第51話 老兵とかつての仲間たち
前回までのあらすじ!
魔軍が装備一新でパワーアップしたぞ!
青竜が武器へと変異した姿。それが聖剣レヴィアス。
今は王都カナンに属する二人の勇者の片割れ、リントヴルム・サランジュが持っている。
目の前で幼い魔王はそう言った。
少し考えて、ディルは質問する。
「……そいつの刀身はどのような色をしていた?」
「透明だ。そうだな……あえて言えば氷に似ている。おれのドライグとぶつかり合って、ドライグの炎を相殺できる程度には優れた剣だった」
「そいつは間違いない。ルーシャの持っていた聖剣レヴィアスじゃ」
旧き友、エルフ族のルーシャがかつて扱っていた聖剣レヴィアスだ。でなければ、どれほど似た剣であったとしても、ドライグの炎を相殺することまではできない。
ディルは額に手をあて、顎の髭までゆっくりと掌を滑らせた。
「ふー……」
「どうした、ディル?」
「うむ……」
落胆している自身に驚く。
「ヘイロンはいい。だが、ルーシャの剣を盗られたことは痛恨の極みよ……」
老いたドワーフは静かに語り出す。
種族を超えて友と呼んでくれたエルフの顔は、今でも鮮明に思い出せる。
美しい娘だった。イルクレアも美しかったが、彼女が暖かい季節に咲く花だとするならば、ルーシャは冬の夜空に浮かぶ月のような、玲瓏とした娘だった。
娘――いや、年齢は最初から不詳だったか。
己が竜の夢を見て魔剣ヘイロンを取るために向かったカナンの遙か南方、イーグルスカーの谷底で、竜に導かれるように彼女と出逢ったのだ。
「神軍存在の記憶を取り戻したから、イーグルスカーへ向かったのか?」
「当然だ。神だかなんだか知らんが、他人にてめえの記憶を好き勝手弄くられるなんざ、考えるだけで腹が立つ。そいつはおまえも同じだろう」
「そうだな」
「それに、ミスリル製の武器を超える竜の化身――ドラゴンウェポンなるものが本当に存在するのであれば、鍛冶師としてはどうしてもそれを見ておきたいとも思った」
幼い魔王がうなずくと、ドワーフは遠い目続けた。
敵対種族であるエルフなんぞとは生涯かかわるつもりなどなかった己に、ルーシャは竜の導きだと言って馴れ馴れしくつきまとってきた。
危険で険しい道のりだ。いずれへばるだろうと思って無視していたのだが、結局のところ彼女とは、ヘイロンの在処まで続く危険な道程のすべてを、ともに踏破することになった。
見かけに依らず頑固だったのだ。あのエルフは。
イーグルスカーの谷底迷宮でヘイロンを手に入れる頃には、もはやそのエルフは自身にとって、敵対種族でも他人でもなくなっていた。
およそ一年弱。ともに戦い、ともに狩り、ともに食い、ともに眠り、ともに歩んだ。
それだけで、関係性は変わった。
驚くべきことに、その関係には生涯を賭けて打ち込んできた鍛冶にすらない楽しさがあった。イーグルスカーを脱出してカナンを横切り、澱みの森に入った頃には新たにイルクレアやユランと出逢って、さらに賑やかになった。
全員が自分勝手。誰もがやりたいことを好きにやる。他のやつらは黙ってそれに手を貸す。
そんな仲間だった。
このパーティをまとめていたのは、最も早くから竜の夢を追い、調べていたエルフの娘だ。ルーシャを中心としてイルクレアが、ユランが、そして己がいた。
……だが、神域にてルーシャは死んだ。
澱みの森の向こう側。北の大地で気がついたときには、エルフの娘はすでに冷たい亡骸となっていたのだ。
最期の瞬間はおぼえていない。記憶を奪われたのだから。
だが、想像はついた。
おそらくレヴィアスを己に託そうとしたのだろう。己が気がついたときには右手にヘイロンを握ったまま、仰向けに倒れた胸から腹にかけてレヴィアスが安置されていた。
武器には魂が宿る――。
ましてやそれが、我らを導き、ともに歩ませた竜の化身――ルーシャの愛剣ドラゴンウェポンであるならばなおさらのこと。
重いため息が吐かれた。
「ワシはヘイロンとレヴィアスを神の地より持ち帰り、澱みの森で彼女を弔った」
「……戦わなかったのか?」
「ああ。ユランとイルクレアははぐれて行方不明、ルーシャは死に、ワシは――……」
言葉、途切れて。
小さな魔王の向こう側では、クルルが魔王の仲間たちにミスリル製の武器の扱い方を教えている。振り方ではない。手入れや取り扱いの注意点などだ。
しばらく、眺めて。
「そうじゃな……ああ、もう言い訳はすまい……。…………ワシは神に対し、臆病風に吹かれた……」
声が掠れ、小さくなる。
我ながらみっともない。まるで死に瀕した老人の呼吸だ。
怖かった。記憶を消されることも、卓越した剣士であったエルフを殺されたことも。己が人智の及ばぬ得体の知れないものに挑んだのだと、ようやく思い知った。
負けたのだ。最強の剣をそれぞれ手にし、無敵と信じ込んできた四人の仲間ですら。
「ヘイロンを持つ資格もない……。ましてや、あの勇敢で賢明な誇り高きエルフであるルーシャのレヴィアスを託される資格など言うに及ばん……」
イルクレアは迷いのない深紅の瞳を、まっすぐに向けてきている。
今はその視線が痛い。ありとあらゆるものが怖い。
利き腕を奪われて反撃に出られなかったのは、怪我のせいか? それとも臆病さゆえか?
己はもはや戦士ではない。
「……不甲斐ないワシから、レヴィアスが自らの意志で去ったのかもしれん……」
「莫迦か貴様」
幼い姿となった魔王が、顔を歪めて吐き捨てる。
「家族がいるんだ。臆病になってあたりまえだろうが。貴様がそのときそこで人知れず無様にくたばっていたなら、クルルはどうなっていた」
「……それ……は……」
ペタンコの胸で両腕を組み、偉そうにふんぞり返って。顔を真っ赤に染めて、ぷいっと横を向きながら。
「ふん。言い訳大いに結構。好きなだけしろ、阿呆が。おれがすべて聞いて、すべて肯定してやる。レヴィアスの意志など知るか! そんなもの、おれがねじ伏せてリントヴルムからぶんどり、貴様に突き返してやるとも!」
照れ臭そうに、しかし口汚く吐き捨てる幼女の姿に、ディルは自身でも気づかぬうちに笑みをこぼしていた。
「貴様は失くした女の形見でも抱いて、女々しく泣いているのがお似合い――……って、何がおかしい!」
「ひっひっひっひ」
「な、なんだ、貴様!? 気色の悪い笑みなど浮かべおって! 孫を見る爺のアレか? あぁ?」
「……あいかわらず……いや、いやいや……」
首を左右に振った。
こやつはユランではなく、イルクレアであると言い張っている。だがこの態度、どう見ても。
気づいていないのか、幼い魔王はきょとんとした顔をしている。
昔から裏表のない偏屈だった。いや、裏しかないと言うべきか。必死で表のあるふりをするのだ、あいつは。ユラン・シャンディラは。
そうして、誰かの哀しみを消そうとする。
「のう、イルクレアよう」
「なんだ?」
「ワシらはおよそ二年をともに旅をしたんじゃ」
「それがどうかしたか?」
「その間にルーシャはな、ユランに惚れておったらしいぞ」
イルクレアが最初に眉をねじ曲げ、次に耳まで赤くなり、裏返った声を出す。
「……へっ!? は? ……え?」
「冗談じゃ」
イルクレアの表情が、一瞬で怒りへと変化した。
「じょ、冗談は――!」
「好きじゃろう?」
「く……っ、ああそうだ! 好きだとも! 冗談は大好きだ、この糞が!」
これでバレていないと思っているあたりが、無骨な武人だ。可憐にて太陽のように輝いた魔族の姫とは違う。ああ、まるで違う魅力を持っていたとも。
だから好きになるのだ。この老兵を。男も、女も。
まあいい。真実を口にすれば、記憶に飛び火する恐れもある。何が記憶を失う鍵となっているのか、何がそれを防ぐ鍵となったのか、まだわかっていないのだから。
ディル・グルーが自らの膝を押して、ゆっくり立ち上がる。
「さて、話は終わりだ。ワシは作業を始める」
「ディル、ワイバーンの解体が済んだらその日のうちに必要最低限の材料だけを持ってニーズヘッグを目指せ。貴様ら親子はもう立派なお尋ね者だ。今日明日には発てよ」
「そうさせてもらうつもりじゃ」
「ヘイロンとレヴィアスの捜索はおれに任せろ。雁首揃えて貴様の前に並べてやる」
頼もしい限りだ。本当にあの老兵が言っているのであればだが。
イルクレアの姿をした何者かは立ち上がってドレスの裾についた砂を払うと、クルルと話し込んでいる魔族どもを可愛らしく怒鳴りつけて準備を急かせた。
それを眺める長い眉に隠されたディルの瞳が、微かに細くなる。
それにしてもこやつ、ずいぶんと可愛らしくなったなあ……。お手々がちいちゃくて、何やらクルルが幼児だった頃を思い出してしまう……。頼りない足取りで、一生懸命歩いていたなぁ……。
ルビー・レッドの頭髪をなびかせて、イルクレアっぽい何者かが勢いよく振り返った。
「だから貴様、その目でおれを見るのはやめろッ!!」
元気な孫を眺める爺ちゃんの視線の鋭さよ。




