第47話 老兵と(は縁もゆかりもない)恋の話
前回までのあらすじ!
浮き彫りになりつつある第三勢力!
魔軍はますます絶望的!
新緑色の川縁を、一組の男女が走っている。
「なんで追いかけてきやがるんだッ、もうあたしのことなんて放っとけって言ってるだろっ!」
「うふふっ、あははっ、お待ちなさぁ~い」
先行する低身長の少女はドワーフ特有の短い足を全力回転させ、それを追う半裸の青髭褐色筋肉エルフは両手を腰にあててスキップを踏みながら悠々と追いかけていた。
傍目から見れば、変態に追われている少女だ。
「クソがッ! しつけえんだよ、この耳長!」
「おお、なんと哀しい言葉でしょう。しかしこう見えてこのヨハン、泣いている女性の涙を拭うことこそが、この世に生を受けた使命と考えておりますゆえ、クルル殿を放っておくことなどできません。――さあ、その涙枯れるまで、私の大胸筋に顔を埋めてお泣きなさい。その後にゆっくりと貴女の話を聞いて差し上げましょうとも」
スキップをしながら、ダークエルフの青年はぴくりぴくりと大胸筋を動かしている。
「ひぇ……」
「さあ! さあ! さあ! まずは我が大胸筋に包まれてご覧なさぁ~い!」
「で、でで、でっけえお世話だっつってんだバカァ!」
振り返りながら逃げていたクルルの足が、小さな岩を蹴って躓いた。
「あ……っ」
「む、おっと」
ヨハンはスキップからジャンプに変え、褐色の長く逞しい腕を素早く伸ばして、地面に倒れ伏しそうな少女を掬い上げる。
「……」
「おっと、これは役得。あ、いえ、失礼」
褐色の手は、クルルの胸にあたっていた。その指が、微かな山を弄ぶようにふにふにと動かされる。
「……おい、揉むな。謝ったんなら放せよ、変態エルフ」
「おお。しかしながらこのステキな感触、まるで私の掌に吸い付くように離れては――ずげぁンッ!?」
クルルの拳がヨハンの頬に突き刺さり、ドワーフ特有の筋力で頭から地面へと叩きつけられた。
脳天を強打し、流血しながらも、ヨハンはむくりと立ち上がる。
「あははははっ、クルル殿は照れ屋さんですねえ」
ぱちん、とウィンクをしながら。
怒るでも悲しむでもなく、先ほどまでとなんら変わらぬ態度で微笑みながら。
クルルがぼさぼさ髪に手を入れて、長く深いため息をついた。
「ああもう! なんなんだ、おまえ! はぁ……もう……。そんなに話したきゃ教えてやるよ……。ただし、涙はナシだ。おまえの胸で泣くなんてぞっとする!」
憮然とした表情で、突っ立ったまま。
「母はいなかった。あたしが産まれてすぐに人魔戦争に巻き込まれて死んだと聞いてる。親父は誇りだった。てめえの作った武器が戦争を終わらせると綺麗事をうそぶきながらカナンにもニーズヘッグにも武器を卸していた他のドワーフとは違って、人にも魔にも気に入った個人にしか武器を譲らなかったからだ」
「……」
ヨハンは語らない。ただ微笑んだまま、静かにうなずくのみで。
「親父は大きなことは言わねえんだ。ただ、てめえの気に入ったやつには死んで欲しくねえ。だから自分は武器を打ち、そいつらにだけ売る、そう言ってた。国が相手じゃない。人も魔もなく、個人だ。……バカだよな。他のドワーフと同じようにうまく立ち回って商売すりゃあ、もっと楽に生きられただろうに」
でも、と。クルルは続ける。
「小さな頃、母のいない家庭でひたすら無骨に金槌を振り下ろしていた丸い背中は、今でも目を閉じれば鮮明に思い出せる。散って消える火花、溶けた鉄を打つ音、汗の臭い、薄明かりに浮かび上がる背中。そして完成する曇り一つないミスリルの剣。あたしはそれが好きだった」
クルルが川で革袋に水を汲み、ヨハンに歩み寄った。
「傷口、洗う。少し凍みるぞ」
両手を手招きするように動かしてヨハンをしゃがみ込ませ、自らはつま先立ちとなってヨハンの頭に静かに水を流す。
「……ッ」
顔を伝っていた流血が水で洗い流され、ヨハンが微かに戸惑ったように視線を上げた。
「痛い?」
「はっはっ! 貴女につけられた傷ならば、むしろ痛みすらご褒美ですとも!」
「気持ち悪いぞ、おまえ」
「その罵りすらご褒――」
「そういうの、もういいって」
疲れた表情でため息をついた後、視線を合わせて同時に破顔する。
「ガキの頃は、親父に鍛冶を教わってたんだ。つっても、当然のように全然足もとにも及ばねえんだけどさ」
「ええ」
クルルが懐から取り出した二枚貝の口を開き、中から軟膏のようなものを指先ですくい取って、ヨハンの頭部に塗り込み始めた。
「あの頃は、親父も素直に教えてくれたんだけどな。やっぱガキの遊びに付き合うつもりで、鍛冶をさせてくれてただけなのかな」
「ご本人に尋ねてはみなかったのですか?」
軟膏を塗り込む人差し指を止めて、クルルが少し言いづらそうに呟いた。
「親父があたしを鍛冶仕事から離しにかかったのは、ここ数年の話なんだ」
「何かありましたかな? たとえば、親父殿の腕が失われたから、とか」
「いや、その前からだった。親父が突然姿を消した時期があったんだ。三年間ほど帰ってこなかったんだ。置き手紙一枚だけ残してさ」
「ふむ?」
人差し指を再びくりくりと動かして、残った軟膏の貝蓋を閉じ、懐に戻す。
「何をしていたかは話してくれなかった。ただ、ようやく帰ってきたらひどく気落ちしていて、あれほど精力的だった親父が、まるで抜け殻のようになってた。それでも剣は打ってたんだけど、なんか……それも惰性で鍛冶をしているだけに見えた。できたのは魂の入っていないくすんだ剣ばかりで、親父はそれを誰にも譲らずにどこかへすべて捨てていた」
「何があったのでしょうなあ……?」
クルルがゆっくりと首を左右に振った。
「わかんねえ。その頃から、あたしに鍛冶を教えてくれなくなった。女の仕事をしろってそればっかりでさ」
「だからあのとき、男装の付け髭をしていたのですかな?」
自身が落としてしまったトロロンを受け止めてくれたとき、クルルは付け髭の年老いた男性ドワーフを演じていた。言葉遣いがかなり変だったけれど。
クルルが苦い表情で吐き捨てる。
「あたし、そこまでバカじゃねえよ。それはただの変装さ。隠れて鍛冶の練習をしていることを親父にバレたくなかったからな。もう鍛冶小屋には近づかないだろって思ってたせいで、さっきあっさりバレちまったけどさ。……はぁ~、失敗しちまったなぁ。けど自分専用の鍛冶小屋なんて用意できねえよ……」
川縁の草原に座っているヨハンの隣に、クルルが胡座で腰を下ろした。
新緑の隙間を心地のよい風が流れ、クルルの髪を揺らす。
「……クルル殿、ほんとはわかっておられるのではないですかな」
「何が?」
「貴女のお父上が旅で何を見てきたのか、私は存じません。ですが、貴女に鍛冶をさせるわけにはいかなくなった。そんな矢先にカナン騎士が現れ、お父上の利き腕を奪っていった。そしてドワーフ族はカナン騎士団に吸収されてしまった」
しばらく瞳を閉じてから、少女は絞り出すような声で呟いた。
「………………危険から遠ざけるためだっつーんだろ」
「ですな」
「おまえの言う通りさ。わかってるよ、ンなことは。でも――」
少女は口籠もる。
「うらやましいですなあ」
クルルが額に縦皺を寄せて、不機嫌そうに視線を上げた。
「なんだよ? 知った風なことを言うなよ」
対するヨハンは、微笑みを崩さない。ただ、空を見上げて。
「私に家族はいません。ダークエルフ族は魔に近しき存在であるとして、戦争協定を一方的に破ったカナン騎士に、集落ごと問答無用で殲滅されてしまいましたから」
「……」
クルルが言葉に詰まった。
「近しき存在というより、私がニーズヘッグに身を置いていたことも問題だったのかもしれません」
「え……」
「私がニーズヘッグ城にいなければ、故郷は灼かれなかったかもしれない、ということです。ダークエルフの集落から魔族に手を貸すものが現れた。それを理由に故郷は灼かれたのかもしれません」
「そんな……、す、推測だろ? おまえの……」
ふぅ、とヨハンがため息をつく。
「ええ。ダークエルフ族は弓の名手であり、優れた召喚師でもあります。だから、鍛冶技能を持つドワーフ族同様に、戦力として騎士団に組み込まれかけたのを断ったのかもしれません」
「そうだと……思う……。思いたい……」
クルルの手を取って、ヨハンが瞳を輝かせた。
「おお、なんと優しきお言葉! このヨハン、心震わす花を新たに見つけてしまったようです!」
「やめろよ。あたしをからかうのはいいけど……自分のことまで茶化すな……。……そんなの、心が壊れるだろ……」
ばっ、と手を放されても、ヨハンは微笑みを崩さない。
「……落ち込むなら……その……ひ、膝くらいなら貸してやってもいい……」
「おお! では、是非ともうつ伏せプラスぺろぺろでお願いしま――げぶぅッ!?」
当の膝で鼻面を突き上げられて、ヨハンが涙混じりに悶絶する。
「おごおおぉぉ……こ、これはまた、なかなかのご褒美……」
「おまえなあ、あたしは真剣に――」
「私がラミュ様やニーズヘッグの仲間たちとともに急いで集落に駆けつけたときには、すでにすべてが終わった後でした」
それは、廃墟や亡骸と呼ぶにはあまりに悲惨な状況だった。何一つとしてまともな形の残っているものはなく、ひどい臭気だけが立ち籠めていた。
十年前、あの勇者ユラン・シャンディラの伝説となった特攻がなければ、魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグは眠りについておらず、引いては戦局をここまで押し込まれることもなくて、そんな悲劇ももしかしたら防げたのかもしれないと考えることもあった。
だが。だが、と。
それは責任の転嫁。ユラン・シャンディラであれイルクレア・レギド・ニーズヘッグであれ、自分自身の過去から逃げるような恨み方だけはすまいと、ダークエルフ・ヨハンは決めている。
イルクレアのことはもちろん、ユランのことでさえも。
――彼の世界の半分は、愛が満ちている。
「結局、集落を灼いた原因を知るには、それを行った騎士に直接尋ねてみるしかないのです。ですが、そのようなことよりも思うのは、もっともっと、私は集落の同族や家族と話しをしておくべきだったのではないか、ということばかりなのです」
「うん……」
「クルル殿は、まだ、間に合いますよ」
「そう……だな」
ヨハンが隣に座るドワーフの背中をポンと叩いて、ゆっくりと立ち上がる。
「では、帰りますかな?」
「そうだな。……少し、親父と話してみるよ。……ありがとな、ヨハン」
「む? なんのことですかな?」
「嫌なことも話させた。ごめん」
短い銀髪を掻き上げて、ダークエルフはニヒルに微笑む。
「フ、美少女との会話はいつだって楽しいものです。嫌なわけがありません。惜しむらくは、私の筋肉で貴女を包んで差し上げられなかったことと、膝枕を逃してしまったことくらいです」
クルルが苦笑いで呟く。
「……そういうのをやめれば、もっといいんだけどな。どうせ誰にでもペラッペラ言ってんだろ」
「なんと!? そ、そそのよよようなことはござござい――」
「あはは、いいっていいって。わかってるから。おまえの仲間、美人と美少女ばっかだもんな。……残りは怪物だけど」
そう言って立ち上がるクルルのこめかみへと、鋭く風を切って矢が迫った。
「――ッ」
長い耳でいち早くそれを察知したヨハンが、腕を振ってすんでのところで矢を受け止める。
じゅっ、と掌が摩擦で焦げるのがわかった。
それまで穏やかに微笑んでいたはずのダークエルフ・ヨハンの形相が、一瞬にして怒りと悪意に満ちたものへと変化する。
――彼の世界の半分は、愛が満ちている。
――されど、残りの半分は、行き場のない怒りで満ちている。
こんなやつでも愛してあげて!




