第27話 老兵と破廉恥エプロン
前回までのあらすじ!
新たな快感に目覚めるのだった!
のどか、というには寒風吹き荒ぶ、少々荒んだ街だった。
建築物は石と木を組み合わせた標準的なもので、三角屋根の煙突からは煙が上がっている。地面も王都と変わらず舗装されているし、地方の一集落と呼ぶにはなかなかの発展を見せていた。
だが、と。
「……なんだ、この覇気のなさは」
行き交う人の数は少ないし、彼らの顔に生気がない。
それに、誰も彼も異様なほどに痩せている。街並は立派だというのに、人はみな、今にも膝を折ってしまいそうなほどだ。
いや、現に建物の壁にもたれたまま座り込み、うなだれている男もいる。どいつもこいつも、これではまるで生きた死体だ。
「ラミュ」
「はっ」
いつもの包帯を巻きつけたような破廉恥服ではなく、珍しく貫頭衣を着込んでいる参謀が、肩までで切り揃えられた髪を揺らして振り返った。
その背中には、巨大な特大剣――魔剣ドライグが背負われている。ユランが担げば抜き身にせざるを得ないからだ。それではさすがに官憲につかまってしまう。
「ここがレエルディアの街で間違いはないのか?」
「レエル湖砦に残されていた地図によれば、間違いはないですね」
ラミュの表情は固い。敵性種族の街に、守るべき主とたった二人でいるためだろう。
六翼のヴァルキリーならばともかくとして、見るからに魔族である凶暴毛玉や、もりもりマッチョの変態ダークエルフなどを連れていては、さすがに人間の街は歩けない。
ネハシムにしても、白の翼を持つことから戦闘民族ヴァルキリーということで警戒されてしまうだろう。
人間社会に溶け込めそうな容姿をしているのは、己と、人間を毛嫌いしている蛇の女王ラミュだけだ。
鬼の子ラスならば髪で角を隠せば連れてこられるだろうが、幼女が一人増えたところで交渉が有利に進むことはない。むしろ邪魔だ。
「……こやつら、戦力になるのか?」
「さあ」
がりがりだ。どいつもこいつも。骨と皮だけの、限界に近い肉体をしている。
「いや、そもそもこの街はどうなっているのだ……」
食料品店らしきものはある。食堂もだ。だが、店はことごとく閉まっている。酒場で情報収集をしようとしていたのに、あてが外れてしまった。
幽鬼のように、ふらふらと歩いている男をつかまえる。
「おい」
「……?」
虚ろな瞳で男が振り返った。目が落ち窪んでいる。
左右を見回して一度ラミュで視線を止めてから、己に声をかけたのがその足もとに立つルビー・レッドの頭髪を持つ幼女だと気づく。
「なんだ、この有様は? レエルディアの街はいつもこんなに活気がないのか?」
「……ああ、よそ者か……。悪いが、この街はもう終わりだ……。さっさと立ち去った方がいい……。……ここでは何も得るものはない……」
「おれは理由を尋ねている」
横柄な態度の幼女を前にしても、気力すら失ったかのように言い返すことはない。
「理由……そうさな……。澱みの森の向こう側、魔王が生きている限り、この街にはもう未来がない……」
ユランが額に縦皺を寄せ、ラミュを睨み上げた。だが、ラミュは肩をすくめて首を左右に振る。
身に覚えはないようだ。
「魔軍に何かをされたのか?」
「……いいや、何も……。……もう、行ってもいいかね……。水を……せめて水くらいは……レエル湖まで汲みにいけばと……」
ユランの返事を待たず、くたびれた男はふらふらと立ち去っていく。
身なりが悪いわけではない。着ている服装も平服だ。だが、痩せている。
「ユラン。あのお店、開いているようです」
ラミュが大通りの一角を指さす。風で回転する丸看板には、空の湖亭と書かれている。
「ふん。行ってみるか」
石畳を歩いて大通りを渡り、空の湖亭のスウィングドアを押し開ける。
客はいない。ただの一人もだ。情報収集のつもりだったが、あてが外れた。だが、給仕ならば何かしら尋ねることはできるだろう。
「頼もう!」
すぐさま黒地のドレスに白のレースをあしらった給仕服の女が駆け寄ってきた。
「は、はい、ただいま」
若い。年の頃は十代後半といったところか。
貫頭衣に並々ならぬ巨大な剣を背負った女と、王女のような赤いプリンセスドレスに同じ色の靴、ルビー・レッドの頭髪といった赤一色の幼女との組み合わせに、給仕はわずかに戸惑いの表情をした。
おおかた、どこぞの貴族とその護衛とでも勘違いしたのだろう。
ユランが鼻を鳴らして呟く。
「どうした? さっさとテーブルに案内しろ」
「あ、はい」
給仕に案内されて丸いテーブルにつくと、ラミュが向かいの席に腰を下ろした。ドライグは椅子に立てかけられている。
間もなく給仕が二つの水を持ってやってきた。
「申し訳ありません、お客様。今はメニューのほとんどが品切れでして、こちらのお料理しか……」
「乾し肉二枚に麦パン一つ、あとはレンズ豆のスープか。これだけか」
「申し訳ありません」
食糧難のニーズヘッグ城の食事よりも質素だ。
ラミュが給仕に視線を向けて呟く。
「レエルディアの街はレエル湖やケルンの森からの恵みが豊富で、王都との流通も盛んだと聞きましたが」
「あ、ええ……」
給仕が少し言いにくそうに唇に手をあてた。
「今レエルディアは王都カナンから戒厳令がしかれているのです。漁に出ることも、狩猟に向かうことも、採取のために街の外に出ることも禁止されていまして……。食材のほとんどがカナンからの移送に委ねられているのです……」
「なぜ?」
ラミュの疑問に、給仕が困ったように北方へと視線を向けた。
「危険からわたしたちの身を守るためらしいです。澱みの森のニーズヘッグ城を陥落させるまでは、最も近隣に位置するレエルディアの住民が魔族の人質に取られたり、力で従わされることを防ぐためだとか……。勇者様の台頭で澱みの森まで魔族領域を押し込めたから、もう少しの辛抱だとのことでした……」
ラミュが意地の悪い笑みを浮かべる。
「それで飢えてるなんて、バカじゃないの。過去一度でも、人質なんて魔族に取られたことあって? 魔族の方は人間軍に、陵辱に略奪、虐殺、人質なんかもなんでもござれでやられたけど。勇者の力で魔族を澱みの森に押し込めた? バカみたい。人間軍は手段を選ばなかっただけよ」
痛烈な皮肉だ。だが、給仕に言ったところで仕方がない。
「やめろ、ラミュ」
「ねえ、給仕さん。あんた知ってる? レエル湖砦にはカナン騎士たちがレエルディアを始めとする近隣の街や集落から集めに集めた食料がたぁ~んまりあるってこと」
給仕が困ったような笑顔で小さくうなずいた。
「……でしょうね。税の臨時徴収が何度もありましたから。先日、砦ごと魔軍に奪われてしまったようですけれど……」
「なのに黙ってるんだ? 戦争のために臨時徴収が行われたから、レエルディアはこんな有様になっているんじゃないの?」
「ラミュ。いい加減黙れ」
「騎士様たちは、ニーズヘッグ城を攻め落とすまでの辛抱だと……」
「逆に砦まで奪われたのに!? あはっ、お笑いだわ! ……いいこと、給仕のお嬢さん? このままじゃ近いうちにレエルディアからは餓死者が出始めるわよ」
給仕が目を伏せた直後、厨房の扉を開けてガタイのよい肉体に純白のレースつきエプロンだけをした大男がやってきた。
「そこらへんにしちゃあくれませんかね。うちの給仕をいじめたって、状況がすぐに変わるわけじゃあないでしょうに。ねえ、お客さん」
エプロンより上は肌色で、エプロンより下も肌色だ。おそらく、後ろを向けば肌色一色だろう。
ユランは思った。またか、と。
そんな幼女を尻目に、蛇の女王は容赦なく続ける。
「そろいもそろって腰抜けね。女に凄むことはできても、体制を変えるためには動けないだなんて。状況は変わるんじゃない。変えるのよ。わかったら消えなさい、腰抜け」
ユランが額に手をあててうつむいた直後、裸エプロン男がラミュの胸ぐらをつかんで吊し上げた。ひらひら揺れる下半身周りがやけに気になる。
「あんたのような流れに、俺たちの何がわかる……ッ」
「て、店長、待って! 喧嘩はだめ、だめですって!」
裸エプロンの大男が給仕の少女に視線を向けた瞬間、右肘をたたんだラミュが、なんの前触れもなく男の顎へとそれを叩きつけた。
がつん、と骨の音が鳴り響く。
「……ッ!?」
数歩後退した大男の唇の端が切れ、血が滲んだ。
「おまえ……」
ハゲ頭を怒りの色に染めた大男が、純白の裸エプロンからスチャっと二振りの包丁を取り出す。くるくると器用に取り回しながらだ。
「あぁ~ら、抜くんだ? あんた、もう戻れないわよ」
ラミュが貫頭衣を一気に脱ぎ捨て、破廉恥服の腰に巻きつけてあった連接剣を引き抜いた。しゃらん、と刃を構成する金属がのびて、ラミュの足もとに広がる。
二種類の殺気が渦巻いた。
「……おい。貴様ら、おれを無視するな」
老兵幼女、凄むもその声は幼く。気づけばドライグに伸ばそうとしていた幼い手を取られて、給仕の少女に抱えられ、後方へと引きずられていた。
「は、放せ貴様! 何をする! 放さんか小娘っ! むいいぃぃぃっ、もおおおおぅぅぅっ」
「あ、危ないですよ。お嬢さんは、す、少し離れましょう? ね?」
「ね? ではない! いいから貴様がおれから離れろ! この洗濯板が!」
短い両手をわちゃわちゃ動かして給仕の両腕から逃れようとするも、給仕は一層強く胸へと抱え込む。哀しいほどに肋骨の感触を後頭部に受けて、ユランはさらに暴れた。
「だめ、だめですって。店長さんの喧嘩に巻き込まれたら、怪我をしちゃいますからぁ~……。うちの店長、怒らせるとすっごい怖いんですよぅ……」
「だから、その喧嘩を止めるのではないかっ」
「も、もう無理ですよぉ……」
魔剣ドライグがなければ、こんな少女の拘束すら引き剥がすことはできない。
そして目の前では――。
二振りの包丁を抜いた筋肉裸エプロンの大男と、連接剣を蛇のように操る破廉恥服の女が、同時に地を蹴っていた。
貴様ら、服を着ろぉぉぉっ!!




