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第2話 老兵が幼女

前回までのあらすじ!


ろくでなしの老兵が魔王と相討ちになったぞ。

 苔生した石の天井が見えた。

 天然のものではない。天然石を切り取って詰んだ、煉瓦造りの橋のような丸い天井だった。壁もやはり、天然石が詰まれて造られている。


 どこだ、ここは……。


 身体は動かない。

 視線だけを動かして、窓、探して。


 空は青色をしていた。


 煉獄(アビス)の空は血やマグマのように禍々しく赤いものであると、王都カナンの神官どもは偉そうに高説を垂れていたのだけれど。


 己は、生き延びたのだろうか……。


 思い出す。記憶は途切れ途切れだ。

 幾千の魔物を薙ぎ払い、幾百の魔族を屠って、古城ニーズヘッグへと辿り着いた。そして魔王レギド――イルクレア・レギド・ニーズヘッグと会話をしてから、剣を抜き……。


「……ッ」


 上体を起こし、額を押さえて頭を振る。

 ばさばさと、髪が左右に揺れて肩から背中までを擦った。


 気づく。髪が伸びていることに。己の髪はこんなにも長くはなかった。なぜならば、いい加減にではあるが、自らの手で鋏を入れていたからだ。


 いや、そのようなことよりも。

 じんと痛む左胸。呼吸をするたびに、じくじくと痛んでいる。

 当然だ。魔王の。イルクレア・レギド・ニーズヘッグの持つ赤の魔剣ドライグに心臓を貫かれたのだから。ならばこそおかしいのだ。


 なぜ、おれは生きている?


 無意識にだった。剣士ユラン・シャンディラは無意識に、左胸に手をあてた。


「……?」


 痩せ細った胸だった。ほのかに膨らみはあれど、かつての己とは比べようもないほどに痩せ衰えた胸となっていた。

 髪の長さから察するに、相当長い間、眠っていたらしい。何ヶ月、いいや、この有様では何年間か。戦いの中で鍛え上げられてきた筋肉はすっかりと衰え、まるで少女か老人のような細さだ。

 腕も、細く。これでは到底、剣など振れるものではない。


 毛布を剥ぎ取れば、下半身も――。

 眉をひそめる。そして、次に少し笑った。みっともない話だ。


 ユランはひらひらとしたスカートを穿いていた。おそらくは長期治療のためだろう。

 こんな無様な格好を、追い払ってもしつこくついてくる二人の部下や、()()()に見られでもしたら何を言われるか。


 首を傾げる。


 ……? あいつ……? 誰だ……?


 わからない。己はまだ寝ぼけているらしい。

 簡素な木製のベッドから、痩せ衰えた両足を石の床へと下ろし、転ばぬように気をつけながら立ち上がる。


「……」


 と同時に眉をひそめた。


 目線の低さ。

 痩せ衰えた肉体は理解できる。時間経過が全身を萎えさせた。だが、どうだ、この目線の低さは。膝はすべて伸ばしている。つま先で立ったって、ドアノブよりもかろうじて高い程度になってしまっている。


 なんだ、これは……。


「どうなってい……る……?」


 声! 違う、これは違う! 己の声ではない!


 片手で喉をつかむ。細い首だった。

 顔を両手でなぞる。やわらかな頬が形を変えた。ごつごつした骨張ったものではない。髭もなくなっている。


「なんなんだ……ッ」


 鏡。鏡を探し、ユランは彷徨った。

 石壁を両手で伝い、木製のドアへと辿り着く。いつもより高い位置にあるノブをしっかりとつかんで回し、蝶番を軋ませながら押す。

 開かない。施錠されているからではない。力が足りていないのだ。


 両手で押す。今度は動く、ゆっくりと。開いて。

 そこは、長い長い廊下だった。数歩ごとに照明の灯りが揺れている。魔術灯の灯りだ。同じようなドアはいくつもあるけれど、廊下の終わりは見えない。


「ここ……は……?」


 息が白く凍る。寒い。

 ごぉと、冷たく不浄な風が流れた。


「~~っ」


 長い髪が巻き上げられて反射的に手で押さえ、ようやく気づいた。

 灰色(アッシュ・グレー)だったはずのユランの髪色は、輝く赤色(ルビー・レッド)になっていた。


「……!?」


 まるで己が殺したはずの魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグのような。だが、それも違う。違うのだ。

 イルクレアの姿はたしかに少女だったが、こんなにも小さな体躯ではなかった。これではせいぜい七、八歳、よくて十といったところだ。イルクレアと比べても、十年近く若い。


 それに、おれはオト――コ……。


 力の入らぬ足を突っ張り壁に背中をもたれかけさせ、赤色のスカートをたくし上げる。そうして、股間に手を這わせて。

 布越しのそこに触れ、数秒停止した。思考が止まってしまった。顔が青ざめる。

 あらゆる可能性を考えていたが、正答はただの一つも掠めなかったらしい。


「おれは……どうなってしまったんだ……」


 女だ。女のガキになっている。声も、身体も、力も。


 くたびれた老兵に過ぎなかった男は、戦傷の後に長年の眠りについて老人になった――どころか、その正反対に若返っていた。性別すら違っていた。

 筋肉がまるでない。身体のどこを触っても、ふわふわと形を変えてしまうほどに柔らかだ。手足はもちろんのこと、手触りなめらかな頬も、赤いプリンセスドレスで隠されている腹や胸もだ。


 それは老兵をひどく不安な気持ちにさせた。まるで装備一つなく、裸で戦場に立たされてしまったかのように。


 ――おれは、誰だ? 何が起こった?


 ユラン・シャンディラ。それが己の名だ。間違いなどあろうはずもない。だが、妙だ。ところどころ記憶が抜け落ちている。

 わけがわからない。


 一つ思い出した。

 ユラン・シャンディラはここを知っている。この、端の見えない長い廊下を知っていたのだ。この廊下の先から流れ来る、不浄な風をおぼえていたのだ。


「魔王城ニーズヘッグ……」


 少なくとも、確実に王都カナンの城ではない。魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグの根城。魔族の本拠地。ニーズヘッグ城の下層だ。


 老兵ユランはかつて単身でこの廊下を駆け抜け、襲い来る魔将軍らを葬りながら、王座の間まで駆け抜けてイルクレアと相討った。


 呼吸が、脈動が、耳にうるさい。汗がひっきりなしに頬を伝う。

 息づかいすら幼い。

 ユランは無意識に、王座の間へと向かって歩き始める。


 もしもイルクレアもまた生きているのだとしたなら、この状況に説明をくれるはずだ。いや、そんなことはどうだっていい。

 本当は……。


 イルクレア、おれは貴女に逢いたい。おまえも、生きているのか?


 狂おしいほどに、胸をかきむしりたくなるほどに。逢えば再び戦いは始まる。それをわかっていてさえ、ユランは魔王に逢いたかった。


 肩で冷たい壁を擦るように歩き続ける。

 思考は回らない。

 ここは一度通った道。魔族兵や魔将軍たちの大半を屠りながら通った道。敵などもういるはずもない。


 ずる、ずる、肩を石壁で、足を石床で引きずりながら歩く。

 だが、もう一度述べる。ユランの思考は回ってなどいなかった。


 あの日。ユランが魔族の大半を屠り、魔王と相討った過去が本当にあったとするならば。


 なぜ、滅んだはずの古城ニーズヘッグの廊下がこれほどまでに静かなのか。

 なぜ、魔族の残骸の一つさえ、散らばってはいないのか。骨も、肉片も、血糊も、その残滓さえ。

 なぜ、廊下を照らす魔術灯が今もまだ揺れているのか。


 至らなかったのだ。そのような考えに。

 だから、魔族と出くわさぬままに王座の間まで辿り着けたことは、奇跡だったと言える。




シリアス崩壊までカウントダウン:1!

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