第43話 老兵と(は無関係の)恋の始まり
前回までのあらすじ!
もっと緊張感持って!!!
瞬間、空気が凍りついた。
トロロンの巨体を持ち上げた小さな人影の顔は、駄肉に埋もれて見えない。
しかし、手足。
無論、絶対量では裸エプロンやヨハンに遠く及ばない。だが、幼女ユランとそう変わらない体躯に秘められた圧倒的な体熱と、外見からも一目でわかる筋張った腕と足。
ユランは息を呑む。
ぐらりとトロロンの巨体が揺れて、大地に投げ出される。転がったトロールは白目を剥いていた。失神している。
落下の恐怖に依るものではない。おそらく、受け止められたときの衝撃に耐えきれなかったのだ。大きな口の端からは涎がだらぁ~と流れていた。
そこに立っていたのは、髭モジャの小さなおっさん――っぽく見える件の種族ドワーフだった。
ドワーフがモジャモジャの髭に隠された口を開く。
「おう、おうおうおう、おうコラ!」
「お、おお」
「てやんでえ!」
「てやんでえ……」
何やら不機嫌そうだ。あまり表情は変わっていないが、何やら怒っているらしい。
「俺っちの仕事場で身投げたぁいい度胸だなオイッ!」
「いや、それは違――」
「やかましいやい! 言い訳すんねえ! いい迷惑だぜ!」
背中には、やたらと大きな金槌を背負っている。一般的なドワーフの戦士が背負う大斧とはまるで違っているが、その重量は比べものにならないほど重いであろうことだけは簡単に想像できた。
鍜治屋だろうか。刀剣類を打つことは、建築や工芸品以上にドワーフ族の生業に近い。
だが、金槌を持って歩くドワーフなど、人間だった時代から思い返しても初めて見る。通常、武器として使うにはあまりに重すぎるからだ。それはドライグやグウィベルと比べてすら、なおのこと。
それに、金銭的価値のこともある。
やつが背負っているのは、白く輝く稀少金属の大金槌だ。
あれ一本で、王都に一般的な家程度ならば問題なく建つだろう。
「ここは俺っちの秘密の鉱山でえ。てめえら魔族どもの汚らしい血肉で穢されちゃあ、たまったもんじゃねえなァ! ええオイ?」
「不可抗力だぞ」
「あン?」
掌で鼻を擦り上げたドワーフが、ユランの指し示す崖上へと視線を向けた。
そこには、裸にエプロンのみを着用した筋肉だらけの男が、大腿筋でエプロンの裾を挟み込んで捲れぬように固定し、腕の力だけでロープを下ってくる姿があった。
「お、おあぁぁっ!? な、なんでえ、ありゃあ! 尻がプリップリプリップリしてやがらぁな!」
「やつの性癖をおれに聞くな。そのようなことより、おれたちは下山中だっただけだ。身投げなどするつもりはなかった。ゆえに、貴様には助けられた。礼を言うぞ、ドワーフ」
「おぁっ、今度ぁなんでえっ!?」
感謝の言葉など、まるで聞いていない。
その視線の先では、裸エプロンを追い抜いて、六翼のヴァルキリーが音もなくふわりと舞い降りる。両腕に、エプロンドレスの殺人鬼レミフィリアを抱えてだ。
「メ、メイドにヴァルキリーだとぅ!? なんでえ、おめえさんらは!」
ドレスの幼女。半裸の女。裸エプロン男。トロール。メイド。ヴァルキリー。
我ながらこの一貫性の無さよ……。
「なんだと問われると答えに窮するところだが……」
裸エプロンが地に足をつけると、最後の一人がロープを揺らしながら下りてきた。青髭筋肉蛮族ダークエルフ・ヨハンである。
七人そろうと、さらに何が何やらわからない。
「??????」
ドワーフは混乱している。
ヨハンが珍しく眉根を寄せながら呟いた。
「マイリトルプリンセス、このお方は何者です?」
「知らん。貴様が落としたトロロンを受け止めてくれたドワーフだ。礼でも言っておけ。あとリトルプリンセスゆーな殺すぞ」
「ふぅむ、むむん……?」
ヨハンが腰を曲げ、ドワーフへと顔を近づけて覗き込む。
ふと思い出した。
エルフ族とドワーフ族は、両方とも精霊に近しい亜人種であるにもかかわらず、古の時代より交わることなく争い続けていたことに。
そう思った瞬間には、ヨハンはすでにドワーフの頭部へと手を伸ばしていた。
「待て、ヨハ――」
ヨハンの手が、ドワーフの髭をわしづかみにする。
「あそ~れぃ」
そのまま腕を引いて、白髭を勢いよく引っぺがす。そう、引っぺがしたのだ。引いただけで千切れた。いや、正確には剥がれた。皮膚ごとだ。
あまりの奇行に、全員が総毛立つ。
ヨハンは剥がした髭をポイと投げ捨てると、唖然としたままのドワーフの前で片膝をついてニヒルな笑みを浮かべ、強張った小さな手をそっと取っていた。
「おお、やはりそうでしたか! 私の鼻は誤魔化せませんよ。ふふ、なぜそのような珍妙なる格好をされていたのですかな? 稀少鉱石のごとく眩き輝きを放つドワーフ族のお嬢さん?」
そのまま、ムチュっと手の甲に口づけをする。
再び全員が総毛立った。
ヨハンの行動もさることながら、ドワーフのおっさんの髭を毟れば、そこにはずんぐりむっくりとはしているが、くりくりした瞳の少女が立っていたからだ。
「な、な、なぁぁ――!?」
あっさりと正体を見抜かれた少女が、唇のあてられた手をとっさに引き抜いて後退る。
手足の短い矮躯で、筋張った体型は変わらない。髪も手入れしていないのか、ぼさぼさだ。鼻頭は土で黒ずんで汚れているし、煌びやかな細工の施された服装ではあるが、よく見ればそれもどろどろだ。
だが、少女。おっさんではなく、間違いなく少女の顔。ほのかな膨らみを持つ胸も。
「こ、こンの、クソエルフ! い、い、いきなり何しやがんだっ!!」
少女は一瞬で背中に手を伸ばすと、微かに頬を染めながらも背負った大金槌の柄をつかみ、止める間もなくヨハンの脳天へと向けて振り抜いていた。
「ふ……」
だが、ヨハンは微かに首をすくめて躱す。
弓の腕もさることながら、接近戦でもまた、ただものではないのだ、この女好きのダークエルフは。
轟と風が流れ、ヨハンの短い銀髪が暴風に揺れた。
「おっと、いけませんね。あなたのような美しき女性が、そのような物騒なものを振り回されては」
「ふざ、ふざっっけんなっ!! エルフなんかにっ!」
続けざまに振るわれた縦の一撃をわずかに飛び退いて躱すと、ミスリル鉱の金槌は岩石の大地を大きく震動させて粉砕し、砕け岩の塊を四方に散らせた。
ヨハンは素早くユランの前に躍り出て、鍛え上げたその褐色の肉体で石飛礫を防ぐ。
「あいたたた、あいたたたのた」
「ふん、余計なことをするんじゃあない。この程度は自分で避けられる」
ユランが睨みながら鼻を鳴らすと、ヨハンは大げさに両手を広げて首をすくめた。
「おおっ、これは申し訳ありません。たまたま躓き、貴女様の前へとよろめいてしまっただけなのです。どうぞこのヨハンめの愚行をおゆるしください。マイリトルプリンセス」
バチコ~ンと暑苦しいウィンクをしながら。
ユランは思った。心底うざい、と。
「おい、そのようなことよりも後ろだ。貴様が蒔いた種だ。貴様がなんとかしろ」
「承知」
少女はなおもミスリルの大金槌を振り上げる。
「死ねッ!! 死ねッ!! 死ねッ!! エルフなんてみんな死んじまえぇぇーーーっ!!」
ヨハンは振り返り、うなりを上げて振り下ろされたそれを両手で正面から受け止める。
「ぬんっ!!」
ずごん、と凄まじい震動が響き、ヨハンの立ってた地面の周辺がひび割れた直後に深く沈み込んだ。
「ぬ、ぐ、ぐぅ……!」
超重量と超怪力によって発生した凄まじい圧力に片膝をついたヨハンは、しかし金槌を受け止めながらも微笑みを浮かべる。
「よしなさい、お嬢さん。このダークエルフ・ヨハン。女性とは戦えません。それに――」
己の足もとへと涼しげな視線を向けた。
「よかった。無事だ」
そこには風に揺れる、一輪の小さな花があった。陽光の色を鮮明に映し出す、名もなき花である。
「武器をお収めなさい。この子に罪はありません。踏み散らしてしまうには、少しばかり眩しい生命だとは思いませんか?」
「あ……」
何に感化されたのかはユランにはまったくもってわからなかったが、ドワーフの少女は頬を染めたまま口をわずかに開けて、少し躊躇った後に静かに金槌の先を地面に置いた。
「べ、別におまえに言われたからじゃねえからな! 花が……可哀想だから……」
「わかっていますとも。貴女が優しい心をお持ちであると」
「そ、そんなんじゃないんだからぁぁっ!!」
言葉遣いが、徐々に女のそれになってきていることに、本人は気づいていなさそうだ。
ヨハンがゆっくりと立ち上がる。獣の皮で作られた蛮族着を掌でぱたぱたと叩いて正し、微笑みを浮かべて。
「それと、種族で態度を分けてしまうのはよくありませんよ。我々は見ての通り、そういった隔たりを乗り越えて旅をする者です。私の名はエルフではありません」
「じゃ、じゃあ、なんて呼べばいいってんだい……」
ヨハンが大仰に右手を上げて、そっと左胸に置いた。
「ヨハン。親しい者はそう呼びます。ダークエルフ族のヨハンです。貴女にも、是非そう呼んでいただきたいものですね」
毒気を抜かれたように、ドワーフの少女は視線を逸らす。
「お、お、俺……は……。……あ、う~……あ、あたしだって、お嬢さんじゃない……。名前くらいあるさ!」
「おおっ、是非に」
「あたしは……ドワーフ族のクルル……だ……」
ヨハンが大きく目を見開く。
「おおっ! なんという可憐な名か! まるで霊峰に咲く小さき花のような、貴女にぴったりではありませんか!」
「う、うるさいよ! お、女だからって、バ、バ、バカにするなぁ!?」
上擦った声でクルルが叫んだ。
魂の抜けたような顔で三文芝居のごとき茶番を眺めいたラミュが、やはり魂をどこかに置き去りにしてきたような表情をしているユランの耳もとで囁く。
「脈ありですね」
「ああ。脈ありだな」
死ぬほど興味はないけれど。
しばらく三文芝居にお付き合いください。




