第11話 エクソシスト
馬車がロッソへ到着したのは、もうすっかり日の沈んだ頃。
夜空には星と月が輝き、赤い魔宝石のランプが夜の街を美しく彩っていた。
「ルビーの光、徐々に弱くなってきてるね」
「導かれし者がロッソを離れてしまったのかもしれません……。今日はもう日が暮れてしまいましたし、宿屋で休みましょう」
翌朝、宿屋を出た一行は導かれし者の捜索の為街へと向かった。
その途中、ユリアはシフォに耳打ちをする。
「あの、薬草を売っている店を見てみたいです。ユリアが探しているものがあるかもしれませんし……」
「わかりました。行きましょう」
「寄り道もいいが、手短に済ませてくれ」
ソウは歩きながら街を見渡す。
朝になり明るくなると、この街本来の美しさが露になった。
魔宝石のランプと同じ色をした真っ赤な薔薇が民家や露店などを彩る。
朝露に濡れた葉はきらきらと輝き、薔薇の美しさを際立たせていた。
薔薇に見惚れて眺めていたソウは、ふと我に返る。
気が付けば前を歩いていたシフォ達は消え、一人になっていた。
辺りを見回しても見つからない。
「はぐれた……? こ、こんな知らない街で……」
不安になり、三人がいるであろう薬草の店を探す。
しかし初めて来た知らない街。走れば走るほど迷ってしまい、果てには街から離れた場所に辿り着いてしまった。
「はぁ……。どうしよう……ん? 誰かいる」
人気がなく、風が草を揺らす音だけが聞こえる静かな丘。
丘の上に生えた林檎の木の下で、一人の青年が寝息を立てていた。
彼は街に咲いていた薔薇のように赤い髪を首辺りまで伸ばし、黒い帽子を目深に被って眠っている。
「あの人に聞けば何かわかるかな? でも起こすのは悪いよね……」
青年を起こすか否か悩んでいると、柔らかな風が草や木の葉を揺らす。
風を受けて枝から離れた一つの林檎が、真下で眠る彼の頭上目掛けて落下する。
――ごつん、と鈍い音を立てた。
「いッてぇ! 」
青年は少し呻いて帽子を被り直すと、ソウの存在に気付くや否や深い緑の双眸を鋭く細め、睨みつける。
「……何見てんだよ」
「ご、ごめんなさい……! 」
蛇に睨まれた蛙の如くその場に立ちすくむ。
ただひたすら心の中でシフォ達に助けを求めていると、やがてそれは現実となった。
「ソウ! やっと見つけました……! 」
「シフォ……! 」
「全く、私達の傍から離れるな」
逃げるようにシフォ達に駆け寄る。
ソウを睨みつけていた青年は、三人の中の一人を見るなり鋭く細めていた双眸を見開いた。
「ユリア……!? 」
「カ、カルロさん……」
「え、知ってる人なの? 」
驚く青年とユリアを交互に見る。
するとシフォの宝石箱が再び赤く光り輝いた。
「ルビーが反応しています……! もしかして、この方に? 」
「えっ、いやいや冗談ですよね? 」
「冗談ではないようです、見てください」
ルビーを取り出し、青年に向けると光は一層強くなる。
青年は状況が理解できない、というような表情でルビーを見つめていた。
「まさかカルロさんが導かれし者なんて……。恐れていたことが……」
「ユリア、もしかして彼が以前話していた『無愛想でいい加減で乙女心を理解してくれない知り合い』ですか? 」
「はい……。そうです……」
シフォがそっと訊ねると、彼女は心底落ち込んでいる様子で項垂れた。
「ええと……ユリアとはどのような関係なのですか? 」
「コイツとはガキの頃からの付き合いでな、まぁ幼馴染みってヤツだ」
「幼馴染み、ですか? 」
「ああ。今は時々森にある家に食いもん届けに行ったり部屋掃除したりして、研究で引きこもってるコイツの世話してんだよ」
青年、カルロはまだ眠そうに瞬きをしながら話す。
話を聞いていたジェードは、あることに疑問を感じて顎に手を添える。
「食糧を届けに……? ユリアは森を出て調達していると言っていたが」
「コイツは身の回りのこと俺に任せっきりで数年間森の外から出てねーぞ」
その場にいる全員の視線がユリアに突き刺さる。
場の空気が凍りつく。
「うう……すみません……。生活力のないダメな女と思われたくなくて」
「大丈夫だよユリア。もうみんなわかってると思うから」
「それフォローになってませんよソウくん!? 」
「……それにしても、お前まだあの研究続けるつもりなのか? 」
カルロは目を細め、呆れたような顔でユリアを見る。
「せっかく貴重な“退魔の血”を持ってんのに無効化する薬を作るとか……それも吸血鬼に惚れたからって。ほんっとーにバカだよなお前」
「イザーク様はこの上ないぐらい素敵な方です! カルロさんは恋をしたことないだろうからそんなこと言えるんでしょうね! 」
声を張り上げ、怒りを露にするユリア。
その言葉に彼は不愉快そうに眉をひそめる。
「どこがステキなんだよ」
「儚げで満月の夜に映えるような銀髪! 薔薇のような深紅の瞳! あの美しさは人間では敵いませんね」
「外見だけじゃねーかこの面食い女! 」
「それだけじゃないです! とても優しくて……あなたよりもずっと! 」
「うっせー! 」
激しく言い争う二人を止めることができず、ソウ達は立ち尽くす。
どうやらこの二人、仲が良くないようだ。
困り果てていると、一人の中年男性がこちらに近付いてくる。
「あ~……君が吸血鬼狩人のカルロかね? 何か揉めているところすまないが、吸血鬼退治を依頼したホレスだ」
「来たか。……悪いなユリア。これから仕事だからお前に構ってる暇ねーんだよ」
「先に絡んできたのはカルロさんじゃないですか! 」
カルロは恰幅の良い男性を連れて街の方へ歩いていく。
遠くなる彼の背を、ユリアはひたすら睨み続けていた。
「忙しいみたいだけど……なんとか話はできないの? 」
「……カルロさんについて行きましょう。不本意ですが、彼が導かれし者である以上力を貸してくれないと困ります」
カルロの後を追うと、彼の家らしき小さな民家に二人は入っていく。
「待ってください! 」
「なんだよ、忙しいって言ってんだろ」
「どうしても聞いてほしい話があるんです! 」
「はぁ……。わかったから入れ」
溜息をつきながら通されて中に入る。
きちんと整理整頓され、必要最低限のものしかない小綺麗な部屋。ユリアの家とは大違いだ。
カルロとホレスは一足先に腰掛ける。
「この者達は一体何なのかね……? 」
「なんだか知らんがついてきた。気にすんな。……お前らの話も後で聞いてやるから、ちょっと待ってろ」
こちらに振り返り、小さな声で伝えるカルロ。
ユリアは不服そうに口を尖らせる。
「それじゃ、本題に入るぞ。……ホレスっていったら、ここらでは結構有名な貴族サマじゃねーか。一体何があったんだ? 」
「……私の屋敷に吸血鬼が現れ、使用人達の命を奪ったのだ。二人の、少女の姿をした吸血鬼だった」
「女吸血鬼の二人組……」
ホレスは頷くと、目を伏せて言葉を続ける。
「使用人達が襲われている間、私は隠れて震えることしか出来なかった……。夜が明けて吸血鬼は去っていったが、多くの使用人を失った。それに二人は、高貴な血が飲みたいと言っていた」
高貴な血、か。
カルロは呟くと、考え込むようにして腕を組む。
「今夜もきっと屋敷に現れる。私の血を狙って……! どうか、退治してくれないかね! 金はいくらでも出す! 」
「……わかった。必ず退治してみせるぜ」
「ありがとう……。場所は日が沈みだす頃に案内する。君は優秀な吸血鬼狩人らしいからね、期待しているよ」
震える声で話すホレスに、カルロは深く頷く。
彼は会釈をすると、ゆっくりとした足取りで去っていった。
「……で、お前らは俺になんの用だ? 」
「先程もお見せしましたが……この守護石を見てください。この光は、ルビーに導かれたあなたに反応しています」
「俺が、導かれた……? 怪しい守護石の押し売りならお断りだぜ」
カルロは怪訝そうな顔でルビーを凝視する。
「ちゃんと話を聞いてくださいよ! 彼女はリュミエール王国のシフォ王女。ユリア達は今、王女の国を救う為旅をしているんです」
「旅って……なんでお前まで? 」
ユリアは自分が守護石に導かれたこと、シフォ達が旅をする理由やロッソに来た経緯をカルロに説明する。
「なんか、面倒なことになってんだな」
「……どうか、私達に力を貸していただけないでしょうか? 」
小さな部屋を静寂が包み込む。
彼は一瞬目を泳がせて、閉ざしていた口を開く。
「――いや、悪いが俺は協力できない」
「どうしてですか! 」
「ダメなもんはダメだ。……ちょっと外で葉巻でも吸ってくる」
足早に家から出るカルロ。
ユリアもまた、彼の名を叫びながら家を飛び出して追いかけていく。
取り残された三人はどうしたものか、という視線を互いに送り合った。
「……そ、そういえば気になってたんだけど吸血鬼狩人ってなんのこと? 」
場の空気を変えようと、ソウはジェードに訊ねる。
「吸血鬼や悪魔を退治する狩人だ。あの類いは凶暴な魔物が多いから、かなりの実力者でないと命を落としかねない危険な仕事だ」
「そんなにすごい人が守護石に導かれたんだね……。なんとか力を貸してほしいところだけど」
「ユリア……大丈夫でしょうか」
シフォは二人が出ていった扉の方向を見つめていた。
「カルロさん! どこに行くんですかもう! 」
「……知ってんだろ」
家から少し離れたところでようやく追いつく。
呼び止めると、カルロは黒いケープを大きく翻して振り向いた。
「俺にはアレがある。お前らに協力したところで、迷惑をかけるだけだ」
「あ……」
彼の言葉に何かを察したユリアは、言葉に詰まり俯く。
そして少しの間を置いて顔を上げる。
「それでも、力を貸してほしいんです! ユリアはシフォ王女とリュミエール王国を助けたい……! 」
「なんで自分の国でもないのにそこまで……」
「シフォ王女は幼いのにしっかりしていて、国民のことをとても大事に思っています。それに、虫にすら優しい慈愛に満ちた方なんです……! 」
どうかお願いします!と深々頭を下げるユリア。
カルロは困ったように帽子の鍔に何度か触れた後、何か閃いたのか閉じていた瞳を開く。
「そうだ、王女……! おい、その王女サマを少し貸してくれよ」
「ええ……!? い、一体何をする気なんです? 」
柔らかな風が吹き、街に咲く薔薇の花弁を揺らす。
薔薇と同じ色をした赤髪と黒いケープが、花と共に靡く。
「力を貸してほしいなら、お前らも俺に力を貸してくれ。無事に仕事を終えることができたら……協力してやるよ」