第10話 老兵がぷっつん
前回までのあらすじ!
黒妖精wwwおまwwええ加減にwwうぇwwせえよwwwっ
もぉ~うダメだ。やる気出した途端にこれだ。
澱みの森入口付近に防衛ラインを築くどころか、もはやすでに手遅れなほどに侵攻されていた。今頃、澱みの森の魔物どもは阿鼻叫喚の地獄を味わっているだろう。
ユランはルビー・レッドの頭髪を大きく左右に振って、白目を黒目に戻しながら叫ぶ。
「貴様、黒妖精! なぜもっと早く報告してこない!」
「おはなばたけ、みつけたからー? みつ、あまあまぁい」
幼女ユランの顔中に血管が浮き上がる。
「お花なら貴様の脳みそで全開になっとるわッ!」
「ほー」
己の頭髪に手を伸ばす目出度い知能の黒妖精は無視して、ユランは未だ白目を剥いたままのラミュ・ナーガラージャの肩を激しく揺らした。
「ラミュ! おい、ラミュ! さっさと戻って来い!」
「うあっ!? あ、あ、はいっ! はい、……ただいま正気に戻りました」
ダメだ。目が死んでる。なんか泣いてるし、唇の端からよだれも垂れてるし、口調も弱々しい。すべてをあきらめたやつの表情だ。
「貴様、しっかりせんかッ! 蛇の女王で唯一の魔将軍であろうが!」
「はぁ……」
ダメだ。
ラミュの肩で手に持った花から蜜を吸っている役立たずの黒精霊を括り殺すのは後回しとして、何か対策を考えなければ。
そんなことを考え始めた瞬間、ラミュの肩に座っていた黒妖精が思い出したようにもう一度口を開けた。
「あー、あー。ほーこくー、わすれ」
「さっさと言えッ!」
「ゆーしゃ、いたなー」
ラミュが再び白目を剥いて、泡を噴きながら真後ろに卒倒した。
黒妖精はちゃっかり自分だけ羽根を広げて、ふわりと舞い上がる――が、その全身を幼い手ががっしりとつかんだ。
「……いっぺん死ぬか、貴様?」
もちろんイルクレア・レギド・ニーズヘッグ――否、ユラン・シャンディラだ。
「まおーさま、こわわわ、こわわわわわっ」
黒妖精は、嫌々しながら身体をねじっている。
しかし、と考える。
澱みの森の魔物掃討作戦だけだと思っていたら、ニーズヘッグ城まで攻め込んできた。最悪の場合は森を放棄して作戦を練り直すつもりだったが、あてが外れた。事態は己が想像していたよりも、ずっと悪いほうに転がっている。
「どう……する……?」
己の身はイルクレア・レギド・ニーズヘッグだ。
背は低く、手足は細く、胸も薄く。容姿はルビー・レッドの頭髪を持つ幼女以外の何者でもない。
投降したところで、ユラン・シャンディラであると名乗っても誰も信じはすまい。それどころか容姿が幼かろうとも、イルクレアの姿では早々に首を刎ねられて終わりだ。そもそも人間どもの間では、ユランは十年前に死んだことになっているはずであり……。
「……冗談ではない……」
人間も、魔族も、知れば知るほどに嫌になる。
左手に黒妖精をつかみ、右手で右肩に巨大な魔剣ドライグをのせて、ぽかんとしている魔族たちの前を行き来しながら考える。
苛立っていた。
ユランは死を恐れているのではない。苛立っていたのだ。死の覚悟など、眠りの期間を抜いても十三年前にはすでに済ませた。実質、二十三年前だ。
では、何に苛立っているのか。
この身、イルクレアの肉体を壊されてしまうことが不快なのだ。
ああ、そうとも。それは実に不快だ。
愚かだった頃の己を勇者だ英雄だと散々はやし立て、駒のごとく使い潰した人間たちに、イルクレア・レギド・ニーズヘッグの――己が惚れた魔王の身まで壊されることは、不快以外の何者でもない。
イルクレアを殺してよいのは、このおれだけだ。おれの命を捧げてよいのも、イルクレアだけだ。他の誰にも渡さない。
己の魂がこの肉体を手放すときは、イルクレアの魂が見つかり、明け渡すときのみ。
徹底抗戦だ――!
だが、己ですら到達し得なかった“勇者”なる存在が、今ニーズヘッグ城に侵入している。対して魔軍の魔将軍はラミュ・ナーガラージャただ一人。老兵ユランにさえ恐れをなし、隠れていたラミュだけだ。勇者なぞを相手に互角以上に戦えるわけもない。
謁見の間に集う魔族どもは、そろいもそろってぽんこつ。こんなやつらでもイルクレアの肉体を無事に置いておくためには守ってやらねばならない。いや、いやいや、身を挺して守るのは本末転倒だ。
思考は同じ場所をぐるぐる回る。
「……くッ、ああもう! もういい! 糞っ!」
考えることは嫌いだった。その点、剣はシンプルでいい。斬れば殺せるし、斬られれば死ぬ。それだけだ。そして、結局己はそれに頼る生き方しかできない。
幼い怒声を張り上げる。
「おい貴様ら!」
どよめいていた魔族どもが、一斉にこちらに視線を向けた。
「どこでもいい。身を隠していろ。役立たずは目障りだ」
「……世界蛇の体内ならば魔法使いの魔力探知にもかかりません」
見れば足もとに転がっていたラミュが、重く深いため息をつきながら上体を起こしていた。
寝起きの姿が妙に艶っぽいのが、かえって腹立たしい。
「丸呑みさせて土の中に潜っていれば、うまくすればやり過ごせるでしょう」
「そんなことができるのか?」
「世界蛇の体内は異空間と繋がっているのです。口から入れる大きさでしたら、どんなものでも隠せます」
ラミュが立ち上がり、包帯のような痴女服で口もとに垂れたよだれを拭い取る。
「隠蔽効果は抜群です。なにせ、ユランが魔将軍を発見できなかったくらいですからね」
「そうなのか?」
「え? 魔力探知、したのですよね? 十年前……」
魔力探知は初歩の魔法で、一般の騎士であっても使用者は少なくない――のだが。
「……できん……」
「え?」
「おれにはできんと言った! 魔法なぞわけのわからんものが使えるか!」
ユランが赤面しながら仏頂面で吐き捨てると、ラミュが同情と嘲笑と半笑いを織り交ぜたなんともいえない味のある表情をした。
「魔力探知は初歩の初歩ですよ? 今日日、騎士どころか傭兵であっても使えますのに? 単細胞生物のスライムにだって――」
「――し、しつこいぞ貴様!」
幼女、顔面大発火で涙目になる。
「はあ。まあとにかく、魔力探知には引っかかりません」
「よかろう。ならば世界蛇よ、可能な限りの魔族を呑め。――急げよ!」
言うや否や、世界蛇が大きく口を開けた。
部屋の隅でちょこんと控えていたラスを含む非戦闘員を皮切りに、ゴブリン族や妖精族、小型の魔族どもがわちゃわちゃとその中へ駆け込んでゆく。あれだけ鼻息荒くしていたミケゴイルも、ごりごりと音を立てながら。
一度ため息をついてから、ユランは左手の中の黒妖精を世界蛇の口内へと投げ入れる。
「貴様も行け。邪魔だ」
「う~わぁ~、なぁげられたぁ~…………」
羽ばたき虚しく、黒妖精は巨大な口へと吸い込まれてゆく。
「まったく。緊張感のない声を出しおって。貴様のアホさ加減が招いた事態だぞ」
「あら、お優しい。てっきり罰として残すものとばかり思っていました。どうせ見えるものも少ないので、放っておいても生き残るとは思いますが」
ラミュを一瞥し、ユランは吐き捨てる。
「何をしている。貴様も消えろ、ラミュ。目障りだ。老兵ユランごときに恐れをなした魔将軍など使えたものではない」
世界蛇の口の大きさから、トロール以上の体躯を持つものは不可能だ。
巨人三体、トロール二体、ミノタウロス四体は絶望的だ。世界蛇の顎を外しても詰め込めそうにない。厳つい筋骨と角を持つ、藁パンツ一丁のブッサイクなオーガの体躯でぎりぎりだろう。
「トロロン」
「んー?」
「貴様はもう一体のトロールを連れて居館最上階へ……いや、塔の最上階に隠れていろ」
己には区別のつかない二体のトロールが、何やらごそごそと話し込んでいる。しばらくすると、一体のトロールがこちらを向いて大きな口を開けた。
「ぼくもお手伝いするよ~。こう見えて、力はいっぱいあるからねぇ~」
「いらん。邪魔だ」
もそもそとした動きはもちろんのこと、話し方からして愚鈍。毛むくじゃらの全身に包まれているのは贅肉だろう。
「だ~いじょうぶだ~」
トロロンが充血した凶暴な目で、上体を左右にゆっくりと振った。
どうも機嫌のよいときにする仕草らしい。
「自分の子供くらいは、自分で守るからねぇ~」
思わずもう一体のトロールに視線を向けると、そいつはやはり贅肉を体毛で包んだような肉体を左右に揺らしながら、トロロンよりも大きく出っ張った腹をさすっていた。
「子供?」
「うんー。十年前、イルクレア様が眠っちゃう前に、作れ作れ~って言ってたからぁ~。毎晩ばっこんばっこんがんばったんだぁ」
「そう……か……。生々しいな、貴様……」
胸がざわつく。否、微かに痛んだ。
当然のように、魔族にだって家族もいれば暮らしもある。かつてはそんなことは考えもせず、トロール族もずいぶんと殺した。
頭を振って罪悪感を払い、ユランは告げる。
「ならば余計についててやれ。二度は言わん。逆らうなら好きなところで討ち死にしろ」
他に言うことなどないとばかりに、ユランは視線を巨人へと向けた。
「巨人どもはトロールの奥方を匿う塔の入口に立っていろ。ミノタウロスどももだ。人間が来たら殺せ。一人たりとも通すんじゃないぞ」
喋れないのか、巨人が重い動作でうなずいた。三体の巨人はトロールの奥方を引き連れて、謁見の間を後にする。
エントランスの扉――城内門が激しく叩かれ始めたのは、その瞬間からだ。
もう時間がない。
ユランが舌打ちをした。
「ラミュ」
「なんですか?」
「つがいのいないやつらは滅ぶしかないのか?」
「そうなりますね。ですが、同族に近い魔物や動物がいれば、子をなすことはできます。わたしですと世界蛇でも人間でも大丈夫です。イルクレア様でしたら、まあ人間でしょうね。捕まって乱暴でもされてみます?」
「冗談は――」
「――嫌いですよね。知ってますよ。よぉ~く」
魔族の雌を乱暴する。貴族や上級騎士らのお遊びや、ならず者の傭兵どもの間では珍しくもない話だ。ましてや、そういったことを嫌うカナン王が代替わりしたとなれば、虐殺にしろ陵辱にしろ、さぞや歯止めも利かずに増えたことだろう。
この世界はもう、むちゃくちゃだな……。
己にしてみれば、何が哀しくて魔族なんぞを抱かねばならんのかと思うものだが。いいや、今では抱かれるほうの立場ではあるけれど。
ぞっとする。
己は男だ。身なりはこんなでも。ましてやイルクレアの肉体を穢されるなど、死ぬより不快な扱いだ。己は彼女の肉体を護るためだけに生きているのだから。
「ラミュ。先ほども言ったが、貴様はもういいぞ。世界蛇の中へ入っていろ」
ユランが片足ずつ屈伸で伸ばしながら、ぼそりと呟くと、ラミュが少し困ったような表情で唇を尖らせた。
「あなたは入らないので?」
言われてから気づく。そういう選択肢もあったのだと。
だが――。
「おれはもう二度と逃げん」
「魔族のため?」
「勘違いするなよ、ラミュ。おれはおれ自身の過去を清算したいだけだ」
「過去から逃げない、ということかしら?」
「ふん……」
仲間を見捨てた日から、息をすることがつらくなった。眠れなくなった。己の肉体を掻き毟った。苛立ち、壁で額を何度も潰した。
魔族は仲間ではない。こんなやつらが滅ぼうが知ったことか。
己に言い聞かす。わかっている。そんなことは。
ラミュは踏み込む。
「本当にそれでいいのですか? これより先に進めば戻れませんよ」
人間に、という言葉を抜いたのは、この場に残ったトロロンを気にしてのことか。
「くどい。今さらだ。そもそも、おれがやめたいと言っても貴様がそれをゆるさんだろう」
「まあ、そうですけど……」
ラミュが少し迷う素振りを見せてから、己の腰に巻いていた蛇腹のベルトを引っ張った。
無数の蛇の鱗を一本の金属糸で繋げたその武器は、ラミュが腕を振るたびにまるで鞭のようにしなりながら伸び、腕を掲げると縮んで一振りの剣となった。
「仕方がありませんね」
ナーガ一族が扱う伸縮自在の連接剣だ。連接剣が厄介なのは、その攻撃を受け止めることができないという特徴を持っている部分だ。仮に受け止めたとしても、伸び、曲がり、切っ先は敵を断つ。威力こそ低いものの、非常にやりにくい相手だ。
むろん、敵ならば、の話だが。
「お付き合いしましょう」
「ふん、忠告はした。おれは貴様を助けんぞ」
ラミュが蠱惑的な笑みを浮かべ、唇を動かす。
「あら、残念。わたくしは身を挺してあなたを護りますのに」
その言葉に、ユランは舌打ちをして顔をしかめた。
魔族風情が、小生意気にも己の背中を守らせろと抜かすか。そういう類は、迷惑千万以外の何者でもない。
口を開けかけた瞬間、大きな音が鳴り響く。
「正門まで破られましたね。世界蛇、お行きなさい」
ラミュがそう告げると、世界蛇は身をくねらせ、謁見の間の石床を頭突きで突き破って大地を激しく震動させながら、土中へと潜っていった。
「あ~あ、床に穴が空いてるからぁ、脱出したの、すぐにばれちゃうねぇ」
トロロンがのんきに呟く。
「致し方ありません。ですが追われたとしても、地中での追撃戦となれば、世界蛇はそう簡単には捕まえられないでしょう」
石床を叩く軍靴の音が徐々に大きくなってきている。
敵の数は不明。未だ世界蛇に避難していないのはラミュとトロロンと己のみ。戦況としては申し分ないほどの絶望だ。
そんなことを冷静に分析しながらも、ユランは戦場の懐かしい感覚に、どこかわき上がる気分で魔剣ドライグの柄を両手でつかみ直していた。
魔力を通せば、ドライグは炎となってそれにこたえる。
以前の己に比べ、目線は遙か下。腕は細く、足でつかむ大地も頼りない。ルビー・レッドの長い頭髪は動くたびに鬱陶しく視線を遮るし、肉体強度に至っては見る影もない。
それでも、高揚する。
高揚するのだ。老いたる戦士の魂が。かつては勇者や英雄を夢見、今は魔王となってしまった魂が。
沸き立つのだ、抑えようもないほどに。魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグの中を流れる、熱い血潮が。
老兵の魂と、若き魔王の肉体が、想いを一つに重なる。
「さて、始めようか、人間ども――」
――第二次人魔戦争の開戦だ!
幼女、凶悪な笑みを浮かべる。
トロロンはもうあきらかに子供の頃にだけ見える例のアレ。