第7話 透剣と黒剣
勢いに任せてアスラとの決闘を受けてしまったものの、ソウの心は不安と恐怖に満ちていた。
それでも国を守る為戦わなくてはならない。
「正直、普通に戦ってお前が俺に勝てるとはとても思えない。それは面白くないからな。俺の力を制限してやろう」
「制限……。ハンデをつけるっていうこと? 」
「そうだ。これで少しは戦えるだろう。少年は俺に傷を付けられるのなら、どんな手を使ってもいいぞ」
舐められている。
悔しいが、アスラの言う通りハンデなしではまともに戦うことが出来ないだろう。
それほどの実力差がある。
「少年、お前の守護石は何に変化するのだ? 」
「剣、だけど……」
「剣か……。俺が一番得意とするのは魔晶術だ。だが今は魔晶術を使うことをやめ、少年と同じ剣で戦うことにしよう。場所はここ、玉座の間でいいな? 」
シフォにここで戦ってもいいか、と視線を送り確認をする。
目が合うと彼女はまず周りの騎士達を遠ざけ、こくりと頷いた。
「お願い……どうか、ぼくに力を貸して……! 」
守護石に祈ると、それは光と共に透明な剣へと形を成していき、ソウの手に握られる。
どこまでも透き通るような美しさを持つその剣を、今まさに戦おうとしている相手へと構える。
「剣を使うのは数年ぶりだな……。腕が鈍っているかもしれないな」
対するアスラの守護石は、夜闇のような黒いオーラを纏い剣へと形を成していく。
例えるならばそれは――
「漆黒の……剣」
先程出現させた結晶のような、どこまでも黒い漆黒の剣。
不透明なその刃は、ソウの持つ透明な剣とはまさに真逆といえる。
「あれはオニキス……。闇の属性を持つ、強力な守護石です」
シフォがアスラの持つ守護石について呟く。
オニキスの刃はギラリと不気味に光り、全てを斬り刻んでしまいそうな鋭さを感じた。
「少年、お前から先に来てもいいぞ。待っているからな」
アスラは剣を構えもせず、腕を大きく広げてソウの少し先に立つ。
完全に舐められている。
正直苛立ちを感じるが、掠り傷一つ付けることが出来ればいい。
深呼吸をして、飛び出した。
「――はぁっ! 」
「正面から挑むか、なかなか度胸があるな」
ソウの振り下ろした剣はキン、と甲高い音を立てて黒い剣に受け止められる。
手合わせの時のエヴァンの動きを思い出しながら、三秒ほど剣を合わせた後瞬時に懐へと潜り込み斬りかかる。
「甘いな」
斬撃はまたも黒い刃に受けられてしまい、薙ぎ払うようにしてアスラから引き離された。
「その程度か? 」
「まだ始まったばかりだよ! 」
剣に光を纏わせて再びアスラへと駆け出し、振り下ろす。
属性の効果もあり斬撃を繰り出す速度も上がっているが、彼は表情一つ変えず、一歩も足を動かさず、ソウの斬撃を全て受け流した。
「そんな、剣を使うのは数年ぶりなんじゃ……!? 」
「数年ぶりとはいえ、不得手なわけではない。魔晶術よりは劣るがな」
これでも手加減したつもりらしい。
彼が魔晶術を使ったら、一体どれだけ強力なのだろうか。
想像するだけで体が震える。
「次は俺の番だ」
気が付けば、アスラはソウの目の前に迫っていた。
今すぐ剣で突けば、胸を貫けるほどの距離。
しかしソウには、それが出来なかった。
「っ……」
「どうした、掠り傷とはいわず俺を殺すつもりでいても良いのだぞ? 」
思わず躊躇ってしまい、突き刺すべき剣を引いてしまう。
その隙をついて、アスラはソウの喉元に剣先を向ける。
「ひッ……! 」
「ここで俺が剣を止めていなければ、お前は死んでいた。一瞬の躊躇いが命取りになるぞ」
全身から血の気が引いていく。
嫌な汗が溢れて流れる。
アスラの言葉に何も言い返すことが出来ず、俯いた。
「死ぬのは怖いか? 人を殺すのは怖いか? 少年」
喉元に剣先を向けたまま、アスラは淡々と問う。
ソウは自分の無力さに対する悔しさと、彼に対する恐怖心を堪えながら振り絞るような声で答える。
「怖いよ……。死ぬのも、生きて人を殺すのも。でもぼくは、元いた世界……君の言う異界にいた頃は、死ぬのを怖いと思っていなかった。むしろ、死にたいと思っていたんだ」
ほう、と興味深そうに目を細めるアスラ。
――でも。
言葉を続け、顔を上げたソウの瞳に宿る光はまだ消えていない。
「この世界に来て、シフォに出会って、生きたいと思ってしまったから……死ぬのが怖くなったんだ! 」
玉座の間全体に音を響かせて、喉元に向けられた剣を振り払う。
「殺さなければ、自分が殺される。敵国を潰さなければ、こちらの国が潰される。それがこの世界だ」
自分を、国を守りたければ殺すつもりでかかってこい。
アスラの表情から徐々に笑みが消えていく。
人を殺すのは怖いし、出来る気がしない。
それでも必死に戦わなくては。
ぼくを、国を守る為に。
「やあっ!! 」
「まだ、躊躇しているようだな」
全力の斬撃も虚しく、全て黒い刃に遮られる。
剣の一振りでソウは飛ばされ、玉座の間の床に強く体を打ちつけた。
声にならないような、掠れた叫びを上げる。
痛い。痛い痛い痛い。
いじめられた時に受けた暴力より、何倍も。
「ちょっとやりすぎじゃないの? アスラ様。まだボウヤなんだから可哀想よ」
「子供相手に……。大人気ないですよ」
黒髪の妖艶な美女は、床に蹲るソウを見てくすくすと笑う。
対して白髪の清楚な美女は、アスラに氷のように冷ややかな視線を送っている。
「手加減しているつもりなのだが……。所詮その程度だということだな。異界の少年――期待外れだったな」
アスラは見下ろして低く、冷たく言い放つ。
このまま、掠り傷一つ付けられないまま負けるのか?
シフォを、国を救えないまま終わるのか?
終わりたくない、終わらせない。
――そうだ、
最後の力を振り絞り、ソウは拳を突き出した。
しかしその拳は、アスラに届く寸前で腕を掴まれ止められてしまう。
疲弊した身体はもう一歩も動けない。
「悪足掻きか。まぁ、最後まで抗い続けたことは褒めてやらなくも――」
開かれた掌から、透明な結晶が生成されるのを見て金と緑の双眸を見開く。
――途端、小さな結晶がアスラの頬を掠めた。
「掠り傷……一つ……、つけた……ッ」
アスラの頬につう、と血が伝う。
彼は双眸を見開いたまま硬直している。
玉座の間は静寂に包まれ、聞こえるのはソウの荒い呼吸のみ。
息も絶え絶えで、立っているのもやっとなほどだ。
「僕が教えた魔晶術だ……! ソウ……早速実戦に使うなんてやるじゃないか! 」
「よくやったぞ! 」
ライモンドやエヴァンの声が聞こえる。
しかし、その声は段々と遠くなっていく。
限界を迎えたソウは、その場に崩れ落ちるように倒れた。
「ソウ……! 」
「ねぇ……っ、これで……いいんでしょ……? 」
シフォが駆け寄り、ソウの上体を起こす。
まさか本当に傷を付けることが出来るとは。
自分でも信じられなかったが、この強欲な皇帝が簡単に約束を守るとも思えなかった。
「ふ……はは、ははははは!! 」
「ひっ……!? 」
アスラは城の天井を見上げ、玉座の間に響き渡るほどの声で突然高笑いをする。
「……異界の少年。いや、ソウ。お前は面白い奴だな。俺は美しい女の次に面白い奴が大好きだからな。約束通り、リュミエールと世界の鍵からは手を引いてやろう。……今は、な」
わっ、と玉座の間が歓喜の声に溢れる。
「ソウ……よく頑張りましたね」
「良かった……。これで少しの間、リュミエールに平穏が戻るんだね」
「ああ……! 本当によくやってくれた! 」
シフォに続き、エヴァン達がソウへと駆け寄る。
「平穏といってもそれは束の間の平穏だ。……半年後、両国万全の状態で戦おう」
「半年後……」
「次に戦う時はこちらも手加減はしない。――本気でこの国を潰すつもりだ」
アスラの貫かれそうなほど鋭い眼光に、思わず息を呑む。
「また会えるのを楽しみにしているぞ。……行くぞサフラン、ダリア」
「はい」
「あら、もう帰るの?まぁ楽しかったからいいわ」
サフランと呼ばれた白髪の美女と、ダリアと呼ばれた黒髪の美女は、彼の三歩後ろを歩くように去っていった。
「ソウ、大人しくしていてください」
シフォは杖を向けて、ソウの傷を癒す。
完全には回復しなかったものの痛みは和らぎ、体を動かせる程度には楽になった。
「あの……」
「どうしたの? 」
「アスラに国か鍵か選べと言われた時、私は何も返すことが出来ませんでした。それに……傷付くあなたをただ見ていることしか出来ませんでした」
この国の王女であるのに、あなたに頼ってばかりで何も返せていない。
俯いて、もどかしそうに話す。
「……そんなこと、ないよ。シフォはぼくに生きる希望を与えてくれた。リュミエールのような優しい国があることを教えてくれた。そして、その国を支えているのは君だ」
「ソウ……」
まだ出会って間もないけど、シフォからはたくさんの希望を与えられた。
それだけで十分すぎるぐらいなのに。
むしろ恩を返すのはこちらの方だ。
「ぼくはこの国と、それを支える君を守りたくて戦ったんだ。今だって、傷を癒してくれた。何も返せてないわけがないよ」
「……ありがとうございます」
シフォは俯いていた顔を上げ、胸に手を添える。
「私はまだ未熟です。それでも……王女として出来る限りのことをしたいのです。今度こそ、導かれし者達を探す旅に出ましょう。……ついてきて、くれますか? 」
彼女はどこか不安そうに、ソウとジェードに微笑む。
答えは既に決まっているとばかりに二人は大きく頷いた。
「うん、もちろんだよ」
「当然です。姫様の為ならこの私、例え火の中水の中。茨の道や吹雪の中にだって参りましょう」
「ふふ……。二人共頼もしいですね。それでは旅の仕度をして、明日に出発しましょう」
翌朝。
仕度を終えたソウ達は、城下町の入口である巨大な門の前に立つ。
周りには大勢の国民や騎士達が集まり、旅立ちを見送る。
「私達は導かれし者を探す旅に出る。しばらくの間、お前達が国を守っていてくれ」
「団長がいなくとも、我々騎士団がリュミエールを守ってみせます! 」
「頼んだぞ」
エヴァンを始めに、騎士達の瞳はやる気に満ちていた。
「お前が帰ってくる頃には、オレ達もっと強い騎士になってるから! 楽しみに待ってろよ? 」
「気を付けてね」
「ウルソン、ライモンド……」
「ソウ! 」
ポン、と肩を叩かれて振り返ると、ウルソンやライモンドと同じく見送りに来たエヴァン。
「俺達はもっと強くなる。そして、お前ももっと強くなって戻ってこい! 導かれし者達と共にな」
「エヴァン……。うん。ぼくも君達も、もっと強い騎士になってまた会おう! 」
二人は握手をして別れる。
ジェードが門番の兵士に合図を送ると、巨大な門がゆっくりと開かれていく。
「きっと、導かれし者達はリュミエールを守る力となってくれるでしょう。……それでは、行って参ります」
「行ってらっしゃいませ! 」
「どうかお気をつけて……! 」
「王女達に、神のご加護があらんことを」
馬車に乗ると同時に、響き渡る国民の声。
門から差し込む日の光に眩しさを感じながら、馬車はゆっくりと走り出す。
――門を抜けた先は、もう幾度となく目にしたどこまでも広い草原。
爽やかな風が、草原を撫でるように優しく吹き渡る。
空は、彼の髪の色を映したように青く澄んでいた。