第32話 老兵が飢餓状態
前回までのあらすじ!
この女……(あかん)
腹が減っていた。
料理人は用意したというのに、糧食を誰も運んできていなかったとは思いもしなかった。
七人の歩く音だけが、風を割って静かに響く。
「……おい貴様。レミフィリア、おれの背後を歩くな」
草原の草を踏みしめて、振り返るなりユランがそう吐き捨てた。
半ば以上、不機嫌そうに。丸二日、飲まず食わずで歩いた八つ当たりに。
「で、でも……」
たった七人での遠征だというのに、殺人鬼レミフィリアは黒地に白のレースをあしらったエプロンドレスの姿のままだ。
「貴様からちらちら漏れ出す殺気が不快だ。貴様が先頭を行け!」
「え、ええ……。そ、そんな……。……わたしはただお腹が空いたから、魔王様の臓物もわたしたち人間と同じなのかしらって考えてただけですよぅ……。なのに先頭に行けだなんて……怖いです……っ」
「その発想が危険だと言っているっ」
「ええ、そんな~……」
レミフィリアが嫌々と首を左右に振ると、その背後から裸エプロンの大男が歩み出てきた。
この男、なぜか裸足だ。どうやらエプロン以外はつけない主義らしい。
まったく、こいつらの装備ときたら。エプロンにエプロンドレス、武器は包丁だけだ。短剣やナイフですらない。
「待て。魔王よ」
そろいもそろって、このカップルは砦を落としに向かっていることをわかっているのだろうかと不安になってくる。
「ならば私が先を行こう。私はレミフィリアを守るためにいるのだからな」
「ダーリン……」
その深き愛に、胸の前で両手を組んで感激するレミフィリアから裸エプロンへと視線を移したユランが、顔面に青筋をたてまくりながら叫んだ。
「やめろ! 貴様は先を行くな! 丸出しのケツが醜い! 男のケツを眺めながら行軍などできるかァ!!」
「――ぐふぅっ!? せっかく新品のエプロンを卸したというのに、この言われようとは」
巨体、片膝をつく。
「だ、大丈夫! ステキよ、ダーリン! とっても似合っているわ? ダーリンのお尻だって桃みたいでとってもおいしそうだもの! わたし、ダーリンのお尻なら人間のお肉でも食べられるわ!」
「フ、ありがとう。愛しているぞ、レミフィリア」
互いをかばい合うその愛の美しきこと。
だが、空腹ユランのストレス値はぐんぐん上昇する。
「そもそもなんだ、貴様らのその格好は! わかっているのか! おれたちは今から人間軍の砦を陥落させに行くのだぞ! 兵数差は七対一〇〇〇、絶望的だ! おまけに腹が減って力も出ん! 鎧も着てこんなら、せめて食い物くらい自分たちで持ってこい、この阿呆料理人どもが!」
喚く幼女の肩を指先でちょいちょいとつついた蛇の女王ラミュが、その耳もとで囁く。
「ぺらぺら装備に関しては、イルクレア様も同じようなものかと。ドレスですからね」
「やかましい! 貴様がドレスを着ろとうるさいから着てやっているのだ! こんな赤いドレスなど、好きで着ているわけではない!」
ラミュの切れ長の瞳が厭らしく細められる。
「あ~ら、魔王様。最近は起きるなり、鼻唄まじりに全身鏡の前に立ってドレスの身なりを綺麗に整えられているのは誰だったかしらぁ? くるくる回って可愛らしいポージングも、なかなか様になっていましたよ?」
ヒイイィィィィィィィィ……!
女装に目覚めた老兵の喉から声にならない悲鳴が漏れた。ルビー・レッドの頭髪に負けないくらい、幼女の顔色が真っ赤に染まってゆく。
「う、うぅ……か、かか、勝手におれの部屋を覗くなぁ!? 貴様こそ防御力の欠片もない破廉恥な服を着ているだろうがッ!! なんだそれは! 黒い包帯を巻きつけているだけではないか! 激しく動いて乳頭がコンニチハしても知らんぞ!」
「うふふん、これは人間軍の男たちを惑わせるという目的がありますから。わたくしはとても魅力的でしょう?」
ラミュが豊満な胸を張って得意げな顔で言ってのけた。
絶対嘘だ。戦闘時はもちろん、貴様はふだんからその服装ではないか。
睨み合う一行の中心に、蛮族のごとき筋肉を獣の皮の服で覆ったダークエルフ・ヨハンが素早く滑り込む。
「はっはっは、落ち着いて。落ち着いて。喧嘩はおよしなさい。イルクレア様もラミュ様もレミフィリアさんも、とってもよくお似合いですよ。みな美しい。それでいいではないですか。眼福、眼福」
青髭がなければ爽やかなマスクで長い耳をぴこぴこと動かし、ニヒルでダンディズムに溢れる不敵な笑みを浮かべながら。
筋肉ダークエルフの言葉に、裸エプロンが真っ先に毛のない後頭部を掻いて照れる。
「フ、よさないか、ヨハンくん。このエプロンが如何に優れたものであろうと、そのように褒められては照れるではないか」
ヨハンが一瞬で真顔に戻って、冷静に返す。
「ご冗談を。あなたには言っていませんよ、気持ちの悪い筋肉をした半裸のお方」
「ぬぁんだと!? おまえも似たような筋肉で似たような格好をしているではないかっ!」
だが、このダークエルフは基本的に男の話を聞かない。
「貴女たちはみな美しい……。嗚呼、それはまるで、世界に一輪しかない可憐なる花のようだ……。どうかこのヨハンめに、貴女たちという花を摘む権利をお与えください……」
女性陣へと向けて片膝をつき、バチコーンとウィンクをしながら。
苦笑いを浮かべたネハシムを除く全員が、背筋に悪寒が走ったかのようにぶるりと震え上がった。
「ねーねー」
間延びした声に、その場に立つ全員が振り返る。
巨大な毛玉、トロール・トロロンだ。
「なんだ?」
「ぼく、裸だよ~。いいのかなあ? 叩かれたら痛いから、おちん●●は、身体の中に隠してあるけど~?」
トロロンが上体を左右にふりふり倒しながら、ニィっと歯を剥いて笑った。
機嫌がよい証だ。どうやら人間と人型魔族で構成されたこのパーティが、いたくお気に入りのようだ。
だが幼女は辛辣に返す。
「貴様のような球体に合う鎧などあるか阿呆! よしんばあったとしても、貴様は戦が始まれば逆三角形に変形しているだろうが! それに貴様には自前の毛皮があるだろう! この剛毛玉が!」
「おお~。ごーもーだまって、なんか強そうな響きだねえ~」
「いいから貴様は黙っていろ。このケダモノめ」
「そもそも魔王様が隊列に文句をつけ始めたからこんなことになっているのでは……」
「なんだと、貴様? 副官の分際でおれに文句でもあるのか?」
「あ、あの、魔王様……? やっぱり魔族の臓物も人間の臓物と同じ色をしているのですか……? ピンク……? 魔王様って柔らかそう……」
「食材を見るような目でおれを見るな! 糞殺人鬼が!」
一方では大胸筋同士を突き合わせて、巨体の男が睨み合う。
「ダークエルフというのはもっとスマートなものだと思ったが。フ、蓋を開けてみれば私と大して変わらんではないか」
「はっはっは、いえいえ。この美しきダークエルフ・ヨハンをあなたのようなハゲマッチョと一緒にされては、世界中の女性が悲しむではありませんか」
やいのやいの言い始める中、腰に手をあてて苦笑いを浮かべていたネハシムが、ふいに視線を向かう先である南方へと向けた。
「イルクレア」
「あ? なんだ、ネハシム。今取り込み中だ。後にしろ」
「前方に魔物を発見。こちらに気づいているみたいよ」
全員の視線が一斉に南方へと向けられた。
どこぞの森から迷い出たか、羽根のない二足歩行の大蜥蜴が三体、こちらに視線を向けていた。
「大地の亜竜ギーヴルね。襲ってくるわよ」
ネハシムが背中の鞘から聖剣グウィベルを抜き放った。
ギーヴル。
その巨体は、裸エプロンやヨハンの比ではない。肩高は樹齢を重ねた樹木ほどもあり、その牙一本の大きさだけですでに、幼女のイルクレアを遙かに凌駕している。
皮膚は竜同様に強靭な鱗に覆われて守られ、鋭い牙や爪、鱗はもちろんのこと、皮膚ですら高級武具の材料として、高額で取引されている。
そして、性格は極めて凶暴。たちの悪いことに、女子供の肉を好む。
ゆえに――。
ギーヴルにとっては、このパーティはさぞやうまそうに見えたことだろう。
ギーヴル三体は空間を揺るがすほどの咆吼を上げながら、大地をその足で砕くように踏みつけてこちらへと走り出した。鋭い牙と牙の隙間から大量の唾液を噴出させ、血走った凶暴な目を剥いて。
――ガアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
大地が揺れ、空間が震え、轟音が割れて裂ける。
びりびりとした痺れが皮膚を駆け巡った。
だが、誰も。
そう、誰も。
「クク、ククク、ハァーーッハッハッハ!」
恐れはしない――。
それどころか、全員が己の得物を抜く。凄まじい形相で。迷い一つなく。
口もとから涎を垂らしながら、ギーヴル同様に、食欲に駆られた凶暴なる瞳で。
「見ろ、貴様ら! 飯がわざわざ向こうから食われにやってきてくれたぞ!」
「フ、食材にしては量が少々多いが。塩でも刷り込んで保存しておくか」
「ホルモン、ホルモンをずるっと引き抜きましょう! きっと良い色をしていると思います!」
「トロロン、わたくしたちは逃がさないように回り込みますわよ!」
「はぁ~い、ラミュさま~。ご・は・ん! ご・は・ん!」
「ふふ、食欲の権化となった貴女たちもまた美しい」
七人の魔軍が、幼女を先頭として同時に地を蹴る。
人も魔も年齢も、種族さえ超えて。たった一つの目的に向けて。
「いくぞ貴様ら! おれに続けぇぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!!」
美しき友情のもと、今、思いが重なる――!
イイ話ダナー!




