第14話 遠き日の想い
爽やかな朝の空気が、馬車の周りに漂う。
朝日を反射してきらきらと輝く川の水面。流水が奏でるせせらぎが心地よい。
一行はロッソから少し離れた川原で休息していた。
「あの、朝だよ二人とも……」
「……」
「ひっ……! 」
いつまでも起きないユリアとカルロを起こしに向かおうと、ソウが馬車を覗いた時だった。
今にも獲物を捕らえて食い殺してしまいそうなほど鋭い瞳に睨まれて、心臓が止まりかける。
「いちいち怯えるんじゃねーよ……。吸血鬼狩人の生活に慣れてたから、朝がしんどくて」
「そ、そうなんだ……」
カルロの職業である吸血鬼狩人は、夜に現れる吸血鬼や悪魔系の魔物を討伐する。
その仕事をこなしているうちに自然と夜型人間になってしまうようだ。
彼もユリアと同じく、とても寝起きが悪い。
寝起きは特に不機嫌なことを抜きにしてもソウはまだカルロのことを少し怖いと思っており、正直苦手に感じていた。
「ユリアはまだ寝てるの? 」
「アイツ、今夜は頭が冴えるとか言って明け方までずっと研究しててさ……まぁそろそろ起きてくるだろ」
そのせいかよく眠れなかったようで、カルロは欠伸をして気怠そうにしている。
目の前を流れる川を眺めて待っていると、馬車からユリアが降りてきた。
「ユリア、おはようございます」
「全く……毎朝遅すぎるぞ」
「みな、さん……」
シフォとジェードが出迎えるが、彼女の目元には深い隈ができており足元もおぼつかない。
明らかに様子がおかしい。
「おはよ、ございま――」
「……ユリア!! 」
ぐらり、と前に倒れるユリアをカルロは咄嗟に抱き留める。
体に触れたことで異変を感じ、彼女の額に手を当てて大きな溜息をついた。
「……コイツ、熱出してやがる」
「ええ!? 」
「ったく……世話の焼ける奴」
ユリアの頬は紅潮して呼吸も荒い。
原因は間違いなく明け方まで研究を続けていたことによる寝不足だろう。
カルロは心底呆れた様子で彼女を抱き上げる。
「まずは近くの街で薬を買わないとな。いつも薬作ってる奴がこうなっちまったし」
「そうですね……。体を休められる宿屋も探しましょう」
急遽馬車を走らせて向かったのは小さな街だったが、宿屋や薬屋など最低限の店は存在しており安堵する一同。
ひとまず宿屋のベッドまでぐったりするユリアを運んだ。
「すみません……まさか熱を出してしまうなんて……。それに熱冷ましの薬は今ちょうど切らしていて……」
「気にしないでください。私がジェードと薬を買ってきますから。ソウとカルロはどうしますか? 」
「どうするって……」
隣に立つカルロの顔をちらりと見る。
彼とほぼ二人きりの状況になるのは正直気まずいし避けたいところだ。
しかし彼一人だけ看病に残すのは薄情にも思えてきて、今まで他人の顔色ばかり伺っていたソウは悩み込む。
「……行ってこいよ」
「えっ? 」
「コイツの看病ぐらい一人で出来る。それに、俺と一緒じゃ居心地悪いだろ」
顔に出ていたのか、それとも本人も薄々気付いていたのか。
どちらにせよ申し訳なさで言葉を詰まらせる。
悩んだ末、彼の気遣いを無駄にはしたくないのでシフォ達と薬を買いに行くことに決めた。
「はぁ……。なんでよりにもよってユリアを看病してくれるのがカルロさんなんですか」
「つべこべ言うな」
シフォ達三人は薬を買いに出掛け、静かな部屋には二人の声だけが響く。
ユリアはカルロが看病に残ったことが相当不満らしくイザーク様ならいいのに、だとかまだシフォ王女やソウくんの方が、だとかぶつぶつとぼやいている。
「迷惑かけてる身で文句言うなよ。とりあえずこれでも食って寝ろ」
「……なんですか、これ? 」
「何って、見りゃわかるだろ」
差し出されたのは、どれも形が不揃いで所々皮が残っている歪に剥かれた林檎……のようなもの。
「カルロさんって、昔からお料理に関してはとっても不器用ですよね……。普段何食べて過ごしてるんです? 」
「病人が他人の心配してんじゃねーよ。いいから食え」
半ば無理矢理押し込まれた歪な林檎を食べ終えて横になると、突然額に冷たいものを乗せられる。
「ひょわっ!? なんですかいきなり! 」
「氷の魔宝石の欠片を入れた袋だ。王女サマが貸してくれた。微弱な冷気で頭を冷やしてくれるんだと」
「も~びっくりさせないでください……」
氷の魔宝石は鎮静作用があるのか、気が付けばユリアは寝息を立てていた。
再び静まり返った部屋に林檎に使ったナイフや皿を片付ける音がやけに大きく響く。
「……熱出してぶっ倒れてまで、あんな薬作りたいのかよ。本当にバカだな」
目の前のユリアは心地よさそうに寝息を立てるばかりで、呟きへの反応はない。
「お前は知らないだろうけど……五年前、俺に呪いをかけた吸血鬼は――イザークだ。たぶん、マローネの村を襲ったのも」
彼女が想いを寄せる吸血鬼……イザークの名前を出しても目を覚ますことはない。
「なんとなくだけど、気付いてた。八年前、アイツはマローネにやってきて俺達と共に過ごした……。そして五年前のあの日に消えた。吸血鬼達が村を襲った日だ」
忘れたくても忘れられない記憶。
温厚で、誰にでも優しくて、花の蜜でも吸って生きているのかというぐらいに吸血鬼とは思えないような奴だった。
だから自分はイザークを受け入れた。
なのに、あの日に忽然と姿を消した。
「……こんなこと言ったって、信じないんだろうな。あの日もお前は、イザークは他の吸血鬼とは違う、そんなことするわけがないって必死で俺に訴えてたからな」
諦めたように目を伏せて、眠り続けるユリアに視線を落とす。
彼女を見つめる深い緑の瞳は、どこか寂しげに揺らめいた。
「俺だって、アイツのこと信じたい。いつかアイツに会えたら……村のこと、呪いのこと、直接聞くつもりだ」
数ヶ月に一、二回程度だった呪いは、時が経つにつれて頻度と痛みの強さを増している。
もう自分は長くはないのかもしれない。
もどかしげに目を閉じる。
「もし本当にアイツが呪いをかけた吸血鬼だとしても……きっと殺せないんだろうな。お前がアイツの為に今までしてきたこと、全部無駄になっちまうし」
だからこれ以上は言わない。
彼女の努力を自分は一番知っている。一番傍で見ている。
それが無駄になるぐらいなら、悲しむぐらいなら。
それならいっそ、最後まで黙っていた方がいい。
もし自分が呪いで死んだとしても、何も知らない彼女はイザークと幸せになるのだから。
「ん……」
「……汗、拭いたほうがいいよな。でも俺がコイツの体拭くのは流石にマズいよな」
魔宝石の氷嚢で落ち着いたとはいえ、まだ完全に熱が下がったわけではない。
ユリアの顔にじっとりと汗が滲む。
「……とりあえず顔と首周りだけ拭いとくか」
水で湿らせた布で軽く拭いていく。
拭き終わり離れようとした瞬間、起き上がったユリアに突然抱き着かれた。
「おい、何してんだよ……! 寝ボケてんのか? 」
「イザーク、様……愛しています……」
呟いたのは、うんざりするぐらい聞いてきた男の名前。
「…………っ」
「ユリアの血を……飲んでください……」
ずきん、と胸の奥が痛んだ気がした。
鋭く尖ったもので突き刺されたように心がひどく痛み、苦しい。しかしこれは呪いの痛みではない。
両肩を掴んでユリアを引き離すと、再び氷嚢を乗せて毛布を掛ける。
「……ガキの頃は当たり前のように近かったお前の存在が、今では遠くなっちまった気がするよ。イザークと出会ってからな。……アイツと出会う前からずっと、俺は――」
その先の言葉を声に出すことはなく、口を噤む。
何度目かの静寂が部屋を包み込むが、それは扉を叩く軽い音によって破られた。
出掛けた三人が薬を購入して帰ってきたようで、ソウが恐る恐る扉から顔を出す。
「た、ただいま……。ユリアの具合はどう? 」
「王女サマが貸してくれた魔宝石が効いてんのか、呑気に寝てるぜ」
ソウは良かった、と安堵してカルロの方を気にしながら部屋へと入る。
彼の後に続くように薬の袋を持ったジェード、そしてシフォも中に入った。
「お待たせしました。薬を買ってきましたよ」
「眠っているところに悪いが、まずは薬を飲んでくれ」
「ん……? シフォ王女! 帰ってきたんですね。すみません、ユリアなんかの為に……」
ユリアは起き上がって薬の瓶を受け取ると、一気に飲み干す。
一息つくと、後ろめたそうに俯いた。
「……実は、退魔の血を無効化する薬は昨夜に完成したんです」
「えっ! 」
「でも、もう一つ作りたい薬があって、それが上手くいかなくてつい明け方まで……」
「もう一つの薬って? 」
恥ずかしいから本当は言いたくなかった、など色々言い渋った後、心の整理がついたのかカルロの方を向く。
「……カルロさんの呪いを解く為の薬です」
「俺の、呪いを……? なんでお前が」
きょとんとする彼を見てユリアは一瞬ムッとしたが、すぐに沈んだ表情になる。
「カルロさんが呪いをかけられたのは……ユリアのせいなんです。あの時、ユリアを庇ったから……」
「お前……まだそのこと気にしてたのか」
話を聞くと、五年前マローネが襲撃された際にユリアが例の吸血鬼に狙われ、彼女を庇ったカルロが代わりに呪いを受けたということだった。
「呪いを解く一番の方法はその吸血鬼を倒すこと。でも、ユリアにも何か出来ることがあるかもしれないって色々薬を作っていたんです。……早く苦しみから解放してあげたいですから」
「……ユリア」
淡い緑の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れる。
「以前採ってきたユグドラシルの花を使ってみても、上手くいかなくて……。このままではカルロさんが……」
「呪いはいつか自分で解いてみせる。だからお前がそこまでする必要はねーよ。……でも、ありがとな」
カルロは少し照れくさそうに頬を掻いて目を背ける。
ユリアは小さく首を横に振ると、差し出された布で目元の雫を拭った。
「昨日は迷惑をかけてしまい本当にすみませんでした。これからは無理をしない程度に薬を作っていきますから! 」
翌朝。
ユリアの熱は無事に下がり、宿屋を後にして一行は歩き始める。
「薬作りはやめないんだね」
「懲りねー奴……。まぁ薬作りと料理がコイツの数少ない取り柄だからな」
「数少ない取り柄って! ユリアもっと良いところありますよ! 」
「じゃあ言ってみろよ」
ぐぬぬ……と口ごもるユリアを見て笑いを堪えるカルロ。
彼の横顔を見たソウは、昨日宿屋の扉越しに聞いてしまった言葉を思い出す。
『アイツと出会う前からずっと、俺は――』
もしかして、彼は…………。
「……なんだよ」
「な、なんでもないよっ! 」
今はまだぎこちないけど、旅を続けていくうちにみんなのことをもっと知れるだろうか。
知っていけたらいいな。
残る導かれし者はあと二人。
一体どんな人なのだろう?
どこにいるのだろう?
不安なこともあるけれど、それよりも……楽しみな気持ちの方が今は大きい。