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第19話 老兵と神格バカ

前回までのあらすじ!


この竜……ちょろい!

 己の身の数倍はあろうかという竜の頭部を踏みつけ、幼女の姿をした老兵は振り返る。


「のったな、貴様ら」


 頑強なる岩の鱗に覆われた長い長い首の向こう。古竜種地竜の背には、ちょこんと蛇の女王と三匹のノームが正座していた。


「あはい……」


 ラミュが青白い顔で震えながらうなずいた。


「なんだ貴様、その覇気のない返事は」

「……そ、そうは申されましても……」


 地竜マグナドール。神々を苦しめた過去を持つこの竜は、そう名乗った。

 神竜戦争に於けるマグナドールの伝承は、魔族の間にも書簡として伝わっている。もっとも、人間の老兵だった現在の魔王は、それを知るよしもない。


 蛇の女王ラミュ・ナーガラージャは思う。

 怖い。マグナドールの存在はもちろんのこと、彼の竜を知らずに傍若無人に振る舞う魔王の浅慮が、同じくらい怖い。


「あにきのせなか、ひろいなー」

「これぞ、おとこのせなかよなー?」

「ぼくのうつわほどじゃ、ないけどもー?」


 三匹のノームは興奮気味だ。何せ、彼らがこの森に発生して初めて、空を飛ぶのだから。

 ユランは赤い靴の足を持ち上げ、地竜の頭部をがつんと踏みつけた。

 ラミュの顔が青ざめる。


「さあ行けィ、地竜マグナドールよ!」

 ――矮小なる魔ごときが、余を足蹴に指図するでないわッ!!


 雷轟のごとく荒々しき念話が、直接頭蓋に響く。


「む? ふざけるなッ、そのようなつもりは一切ない! おれは貴様に頼んでいるのだ。いいから四の五の言わずにさっさと飛べ」

 ――ならばよし!


 竜の背でラミュは思う。

 ああ、図体でっかいけど脳みそは小さそう……、と。


 地竜が巨大な翼を広げる。

 次の瞬間、全身が大地に押さえつけられるかのような圧力がかかり、ユランは歯を食いしばって両足に力を込めた。


「うわ~ぁぁ」

「ひゃあ~」

「きゃほーい」


 竜の背中から早速空へと転がり落ちそうになった三匹のノームが、ラミュの手に繋がれた紐で首吊り状態になっている。

 しかしそれもほんの数秒。

 一瞬の後には地竜は上昇を終え、雲の下を滑るように水平飛行していた。


 ユランの――イルクレア・レギド・ニーズヘッグのルビー・レッドの頭髪と深紅のドレスのスカートが、向かい来る暴風に激しくたなびく。

 油断をすれば、あっという間に夜の闇にさらわれてしまいそうになる。


「……っ」


 だが――。

 だが、その光景たるや。


「は、はは……」


 空には巨大な月と無数の星々が浮かび、遙か眼下には闇に閉ざされた深い澱みの森。

 振り返り目を凝らしても背後にはその終わりは見えず、前方にはニーズヘッグ城の、そしてそのさらに先にはレエル湖の砦と思しき灯りが見えている。


 空――……。


 空の中にいた。

 沸き立つ。老いたる魂が、これまで想像だにしなかった経験に。


 轟々と風を切り、古竜は静かに降下を開始する。ニーズヘッグ城の灯りへと向けて。

 水平飛行をしていた時間は、わずか数秒。数日かけた道のりですら、数秒だ。


 この世にはまだ、己の見知らぬものが山ほどある。

 あの日。仲間を見捨てて遁走したあの日以降、ユランは死を見続けてきた。己に、世界に失望し、その終焉のみを見続けてきた。

 だが今、老兵は別のものを見た。

 その瞬間、感じてしまった。完膚無きまでにくしゃくしゃにして丸め、自ら破壊し、戦火の中へと投げ捨ててきたはずの、己の命を。


 感じたのだ。命の滾りを。がらにもなく、無邪気なノームのようにはしゃいで。


「おれは……生きてる……」


 宿敵に敗北し、仲間を見捨てて逃げ、孤独となって死を求め、幼女の姿となり、魔王に身を堕とし、最愛の女を失って、嫌悪した剣を捨てきれず、戦って――その先にあったものが、この光景であるならば。

 そう。死ではなく、この光景であるならば。


 老兵は幼女の微笑みを浮かべた。誰に向けてでもなく。ただただ楽しげに。

 ほのかに膨んだ胸に、そっと手をあてて。


「……感謝せねばならんな。……イルクレアの、この身体に……」


 ああ、鼓動が響く。

 細胞が活性化してゆくのがわかる。


 ユランは――老兵は、あるいはイルクレアの肉体は、喜んでいた。楽しいと感じていた。

 この夜に。この経験に。


 だが、やがて短い旅は終了する。

 地竜は森の木々の高さにまで降下すると、高く茂った樹木やとんでもない強度の岩石をその両脚で踏み潰しながら、大地へと両足をつけた。


 眼前にはすでにニーズヘッグ城が見えている。

 ユランは樹木よりも遙かに高い位置にある地竜の頭部から、赤のスカートをはためかせながら舞い降りる。

 そうして、巨大な神格生物を振り返って。


「ご苦労だった!」


 幼女、偉そうにねぎらう。


 ――ふん、勘違いはするな、矮小なる魔の娘よ。何も貴様のためにしたわけじゃないんだからね!

「そうなのか? ならば貴様はなんのためにおれをここまで連れてきてくれた?」

 ――…………あらためて問われると思いつかぬ……。

「そうか」

 ――どうやらそのようだ。くく、くくく。

「ククク」


 不気味に見つめ合う。

 互いに凶悪な笑みを浮かべ、ニーズヘッグ城の居館(パラス)ほどもある図体の神格生物と、ともすればゴブリン族以下の体躯となってしまった老兵幼女が。


「地竜マグナドールよ。貴様はどうやらおれを助けたかったらしいな」

 ――そうなのか……!? 余が……!?

「そうだ。そうでなければ、迷子のおれを理由もなくニーズヘッグ城まで連れ戻してくれるわけがなかろう!」

 ――くく、そう。そうか。


 地竜の背中から三本の紐と三匹のノームを持って地面に降りたったラミュは思った。

 なんて頭の悪い会話なのだろう……と。


「ゆえに褒美をくれてやる」

 ――ほう?


 地竜の尾が勢いよく左右に揺れ始めた。その鱗に触れられた大樹が、次々と折れて倒木と化す。

 幼女が偉そうに平たい胸で両腕を組み、自信満々に言い放った。


「今後も貴様におれを助けさせてやってもいい。我らは今、人間軍に押し込まれ、滅亡の憂き目に遭っている。貴様にはひとっ飛びして、レエル湖にある人間軍の砦をぶっ壊してきてもらいたい」


 澱みの森に音はない。あまりに樹木が密集しているため、風が通らないからだ。

 音のない時間が流れた。

 ややあって、地竜マグナドールが長い首を左右に振る。


 ――それはできぬ。余は澱みの森から出ることを盟約にてゆるされてはおらぬ。

「なんだと? 貴様、おれの命れ――あいや、頼みが聞けんのか、この役立たずめ!」


 ラミュは思った。

 我が主が、たちの悪い酔っ払いみたいなことを言い出した、と。


 ――澱みの森の監視は、偉大なる竜王様との盟約。一時たりと余が森を離れることはない。

「監視だと? 何をだ?」


 マグナドールが黙り込む。

 どうやら話す気はないらしい。


「ふん。要するに、貴様は澱みの森を守るためにここに棲んでいるのだな?」

 ――……その通りだ。

「ならば教えてやる。ニーズヘッグ城の魔族と敵対している人間軍が、近く、澱みの森に火を放つ恐れがある」


 轟と、マグナドールの全身から重く熱い怒りのような殺気が溢れ出した。


「ひ……っ」


 ラミュが息を呑んだ。その足もとでは、三匹のノームが同時に股間を濡らして失神する。

 マグナドールの鼻先に立っていた老兵の股間のパッキンもわずかばかり弛んだが、どうにか耐えた。老いたる魂ゆえのことか、幼き肉体ゆえのことかは不明だ。


「レエル湖の砦の件は忘れてもかまわん。おれたちがなんとかしてやってもいい。だが、その間に澱みの森を灼き払われるのは、我ら魔族にとっても、貴様にとっても困ることだ」


 マグナドールはただ黙ったまま、目の前に立つ矮小なる体躯の幼女に視線を向けている。


「同盟だ、地竜マグナドール! おれたち魔族が人間軍の砦を陥落させ、やつらをこの地から排除する。貴様にはその間、ニーズヘッグ城ならびに澱みの森を、人間軍の侵攻から守ってもらいたい!」

 ――よかろう。成立だ。


 ラミュは思った。

 バカを説得するにはバカをあてがうのが一番だ、と。


 ――ならば早速、我が寝床を用意するがいい。

「ああ? 貴様、まさかニーズヘッグ城に棲むつもりか!?」

 ――いかんのかっ!?

「阿呆が! 己の図体を考えろ! ニーズヘッグ城は貴様の犬小屋ではないぞ!」


 中庭にむりやり押し込もうものなら、寝相だけで城壁が壊滅されてしまいそうだ。もちろん敷地内の建造物に、マグナドールの巨体を収める場所などない。

 それほどまでの体躯なのだ。神喰らいの古竜は。


 それでも、老兵幼女は偉そうに命じる。

 幼い腕を大きく振って、飛んできた方角の空を指さして。


「邪魔だ。わかったら帰れ」

 ――…………本気……?

「あたりまえだ。さっさと帰れ。貴様のようなデカブツは野宿が一番だ」


 ゆらゆらと揺れていたマグナドールの尻尾が、ふにゃりと曲がって地面に落ちた。まるで主人に叱られた飼い犬のように。


 ――えっと……じゃあ、次いつ余のとこに遊びに来てくれる……?

「そのように簡単に行けるかッ! 貴様を捜すのにどれだけ苦労したと思っている! 話は終わりだ! さっさと消えろ!」


 ルビー・レッドの頭髪を振って、ユランは地竜に背中を向けた。そうしてニーズヘッグ城へと向けて歩き出す。


 ――あ、あ、じゃあ、貴様が呼んでくれたら余がくるというのはどう? 助けて、マグナドールーって……。

「ふん! それは好きにしろ! 助けたければ助けさせてやる! おれも助かる!」


 ラミュは思った。

 神格生物を相手にこの扱いよ……、と。

 あの老兵ユラン・シャンディラは、自分が思うよりずっと大物(バカ)なのかもしれない。


 その日、傍若無人な魔王にむりやり追い返された地竜マグナドールは、以降、三日三晩にわたって枕にしていた倒木を涙で濡らしたという。




拾たんやったら責任持って飼ったれや……。

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