第14話 老兵と森の木
前回までのあらすじ!
老兵幼女、前途多難!
勇者リントヴルムがニーズヘッグ城から澱みの森を通ってレエル湖の砦へと引き上げる際、潮が引くように澱みの森からも人間たちの気配が消えた。
森には臓物と錆び鉄のような臭いが漂い、そこかしこに魔物の死骸が転がっている。
ユランは幼い手で鼻をつまみ、赤いプリンセスドレスの裾を持ちあげて、クマのような魔物の死骸を足で蹴り押した。
ごろり、と魔物が仰向けとなる。その口からは、よだれと血が垂れていた。目は灰色に濁り、生命の光はない。
当然のように死んでいる。
死因はカナン騎士に槍で貫かれた、臓物のはみ出ている腹の穴だろう。
舌打ちをして、ユランは赤い靴を履いた足をどけた。
深い森だった。
陽の光も届かぬほどに大樹が生い茂り、大地には湿った枯れ葉が幾層にも重なって積もり、その隙間からはシダ植物が蔓延っていた。
澱みの森――。
薄闇の魔物多発地帯として人間たちに恐れられるその森は、その名の通りあまりに深く、それゆえ中心部には風すらほとんど届かない。ゆえに、空気が常に澱んでいるのだ。
この耐え難い臓物と血液の臭いも、いつになったら消えることやら。
今は生き残った魔物どもですら脅えて身を潜めているためか、生者の鳴き声すらない。風が通らず葉擦れの音もないゆえ、まるで死んだ世界かと錯覚してしまう。
総じて不気味だ。
「おい、ラミュ」
「はいな」
斜め後方で控えていた蛇女の女王が、腰に片手をあてて首を傾げた。その両腕には、巨大な魔剣ドライグが大切そうに抱えられている。
「どう質問すればよいか、学のないおれにはいまいちわからんのだが。……魔物どもの生態系とはどんなものだ? この有様から何がわかる?」
ラミュはしばらく考えるような素振りを見せた後、周囲を見渡して口を開けた。
「つがいが残っているなら、放っておけば一月足らずで殖え始めます。三月もあれば、ほとんど元通りの澱みの森になるかと」
まるでゴキブリのような連中だ。
「そんな殖え方で、この森は魔物過多にならんのか?」
「澱みの森の食糧供給量は限られてますので、ふだんの自然繁殖ではさほど勢いよくは」
ユランが口もとに幼い手をあてる。
なるほど。魔物が減れば澱みの森は豊かになり、豊かになるからこそ魔物が殖える。魔物が殖えれば森は枯れ、枯れれば魔物は減る。
王都カナンの騎士学校でも、似たようなことを学んだ気がする。
「三月か……」
「ええ。ただ、当然人間たちは待ってはくれないでしょうね」
「わかっている」
現状の戦力では到底保たない。近く、魔物どもが再び澱みの森に蔓延る前に、再び騎士どものニーズヘッグ城への襲撃があるだろう。そのための魔物掃討作戦だったのだから。
ならば、いつだ。
三日後か、四日後か。さすがにもう今日はないと思いたいところだが。
「黒妖精は?」
「再びレエル湖の砦へと派遣しました。人材不足なんですから、文句は言わせませんよ」
「それもわかっている」
襲撃人数はあてにならないが、襲撃タイミングがつかめるだけでもありがたい。もっとも、花の蜜を吸ってて報告を後回しにするような能なしゆえ、間に合わないことも多々あるだろうけれど。
小さな掌でルビー・レッドの前髪をくしゃりとつかみ、長いため息を吐く。
「やれやれ。三月の間、ニーズヘッグは丸裸か」
「そうですね……」
森を守るか? いや、悪手だ。ニーズヘッグ城の魔族は残り一〇〇体ほど。どう頑張っても澱みの森全土をカバーできる数ではない。各個撃破されるのが関の山だ。
先ほどまでは魔物どもが防衛の役に立つゆえ、森ごと守ろうとしていたが、この有様では魔物を戦力に数えるにも少々無理がある。
しばし考えていると、ラミュが不思議そうに尋ねてきた。
「……どうかなさいまして? ユラン?」
「カナン騎士どもは、なぜ森を焼かんのだ? 澱みの森ごと灼き払ってしまえば、ニーズヘッグ城とてただでは済まんだろうに」
現状、ニーズヘッグ城の食料は澱みの森から調達している。木の実や野菜、魔物肉、それに澱みの森を南北に縦断するヘルガ川の魚だ。
もっとも、完全に雪の積もる冬となれば、それらの収穫も激減する。そうなる前にどれだけ貯蔵できるかが問題だと、ラミュは言った。
「食材が豊富な森ゆえに、どうにか残しておきたいのでしょう。イルクレア様が眠りにつかれたわずか十年あまりで、人間はあまりに殖えすぎましたから」
「なるほどな。澱みの森の生態系と同じ事情か」
産めよ増やせよの時代だった人魔戦争がこの十年で終戦を迎え、莫大な数の戦死者がほとんど出なくなったと考えれば、わからなくもない話だ。それでも人口爆発と言うには、少々性急な気がするところだが。
あるいは……。
「ラミュ」
「はい?」
「澱みの森に詳しい魔族はいるか?」
「ええ。地精のノームでしたら。もともと澱みの森の岩場に棲んでいた精霊ですので」
いいだろう、と幼女はうなずく。
「よし、ニーズヘッグ城へ戻る。謁見の間にノームをすぐに呼び出せ」
「はあ……」
赤のスカートを翻し、ユランは苔生した岩場を歩き始めた。しばし歩き、立ち止まる。
「おい」
「はい」
「地精ノームってのは、話が通じる連中か?」
ラミュが両手を広げて口もとをねじ曲げる。
「黒妖精の一種ですから、まあ……どんぐり脳みそです……」
ユランが心底面倒臭そうに顔を歪めた。しばし考え、自らの人差し指と親指で円を作って尋ねる。
「クリ程度の大きさはあるんだろうな」
「……あ~、クヌギがせいぜいかと……」
顎をしゃくって歯を剥き、幼女が口汚く吐き捨てる。
「糞だなッ!」
「まあ、クソですよ」
認めるのかよ……。
舌打ちをして、苛立ち紛れに歩き出す。ずかずかと。
「まあいい。時間をかければ多少なり聞き出せるだろう」
それを追ったラミュが、顔をしかめながら呟いた。
「ちょっと、ユラン。イルクレア様の肉体で、がに股はやめていただけます? みっともない」
「貴様、いちいちうるさいぞ。この肉体の今の主はおれだ。どう使おうが、おれの勝手だろうがっ」
ラミュが爬虫類の瞳を近づけて、先割れの舌を出した。
「はぁん? あなた、イルクレア様ご本人の前でもそう言われるおつもりで?」
「く……っ、そ、それは……」
惚れた弱みだ。負の印象は与えたくない。
「ちゃぁ~んと綺麗なままでお返しするのでしょう? その肉体を。そのときに骨格が変わっていて、可憐な姿でがに股歩きをしてしまうようなイルクレア様を、あなたは見たいんですかぁ? まったく、この変態おじさんは」
「ぐ、くぅ……ッ」
死んでも見たくはない。そのようなイルクレアの姿は。あれは、あの魔王は美しくなければならない。
意識的に膝を内側に寄せ、百戦錬磨の老兵は不承不承に歩く。まるで小便を我慢しているときのようにだ。
なんで己がこのような貞淑な歩き方をせねばならんのだ、と思いながら。
「そう、それでいいのです」
「ふん!」
鼻を鳴らした瞬間だった。
眼前にあった樹木、葉の一枚もなく、不自然に枯れてしまった樹木の枝が、ぐぐっと槍のように突き出されたのは。
「――ッ」
とっさに身を翻したユランの足もとを、槍のごとく鋭い木枝が貫く。足場の苔生した岩石をも砕いて。
ブラッドツリー!
吸血植物だ。木に擬態してはいるが、歴とした魔物。植物なのは外見だけで、枝や幹を斬り飛ばせば血管や臓物が飛び散る。
それに――動く!
根など張ってはおらず、根に見える部分をうねうねと動かして移動するのだ、この魔物は。意外に素早く。
「ちぃ!」
さらに突き出された枝を後方回転で躱し、ラミュの両腕から魔剣ドライグを引ったくって着地する。
魔族と魔物は同義ではない。それは等しく魔に準ずるものであるが、魔物には知性というものがないゆえだ。
つまり魔物は魔族をも襲う。それは魔将軍であっても例外ではない。
「この――ッ」
ラミュが豊かな胸へと突き出された鋭い木枝のような腕部を、両手で挟んで食い止める。その足が勢いを殺しきれず、後方へと押された。
ユランがドライグを上段から振り下ろした瞬間だった。
「待ちなさい! ユラン!」
ラミュの制止の声が轟くよりも早く、ドライグの刃はブラッドツリーの枝のような腕部を寸断していた。
「ぐるァ!」
――ギャアアアァァァァーーーーー…………ッ!
金切り声のような耳障りな絶叫が響き、斬り飛ばされた枝の部分から鮮血を撒き散らしながら、ブラッドツリーがぐにゃぐにゃと激しく蠢く。まるで死の間際にのたうち回る動物のように。
遅れて、どっ、と斬り飛ばされた枝が足もとに転がった。それは、どくん、どくんと脈打つたびに血液を流し、斬り口からは白い肉が覗いていた。
肉だ。樹木ではない。
ラミュが手で挟み取ったブラッドツリーの腕部を乱暴に払い除けると、ユランの襟首をつかんで強引に引きずりながら距離を取った。
そのままユランをひょいと持ち上げ、ラミュは自らの手を額にあてた。
「おい、ラミュ! 邪魔だ! 放せ!」
ユランが短い足をわちゃわちゃ動かして、どうにか逃れようと暴れるも、どうにも地面にまで靴が届くことはない。
「むいいいぃぃぃ! 放せバカ! 放さんかっ!」
その無様たるや、持ち上げられた仔猫のごとき愛らしさに溢れたものであるが、残念ながら当人は当然のように気づかない。
「ユラン。まったく、あなたという人は! これ以上澱みの森の魔物を減らしてどうなさるおつもりですか!」
幼女が凶悪な光を瞳に宿し、不敵な笑みを浮かべた。
「ふん、知ったことではない。殺しにくるやつは、全員ぶっ殺してやるのが礼儀だ」
「そんな野蛮な礼儀は魔族にすら通用しませんよ! てか、本気で言ってるんだとしたらドン引きですっ! 人間族に秩序はないんですかっ!」
「魔族なんぞに言われたくないわっ! とにかく殺す!」
ブラッドツリーはもはや戦意を失ったのか、ずるずると根を引きずるように逃げてゆく。その姿が完全に消えてから、ユランはあきらめたように手足をわちゃわちゃと動かすことをやめた。
「ちっ、わかった、わかったよ。追う気はない。放せ。猫のような持ち方をするんじゃあない。この肉体は貴様の主だろうが」
ラミュがため息をついて、ユランの襟首を放す。
ポテっと、ユランは地面に降りたつ。
「まったく。首が絞まるではないか」
「物理的にユランの首がですか? それともニーズヘッグ城の防衛力を自ら減らす行為に対してですか?」
「……皮肉は好きではない。ああ、まったく好きではないぞっ」
「……」
が、睨むラミュの視線から逃れるように、ユランは動かなくなった枝のようなブラッドツリーの腕部を拾い上げると、それを乱暴に地面へと突き刺した。
ぐちゃり、と血肉が飛び散る。
「ふん、これで文句はなかろう!」
「……まったく意味がわからないんですが……」
ユランが両腕を組み、得意げに薄い胸を張った。
「接ぎ木をしてれば、どうせまた生えてくるだろう。生殖より楽な殖やし方だ。貴様らのような無知な魔族は知らんかもしれんがな」
「……や、ブラッドツリーは植物じゃないですし、腐るだけですよ……ふつうに……」
だが、ラミュがその言葉を呟いたときには、ユランはすでに背中を向け、魔剣ドライグを抜き身のまま肩に担いで、どしどしとがに股で歩き出していた。
「がに股! ああぁぁぁ、も~~~~~~~~~~~~~~~~う!」
「やかましい! わかっている!」
「あと、接ぎ木ではなく挿し木では?」
「知らん!」
こうして幼女と蛇女は同じ会話を繰り返しながら、ともにニーズヘッグ城へと歩を進めるのであった。
放置された挿し木は、この後、別の魔物がおいしくいただきました。
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更新速度、しばらく上げられそうにありません。
のんびり更新。




