第15話 娯楽都市ヴィオラ
森を越え、川を越え、草原を越え。馬車は次の目的地へと車輪を回す。
しかし未だトパーズとアクアマリンに導かれし者の反応はなく、一行の疲労も溜まりつつあった。
「疲れた……」
「守護石の反応もありませんし、このところずっと歩き続けていますからね。そういえばジェード、確かこの先はヴィオラでしたよね」
「そうですが……。しかし……」
シフォに呼び掛けられたジェードは柄にもなく曖昧な言葉を返す。
「ヴィオラは娯楽都市と呼ばれるほど娯楽に溢れた大きな街ですし、食糧の補充や休息にはうってつけです。それに……ジェードのご家族にも久々にお会いしたいです」
「ああ……。やはりこうなるのですか……」
シフォに比べて彼は乗り気ではない様子で、手綱を力なく握りながら項垂れる。
ジェードの家族、と聞いてソウは以前ライモンドが話していた“怪我の療養でジェードの家にいる騎士団の副団長”の話を思い出していた。
「ジェードさんのご家族? 」
「……私の妻が経営する酒場がヴィオラにあるのだ」
「へぇ~……え!? つ、妻ですか!? 」
ジェードの話に耳を傾けていたユリアは、妻という言葉に目を見開いて吃驚する。
「そんなに驚くようなことだろうか……? 」
「結婚してたんだな……」
「結婚してたんだね……」
「失礼な。指輪も肌身離さず着けている」
ジェードは手袋を外して照れくさそうに左手を見せる。
薬指には淡い翠の宝石をあしらった美しい指輪がきらめいていた。
「ちなみにお前達ぐらいの息子もいる」
「「えー!? 」」
「いちいち驚くな」
自分達ぐらいの息子がいる、と聞いて驚愕するユリアとカルロ。ソウも失礼とわかっていながら彼の意外な一面に、二人と共に驚いた。
「ヴィオラといえば、服でも食べ物でも上質なものが揃ってますし踊り子さんの舞台もありますからね! そんな所で暮らしているなんて羨ましいです」
「誰もが憧れる街だよな。行ったことねーけど」
「ですよね~。行ったことありませんが」
「……」
皆を連れて家族と会うのが恥ずかしいというジェードをなんとか言いくるめ、ヴィオラに足を踏み入れる。
話には聞いていたがとにかく人が多すぎる。
行き交う人々の波を潜り抜けて、大きな噴水が目印になる広場で一息ついた。
「ロッソとは比べ物にならねーぐらいの人の多さだな……。目眩がしてくるぜ」
「ユリア、もうくたくたです……」
「ぼくも……」
あまりの人の多さで、特に人混みに慣れていないソウと村出身の二人は心底疲れた顔をして項垂れていた。
そんな三人をよそに、何かに気付いたジェードは咄嗟にシフォの頭を布で覆う。
「しまった、私としたことが……」
「どうしたの? 」
「私と姫様は何度かここに来たことがあるが、いずれも外交の時だ。何の知らせもなく王族がここにいたら不自然だろう」
気が付けば広場の前を通る人々が遠巻きにこちらを見ている。
喧騒の中耳を澄ますと、彼らはシフォ王女……?や、なぜここに?などソウ達というよりはシフォのことを気にしている様子だった。
ロッソは小さな街故に気にする者は少なかったが、ヴィオラ程の大きな都市となると王族は気軽に街を歩けないようだ。
「でしたら、変装はどうでしょうか? このままでは騒ぎになってしまいます」
「やむを得ないですね……」
布を被ったシフォを連れて足早に向かったのは洋服の店。急遽ここで変装用の服を購入することになった。
女性や若者が多いこの店では自分はかえって目立ってしまうと躊躇うジェードの代わりに、シフォはソウを連れて服屋の中に入る。
「どれも素敵ですね。迷ってしまいます……」
「ねぇシフォ、どうしてぼくを連れてきたの? こういう所ならユリアの方がいいんじゃ……」
周りの客を見るとやはり女性や恋人同士の若者ばかりで、ジェードやカルロほどではないがかなり居心地の悪さを感じる。
シフォも変装が目的の割には楽しげに店を見ており、彼女が自分と同年代の少女であることを思い出す。
ソウは正直服よりも、一つ一つ服を手に取って微笑むシフォの可愛らしさに目を奪われていた。
「ユリアは自分が服を見ていたら遅くなってしまうから、と言っていました。それに何故かソウと入ることを強く勧めていましたね……? 」
「ぼくなんかがこんな所に来てもなんの役にも立たないのに……」
女の人は服を見るのが好きだ。きっとユリアもそうだろう。
なのにそれを差し置いてまでなぜ自分を?
彼女の考えていることはよくわからない。
「ソウ、どうでしょうか? 」
そんなことをぼんやりと考えている間に、目の前にいたはずのシフォが消えていた。
背後から聞こえた彼女の声に振り返ると、そこにいたのはリュミエールの王女シフォではなく――純白の少女だった。
「……! 」
「……ソウ? 何か変でしょうか」
大きな鍔のある白い帽子と、上品で優しい印象を与えるパフスリーブの白いワンピース。
純白の衣装に身を包んだ彼女は天使のように美しい。
「……か、かわいいと思うよ」
「かわいい……? それより、変装できているでしょうか? 」
シフォがきょとんとしてこちらを見る。
そうだった。彼女があまりに美しく、愛らしくて忘れていたがこれは変装用の服。
実用性より素直な感想が出てしまったソウは恥ずかしさで耳まで赤くなる。
「……あ、うん! 帽子が大きいから顔を隠すことも出来るし、ばっちり変装できてるよ」
「ではこれにしましょう」
「……逆に、目立つかもしれないけど」
「えっ? 」
こんなに美しい純白の少女が街を歩いていたら誰もが目で追ってしまう。過大評価かもしれないが、少なくともソウは心からそう思っていた。
そんなに目立つのか不安がるシフォになんでもない、大丈夫と伝え、会計を済ませて店を出た。
「お待たせしました」
「シフォ王女、素敵です……! 」
「そうでしょうか? 」
店の外で待っていたユリアが、目を輝かせて純白の衣装を纏ったシフォを見回す。
「変装できたようですね。それでは――」
「ジェード、お願いがあるのですが……」
シフォが耳打ちすると、彼は困ったように溜息をつく。
「……姫様。ここに来たのは食糧の補充や休息が目的でしょう。遊びに来たわけではないのですよ」
「それはわかっています。ですが、初めて外交以外でヴィオラに来たのですから少しぐらい……」
目を伏せるシフォ。
ジェードは少し悩んでいる様子だったが、諦めたように再び大きな溜息をついた。
「はぁ……。仕方がありませんね。日が沈むまでですよ」
「ありがとうございます……! 」
ぱぁ、と白い花が咲くように笑う。流石のジェードも主君には敵わない。
「ソウ、街が見たい姫様に付き添ってくれないか」
「えっ、ぼくが? ジェードは……? 」
「私は食糧の買い出しや馬車の整備をしなくてはならない。心配だが、街中なら危険は少ないだろう」
しっかりとお守りするのだぞ、絶対だぞ、と念を押される。
シフォと街を回れるのは嬉しいが、付き添いが自分なんかで良いのだろうか。
「ではソウ、行きましょう」
微笑む純白の天使に手を引かれ、思わず胸が高鳴る。
――お忍び王女と付き人の少年は喧騒の中に消えていった。
「シフォ王女とソウくんも出掛けましたし、ユリアはまずこの服屋さんをゆっくりと見ることにしますか! 」
「俺は美味そうな屋台でも探しに行くとするかな」
「待て」
歩き出したユリアとカルロの首根っこをジェードが掴む。
「姫様とソウは特別に許可したが、お前達には食糧の買い出しやその他諸々を手伝ってもらう」
「「えぇー!? 」」
「いちいち驚くな」
シフォに手を引かれて来たのは街の大通り。
道の脇には先程の服屋があった場所よりも沢山の店や屋台が立ち並び、色とりどりの屋根を映した空色の瞳は忙しなく瞬く。
どこからか漂ってくる甘い香りや、食欲をそそられる香ばしい香り。
広場にいた時から微かに聴こえていたが大通りに出てからずっと奏でられている陽気な音楽。
視覚だけではなく嗅覚、聴覚全てを刺激してくれる。
人々は活気に溢れ、賑やかで豊かなこの街はまさに“娯楽都市”だ。
「ヴィオラには久々に来ましたが、変わらない賑やかさで安心しました。ロプスキュリテが武力制圧を始めてから活気をなくした国や街もたくさんあるので……」
「そ、そうだね」
何度か来ていて慣れているのか、シフォの歩みは早い。
遅れないように、見失わないように歩幅を合わせて歩く。
それでも人混みを避けながら歩くのは難しく、彼女を追って慌てて角を曲がる。
――ドン、と鈍い音がして、尻餅をついた。
「いたっ! ……ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!? 」
「……ええ、大丈夫。こちらこそごめんなさい」
同じくぶつかって尻餅をついている目の前の人物に声を掛ける。
焦げ茶色のローブを身に纏っており顔は確認出来ないが、声とローブから覗く短めのスカートでその人物は少女だとわかる。
「ぼく、急いでいてつい……。本当にごめんなさい」
「気にしないで。私も急いでいたから」
ぽんぽんと埃を軽く払って少女が立ち上がる。
その勢いで頭を覆っていたローブのフードがふわりと捲れ、少女の素顔が露になった。
「っ……! 」
肩辺りまで伸ばし、ハーフアップにした深い紫の髪に金の瞳。
ソウよりいくつか歳上に見えるその顔立ちは美しく、凛とした雰囲気で気品を感じられる。
ロクワルドの美形の多さには驚いてばかりだ。
しかしソウが驚いたのは、彼女の美しさだけではない。
何処かで会ったことがある。
――いや、誰かに似ている。
「ソウ! 申し訳ありません、私ばかり先に行ってしまって……。そちらの方は? 」
「さっき、角でぶつかっちゃって……」
「お怪我はありませんか? 」
戻ってきたシフォが少女に訊ねると、彼女は周囲を見回し慌てた様子でフードを目深に被る。
「大丈夫。……それじゃ、急いでいるから失礼するわ」
少女は人混みに紛れるように足早に去っていった。
「綺麗な方でしたね。怪我がなくて何よりです」
「……そうだね」
シフォは気付かなかったのだろうか。
あの少女が普通の人間とは何か違っていて、誰かに似ていることを。
「――見たかよ、今の女」
「見た見た! すっげー綺麗な女の子だったよな! 」
「馬鹿、そんなことはどうでもいい。あの夜闇のように深い紫の髪に金の瞳。正体を隠すように被ったローブ。恐らく、あの女は……」
大通りの店の影から、顔を覗かせる三人の少年達。
その中の一人――淡い青の瞳を持つ少年は、氷のように冷たい眼差しで人混みの中に消えていく少女を睨んでいた。