第41話 老兵と虚無(第三章完)
前回までのあらすじ!
そのヴァルキリー、ほんとに信用してもいいの?
ガリアス砦が瓦解してゆく。今なお、断続的に大地を突き上げてくる震動とともに。
ひび割れた砦の隙間からは、黒煙が上がっていた。
「な、なんだ、どうなっている……!」
「わからないわ。もう少し離れましょう」
呆然とその光景を見やるユランとネハシムの眼前へと、今まさに瓦礫によって閉ざされかけていた入口部分を突き破って、巨大な毛玉のような怪物が飛び出――そうとして、入口で横腹がつっかえた。
「ほわあああぁぁぁぁっ!?」
足をじたばたさせて必死で駆けるが、いかんせん短い足は空転している。
トロール・トロロンだ。小脇には、エプロンドレスの殺人鬼レミフィリアと蛇の女王ラミュが抱えられている。
「ああああぁぁぁ~~~~~~~つっかえたぁぁぁぁ~~~~~っ!! 死んじゃううぅぅ~~~~~っ!!」
一際巨大な瓦礫がトロロンたちへと落下してゆく。
「あああぁぁぁぁぁ~~~~~~っ!?」
ユランが大あわてで叫んだ。
「さっさと変形しろ駄肉!」
「おお?」
めぎり、とトロロンの肉体が軋み、球体状の肉体が逆三角形へと変化した。
途端につっかえていた横腹が外れ、ラミュとレミフィリアを抱えたトロロンが転がり出てきた直後、その背後から裸エプロンとダークエルフ・ヨハンが飛び出してきた。
ずん、と音がして瓦礫に入口が閉ざされる。否、そうではない。ガリアス砦全体が瓦解したと言っても、もはや過言ではないだろう。
砂煙と黒煙の混ざったものが、ぶわりと広がった。
しばらく言葉はなかった。ただ崩落だけが続いていた。
視界を閉ざす煙が、ガリアス連峰に吹き荒れる風に押し流される頃、ユランは掠れ声で尋ねる。
「何が……起こった……?」
ガリアス砦には糧食がたんまりあったはずだ。だが、とでもではないが掘り出せる状況ではない。おまけにこの黒煙。この崩落は、間違いなく炎がかかわっている。
これでは仮に運良く掘り出せたとしても、黒焦げだろう。いや、むしろ周囲には美味そうな食べ物の焼ける匂いが、ほんわりと漂っている。
誰もが失われたものを思い、呆然と立ち尽くしていた。
「ラミュ! 説明しろと言っている!」
「あ、は、はいっ」
未だトロロンに抱えられたままだったラミュが、毛むくじゃらの腕から逃れて地に足をつけた。
目が虚ろだ。
「ええっとですね。大量の戦利品は、砦の崩壊に巻き込まれてすべて埋まりました……」
「結論は見ればわかる! 順を追って話せ!」
「あぁ……。ええ……」
ラミュがちらりとヨハンに視線を向けた。ヨハンが珍しく、美女の視線から逃れるように目を伏せた。
「はっきり言え!」
「あ、はい。ええっとですね、ロスティア将軍が去り際に罠を仕掛けていたのです」
「やはり……! あンの糞爺め! 魔軍に糧食や砦を奪われるくらいなら燃やしてしまえということか!」
おそらく、いや、間違いなく、魔軍一行を招き入れてから諸共爆破するつもりで仕掛けをしたのだろう。
やつの考えそうなことだ。
「いえ、そうなんですが違うんです」
「ああ?」
「仕掛けは単純だったんです。火薬樽と、時限調整のためと思しき火のついた長い導火線をヨハンが発見しまして……その……」
「ヨハン! 貴様、なぜ消さなかったッ!?」
ガリアス砦は魔族領域と人間領域を隔てるには最適の砦だ。この堅固な砦であれば、一〇〇に満たないニーズヘッグ勢力でも一〇〇〇のカナン騎士を相手に戦えた。それに、溜め込まれた糧食は一〇〇の魔族が一冬を越える程度のものはあったはずだ。
その両方が失われた。
「貴様、返答如何によっては――」
「おお! なんという哀しいお言葉! 違うのです。このヨハンが、貴女様を裏切るような行為をするわけがありますまい! 発見するや否や急ぎにて樽へと迫る火を、自らの両手でねじり潰そうとしましたとも!」
ヨハンが褐色肌の両手を広げて見せた。たしかに焦げた痕がある。
「む? 貴様の責ではないのか。ならばなぜこのようなことに……」
「いえ! このヨハンの監督不行届! 申し訳ありません、イルクレア様!」
言うや否や、ヨハンはデコボコ筋肉の両手で顔を覆い、よよよと泣き崩れた。
「よよよ、よよよよ」
「鬱陶しいぞ、貴様! 気色の悪い泣き真似をしていないでさっさと説明しろ! おれの頭の血管を切るつもりかッ!!」
幼女の額には無数の青筋が浮き出ていた。
ラミュが虚ろな瞳のまま口を開く。
「あの……イルクレア様? 監督不行届という言葉でわかりませんか……?」
「ああ!? ……………………あっ」
ダークエルフ・ヨハンは弓の名手だ。だが同時に召喚魔法の名手でもある。深夜の狙撃のため、黒妖精をガリアス砦に送り込み、敵の位置を調べさせていた。
黒妖精の名は、炎を司るサラマンダー……。
ヨハンが懐から、橙色に輝くやたら肉厚な三頭身ほどの二足歩行の蜥蜴を取り出した。丸っこくてちょっと可愛らしく、どこかしら脂がのっていて美味そうだ。
橙色の蜥蜴はヨハンの肩によじ登ると、なぜか胸を張って口を開いた。
「……やって……もた?」
喋った。二足歩行以外はただの太った蜥蜴なのに。
ヨハンが跳躍し、額から大地にずびし、と落ちた。海を遙か越えた向こうにある東方国家最大級の謝罪、跳躍土下座というやつだ。
「どうか、どうかこの愚かな妖精にお慈悲を、マイリトルプリンセス! この者は働き者の愚者なのです! このヨハンめと同様、走る火を消すべく導火線に飛びかかり、結果的になんかもうどうやってもアレな状況になって収集がつかず。よよよ、あよよよよ」
「ぼくっ、やってもた?」
くいっと首を可愛らしく倒して、サラマンダーが同じことを呟いた。
つまりはこういうことだ。
自らの身に常に炎をまとっている妖精サラマンダーは、ヨハン同様に火を消そうとして導火線に飛びかかり、己の肉体から発する炎で新たな火を導火線に点火、それを消そうとしてまた飛びかかり、また新たな炎を点火、それをまた消そうとして飛びかかり、気づけば火薬樽まで一直線。
ユランは脱力した。
「……ああ、貴様がやってくれた……」
「あちゃあ、ぼくがっ、やってもたか~っ」
橙色の二足歩行蜥蜴が、前足で後頭部をぽりぽり掻く。
「たっはぁ~っ、ぼくがっ、やってもたぁ~っ」
仕草や語彙から察するに、シルフやノームに比べても脳みその容量は低そうだ。まあ、元が蜥蜴では致し方ない。
「わかった、わかったから。今日はもういい。さっさと精霊界とやらに消え失せろ」
橙色の二足歩行蜥蜴が、半透明になって消えてゆく。最後に言葉を残しながら。
「……たはぁ~……やってもたぁ~ん………………」
幼女、その場に腰を下ろしてうなだれる。気分的に三角座りだった。
ラミュがなぜか半笑いでユランの肩に手を置く。
「本当にゆるすだなんて。お優しいことですね」
「あんなでもサラマンダーがいなければヨハンは狙撃ができず、引いては砦を落とすこと自体できていなかったからな。今回は手柄と失態、差し引きゼロだ。次はない」
「うふふン。あなたのそういうとこ、好きですよ」
幼女が歯を剥いて吐き捨てる。
「そいつぁどうもっ!」
やさぐれ、その場に仰向けで寝転がった。
ガリアス連峰から見る星空が、やけに綺麗な夜だった。
ようやくニーズヘッグ勢の糧食に余裕が持てるかと思いきや、この有様だ。防衛拠点も糧食も金銭も、武器ですらも、なぁ~んにも残らなかった。
戦争とはかくも虚しいものなのか。
虚しいのは脳みそだ。
 




