第20話 老兵と軍戦力
前回までのあらすじ!
伝説の地竜でさえバカ!
登場人物全員バカ!
地竜マグナドールが枕にしていた倒木を濡らすこと三日目の深夜――。
同時刻。ニーズヘッグ城居館最上階にある魔王の部屋のドアが、激しく叩かれる。
「ユラン! ユラン! 起きなさい!」
幼女と化した老兵ユランはベッドから飛び起き、反射的に床に立つ。戦地に於いては、すぐに覚醒できないものは皆奇襲で死んでゆくのだ。老兵はそれを散々乗り越えてきた。
が、己の現状を思い出し、肩の力を抜いてため息をつく。
安堵――。
妙な話だ。以前は敵の根城だったニーズヘッグ城の、それも主と部屋にいるというのに。
それから苦笑いをして、眠い目を擦り、短い手足を伸ばして大きなあくびをした。
その様たるや寝ぼけた赤子のごとく愛おしいが、無論本人はそのことに気づかない。
「起きましたか?」
「……ああ。ラミュか?」
「はい。密偵に出していた黒妖精が戻ってきています。おそらくレエル湖砦に動きがあったものかと」
窓に光がないことで、今が深夜であることを知る。
「わかった。連れて来い。おれはその間に着替える」
「わかりました」
ユランは寝巻きを脱ぎ捨て、クローゼットに吊されていた赤いドレスを乱暴に引ったくると、すっかりと着慣れた様子で首と袖を素早く通した。
魔王の世話係となった鬼の子ラスが水桶に溜めておいてくれた水で顔を洗い、まるで年頃の乙女のごとく全身鏡の前に立ち、身なりを整える。
美しいルビー・レッドの頭髪には櫛を入れ、ドレスに歪みがないかをたしかめる。
淑女のごとく、スカートの裾を少しつまんで。
「完璧だ……」
魔王イルクレアの肉体は、たとえ幼く変じていようと、たとえ中身が五十路のおっさんであろうとも、その美しさに陰りはない。
老兵、齢五十にして女装に覚醒する――!
満足げにうなずいてから冷静になり、一言漏らす。
「……死にたい……」
さっさとこの身体をイルクレアに返却し、くたばろう。
そんなことを考えていると、ドアが再びノックされた。
「入れ」
蛇の女王ラミュと、黒妖精シルフだ。
ユランはベッドにどかりと腰を下ろすと、パタパタとラミュの周囲を飛び回っている黒妖精に語りかけた。
「シルフ、報告しろ」
「おお、ええでー。あのなー、にんげんがなー、いっぱいおんねんわー」
蝶のような羽根を忙しなく羽ばたかせ、シルフが身振り手振りで説明する。
レエル湖砦の様子だろうか。
「なんかなー、にじゅうにんくらいなー、どっかいくんよ-?」
「……ちょっと待て。貴様、この前と話し方が変わってないか? 貴様はこの前のシルフと同一生物か?」
ユランはルビー・レッドの頭髪を傾けて眉をねじ曲げる。まじまじと見つめても、前のシルフと特別変わっているようには見えない。
その肩に手を置いて、蛇の女王ラミュは静かに首を左右に振った。
「魔王様。深く考えてはいけません。彼らはファンタジー脳です」
「そうか」
納得したわけではない。面倒になった。
「ほんでなー、れえることりで、ゆうん? あっこからなー、にじゅうにんがなー、にーずへっぐのおしろになー、むかっとんねんよ」
「出発したのはいつの話だ?」
シルフの話にはタイムラグがつきまとう。何せお花畑を見つけては、蜜を吸うために立ち寄るという昆虫並の我慢の無さだ。
ついでにいえば、数字は二十以上は数えられない。手足の指が足りないためだ。数はおそらく一〇〇〇近くと見たほうがいいだろう。
「きのーやなー」
「夜か? 昼か?」
シルフが首を傾げる。
「あいだくらいー?」
「なるほどな。夕方か……」
ラミュが唖然として呟く。
「よくわかりますね。あ、知能レベルが……ぷぶっ、ぶふぉぉ~~!」
「巫山戯るな! 同じではない!」
幼女、目を剥く。
歩兵の進軍速度に合わせるなら、レエル湖砦から澱みの森まではおよそ半日、澱みの森入口からニーズヘッグ城までは、最短距離をうまく通っても丸一日はかかる。
やつらはちょうど森の入口に差し掛かり、朝か昼までキャンプといったところか。
「よし、ラミュ。すぐに出るぞ」
「レエル湖砦を陥落させるので?」
「そうだ。おれと貴様、そしてネハシムが隊を率いればどうにかなるだろう」
勇者二人がそろっていた場合は、己とネハシムが一人ずつ受け持てばいい。あとの雑兵はラミュやトロロンでもどうにかできるはずだ。
「ニーズヘッグ城には?」
「非戦闘員を残し、マグナドールに守らせる」
「……本気ですか? 相手は地竜ですよ?」
ふん、と幼女が鼻を鳴らした。
「助けてー、マグナドールーと叫んでみればわかるだろう。まあ、どうせあの犬竜のことだ。喜んで馳せ参じるだろうよ」
「犬て……。なんて言い草……。ノームたちのあにき呼ばわりのほうがずっとマシじゃないですか」
「うるさいぞ。おれは今考え事をしている。少し黙れ」
「はあ……」
ニーズヘッグ城の戦闘員と非戦闘員の比率は、おおよそ半々。しかし戦闘員のうち、実際に使えるやつらとなればその半数以下だ。
フェニックスはだめだ。レエル湖砦は再利用したい。灼けてしまっては意味がない。
愚鈍な巨人族や石像ガーゴイルを連れ行けば進軍速度に遅れが生じる。致命的だ。
キマイラも使えん。建物内で毒など吐かれてはかなわん。
小人族、黒妖精はそもそも戦闘員ではない。
……んん? んんんんんんんん? え? え?
「おい、ラミュ」
「はい」
「砦攻めに使えそうなやつらを集めろ。砦は無傷で残したい。中にいる人間どもを始末できればそれでいい」
「何体ほどご希望で?」
「三十――いや、二十……」
「無理です」
ユランが幼い子供の両手で顔を覆った。
「やっぱり?」
「ええ」
「どれくらいなら可能だ?」
「わたしとあなたを含めて八体といったところですね」
嘘だろ、ニーズヘッグ勢力……。
己が人間だった頃には、あれほど強大だった魔王軍が、たったの八体!?
「……おれと、貴様と、トロロンと、ネハシムと、あと誰……?」
「ダークエルフのヨハンです。性格に難ありですが、まあ使えますよ。狙撃をさせれば数百歩先の飛んでる黒妖精だって確実に射抜けます。暴風の中でも」
ラミュの肩に座って話の内容にヒィヒィ脅えてるやつがいるが、放置だ。むしろヨハンには率先してどんぐり頭どもを減らしてもらいたい。
「ついでに精霊魔法も使えますが、シルフやノームを何匹召喚してもなんの役にも立たないんで、弓だけ撃たせておけばいいと思います」
ユランは顔を覆ったまま、生まれたての子鹿のごとくぷるぷる震えながら問いかける。
「難ありとはなんのことだ? ……詳しく話せ」
「女好きの気障野郎です。正直わたくし、面倒なのでかかわりたくないんですが」
ラミュが面倒臭そうに吐き捨てると、ユランの震えがぴたりと止まった。
「それだけか?」
「ええ」
「ならば問題はあるまい」
己は男だ。身なりはこんなでも、真の女好きならばおれなど見向きもしないだろう。ましてやこの肉体は幼女。まともな男ならば性的な目で見られることはない。
「ちなみに、彼のストライクゾーンは赤子から老婆までだそうです」
ぞわっとした。
数度深呼吸をして、老兵はつぶらな瞳を上げた。
「他の三体とはなんだ?」
「オーガ族です」
「ああ、あの下品な藁パンツどもか」
「……一体は女性ですよ。あまりひどいことは言わないようにしてください」
思い出しても、どれが雌だかさっぱりわからない。
思い出せるものは、三体に共通する緑色の肌と異様に発達した筋肉くらいのものだ。
「もともとは好戦的な種族ですが、彼らは今、一体の女性を取り合って三角関係でギクシャクしているので、もしかしたら戦闘には参加してくれないかもしれません」
「なんだと!?」
「この前のニーズヘッグ城襲撃のとき、世界蛇の中に大人しく避難したでしょう? たぶんそんな気分じゃなかったのではないでしょうか。本来なら率先して戦いに赴く戦闘種族なんですけど」
失恋だか恋患いだか知らんが、そんなもんで動けなくなるようなやつなど信用できない。あてにできない仲間など、むしろいないほうがマシだ。
「まあいい。とりあえず実験的にマグナドールを呼び出す。こいつが失敗するようでは、根本から作戦を練り直さねばならん」
その場合はおそらく籠城によるじり貧。待っているのは滅亡だ。めいっぱいまでやれるのならば、力及ばず死するもやむなしだ。
イルクレアに逢えないことだけは、心残りだが。
老兵幼女は部屋の窓際に立ち、薄い胸を精一杯膨らませて夜気を吸い込み、大声で叫ぶ。
神格生物と決めた、彼のものを呼び出す合言葉を。
「きゃ~~~~っ!! たっけてーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! マグナドォォーーールゥゥーーーーっ!!」
絹を引き裂く乙女の悲鳴のごとく。
しかし幼女の声は、無限に広がる夜の樹海に消えていき、反響すらしない。やがて声は闇に呑まれて完全に消滅した。
「……来るんですかね」
「さてな。おい、シルフ。貴様はトロロンとヨハンとやらをたたき起こして中庭へ連れて行け」
「あいー、いてくるー」
また言葉遣いが変わっている。
「ラミュ、貴様はネハシムだ」
「オーガは?」
「面倒だ。必要ない」
「起こすだけなら、なぜシルフにまとめて命じないのです?」
老兵幼女が歯を剥いた。
「ヨハンとやらを連れたままネハシムの寝室に行って、ネハシムが何かイヤラシいことをされたらどうする!」
それはだめだ。絶対にだめだ。
あの六翼のヴァルキリー、ネハシムは決して穢してはならない。理由は不明だが、なぜかそんな気がするのだ。
やつとはもう少しわかり合う必要がありそうだ……。
「ラミュ、貴様はネハシムの貞操の責任を取れるのか!?」
半ば冗談のつもりで言ってみたが、ラミュは「ああ、そうですね」と納得したようにうなずきながら、素直に部屋から出て行った。
老兵の脳裏に一抹の不安が過ぎった。
蛇の女王にここまで警戒されるヨハンとは……、と。
軟派な男など、かつての老兵であれば叩き斬ってやるも吝かではないところだが、なにぶん人手不足の今はどのような性質のものでも貴重な戦力だ。
ため息をつきながら視線を戻した瞬間、窓から吹き込んだ突風にルビー・レッドの頭髪とドレスの裾が勢いよく背後へと吹かれた。
「うおっ!?」
幼女の足が数歩後退する。
――なんじゃあ!? 余の眠りを妨げおった愚か者は、貴様か! 矮小なる魔の娘よ!
突然の大音量での念話に、ユランは両手でこめかみを押さえて顔をしかめる。
窓の外では、闇に溶け込む色をした巨大な地竜が羽ばたいていた。
「来たか、偉大なる地竜マグナドールよ!」
巨大。あまりに巨大。
己の立つ居館ほどの体躯を持つ地竜は、にもかかわらず巨大な翼で暴風を巻き起こしながら浮いている。空に浮いたままなのだ。
接近にすら気づけぬほどの高速。それ以上に、高速での飛翔から一瞬にして速度をゼロにできるストップ能力。
どちらをとっても別格、怪物だ。
惜しい。あまりに惜しい。この伝説の古竜が澱みの森の外には出られないことが。人間軍など、その鼻息一つで吹き飛ばしてくれそうなものを。
――さあ、さあ! 何から助けて欲しいのか言うがよい!
「貴様、おれが戻るまでニーズヘッグ城付近で留守番をしていろ」
数秒の間があった。
地竜が羽ばたきながら問い返す。
――え? どっか行くの?
「ああ。遠征だ。レエル湖の砦を人間どもから奪い返す」
――余は?
「貴様は留守番だと言ったはずだ。遠征中にカナン騎士団がニーズヘッグ城に雪崩れ込む可能性が高い。それを貴様に防いでもらいたい」
――でも……。
「でももへったくれもない! やり方はまかせる。皆殺しにするもよし、脅して引き返させるだけでもかまわん。ニーズヘッグ城には一歩たりとも踏み込ませるな」
ユランは室内に立てかけておいた魔剣ドライグを抜き身にして、片手で持って肩に担いだ。
最近になって気がついたのだ。
ドライグは鞘が重い。無論、剣本体はそれ以上に重いが、そちらのほうは魔力を通せば持ち歩けないほどではない。鞘のみ、魔力による重量軽減が効かないのだ。
ならば抜き身のまま持ち運べはそれで済むし、今後はラミュに持たせる必要もない。
――あの、魔の娘?
「なんだ貴様? まだいたのか。何か用でもあるのか?」
――余も貴様と同じとこに行きたいな~なんて思っちゃったりなんかしたりして……?
まったく。思考が犬そのものではないか。
そんなことを考えながらも、老兵は古竜を少しばかり可愛らしく思え、柄にもなく優しい言葉をかけることにした。
「澱みの森を出られるようになってから言え、このド屑がッ!! 貴様のような役立たずはニーズヘッグ城の近くで寝ていろッ!!」
優しく、休暇を与えてやったのだ。
愛情の押し売りをした老兵は、自己満足に微笑む。
――くぅん……。
「ちっ、伝説の古竜ともあろうものが、情けない声を出すな。――ではな、マグナドール」
傲慢なる老兵は、言いたいことだけを告げると赤いドレスのスカートを翻しながら、地竜に背中を向けた。
そのままドアを開けて廊下を歩く。目指すはニーズヘッグ城中庭だ――が、その前に。
隣室のドア前で立ち止まり、ユランはドアを乱暴に叩く。
「おい、ラス! 起きろ!」
「お、お、お、おきて、ます……」
すぐにドアが開き、一本角のはみ出た、もっさりとした長い黒髪の幼女が顔を覗かせた。寝巻きもないのか、昼間に着ているぼろ布同然の服をまとっている。
「貴っ様ぁ、なぜまだ起きている! 餓鬼は寝る時間であろうがッ!! さっさと寝ねば、健康に育たんぞ!」
「ご……めんなさ……。まおーさまの、おっきなこえ、きこえて……それでラス……」
「なんだと!? 貴様、おれのせいだとでもいうのか!?」
ラスの目に涙がにじんだ。
「ひぅ……」
「ふん! それは悪かったな! 以後気をつけてやる!」
老兵に悪気はなかった。ただ、粗野なのだ。ユラン・シャンディラという名の男は。
そのことに気づいたのか、脅えていた鬼の子が、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「はぃ……ありがと……ござ……ます……」
「ラス、貴様に今から大切な任務を授ける。おれとラミュ、そしてネハシム、トロロン、ヨハンはこれからレエル湖砦に打って出る」
「え? え?」
目を丸くするラスの前で、老兵は両腕を組み、朗々と告げた。
「貴様は明朝起きたらすぐに、そのことをニーズヘッグ城の魔族全員に伝えろ。今伝えると、遠足気分でついてきたいとか言い出す輩がわんさか出るからな。眠っているうちに発つのが一番だ」
たぶん……。
「ゆえに伝言を貴様に託すぞ、ラス。これは重要な任務だ」
「あ、え?」
「それから、防衛面でのことは心配するな。ニーズヘッグ城近くに地竜マグナドールとかいう、でっかい犬みたいなやつがいる。何かあればそいつがすぐに駆けつけてくることになっている」
「おおきな……いぬ……?」
間違いではあるまい。少なくとも、あの中身では。
「それだけだ。ああ、それと、おれの部屋に脱ぎ散らかしている寝巻きを片付けておけ。クローゼットにある寝巻きのセットを貴様に一つくれてやる。ドレスも好きなのを持っていけ。貴様のような餓鬼は、あまり惨めな格好をするな。いいな? わかったら返事をしろ」
「は、はい……」
「ふん」
ぽかんとしているラスに背中を向けて、老兵幼女は歩き出す。
「まおーさま」
「なんだ?」
立ち止まり、肩越しに振り返る。
ラスが頬を染めて、嬉しそうにはにかんでいた。
「ありがと……。……おめざめになられてから、ラス、こわいっておもってた……。でも、でも……まおーさま、すごく、やさしい……」
「……う、うるさいぞ、き、き、貴様! し、死ね!」
ユランは一瞬にして全身を桜色に染め、乙女のごとく恥ずかしそうに手で顔を覆いながら走り去って行った。
ラスははにかんだまま、その小さな背中を見送るのだった。
老兵率いる魔王軍戦力、五体!
もうほんとにどうすんの……。




