第37話 老兵の出番なし
前回までのあらすじ!
老兵がもらったラブレターは本物だったぞ!
岩場に腰を下ろし、ロスティアは大あくびをしながら夜空を見上げて考える。
ユラン・シャンディラの率いる魔族が何体いたかはおぼえていない。存在を把握しているのは六翼のヴァルキリーが一体と、弓の使い手が一体。
そして、なぜか魔王となった勇者が一人――。
それ以上をたしかめることは、ユラン・シャンディラの剣技の前では不可能だ。一瞬でも目を離せば、待っているのは死なのだから。
牽制射撃を行っていた騎士からの報告では、可視できたのは魔王を含めて七体のみだったとのことだが、伏兵の可能性も否定できない。
「ふぅむ?」
ロスティアは白髭をしごきながら、大きな谷間を挟んだ崖向こうに変化がないことをたしかめる。もちろん、配下の騎士十数名と身を潜めてだ。
その手には、遠眼鏡と油壺がしっかり握られていた。ちなみにその隣の騎士は、なぜか酒樽を抱えさせられている。
日が暮れて夜の帳が降りたとて、目を凝らすことには慣れている。闇に包まれたガリアス連峰の空に、白き翼の姿はまだない。
「ぐはは、やつめ。儂を警戒しおったか。騎士団時代はあんなにも素直に騙されてくれたのに、寂しいことよのう」
身勝手な独り言を呟いて、油壺を谷間へと投げ捨てる。
「将軍?」
「この場に二名残してガリアス砦へ帰還じゃあ」
「お言葉ですが、二名でよいので? ヴァルキリーがいたのでは谷を越えられてしまう恐れがあります。二名ではヴァルキリー種の相手は――」
ロスティアが顔の前で掌をパタパタと振った。
「無駄じゃあ。もうここには来ん。来るなら十中八九、ガリアス砦大門正面からよ。せいぜいが陽動を使うかどうかといったところだろう。やつぁ莫迦のつく正直者だからな。人を騙すことになれておらん。だから配下をよく死なせる」
「魔王レギドが……ですか?」
「む……。ああ……のう」
ロスティアが言葉に詰まり、もごもごと口を動かしてから開き直ったように言った。
「ぐははっ。今のはちょいとした失言じゃあ。忘れろ忘れろ、ひっひっひ」
こんなにもおもしろい状況になっているのを、あの糞くだらんカナン王になど報告されてたまるものか。でなければ、また戦況を引っかき回されてしまう。
「ただ似ておるだけじゃ。おぬしら若い騎士たちが、まだまだ尻の青い赤子だった頃に、人類の窮地を二度救った一人の騎士になァ」
「は、はぁ……」
リントヴルムやエドヴァルドがガリアス砦を通過して人間領域に戻る際に、レギドの中身がユランを名乗っていたという報告は受けていたが、まさかそのような奇っ怪な現象が起こりうるはずなどないと思っていた。
勇者の称号を持つものがそろいもそろって、何を寝ぼけているのかと散々からかってやったら、リントヴルムは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
エドヴァルドはどういうわけか、ぼうっと上の空だったが。
あれだけからかってやれば、リントヴルムは口が裂けても王にはユラン生存の報告などしないだろう。己の歪な性格が幸いしたといわざるを得ない。
どういった経緯でユランが魔王などをやっているのかは知らないが、新たなカナン王の即位でつまらなくなったこの仕事も、おかげさまで少しはおもしろくなった。
若い騎士の肩をばしばし叩いて、老将軍は歩き出す。
「ぐははははっ! まあ、あまり気にするな! ハゲるぞ!」
「はぁ……」
「儂のように色こそ抜けても、ふっさふさでいたくはないのか? ん? ロマンスグレーはモテるぞぉ?」
「あ、あはは、そうですね」
愛想笑いで誤魔化した騎士の肩から腕を除けて、ロスティアは子供のように唇を尖らせながら呟いた。
「……おぬし、つまらん男よのう」
「ええ……? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
若い騎士をからかいながら早足で歩いていると、ガリアス砦から別の騎士が走ってくるのが見えた。
一般の騎士よりは薄い鎧をまとっている。軽装鎧は伝令騎士だ。
「急報! 急報! 将軍! ロスティア将軍はおられるか!」
「なんじゃい。もう来たんかい」
「え……?」
「なんでもない。さっさと報告せい」
「ハッ! 魔王レギド以下六体の魔族と思しきものが、現在ガリアス砦を襲撃中です! 弓兵らが応戦中ですが、すでに十数名の犠牲が出ています! いかがいたしましょう!?」
「ああ?」
ロスティアがあきれたように表情をねじ曲げた。
「大門はどうなっておる? 破城槌で破られたのか? それとも自ら開いたのか?」
「え……、いえ、閉ざしたままで何も」
「なんで犠牲が出ておるのに莫迦正直に応戦なぞしとるんだ? それほどまでに接近されたのか?」
「え? あ……、いえ、そういうわけではなく、将軍の仰っておられた赤いドレスの幼女の姿もあったもので……あれが魔王なのですよね?」
ロスティアが額に血管を浮かせ、伝令騎士を怒鳴りつける。
「走って戻って伝えんかい! 大門に迫られん限りは窓から顔を出すな! やつらは様子見でちょっかいを出しているだけだ! くだらんことで儂の兵を減らすな、この阿呆どもが!」
「ひぃ! わ、わかりました!」
ガリアス砦の弓兵を減らしているのは、おそらくダークエルフのヨハンとやらだ。飛距離、威力ともに、カナン騎士弓兵隊の比ではない弓を撃つ。
だが、ガリアス砦の大門は鉄扉で、壁は石壁だ。火矢は通用しない。閉ざしておきさえすれば、そうそう簡単に侵入できる砦ではないのだ。
それが破られたわけでもないのに、窓から顔を出して弓で応戦とは。しかもたった七体の魔族に対して莫迦正直に。
おそらく弓兵が魔族一行を発見して、鳥撃ちでも楽しむ気分でおもしろ半分に矢を番えたのだろう。誰が魔王を射るか、遊び始めたのかもしれない。
ところが、思わぬ反撃にあって犠牲が出てしまった。
熱くなった頭でまた矢を番える。反撃を喰らって犠牲が出る。そしてまた矢を番える。
こんな無駄な繰り返しを十数名も犠牲が出るまで続けたとは……。
「やれやれ、教育が行き届かんのう」
ここ数年、レエル湖砦の一件を除けば人間軍は魔軍に連戦連勝だった。圧倒的な数と物量で圧し潰してばかりきたゆえ、全体的に騎士の質が下がっているのだ。
さっさと戻らねば、しまいには莫迦正直に大門を開けて打って出てしまいかねない。何せ相手はたったの七体。魔王の姿も非力な幼女。侮ってしまうには十分な少数で、十分な姿といえる。
そんなこともわかっていない騎士が増えすぎている。
いっそ己も、ユラン・シャンディラのように新たな居場所でも見つかればよいのだが、いかんせん、この老いて朽ちかけた肉体では。
「つまらん。今のカナンはつまらん。のう、ユラン。おぬしは楽しそうで羨ましいぞ」
不利な状況でも嬉々として斬りかかってきた躍動する幼女の姿、凄惨な笑みを浮かべたその表情を思い出し、ロスティアは長いため息をつく。
「……儂はいったい誰のために戦っておるのやら」
星空にそう呟いて、老将軍は帰還の足を速めた。
*
ルビー・レッドの頭髪と同じ色のドレスをまとった少女は、これ見よがしに弓をかまえて放つ。真っ当な弓矢では、到底届かぬはずの距離で。
一際大きな岩石に立って、それでも鏃なき木の棒を撃ち出す。
当然、矢ですら届かぬ距離を木の棒が飛ぶはずもない。数十歩先でぽとりと地面に落ちるだけだ。
「ま、まだやるんですかぁ~?」
「いいから黙って続けなさい、レミフィリア」
そう。少女は魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグ――すなわち老兵ユラン・シャンディラではない。
魔軍専属料理人補佐の殺人鬼レミフィリア・ラーツベルトである。
むろん、遠眼鏡でも持ち出さぬ限りは――あるいはこの夜の闇では、それがあってさえガリアス砦から彼女の正体を見破ることは難しいだろう。
レミフィリアのエプロンドレスは、丸っこい岩石を重ねて人体ほどの大きさにした物体が着ている。同じく、人体に似せた岩を重ねた物体はもう一つ。こちらには翼のオブジェがつけられているけれど。
岩石の影に隠れて本命の弓を鼻歌交じりに放っているのは、褐色肌のダークエルフ族ヨハンだ。
「ふんふんふーん♪ 死すべし! 男は死すべし! おぉっと、麗しき女性の弓兵は避けねば」
人間には不可視の存在、黒妖精サラマンダーを砦に放ち、その橙の光へと向けて矢を番え、放つ。
間者としては絶望的などんぐり脳も、矢の的としては優秀だ。射手にしか見えない灯りが敵頭上に浮かぶだけで、命中率は大きく変わる。
だが、そこへと正確に撃ち込める怪力と技量は、この助平ダークエルフならではだ。
斜め上方から飛来する矢が届かない距離を、下方から斜め上方へと撃ち上げる矢だけが届くのみならず、一矢につき一人、確実に射殺しているのだから。
また一人、砦の窓から顔に矢の刺さったカナン騎士の弓兵が転落した。
「これで三十名。おお、もう矢がありませんな。――美しき蛇の女王ラミュ様、そろそろ矢の補充か、もしくは貴女の情熱的なキッスをいただけますかな?」
大胸筋を交互に動かしながらニヒルな表情を浮かべた蛮族的ダークエルフをガン無視して、ラミュが背後に立っていた丸っこい巨体に命じた。
「トロロン。矢を拾って来ておあげなさいな」
「はぁ~い」
毛玉状態のトロロンが、カナン騎士弓兵隊の放った矢を拾うために、トテトテ走って飛び出した。
矢雨の中をふつうに歩いて、矢が脳天にぶっささっても平気な顔で、トロロンはカナン騎士らの放った矢を拾い集める。
「よーいしょ、よーいしょ」
その背中や腹にも次々と矢が刺さるが、まるでこたえた様子もない。やがて両腕にいっぱいの矢を抱えると、トロロンはまたトテトテと走って戻ってきた。
ヨハンの前で両腕の矢をどさりと落とし、次に毛むくじゃら球体状の肉体をぶるんぶるん震わせて、身体に刺さった矢をその場に落とす。
「これでいい? 足りる?」
「おお、十分ですな。かたじけない。ところでトロロン殿は痛くはないのですかな?」
「ぼく、剛毛玉だからねー。お毛毛に絡まってお肉にまでは刺さらないんだぁ」
何がおかしいのか、ヨハンとトロロンが同時に爆笑した。
デタラメな放物線を描いてたまに飛来する矢を、両手に持った包丁で叩き落としていた裸エプロンが、ラミュを振り返って尋ねる。
「このような見え見えの陽動でうまくいくのかね、副官殿。私がロスティアだったらならば、こんな作戦とも言えんような作戦は、簡単に見破れるぞ。なぜなら我々にはもう、こうするしか大門を破ることはできんのだからな。他に方法がなくば、選択肢を考える必要性もない」
そう。方法は一つしかない。ここで魔軍が敵の目を惹きつけ、その間に幼女ユランとネハシムが翼で壁を越えて砦に侵入、中から開門する。
当然、あの老将軍も同じことを考える。
“魔軍はもう、陽動作戦でしかガリアス砦大門を破る術がない”はずだと。
読まれているだろう。確実に。そんなことはわかっている。
「そうですね。わたくしも陽動は確実に見破られるものと思います。それでも、イルクレア様とネハシムが入り込めさえすれば、どうにかしてくれますよ。きっと」
「侵入が成功するのかと言っているのだ」
「さあ? 料理人の裸エプロンには通用しないかもしれませんね」
ラミュが細い肩をすくめた。
「ただ、反面。ロスティアのような優れた騎士が相手ならば、結構簡単に騙せるかもしれません」
わけのわからない返答に、裸エプロンはハゲ頭を傾げるのだった。
裸エプロン=半裸
ラミュ=半裸
ヨハン=半裸
トロロン=全裸
レミフィリア=着衣
この絵面よ……。




