第21話 老兵と真性
前回までのあらすじ!
老兵の幼女に対する優しさが火を噴いたぞ!
深夜深く――。
ユランはルビー・レッドの頭髪と赤のドレスを揺らして、ニーズヘッグ城の中庭へと続く門をくぐった。
右肩にのせた魔剣ドライグは抜き身のままだ。鞘は重くて持ち運ぶに適しない。
「ふむ。そろっているな」
肩で切り揃えられた髪型に、黒の包帯のようなものを巻きつけただけの痴女服、蛇の女王ラミュ・ナーガラージャ。
全身もっさもさの毛で覆われた球体のような怪物、トロールのトロロン。
金色の長い髪を羽根のついたヘルムから背中に流し、赤の魔剣ドライグと対なす白の聖剣グウィベルを背負ったヴァルキリーのネハシム。
そして。
老兵幼女を見かけるや否や片膝をつき、ニヒルな笑みを浮かべながらその手に口づけをした耳の長い褐色肌のダークエルフ。
ちゅむ。
手の甲に押しつけられた柔らかな感触に、老兵はルビー・レッドの頭髪を逆立てて戦慄する。
「ひぁぃぃぃぃ……っ!」
「ふ、イルクレア・レギド・ニーズヘッグ様。再びお逢いできぎぶッしゃぶぇ!?」
青年の顔面に老兵幼女の赤い靴がめり込んでいた。
「き、きき貴様ッ、いきなり何をするッ!? 気色の悪いッ!!」
いや、むしろなんのつもりか、このダークエルフはユランの足裏へと自ら顔面を押しつけているように圧力をかけてきている。
「ンフー、ンフゥ、ンフッフッフ……」
顔を赤らめ、鼻息を荒くしながら。
うおおぉぉ…………。
ユランは反射的に、キスで汚された手の甲をラミュの痴女服でごしごしと拭いた。
「ぎゃっ!? 汚い! 何するんですか、イルクレア様!」
足はダークエルフの顔面にめり込ませたままだ。
というか、むしろ足の力をほんの少しでも弛めれば、このダークエルフの顔面が容赦なく下半身に迫ってくるような気がしてならない。
「すまん、つい反射的に」
「ヨハンの唾がついたじゃないですかっ!」
ヨハン。このダークエルフが。
グレーの短髪に、褐色の肌。そして涼やかな目もとに、整った顔立ち。
ここまではいい。
ここまでは己が知るエルフ族ともさほど変わらない。肌の色が白か褐色か程度の違いだ。
だが――!
エルフとは到底思えぬ筋肉質のガタイに、剃っても剃っても隠しきれぬであろう青髭、オーガのように獣の皮を全身にまとい、弓矢装備の他には石斧というか石槌を腰からぶら下げている。
その様たるや、もはや蛮族!
あるまじき! 高潔なるエルフ族にあるまきじその姿!
「美しい……。その若き日のお姿ですら、美しさに陰りがない……。記憶のなさや戸惑いが、また貴女の美しさをミステリアスに飾り立てている……」
「ひぇ!?」
幼女、脅える。
かつての老兵の肉体であらばともかく、この幼女の肉体では。
「な、なななんなのだ貴様は!」
「ふっ、申し遅れました。私がダークエルフ族のヨハンにございます。……んべろぉ~り」
老兵幼女の足を顔面にめり込ませたまま、ヨハンが靴裏を舐めてニカッと微笑む。
ぞわっ、と背筋が凍った。
「ぎゃっ!? く、く、靴の裏を舐めるな! 貴様、なんのつもりだ!」
「不安そうなお顔をなさっていたので、我が忠誠心が証を示したまででございます」
両眼のまなじりを垂らし、ダークエルフがポッと頬を染める。
「なんでしたら、靴をお脱ぎください。私はあなたのおみ足を指の股まできっちりねっとりと愛――」
「黙れ」
誰のせいで不安になったと思っているのだ、このダークエルフは。
「いいですとも! 魔王様がお望みとあらば!」
ヨハンが右手をすぅっと左胸にあて、頭を垂れた。その段に至って、ようやくユランは足を下げることができた。
こ、これはまた、えらいことになった。
気障で華奢な軟派男を想定していたが、こいつはいったいなんなのだ。気障は気障、軟派は軟派だが、かつて己の見たことのないタイプではないか。
あの筋肉……。組み伏せられたらどうにもならんぞ……。
ラミュの責めるような視線が痛い。
だから呼びたくなかったんですよ、と言わんばかりだ。
「ちなみに、先ほど蹴られた際にも魔王様の下着をガン見してましたよ、こいつ」
「ひぇ!?」
老兵、乙女のごとくスカートを押さえる。
ヨハンが拳を握りしめ、悔しげに吐き捨てた。
「この夜の世界に著名なる絵画のごとく降り注ぐ美しき月の明かりが、今少し我が心の裡のごとく情熱的でさえあれば、私の眼にももう少し明瞭に貴女の可憐なるおパン――」
「だ、だだ黙れーっ」
「はっ、他ならぬ貴女様がそう仰るのであれば!」
老兵、震える。
※
澱みの森――。
先頭をヨハンが歩く。誰も彼の前を歩きたがらなかったためだ。
この男の前で好んで臀部を晒して歩く女は、魔族にはいない。たとえトロール族やオーガ族であってもだ。
視界は暗く閉ざされていた。手に持つ灯りも、ヨハンの松明だけだ。
もしもレエル湖砦の人間軍がすでに澱みの森に侵入しているとするなら、鉢合わせる恐れがある。それだけはなんとか避けたい。
しばらく進むと、ヘルガ川が見えてきた。ニーズヘッグ城から澱みの森を出るまでの距離の、およそ半分ほどまで来たということだ。
ヨハンが長い耳を動かして立ち止まる。
「お待ちを」
「どうした、ヨハン?」
「橋が落とされております。我が可憐なる主よ」
ラミュが事も無げに呟いた。
「包囲殲滅が目的ですからね。わたくしたち魔族を一体たりとも人間領域側には出したくないのでしょう」
向こう岸には小船がいくつも繋がれている。おそらくあれにのって進軍するつもりなのだろう。
用意周到なことだ。
しかし――。
たかだか歩数にして百歩程度とはいえ、ヘルガ川を渡れなければ奇襲も何もない。
「面倒なことをしおって。人間どもめ」
ヨハンが松明を投げ捨て、ヘルガ川に足を浸ける。そして振り返り、嬉しそうな顔で言った。
「おおっ、いいことを思いつきました! 私がみなさんを一人ずつ運び、向こう岸まで泳いで差し上げましょう! お姫様抱っこでも、おんぶでも、肩車でも逆向き肩車でも、私は一向にかまいませんぞ! さあ、お嬢様方!」
ネハシムがヨハンに微笑み、一言告げる。
「ありがとう。でも結構よ。先に行って待ってるわ」
六翼の翼を広げ、ヴァルキリーはふわりと空を舞う。金色の髪を月光で輝かせ、ネハシムはいとも簡単に向こう岸へと足をつけた。
それをあからさまに残念そうな表情で見送ったヨハンが、再び勢いよくこちらを向く。
「さあ、次はどなたです? 私めは紳士でありますゆえ、遠慮などされずとも! ンフ、ンフフフ……」
大胸筋をぴくんぴくんと蠢かせ、ヨハンが両腕を出す。
「さあ! さあ! イルクレア様! ラミュ様!」
「わたくしも結構。蛇は泳ぎが得意ですの」
言うや否や、ラミュが頭から水に飛び込んで水中へと消えてゆく。
老兵は思った。この裏切り者、と。
「では、イルクレア様。私の腕にどうぞ。ドライグを担いでいる上にドレスなどを着用して泳いでは、思うように水を掻くこともできますまい」
必死さが鼻につく。
老兵はガン無視を決めた。
「トロロン、おれを担いで向こう岸まで歩けるか?」
「どうだろ~? ヘルガ川は、あんまり深くないからね~。やってみる~?」
ユランはトロロンの肉体によじ登り、その肩に両足を回して頭にしがみつく。
「頼む」
「はぁ~い」
巨体を誇るトロール族の体長ならば、水底を歩いて渡ることもできるかもしれない。
トロロンはじゃばじゃばと水を掻き分けて水底を歩く。
「えっさ、ほいさー」
「……」
流れの中央まで来ると、その首まで水に沈んではいたが、どうやら問題はなさそうだ。向こう岸へと近づくほどに、水深は浅くなり始めている。
背後からスイスイと平泳ぎでついてくるダークエルフから、前向きで明るい声が聞こえた。
「はっはっは! みなさん、照れ屋ですねえ!」
老兵は願った。
ヘルガ川の流れよ。今すぐにこのダークエルフを押し流したまえ、と。
残念ながら元気に泳ぎ着きました。




