第16話 少年と少女
娯楽に溢れた賑やかな街で、純白の衣装を身に纏い身分を隠した王女と歩く。
まるで幼い頃に両親が見ていた映画の一場面のようで、ソウは胸を弾ませていた。
「ソウ、一緒に食べませんか? 」
くい、と袖を引かれてシフォが指差すものを見る。
それはジェラートの屋台で、辺りに甘い香りを漂わせていた。
「いいの? 」
「ジェードから少しお金を頂いたので……。人混みの中を歩いて疲れたでしょう? 」
頷くと、シフォは屋台に駆け寄っていき店主の男性に二人分の代金を渡す。
鮮やかな黄色と赤のジェラートを両手に持って微笑むシフォ。
「おすすめはレモンと苺を使ったジェラートだそうです。どちらが良いですか? 」
「じゃあ、レモンで」
正直どちらでも良かったが、シフォにはなんとなく苺が似合う。
ジェラートを一口舐めるとひやりとした感覚が舌を走り、果物特有の爽やかですっきりとした酸味が口いっぱいに広がった。
「美味しい……! こんなの初めて食べたかも」
「私も屋台でジェラートを食べるのは初めてです。美味しいですね」
二人でジェラートを味わっていると、店主の中年男性が豪快に笑う。
「お嬢ちゃん達、デートか? いやぁ~若いっていいもんだなぁ! 」
「デっ……!? そ、そんなんじゃないです!! 」
全身がみるみる赤くなって、熱くなる。
デートとは?と訊ねるシフォの無垢な瞳がより自分の熱を上げていく。
火照った身体を冷ますように、俯いてジェラートを舐め続けた。
「どうしてユリア達は食糧の買い出しなんですか!? ユリアも屋台で美味しいものを食べたりお洋服のお店を見て回りたいですー!! 」
「おい……」
食糧の買い出しを終え、大きな紙袋を抱えて歩くジェード、ユリア、カルロの三人。
ロッソでホレスから貰った金を少し削り食糧などを買い溜めしてもまだまだ金銭には余裕がある。
市場に来た時から不服そうに唸っていたが、ついに不満が爆発したユリアはヴィオラの空に向かって声高々に叫ぶ。
黙ってろ、と言わんばかりの視線を彼女に送るカルロを背にジェードは足を止めた。
いよいよ雷が落ちる。
二人は息を呑み、顔面蒼白で落雷に備えた。
「……姫様は王と王妃が亡くなられてから、ずっとお一人で国を支えられていた。それにソウも、この世界に来てからずっと戦い続けている」
耳に届いたのが怒りを含んだ声ではなく、ホッと安堵する二人。
しかしある言葉が引っ掛かり同じく足を止めるカルロ。
「この世界に来てからって……」
「ああ、まだカルロには話していなかったか。ソウはダイヤモンドの守護石によってロクワルドに導かれた者で、元は異界の人間なのだ」
「……そうだったのか」
彼はソウに思うところがあるのか、目を伏せて紙袋の中の野菜に視線を落とす。
「姫様もソウも、年相応に過ごす余裕はここに来るまでほとんどなかったのだ。……少しぐらい、二人を自由にさせてくれないか」
「……そう、ですね。すみませんでした」
二人はまだ少年と少女なのだから。
そう語るジェードの表情はどこか寂しそうで、胸が締めつけられる。
ユリアは一度深呼吸をすると、紙袋を持ち直して顔を上げた。
「さぁ、お二人がヴィオラを楽しんでいる間に食糧も水も薬の材料もどんどん運びますよ! 」
「なんだよ急にやる気出して……。つーか今しれっと薬の材料って言ったよな? 」
何のことですか?ととぼけたように笑い、半目で見るカルロの荷物に薬の材料が入った袋を次々と積んでいく。
「ほらほらカルロさん、もっと運んでくださいよ! 力仕事は男性の役目でしょう? 」
「十分運んでるだろ! あとこれお前の私物だろお前が運べ! 」
「仕方ないですね~」
「ふっ……」
二人の言い争いを遮るようにジェードが小さく笑う。
「笑った……」
「笑いましたね……」
生真面目な彼が不意に見せた微笑。
初めて見る表情に二人は驚き、言い争いも忘れて目を丸くしていた。
街の賑やかさは静まることなく、道を歩くだけで楽しい気分にさせてくれる。
雑貨の店、装飾品の店、見たこともないような花を売っている店……。
色々な店に立ち寄ったが、どこも素敵な場所だった。
「こうして街を歩いてると……この世界に来たばかりの頃にリュミエールの城下町を二人で見たことを思い出すよ」
「私も今まさに同じことを考えていました。今となっては少し懐かしい思い出ですね」
シフォと顔を見合わせて笑う。
あの時と同じぐらい……いや、それ以上に今がとても楽しい。
しばらく歩いていると、ある場所を囲うように人集りができていることに気付く。
それは紫色の大きな天幕だった。
「ここはなんの店なのかな? 」
「確か……ユリアが言っていた“踊り子の舞台”の天幕だと思います。せっかくなので、観に行きませんか? 」
シフォは懐中時計を取り出してまだ時間に余裕があることを確認する。
人集りに混ざって天幕に入っていくと、中に広がっていたのは異国情緒溢れるアラビア風の空間。踊り子達は遠い砂漠の国からヴィオラへやって来たと紹介されている。
紫色をした魔宝石のランプが神秘的な雰囲気を醸し出していた。
集まっていた人々が天幕に全て入ると、舞台上に艶やかな衣装を身に纏った踊り子が現れて一礼する。
そして舞を踊り始めた。
「わぁ……」
思わず感嘆の声を漏らす。
たおやかで優美、それでいて大胆で情熱的。
今この場にいる全ての人が、彼女の踊りに魅了されていることだろう。
見物客は老若男女様々だが、比較的男性が多い。
踊りだけではなく、色気溢れる踊り子が目当てで来ている人もいるのだろうか。
ふと、シフォの様子が気になって隣をちらりと見る。彼女も自分と同じように踊りに目を奪われていた。
――もし、あの踊り子の衣装をシフォが着たらどんな感じになるのだろう?
そんな考えが脳内によぎる。
「っ……!! 」
一瞬だけ想像してしまった踊り子シフォの幻想を、掻き消すようにぶんぶんと頭を振る。
「どうかしましたか? 」
「いや! なんでもないよ! 」
「そうですか……? 」
……何を考えているんだろう。
「やっと、やっと終わりました……」
「俺達休息の為にここに来たんだよな? なんか来る前より疲れた気がするぜ……」
馬車に食糧などを全て積み終わったユリアとカルロはぐったりして項垂れる。
「二人ともご苦労だった。これだけの備蓄があれば、しばらく街に寄れなくとも問題ないだろう」
疲れ果てた表情の二人。
そんな二人を見て、ジェードは報酬といっては何だが……と言葉を続ける。
「お前達も街を見てきても良いぞ」
「「……へ? 」」
思いがけない言葉にユリアとカルロは瞬きを繰り返す。
「日没まであと僅かしか時間はないが……」
「ありがとうございます!! ありがとうございます!! 」
ジェードを拝む勢いで喜ぶユリアに対して、カルロは少し申し訳なさそうに彼を見る。
「騎士サマは行かないのか? 」
「ジェードでいい。私はヴィオラのような賑やかな場所は得意ではない。……それに」
ジェードが振り向くと、馬はまるで意思が通じ合っているかのように歩み寄って隣に並ぶ。
「いつも馬車を引いてくれるこいつに寂しい思いをさせたくないのでな」
労ってやりたいのだ、と彼は馬の鬣を優しく撫でる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて! 行きましょうカルロさん」
「なんでお前と一緒なんだよ」
「うら若き乙女が街で一人なんて色々と危ないじゃないですか! 不本意ですが一緒に行きましょう? 」
「うら若き乙女って……」
溜息混じりに呟いたカルロの腕を引いて、ユリアはうきうきとした様子で歩いていく。
「……あの二人も、私から見ればまだまだ子供だな」
街へと向かう二人の背中を見送りながら、生真面目な騎士は呟いた。
「今日は本当に楽しかったですね」
「うん。良い気分転換になったよ」
日が暮れ始め、魔宝石のランプが淡く街を照らし出す。
踊り子の舞台を観劇し終えたソウとシフォは、ジェードが待つ馬車の方へと歩いていた。
「踊り子さんの踊りも衣装も、とても綺麗で……。思わず見惚れてしまいました」
「そ、そうだね……」
踊り子の話をされると、またあの幻想を思い出しそうになって視線を彷徨わせる。
ふと、ある場所が目に留まった。
それはヴィオラに来て人々の波を潜り抜けてから一休みした広場で、噴水の縁には茶髪の三つ編みを黄色のリボンで飾る女性と帽子を被った赤髪の青年が座っている。
シフォと一緒に噴水まで近付いてみると、見覚えのある二人はやはりユリアとカルロだった。
「ユリア、カルロ。こんな所でどうしたのですか? 」
「あ、シフォ王女とソウくん! ジェードさんから許可を貰って、ユリア達もさっきまで街を見ていたんです」
楽しかったですか?と聞かれ、頷く。
同じ質問をユリア達に返すと、二人は何とも言えないような微妙な顔を作る。
「カルロさんったら服にも花にも興味がなくて本当につまらないんですよ! 」
「悪かったな」
「おまけにジェラート屋さんでは恋人に間違えられるし! 」
「お前がくっついてるからだろ……」
あのジェラート屋に二人も行ったのだろうか。
華やかな街で独り身だと思われるのは恥ずかしいから仕方なくだとか、イザーク様とここに来れたら幸せだったとか、文句を垂れるユリアと苛立っていくカルロ。
今にも喧嘩を始めそうな二人を宥めていると、辺りがすっかり暗くなっていることに気付く。
懐中時計を見る。時計の針はジェードが目安としていた時間に差し迫ろうとしていた。
シフォの顔から血の気が引いていく。
「……皆さん、間もなく日没ですよ」
いがみ合っていたユリア、カルロと、それを宥めていたソウは時間が止まったように硬直する。
「……え」
「……喧嘩なんかしてる場合じゃないです! 」
「走れ!! 」
四人は全速力で約束の場所へと走る。
笑える状況ではないはずなのに、互いの必死な顔を見たら何故だか可笑しくなってきて笑う。
――忙しくも楽しげな靴音を響かせて、少年少女達は夜の街を駆けた。
「……随分楽しんでいたようですね。姫様……と、ソウ達」
「も、申し訳ありません……」
硬い表情で馬車の傍に立つジェード。
結局約束の時間より少し遅れてしまい、頭を下げるシフォと震える三人。
「……まぁ、何事もなかったようで安心しました。もう少し帰りが遅ければ探しに行っていましたから」
ジェードは安堵の溜息をつくと馬車を引いてゆっくりと歩き始める。
その後にソウ達も続き、やがて夜の街の中に建つ大きな建物が見えてくる。
緑の屋根瓦が特徴的なその建物は、窓から漏れる灯りと相まって多くの人々を受け入れてくれるような暖かさを感じた。
「ここが酒場“ネフライト”。……私の家でもある場所だ」