじ!


老兵幼女、子供たちに包囲網を敷かれる。

 この世界には、人の皮を被った怪物がいる。


 その日は朝から体調が優れず、起きては寝てを繰り返していた。夕方頃には熱が下がったけれど、おかげで夜に眠れなくなった。


 静まりかえった屋敷。

 陽のあるうちは賑やかなラーツベルト家だけれど、夜はとても静かだったことをおぼえている。


 だから、その声が聞こえた。

 くぐもった少女の悲鳴。苦しんでいるような呻き。

 助けなければ。


 わたしは屋敷の廊下を歩き、声の発生源へと近づいてゆく。

 そこは父の寝室だった。

 アルギナ・ラーツベルト。カナン王をすげ替えようと画策する強硬派に対抗する最大勢力、穏健派大貴族の筆頭だった父。


 わたしは父の寝室を鍵穴から覗いた。

 父はわたしと年の変わらないメイドの一人に、馬乗りになって殴っていた。その顔は、ひどく醜い笑みで歪んでいた。


 あのメイドが何者だったかは今も知らない。父が欲望をぶつけるために買った女かもしれないし、強硬派の間者だった可能性も低くはない。


 けれどその日、わたしはこう思った。

 あれは父ではない。アルギナ・ラーツベルトの皮を被った怪物だ、と。


 まもなく、そのアルギナ・ラーツベルトは強硬派に暗殺され、前カナン王は幽閉、強硬派が担ぐ前カナン王の叔父による傀儡政権が樹立された。


 わたしは単身で、強硬派の最初の会合を襲撃した。

 別に父の仇討ちをしたかったわけじゃない。ただ、あの父の皮を被った怪物を殺した人間とは、どのような生物だったのかを知りたかった。彼らも一皮剥げば、父と同じ怪物なのではないかと、好奇心が抑えきれなくなったのだ。


 皆、あの夜の父と同じく、ひどく醜い顔をしていた。だからナイフで全身の皮を剥いで臓物を引きずり出し、その中身までたしかめた。

 それはとても綺麗な、混じり気のない深紅だった。


 それからまもなくして、前カナン王の処刑が行われた。

 刺客を放ったという嫌疑だ。むろん、幽閉されてしまっている身で、そんなことができるわけはないのだけれど。強硬派の人たちだって、わかっていたはずだ。

 何より、わたしは単独犯だったのだから。


 ああ、そうか。そうだったんだ。


 そのときになって、わたしはようやく気がついたのだ。

 わたしがこれまで人間だと思ってきたものは、みんな、み~んな、怪物だったんだって。


 わたしを産んですぐに亡くなられたお母様も、薔薇園をいつも綺麗に保ってくれている庭師も、おいしいお料理を作ってくれる料理人も、街を闊歩している人は、みんな怪物なんだって。


 わたしも、怪物なんだって。




 ――この世界に、わたしが知っている人間という生物は、存在しない。




 レミフィリアは自らの喉から漏れる息の音に、瞼をゆっくりと持ち上げた。

 全身が気怠い。発熱しているのがわかる。

 硬い、硬い板の上で眠っていた。かび臭い毛布をめくると、エプロンドレスは脱がされて下に敷かれ、パニエと下着姿になっていた。


「ど……こ……?」


 ミスリルの包丁は、鞘ベルトごと枕元に並べられている。

 危険はない。もしカナン騎士に捕らえられたのだとしたら、包丁など没収されているはずなのだから。

 見事なまでに薄い胸を撫で下ろす。


 天井は半分ほど倒壊している。一方向は壁すらない。

 そこから覗く視界には、朝露の廃墟が広がっていた。


 毛布を除けて起き上がり、もぞもぞとエプロンドレスを着込む。スカートをたくし上げ、ミスリルの包丁の収められた鞘ベルトを左右の太ももへと装着すると、どす黒く変色した古い木製のテーブルに、水の入った瓶が置かれていることに気がついた。

 舌で舐めて味と匂いをたしかめ、躊躇いながらも喉を潤す。


 喉を潤すと、思考が少し戻ってきた。

 最後の記憶は、魔王イルクレアが「二手に分かれる」といった林の中だ。そこからこっちの記憶がない。


 頭がふらふらして、たぶん気絶したのだと想像がつく。

 水が細胞に行き渡ったのか、少しだけ身体が軽くなった気がした。


「あ……、起きてる……」


 幼い声に振り返ると、そこには五つか六つかと思しき、ぼろ布をまとった幼女が立っていた。

 顔も服も泥で汚れていて、髪も長く洗っていないのか、ところどころ束になってしまっている。頬は痩けていて、目もとは落ち窪み、ぼろ布から覗く肌もぼろぼろ。

 栄養状態がよくないことは一目瞭然だ。

 ひび割れた唇が動く。


「えっと……」

「あ、レミフィ――」


 言いかけて、言い直す。


「レミリア……です。あなたが助けてくれたんですか?」

「チルム……」


 幼女が自分を指さして呟いた。


「チルム。可愛い名前ですね~」


 そう言ってあげると、チルムはニィっと歯を見せて笑った。


「助けるって決めたのは、ティンだよ」

「ティン……さん?」


 当然のように名前は知らない。


「ティンはリーダー」

「一番偉いんですね」

「えらいし、とってもかしこい。やさしいし、かっこいい」


 チルムが後ろ手を組んで、少し照れたようにそう言った。


「……チルムはティンさんのことが好きなんですか?」

「すきー。けっこんする」

「あはっ、そうなんですね」


 可愛い。


「ねえ、チルム。ここらへんで変な人を見ませんでした?」

「へんな人?」

「具体的には頭がつるんつるんで筋肉がごつごつしていて、なぜかエプロンしかつけていないほぼ裸の大きな男性なのですが」

「エプロンのおいたん?」

「ああ、たぶんその人ですね」


 おいたんと呼びなさい、などというおかしな男は、あの人くらいのものだ。


「いまねー、ティンたちにむつかしいことおしえてるよ」


 ふぅと、ゆっくり息を吐く。

 よかった。近くにいてくれるみたいだ。


「案内してくれますか?」

「いいよー。レミリアはあるける?」

「うん。大丈夫です」


 いつものようにはいかないけれど。

 先を行くチルムの後を、レミフィリアがゆっくりと歩く。なんだか地面が綿にでもなったかのようにふわふわと感じられて歩きにくい。

 まだ夢の中にいるかのようだ。


 石畳の舗装があったと思しき通りは、今や雑草に割られて草原と化している。歩きにくさは、そのせいではないけれど。


 廃墟の村をしばらく歩くと、小さな広場に出た。

 広場の中央には十名ほどの子供が集まっていて、その中央では裸エプロンが両手に野草を持って子供たちに何かを話していた。


 こちらに気づくと少し微笑みながら軽くうなずき、すぐに子供らへと視線を戻す。

 どうやら食べられる野草と、それに似た危険な野草の見分け方を教えているらしい。右手にあるのは野生の大根か。


「目を覚ましたか、レミフィリア」


 幼い声に呼ばれて振り返ると、広場の端の瓦礫には、深紅のドレスをまとった魔王が腰掛けていた。その傍らには蛇の女王と呼ばれる側近が控えていて、手の届く範囲で魔剣ドライグも地面に突き立てられていた。


「は、はい……」


 子供。この魔王は子供だ。にもかかわらず、凄まじい威圧にいつも緊張させられる。自分よりもずっと年下に見えるのに。

 裸エプロンの周囲に群がっている子供らと、なんら変わらぬ年齢に見えるのに。けれども彼女は輝く。おそらくあの子供らの集団の中にいたとしても。


「あ、あの、魔王さま」

「なんだ?」

「これは何をしているのですか?」

「ああ。見ての通りだ。餓鬼に生き延びるための術を叩き込んでいる。食い物を分けてやっても、どうせ数日しかもたんからな。それでは解決にはならん。狩りの仕方も教えたかったのだが、いかんせんやつらは糞餓鬼、最高齢の~……あ~……」


 すかさず蛇の女王ラミュが口を開く。


「最高齢はティンですね。もうすぐ十一歳といっていましたか。男の子です」

「それだ。まあとにかく十歳そこいらの餓鬼だ。罠を張って草食獣ならばともかく、肉食獣や魔物を相手させるのも躊躇われる。ゆえに、野草だそうだ」

「え、ええ。それはわかるのです……が……、……ど、どうして、魔王さまの魔軍がそんなことまで……?」


 ルビー・レッドの眉毛を激しく歪めて、魔王イルクレアが困惑の表情をした。


「何を言っている? 人であれ魔族であれ、餓鬼を殺す社会にろくなものはない。そんなことは常識だろう」


 まるで戦争協定が機能しているかのような言い方だ。あまりに当然のように言われて、思わずうなずいてしまった。


「はあ……。子供を殺す社会……」

「歪みだ。カナンのな。そこらへんのことはおれよりティンに聞け。――ティン!」


 裸エプロンに集っていた子供たちから、一人の男の子だけが転がるように大急ぎでイルクレアのもとへとやってきた。


 髪はぼさぼさ、身なりはチルムと変わらない。だが、年齢はチルムよりは上。十歳といったか。ちょうど魔王イルクレアと同じか、もしくは少し上くらいに見える。

 しかしその眼光たるや、聡明な鋭さが見て取れる。


「なに、イルクレア?」

「紹介する。おれの仲間のレミリアだ。悪いが、なぜ貴様らが餓鬼だけで廃墟に住んでいるかを、もう一度話して聞かせろ。こいつにわかるようにな」


 レミリア、そう呼んだのは、王都の殺人鬼であることを隠すためだ。同様に、おそらくは彼女も魔王であることを名乗っていない。だから人間に通った名のレギドではなく、イルクレアなのだ。

 ティンは一瞬だけチルムと視線を交わすと、すぐにレミフィリアへと向き直った。


「いいよ。それほど難しい話じゃないんだ。レミリアはラーツベルト家って知ってる?」


 ズクン――。


 心臓が跳ね上がった。

 一瞬、イルクレアと視線が合ったけれど、彼女は微かに首を左右に振っただけですぐに視線を逸らせた。


「はい、知ってますよ。強硬派に殺された穏健派の大貴族ですよね」

「うん。この農村……って言っても、今は廃墟だけど。マルスの領主(ロード)も穏健派だったんだ。ラーツベルト家のご当主さまと先代の王が暗殺されて、新王が擁立され、強硬派が権力を握ったときに、穏健派だった貴族たちはみんな難癖をつけられて失脚したんだ」


 少し驚いた。十かそこらの少年の話すような内容ではない。


「……ほんとに頭がいいですね。チルムの言った通りです」


 ティンが照れたように後頭部を掻いた。


「ありがとう。穏健派貴族は失脚の際に領地も没収された。マルスの領主は穏健派貴族のドゥラノス家のヘインツ・ドゥラノス……さま、だったんだけれど、彼も例外じゃなかった」

「失脚ですか?」

「うん。だけど代わりの領主が来なかったことで、マルスの村は王都に見棄てられた。挙げ句、無茶な重税をかけられて人は流出、人が減ったことで税を払えなくなって、翌年の徴収では家畜や農作物を根こそぎ奪われた」


 魔王イルクレアがぼそりと付け加える。


「徴収というより、略奪だ」

「自治領で、ですか!?」

「ああ」


 考えられない。魔族領域に近い位置にあったレエルディアとはわけが違うというのに。

 ティンが続ける。


「耐えかねたマルスの人々は、さらに翌年の徴収で反乱を起こした。カナンからの使者を捕らえてしまったんだ。王都と新王を相手に交渉をしようとしてね。……その結末がこの有様さ」


 ティンが聡明な光の宿る瞳を細め、廃墟を見回した。


「マルスはカナンからの使者を殺さなかったのに、カナン騎士はマルスの人々を殺した。大半の村人はマルスを捨てて逃げたけれど、親を殺されたり孤児院にいた子は行き先がなかった。ぼくらのようなね」


 それが、ここに残った十一人の子供――。


「もっといたんだ、最初は。けれど三つより下の子は体力がなかった。それに、人が減れば魔物だって現れるようになる。それでも隠れて生きて、生きて、生きて、生き残ったのが、ぼくらだ」

「どうやって……」


 財産がなければ、他の街から物資を買うこともできない。ましてや子供では、他の街まで辿り着くことさえ困難だ。


「木の実や魚を捕った。食べられる草を探した。自分で試しに食べるんだ。お腹を壊せばそれはもう食べない。肉だって、ネズミならそこらじゅうにいるし、鳥を罠で捕って食べることもできた」


 ティンが肩をすくめる。


「……とても足りないけれど。でも今日、エプロンのおいたんが食べられる野草の種類や群生地を教えてくれている。根を食べられるものや、少ない肉の保存の仕方も教わった。ぼくらは絶対に凌ぎきる。もう誰も死なせたりしない」

「凌ぎきる……? どういう意味ですか? その戦いに終わりはあるんですか?」


 ティンが無邪気な笑顔で口にした。


「あるよ。きっと彼女が終わらせてくれる」

「彼女?」

「うん。ラーツベルト家には生き残りがいるんだ。その人は強硬派の大貴族たちをたくさん殺して今も逃げている英雄さ」


 ……。

 …………。


「うへぇぇいっ!?」


 思わず変な声が出てしまった。

 我がことながら、ものすごい勢いで泳ぐ目が押さえきれない。魔王イルクレアと蛇の女王ラミュが、うつむきながら「くっく」と笑っていた。

 かつて経験したこともないほどの量の汗が、顔から一気にしたたり落ちた。


「あれ? レミリアさん、どうしたの? まだ体調が優れない?」

「な、なんでも……ありあありあありませ……」

「そっか。ならいいや」


 ティンは瞳を輝かせて叫ぶ。


「彼女はいつか必ず今の政権を倒してくれる! ぼくらにとっての勇者は魔軍を相手に戦っているリントヴルムさまでもエドヴァルドさまでもない! レミフィリア・ラーツベルトなんだ!」


 ヒイイィィィィィィ……!

 ど、どうしよう……? 知らない間にえらいことになっちゃってる……。



坊よ、それはただの殺人鬼だ。

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