第25話 老兵の貞操
前回までのあらすじ!
エドヴァルドは滅しておいた方がよかったと思いました!
レエル湖砦詰め所の硬いベッドに寝転び、ユランは長い息を吐いた。
失敗した。エドヴァルドのあまりの変貌ぶりに、イルクレアが己についた嘘とやらの話を二人に尋ねることを失念していた。
己は人間軍であったにもかかわらず、魔王軍の、それも魔王であるイルクレア・レギド・ニーズヘッグに心を奪われた。
だが、その前後の記憶だけが薄い。虫食いとなっている。
イルクレアにユランが騙されていたというリントヴルムの言葉が真実であったとするならば、己はあの日、イルクレアと相討ちとなって倒れた日の以前にも、イルクレア・レギド・ニーズヘッグと面識があったことになる。
むろんそのような記憶はない。イルクレアと対面したのは、己が肉体を失ってイルクレアの魂が消えたあの日が初めてだ。
「……わからん」
こたえのないことを考えたとて時間の無駄だ。リントヴルムかエドヴァルド、もしくはイルクレア本人に尋ねる他ない。
そのようなことよりも、これからどうするか。
詰め所を見回すと、騎士の剣や鎧、弓がいくつも置き去りにされていた。
たった五体での夜襲だったが、カナン騎士どもは相当慌てふためいたようだ。都合のいいことに、糧食も武器もたっぷり残して去ってくれた。
「現状で足りないものは戦力のみか……」
武器はあっても扱うものがいなければ、ただの鉄屑だ。
ネハシムとラミュ、トロロンにヨハン。己を除けばたった四体。これでは如何ともし難い。
「手詰まりだな」
どうにかして味方の数を増やさねば、せっかく奪ったレエル湖砦はもちろんのこと、ニーズヘッグ城を守ることもできやしない。いや、城だけはあの駄竜がいれば問題はないのだが。
現在、ヨハンをニーズヘッグ城まで遣いに出している。レエル湖砦奪還の報と、砦に常駐させる戦力を選り分けるためだ。むろん、ニーズヘッグ城へと向かったカナン騎士らの顛末も気になる。駄竜が働いている限りは、大抵は撤退したであろうけども。
詰め所のドアがノックされた。
おおかた、ラミュが今後の方針を相談に来たのだろう。
ユランがベッドから幼い身を起こし、ドアに視線を向けた。
「入れ」
しかしドアを開けて入ってきたのは、長い金色の髪を流したネハシムだった。
いつも装着している羽根飾りのヘルムはつけていない。胸当てもなく、ただ背中に聖剣グウィベルだけは背負っていた。
純白の翼は、今は小さく折りたたまれている。
「ネハシムか」
「ええ」
後ろ手にドアを閉めたネハシムが、グウィベルを鞘ごと外して壁にたてかけ、隣のベッドに腰を下ろした。
「休むのか?」
「そのつもりよ」
「ふん、ならばおれは出ていよう」
詰め所の床に足をつけた幼女に、ネハシムが微笑みながら尋ねる。
「あら、どうして?」
「む? 貴様が休みたいのだろう?」
「イルクレアも休めばいいわ。そうしていたのでしょう? 見張りにはラミュとトロロンが立ってくれているし、休めるときに休むべきだわ」
「しかし……」
「どうかして?」
ああ、と気づく。
己は今、女の――幼女の肉体だったのだ。
ここで無理に出てゆくのも不自然か。
そんなことを考えて、イルクレア――ユランはもう一度足をベッドに投げ出した。その隣で、ネハシムは薄い短衣のまま無防備に寝転がる。
よもや隣で眠る幼女が、老兵の男だとは思いもすまい。
「いや、どうもしない。そうさせてもらう」
何を意識することがあるのか。
この身はもともとイルクレアのもの、老いたる魂もすでに彼女に捧げると決めたものだ。ネハシムがいかに魅力的であろうと、意識をする理由にはならない。
だが、なのに――。
「ねえ、イルクレア」
「なんだ? さっさと眠れ。疲れが取れんぞ。いつ人間軍がこの砦を取り戻しにくるかもわからんのだ」
「そっちにいっていいかしら?」
わずかな沈黙。
ややあって、老兵が混乱しながら叫ぶ。
「………………あぁ!? 貴様、何を言っている……!?」
「一緒に眠ってもいいかしら、と言っているのだけれど」
「なんで!?」
隣のベッドを睨みつけると、ネハシムは枕に頬杖をついてこちらを眺めていた。
真顔だ。
「別に……」
「別にってなんだ!? 理由を言え、理由を! 破廉恥だぞ、貴様!」
老兵幼女、なぜか両手で胸を隠して赤面する。
「今時ハレンチって……女同士よ? 何もしないわ? するわけがないでしょう?」
「んん!? あぁ……。ええ……いや、だから……あぁン!? ……き、貴様、ま、まさか……アレなのか!?」
しばらく考える素振りを見せた後、ネハシムは意地の悪い笑みを浮かべる。挑発的で、実に妖艶な。
「アレって? なんのことかしら?」
老兵が狼狽する。
つぅと、冷たい汗が伝った。
吝かではない。実にいい女だ。正直なところ吝かではないが、いかんせん己は女の、それも幼女の肉体。
……!?
いや、だからこそなのか、ネハシムよ! しょせんは貴様もネジの外れたポンコツ魔族なのか!
魔族かどうかもあやしいけれど。
ぐるぐる回り続ける思考に割り込み、ネハシムの声が響く。
「いいの? だめなの?」
「ひぃ!?」
「……ひぃって何よ……。そんなに脅えなくても……。言っとくけど、断ったら戦力的に大ダメージを受けるかもしれないから、よく考えて?」
「きっ、貴様、それは脅しか!?」
魔王軍を抜けるというのか、ネハシムよ! 貴様が抜けたら、ただでさえポンコツ魔王軍はもはや烏合にすらなり得んぞ! 四方八方に飛びゆくだけのただの阿呆烏だ!
ネハシムが困ったように額に縦皺を刻んだ。
「別に脅しではないけれど。ここはあまり良い環境ではないから」
くっ、これも魔王のお仕事だと割り切るしかないのか! 吝かではないとはいえ、決して望んでのことではない! すまない、イルクレア! 貴様の肉体、無傷で返すつもりであったが!
「ちっ、さっさと来い!」
舌打ちをして、被っていた毛布を片手でめくり上げる。
ネハシムがいそいそとベッドを抜け出して移動してきた。もぞもぞと毛布に入り込み、期待に胸を高鳴らせるユランの幼い身体に腕を回し、耳もとに唇を近づける。
吐息が耳にかかって、ぞくぞくする。
「……目を閉じて、イルクレア」
「ちっ! 注文の多いやつだ!」
「言葉はもう話さないで。動くのもだめ」
「……ッ」
しかしいくら経っても、ネハシムにそれ以上の行動はない。老兵がようやく不審に思い始めた頃、その耳もとでネハシムが吐息の声で囁いた。
「……そのまま眠ったふりをしながら聞いて……。……ふふ、たぶんラミュがどこかから覗いているから……眠ったふりのままでいてね……」
あ、ああ!? あンのデバガメ! せっかくよいところだというのに、なんのつもりだッ!
「……イルクレア……わたしはラミュに信用されていない……。……だから、これはわたしの意見だとは彼女に言わないで……あなたが考えて決断して……。……そして、あなたがラミュを説得するの……」
吐息の声。耳にかかるほどにこそばゆい。
「……どういうことだ……?」
「……レエル湖砦南西に人間の集落があるわ……。……彼らなら魔王軍の仲間になってくれる……」
――!? 人間を魔王軍に!? 人間が魔族の仲間になどなるか!?
「……だめ、動かないで……目を開けてもだめ……。……眠っているふりをしていて……」
だが、もしそれが本当なら、レエル湖砦を拠点にできる唯一の手段だ。
そもそもの話、ニーズヘッグの魔族を全員ここに常駐させたとしても防衛力としてはまるで足りていない。このままでは遅かれ早かれ奪い返されてしまうことだけは間違いないのだから。
「……数は……?」
「……およそ一千名……。…………ラミュは人間など信用できないと、きっと反対するでしょうけれど、兵数不足を補う唯一の方法だから考えてみて……」
ふぅとネハシムが息を吐く。
「……それだけよ。ではね、おやすみ……」
「……お、おお……………………。………………結局そのまま寝るのか、貴様……」
「……これ以上、何を期待していたの……もう!」
「むぐ……っ、す、すまん……てっきり貴様はアレだとばかりに……」
「……ふふ……」
言葉はもうなかった。
ネハシムは瞳を閉じたまま、少し笑った後にユランを完全に信用しているかのように顔を寄せ、静かな寝息を立てていた。
得体の知れん女だ。本当に。
だが、なぜか。ああ、なぜか。
ユランは幼い手でそっとネハシムの金色の髪を撫でる。さらさらと流れるそれは、どこか胸の奥に暖かな日差しのような懐かしさを感じさせるものだった。
結局アレなの!? アレじゃないの!?




