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第46話 老兵とドワーフ

前回までのあらすじ!


老兵の記憶の穴が少し埋まりそうだぞ!

「おれが貴様らと旅をした……?」


 ユラン・シャンディラとイルクレア・レギド・ニーズヘッグは殺し合う以前から仲間だった。

 ならばなぜあの日、イルクレアはそれを己に話してはくれなかったのか!


 赤い髪に片手を入れて、ユランは歯がみする。


「おれの……記憶か……」


 己の記憶がなかったからだ。対立種族の王の言葉など、老兵ユランが信じるわけがない。己のことなのだから、誰よりもわかる。


 ドワーフが弱々しく声を出した。


「イルクレア……」

「あ、ああ。すまん。……名を、教えてくれ」

「そうじゃな。ワシの名はディル――ディル・グルー」


 心の中で謝罪をしながら、ユランは嘘をつく。


「……イルクレア・レギド・ニーズヘッグだ」

「うむ」


 ディルは微笑んでいる。酒臭い赤ら顔で、けれども酔ってはいない表情で。


「続きを聞かせてくれ。ディル・グルー。おれにその記憶はないが、それ以前に――」


 口を塞ぐ。

 幼女が赤い眉根を微かに寄せた。


「どうかしたかの?」

「いや……」


 王都カナンの記録にも、そのような記述はなかった。

 ユラン・シャンディラが、イルクレアやディル、それにルーシャとかいうエルフと神を討ちにいったという記録はない。

 そんな大事件ならば、確実に残されているはずなのに。

 だが、それを口に出してディルに尋ねることは、己の正体がイルクレアではなくユランであることを自ら白状してしまうようなものだ。


 小さな咳払いをして、ユランは嘘を重ねる。


「神を討ちに行ったことは、ニーズヘッグ城の記録にも存在しなかった」


 もしディルの話が本当なら、ラミュが己に隠すはずがない。知らないのか、魔将軍であるラミュでさえも。もしくは、そんな事実はなかった。

 ドワーフが嘘をついている可能性もある。


「それはそうじゃ。ワシらは誰かに命じられて征ったのではない。カナン王もドワーフ王も、エルフ王ですら知らぬことよ」

「……ならばおれはユランといつ出逢った?」

「イルクレア、おまえとユランの出逢いは知らぬ。だがワシとルーシャは竜の夢を見て、ドラゴンウェポンの存在する地で出逢った」

「それはどこだ?」

「イーグルスカーの谷底じゃ」


 カナン南方の岩山に存在する、大地の亀裂だ。

 あまりに深く、あまりに長く、あまりに広い。空には突風が吹き抜け、天候は常に荒れている。そのため、向こう側に渡ったものはいないと言われている。その底にこそ煉獄(アビスレイク)が存在するのでは、という胡散臭い学者までいるほどだ。


 だが、なるほど。煉獄(アビス)の噂はさておき、竜が神から武器と化した己の姿を隠すとするならば、そういった場所はうってつけだ。


「そこでワシは、ドラゴンウェポンである青龍聖剣レヴィアスを持つエルフの少女ルーシャと出逢った。当時はまだドワーフとエルフは対立種族でな。ずいぶんと冷たくあたったが、ルーシャは結局、ワシが黑竜魔剣ヘイロンを手にするのを手伝うてくれた。竜の導きだと言うてな」


 ディルの微笑みが、優しいものへと変化する。だが、それはすぐに翳った。


「おれとユランと、貴様ら二人が合流したのは?」

「ああ。それより一年後じゃ。ワシとルーシャが神の領域へと向かっていた際に、澱みの森で出逢った」

「おれとユランは、そのときすでにもう一緒に行動をしていたのか?」

「うむ。おまえたちはすでに旅をしていた」


 やはり。記憶にはないが、己はイルクレアと旅をしていた。


 ディルは続ける。


「ドラゴンウェポンを持つ者同士、すぐに互いの使命を理解し合ったワシらは合流し、澱みの森をおよそ一年かけて北へ抜け、神の領域で神を討つべく戦った」

「……どうなった? 神とはどのような存在だ?」

「……記憶がない」

「なんだと?」


 ディルがひげ面をゆっくりと左右に振ってうつむく。


「神域に踏み込んで以降の記憶がないんじゃ。気づけばルーシャは息絶え、ユランとイルクレアは消えておった。ただ、ワシがカナンの人間領域でユランと再会したとき、ユランはワシのことをおぼえておらなんだ。いや、旅の記憶そのものが失われておった」

「……」


 地竜マグナドールが未だ北の地を見張っているということは、おそらく神を討つことに失敗したのだろう。なんらかの攻撃を喰らい、記憶を失ったと考えるべきか。少なくとも、己とディルは。


「だからユランは、ワシの制止を聞かずに魔軍の王、すなわち魔王イルクレアを討つためにニーズヘッグ城へと一人で旅立ってしもうた」

「そしてイルクレア(おれ)と相討ちになった。ユランは死んで、おれは十年後にこの姿で目を覚ました」


 ディルがうなずく。


「おれたちが神を討たねばならないと考えた理由はなんだ? なんのために神を討ちに向かった? 竜の夢や警告を真に受けて進めるほど、澱みの森は浅くはないぞ」

「人間族も魔族も亜種族も気づいておらんのだ。すでに神軍による人的被害が出ておったことにな」


 幼女が怪訝な表情で問い返した。


「何……?」


 ディルが人差し指で自らの額を叩いた。


「記憶じゃ。人間族と魔族は古より対立し、何度も何度もあきれるほどに殺し合った。互いの街を破壊し、国を解体させ、犠牲を無数に生み出した」

「それがどうかしたか? 戦争だ。珍しくもない」

「何、そのうちのいくつかが神軍の仕業だったというだけよ。真実を知って現場にいた兵らも、皆、記憶を書き換えられておる。魔軍にやられた、人間軍にやられた、とな」

「ハッ、莫迦げている」


 一笑に付すのは簡単だ。


 だが事実、己の記憶はもはやぐちゃぐちゃと言っても過言ではない状態になっている。もしやイルクレアがあの日、何も言ってくれなかったのも、記憶を壊されていたからかもしれない。


「ワシらはその記憶のいくつかを、竜の夢にて取り戻した。神の操り人形など、おもしろくもない。たちの悪い冗談にもならん」


 同感だ。不快、実に不快だ。


「だから旅立った。もっとも、こうなっちまった今じゃあ、世界のどこまでが嘘でどこからが真実であるかなど、もはやわからんもんよ」


 ディルが疲れたように、長いため息をついた。


「……そんな状態で、操られていることを知りながら、どこぞの勢力に肩入れなどできるものか。人間族と魔族を争わせることは、神の思惑通りなのかもしれんのだ」

「だから貴様はカナン王の誘いを断ったのか」

「ああ。神の思い通りに動いてなぞやるものか。……と言いたいところだが」


 またうつむく。

 ユランが微かに唇を開いた。


「……クルルか」

「うむ。ワシのことはいい。腕を落とされようが、首を刎ねられようが、今さらかまわん。だが、娘をこのくだらん争いに巻き込むことだけは避けたい。このご時世だ。ドワーフは鍛冶などすべきではない。鍛冶ができてしまえば、否応なくカナン騎士に組み込まれてしまうのだからな」


 ディルが失われた右腕の肩口だけを持ち上げる。


「断ればこの様よ。それでも、あいつを神の操り人形になどさせてなるもんかい」


 照れたように鼻を掻いて、ドワーフが恥ずかしそうに笑った。

 それを見たユランもまた、裏表のない笑みを浮かべる。実に珍しく。己でも驚くほどに。


「ドワーフ王は神の暗躍を知らん。だから魔族を圧して勢いを増すカナンに脅されて、あっさりと軍門に下った。ワシがクルルを連れてドワーフの集落を出た理由がそれじゃ」


 ユランが小さく何度もうなずいた。


 どうやらガリアス砦の再建は頼めそうにない。

 もしもディルが首を縦に振ったとしても、ドワーフ族が敵となったのなら人手不足だ。ディルとクルルの二人だけでは、いかんともし難い。

 それに――いや、それよりも、この戦いにこの親子を巻き込みたくはない。


「イルクレア、おまえ、人間領域に何をしにきた?」

「カナン王を討つ」

「……それが神の意志でもか?」

「ああ。魔族の個体数はすでに限界を迎えている。カナン騎士が誰の思惑で攻めてきていようが、これ以上は黙っていられん。……おれは間違っているか?」


 ディルが首を左右に振った。


「いや、わかるさ。わかるとも。ワシとてクルルを守るためならば、故郷のドワーフ族にとて牙を剥くだろうからの。誰もおまえを責められやせん」


 しばらく、静かな沈黙が流れた。


「……ディル。もしも貴様が戦火から遠ざかりたいと願うなら、ガリアス連峰を越えてニーズヘッグ城へこい。少なくとも、王都カナンの息のかかった人間領域よりは安全だ。ニーズヘッグ勢力には精霊を介しておれが伝えておく」


 年老いたドワーフの呼吸だけがしばらく聞こえていた。

 やがて、髭の奥に隠された口から嗄れた声が響く。


「それは……ありがたい。考えさせてもらってもかまわんか?」

「ああ。好きにしろ。正直なところ楽ではない台所事情だが、ドワーフ二人などいてもいなくても変わらん誤差だからな。鍛冶を頼むつもりもない。まあ、やりたければ好きにしてくれてもかまわんがな」


 幼女がすっくと立ち上がる。

 深紅のドレスのスカートについた埃を軽く払って、ドワーフに背中を向ける。


「話は終わりだな」


 だが、歩き出さない。躊躇っているように、赤い靴は動かなかった。これもまた、珍しく。

 何度か口を開けては閉ざし、ルビー・レッドの頭髪をゆっくりと左右に振って。


「…………ありがとう、ディル。逢えて嬉しかった」


 心の底から出た言葉だった。いや、身体中の細胞がそう言わせたのかもしれない。


「ユラン……?」

「ん?」


 幼女が振り返る。反射的に。

 けれども、冷静に返して。


「……おい。もう耄碌したのか? おれはイルクレアだぞ。しっかりしろ」

「あ、ああ……。そうだった……」


 ディルが首を曲げて後頭部をがりがりと掻く。

 鍛冶場のドアがけたたましい音とともに蹴破られたのは、二人が同時に笑ったその瞬間だった。



ニーズヘッグ城、四面楚歌やん……。

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