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第35話 老兵と老将

前回までのあらすじ!


あなたとっても優しいのね?

 その老将軍は、陽光に手をかざしながら上空を見上げて呟いた。


「ありゃりゃ。平然と飛んでったな。外したか」


 美しいヴァルキリーの足を掠めた矢は、しかし貫くことなく空へと吸い込まれるように消えた。やたらと翼の多いヴァルキリーは、小傷を負いながらも空から伝令を追跡する。

 もう矢の届く範囲ではない。


「あ~あ。ありゃあ死んじまうなあ。気の毒に」


 己の放った矢を避けるほどの手練れだ。足の速い騎士を走らせたとはいえ、伝令が彼女から逃げ切れるとは到底思えない。


 白く染まった髭をしごきながら、老兵は空飛ぶヴァルキリーを見なかったことにした。大地ならば追ってもいいが、空を飛ぶ鳥を走って追うのは阿呆か暇人のすることだ。

 還暦を迎える年齢的にも厳しい。というか、ぶっちゃけると面倒だ。


「ロ、ロスティア将軍! 来ます!」

「はいよ」


 手にしていた大弓を控えていた騎士に押しつけ、老将軍は剣を抜いた。大きな大きな剣だ。

 仲間を振り切る勢いでこちらに駆けてくるルビー・レッドの頭髪をした幼女が肩に置いた、魔剣ドライグに負けず劣らず。

 もっとも、これはただの鉄塊。魔法の力など宿ってはいないけれど。


 老兵の隣で、騎士がうろたえたように呻く。


「あ、あれがリントヴルム様とエドヴァルド様の報告にあった魔王レギドでしょうか!? ふ、復活したとは聞いていたが、本当に幼女の姿じゃないか!」

「阿呆垂れぃ。見た目に惑わされんなや。しょせん魔王は魔王、魔族は魔族だ。どんどん矢を射ろ」

「は、はい!」


 騎士らが一斉に番えた矢を放つ。しかし、幼女魔王は左右にステップを切ってそれを躱し、躱せぬ矢だけを選別して魔剣ドライグで防ぐ。

 矢ではその突撃を止めることすらできない。


「ありゃりゃあ。こっちも駄目かね。――よーし、ならば撃ち方変更。魔王を孤立させろ。後続を近寄らせんように、牽制でもしてろ。もちろん殺せるなら殺してもかまわんぞ」

「し、しかし魔王がもう――!」


 十数歩の距離で、凄惨な笑みを浮かべながら魔剣ドライグを振り上げていた。だが、齢六十の老将軍に狼狽の色はない。


「ぐははははっ、安心せい。儂が出る。おまえたちはやつの仲間を牽制し続けておれ」


 それどころか楽しげに嗤って目の前の騎士を押しのけ、その巨体で騎士らの前へと躍り出た。



 嘲笑する幼女と、嗤う老兵が激突する――!



 もはや火花とは言えない規模の炎と轟音が空間を揺らしながら飛び散り、互いに弾けた。

 ルビー・レッドの瞳が大きく見開かれる。


「ぐははっ、見かけによらん剛力よのう、嬢ちゃんよぅ!」

「貴様……ッ」


 着地と同時、体躯に有利なロスティアがわずかに早く地を蹴った。

 薙ぎ払われた鉄塊の特大剣を、魔剣ドライグの刃で去なし損ねた幼女魔王が、凄まじい勢いで吹っ飛ぶ。

 だが赤い靴の右側で斜面の大地を引っ掻くようにして踏みとどまり、再びドライグの真っ赤な刀身を老将軍へと向けた。


 驚いた。あんな孫の世代のような子供に受け止められるとは。

 そこまで考えて、己が先ほど若い騎士に叱責したことを思い出す。見た目で判断しているのは、自身も同じだったようだ。


「ロスティア……貴様、ロスティア・ヘンリック第七騎士長かッ?」

「ほほう。魔王の嬢ちゃんは儂を知っとるのか。これはこれは光栄の至りよ。彼の悪名高き魔王レギド様に名をおぼえていただけておったとはなあ。ぐははははっ、長生きはするものよ!」

「……そういうわけではない」


 空には矢が走っている。いくつもいくつもだ。

 魔王の仲間をこの戦いに参戦させぬための牽制だが、矢が風を切る音というのは存外に恐ろしい。若輩の騎士であれば、首をすくめて見上げてしまうだろう。


 ところがどうだ、この魔王は!


 十にも満たぬ小娘のような姿をしていながらも、気にした様子もない。堂々と立ち、特大剣をかまえる様など、まるで歴戦の老兵ではないか。


 ふいに、数十もの矢の流れに逆らって、一本の矢が飛来する。

 老将軍が首をわずかに倒してそれを躱すと、背後で騎士が「うっ」と呻いて崩れ落ちる鎧の音が響いた。

 目の前の魔王ではない。その遙か後方。騎士らの矢を己の得物で弾き、体捌きで躱し、岩石で防ぐ一行の中からだ。


「やれやれ。嬢ちゃんの仲間には、なかなかの射手がおるなあ」


 射られながら射返してきた。避けながらにせよ、防ぎながらにせよ、これほど正確に狙いを定めることができようとは、達人級の素晴らしい腕だ。


 ひゅっと音がして、また一人、騎士が膝をついた。


 だが、急がねばなるまい。騎士らの矢はまだ誰一人として敵を射殺せてはいないが、数秒ごとに騎士は確実に膝をついている。


「ふんっ、欲しければくれてやるぞ。少々気色の悪いダークエルフだがな」

「ぐはははっ! なんとまあ、気前のよい冗談か!」


 魔王の表情が不快に歪められた。


「……冗談は好きではない。ああ、好きではないぞ、ロスティア騎士長」


 一瞬、その言葉に何か郷愁めいたものを感じた瞬間、魔王が地を蹴った。

 小さく軽い肉体はおろか、まるでドライグまでもが重量を失ったかのように中空を舞い、矢の流れすれすれで身体をねじり込むようにして、赤い刀身を振るう。

 首や胴を狙うでもなく、ほとんどデタラメに。


「ぬうっ」


 バギン、と音がして、老将軍の足が滑った。

 受け止めた鋼鉄の刃をすり抜けて、ドライグから発生した炎が老いた将軍へと襲いかかる。


「死ね」

「小賢しいわッ!!」


 だが、炎がその巨体を包むよりも一瞬早く、老将軍は力任せに魔王をはね除けた。

 弾かれた魔王は中空で後方回転をし、両足だけではなくドライグの刃を地面へと突き刺して強引に留まる。

 その口角が残忍に引き上げられた。


「――ッ!」

「~~っ!」


 同時。体勢を立て直すのも、地を蹴るのもだ。

 力押しでは到底敵わぬと見たか、魔王は炎を伴う細かな斬撃を次々と繰り出してきた。ロスティアは鉄塊のような無骨な特大剣でそれを防ぎながら、右足で下段足払いを繰り出す。

 もっとも、魔王の身長にとってはそれは足払いどころか中段蹴りなのだけれど。


「ぐぅ……」


 かろうじて立てた腕でそれを受け止めた魔王が吹っ飛ばされ、バランスを崩した瞬間、ロスティアは胸鎧の内側から取り出した数本のナイフを幼い魔王へと投げつけた。

 同時にではない。まず四本、次に遅れて一本。


「ちぃ――ッ!」


 片足で滑りながらも最初の四本をドライグで弾いた魔王の首へと、本命の一本が迫る。

 地についている足は一本。体捌きで躱すことは不可能。ドライグは振り切っており、弾くこともできない。むろん、バランスを立て直す暇などない。

 決まる。


「おお――ッ!?」


 はずだった。

 だが、大口を開けた魔王は、上下の歯で最後の一本を獣のように噛んで受け止めた。


 防ぎおるか、あれを。初見で。しかも口で。


「これは……驚いた……。なんというデタラメなセンス……」


 ぺっ、とナイフを吐き捨てて、魔王レギドはドレスの袖で口もとを拭う。


「ハッ! センスなどではない。経験だ。相も変わらず油断のない」


 立ち止まった瞬間、互いを狙って飛来してきた矢を、ほとんど同時に得物で薙ぎ払って弾いた。


「おいこらヨハン! 余計なことをするんじゃあない! 貴様は確実に騎士を減らしていればいい! このロスティアって爺には、不意打ちだろうがなんだろうが、どうせ矢など絶対に刺さらん!」


 ヨハン。あの的確にて凶悪な矢を放っている魔王の仲間は、ダークエルフ族のヨハンという名か。是非とも欲しい逸材だが、魔族を騎士団に引き入れるわけにもいかない。

 残念。非常に残念だ。


 ふと気づく。


 いや、待て。その前に。そんなことよりも。

 この魔王は先ほどなんと言った?


 老将軍が首を傾げた。


「ふむ? 相も変わらず、だと? 儂とどこかで会うたことがあったかね、魔王の嬢ちゃんよぅ」

「……さてな。仮にそうだとしても、もはや相容れぬ同士となった。敵は敵だ。それでいいだろう、ロスティア騎士長殿?」

「騎士長ではない。将軍だ」

「ふんっ、そいつぁ失礼。ロスティア将軍閣下殿」


 騎士長。もう十年近くも前の位だ。己はこの魔王と、その頃に遭遇しているのか。

 いや、いやいや、魔王レギドと遭遇したカナン騎士は、みな死んだ。今年に入って遭遇している勇者リントヴルムと勇者エドヴァルド以外は、みな殺されたはずだ。

 二十年前、ユラン・シャンディラが率いていた独立遊撃隊のように……。


「何を呆けている?」


 幼く凶悪な声に反応して、名もなき特大剣を持ち上げる。斜め上空から迫っていた魔王の斬撃を受け止め、弾くべく力任せに振り切ると、ふわりと魔王に剣を流された。


「ハハ!」


 無邪気に秘められた凶暴凶悪な笑み。呼吸の届く距離でそれを見た直後、胸鎧に凄まじい衝撃を受けて吹っ飛ばされ、ロスティアは背中から転がった。


「ぬがっ!?」


 騎士ならば。騎士道精神を持つ同士ならば、倒れた相手に剣など向けない。だが、獣は違う。

 機会と見るや否や、魔王は飛びかかる。ロスティアの頸部へと切っ先を照準して。

 ロスティアは仰向けに倒れたまま、身をよじって頸部へと放たれた一撃を躱しながら、幼女の脇腹を蹴り払った。


「く――ッ」


 むろん、力の入る体勢ではない。ダメージなど見込めない。

 だが、幼女が一瞬よろめいた瞬間に跳ね上がって立ち、鉄塊の特大剣を叩きつける。幼女はそれをドライグで受け流しながら老将軍を懐へと誘い込み、跳躍と同時に赤いドレスのスカートを跳ね上げながら、その頬へと後ろ回し蹴りをあてた。

 ぱん、と肉の弾ける音が響く。

 老将軍の口から血液が飛び散った。


「――ッ!」


 着地して腰溜めにドライグをかまえた魔王と、わずかに後退しながらも正中に鉄塊の特大剣をかまえた老将軍の距離が開く。


「まさか、ユラン・シャンディラ……か?」


 ぽつり、とひび割れた唇から名が漏れた。

 老兵幼女が凄惨な笑みを浮かべる。


「さてな」

「獣の剣術に、冗談嫌い。否定を二度言う口癖に、横柄な態度。十年前の儂の位を知っておる」

「だったらどうした?」


 歴戦の老将軍に、困惑の色が浮かんだ。


「おまえ、ユランなのか?」

「久しぶりだな、ロスティア騎士長よ。そしてさよならだ」


 その直後のことだ。上空から高速で飛来してきた影に呑まれたのは。

 一瞬早く身をよじると、その直後に白の剣閃が頬を掠めて走った。


「おおっ!?」


 背後には、聖剣グウィベルを振り切った体勢で、六翼のヴァルキリーが立っている。手練れであることを見抜けぬほど、ロスティアの経験は浅くない。

 ヨハンとやらの射撃で、ずいぶんと騎士の数も減らされた。


 ロスティアが静かに剣を下げた。


「これまでかの。せっかくの再会だというのに、言葉を交わす時間もないとは」


 幼女が口もとの笑みを消し、一言呟く。


「残念だ。ではな。――近いうちに煉獄(アビス)で会おう、ロスティア」


 ロスティアが瞳を閉じる。

 地を蹴り、その頸部へとドライグを叩きつける――直前!


「嫌ぁ~なこった」


 ロスティアは溶けた胸鎧の肩を剥ぎ取って魔王と化したユランに投げつけ、身を翻した。


「ぐははっ。せっかくおもしろうなってきよったのに、煉獄(アビス)なんぞに行ってられるかぃ。ではな、魔王の嬢ちゃん! また遊ぼうや!」


 鉄塊の特大剣をあっさりと投げ捨て、脱兎のごとく逃走する。騎士たちの間を、するすると抜けながら。


「おまえたち、撤退じゃあ! ほれほれ、さっさと逃げんと魔族に食われるぞ! ぐはははは!」


 それを機に、生き残ったカナン騎士らおよそ三十名ほどが背中を向けて走り出す。

 矢の雨がやんでようやく魔王のもとへと走り込んできた魔族の仲間たちが、彼女を通り過ぎて追撃に出ようとすると、魔王はそれを幼い両手を広げてやめさせた。


「追うな、貴様ら。どうせ罠だ。ロスティア・ヘンリックという男は、カナン騎士団で最もくせ者とされる爺だ。まさか、まだ現役を張っていたとは思いもしなかったがな」


 追い風にのって微かに聞こえてきた言葉に、ロスティアは逃げながら肩をすくめる。


 罠はなかった。あるように思わせただけだ。あの幼女魔王が本当に己の知るユラン・シャンディラであるならば、きっとそう考えるはずだと、それをたしかめただけに過ぎない。


 そして、確信を得た。

 あの用心深さと大胆さを併せ持つ、野生の獣を思わせる感じ。なぜあのような姿形となったかはわからないが、あれは間違いなく己の知る勇者ユラン・シャンディラだ。


「ぐは、ぐははははっ!」


 だが、まだまだだ。

 たかだか五十路。若い。まだまだ若い。老兵と呼ばれる経験を得ていようとも。


「ロスティア将軍? どうかされましたか?」

「ぐはははははっ! これはまた楽しくなってきたのう!」


 還暦の老将、胸躍る。



ロリジジイvsクソジジイ!

臭い立つ加齢臭!

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